東出昌大(33)が20代女性と交際中であると、10月14日発売の週刊文春が報じた。
東出といえば自身の不倫が原因で、杏(35)と離婚。20年8月の発表からまだ1年と、日が浅い状況。いっぽう、今年5月には東出の提示している養育費が「1人あたり1万円」という衝撃の報道も浮上していた。
そんななかで新恋人との熱愛が報じられた結果、東出のイメージはさらに低下。世間からも「あきれた」といった批判が多数上がっている。
しかしいっぽうで聞こえてくるのは、「なぜ東出はこれほどモテるのか」「顔がイケメンだとしても、こうもすぐに次の恋愛相手が見つかるものか」といった疑問の声だ。
「それはおそらく、男性の醸し出す“どうしようもない感”に惹かれる女性が一定数いるからです」
そう語るのは、恋愛ジャーナリストのおおしまりえさんだ。その言葉の意味とはーー。
■どうしようもない感が批判の声を大きくさせる
「恋愛の前に父親としてやることあるでしょ」
「この人はもう、こういう人なんだな」
「どうしようもない、事務所もそれ込みなんだろうか」
などなど、今回の東出昌大さんの熱愛には疑問の声が上がっています。父親や傷つけた者としての役割をきちんと果たした上での新たな恋愛なのかという反応です。
また熱愛記事では東出さんが地方ロケの最中、恋人を現地に呼びよせていたことも明らかになっていました。そうした“公私の区切りのだらしなさ”についても、批判が上がっているようです。
もし単なる不倫離婚後の恋愛ということであれば、批判の声はここまでの大きさにはなっていなかったでしょう。
しかし東出さんは不倫発覚時に謝罪会見などの十分な説明をせず、奥さんともきちんと話し合わなかった。そして適切な金銭的対応をしていないと報じられるなど、一貫して「どうしようもない」と感じさせてきた。今回の報道への批判の根底には、そうした空気があるようです。
正直、「どんなにイケメンだろうとも、こんな人を恋人や夫にはしたくない」と思う女性は多いのではないでしょうか。しかしこうした“どうしようもない感じの男性”は、特定の女性からとてもモテます。それは女性側の様々な部分を、恋愛を通して刺激するからかもしれません。
■女性の心をくすぐる3つの要素
【1】「分かるのは私だけ」という特別感
世間一般的に「どうしようもないな」と感じさせる男性というのは、当然ながらそんなにはモテません。ただしそういった男性に惹かれる女性からすれば、「この人を分かるのは私だけ」「この人を支えてあげたい」といった献身的な心をくすぐられるそうです。
誰にも分からないけれど、私だけにはわかる魅力。相手にとっての1番の理解者にすんなりなれる。そうした点に、特別感を覚えるというのです。
だからといって問題のありそうな相手を選ぶなんて、普通に見れば“物好き”でしかないのですが……。
【2】理解者が少ないから“より密な関係”になりがち
また世間一般的に批判されるような男性というのは当然ながら、周りに心からの理解者が少ない傾向にあります。しかしだからこそ恋人などの親密な相手とは、一般的な関係よりもさらに密な関係性になりやすかったりします。
独占欲が強い女性の中には、“親密な繋がりを持つことができると、より満足感を覚える”という人もいます。ただこれは本質的に共依存の関係に似ているので、健全とはちょっと言えないのかもしれません。
【3】“どうしようもない男性”は支えがいがある
「支えがい」なんてものは本来、恋愛に必要ない要素です。しかし“どうしようもない要素の強い男性”というのは、見方を変えれば“してあげられることの多い人”ともいえます。
心情を理解してあげる、物理的に支えてあげる、励ましてチャレンジさせてあげるなどなど……。普通に生活している人よりも甲斐甲斐しくケアしなければならないシーンがあり、またそれによる良い変化も見えやすいかもしれません。
献身的な素養があることは、優しいということでもあります。しかしそれをあえて発揮しがいのある男性に向けるというのは、少し本質的なズレがあるかもしれません。一般的には“だめんず”好きと言われることが多いですが、そうした支えることを生きがいにする女性は一定数存在するのです。
■「父親」より「男」を優先する人は意外と多い
今回の東出さんの報道の中で「父親より男性を優先している」という批判もたびたび目にすることがありました。
しかし彼がプライベートで子どもたちにどんなケアをしているか分からない以上、父親の役割を果たしているか否かを断定することはできません。
むしろ不倫こそしていないにせよ、子どもが生まれてからも「父親」より「男」としての生活を優先している。そんな自分の今までのスタンスを崩さない男性は、けっこう多いような気がします(もちろん、そういう女性もいます)。
と最後に東出さんを擁護するようなことを書いてしまいましたが、筆者も「どうしようもない男」につい手を差し伸べてしまいがちなタイプなのかもしれません。
しかしながらせっかくつかんだ復活の道をまた険しいものにする彼は、まったくもっておバカだなとしか言えません。
(文:おおしまりえ)