(撮影:時事通信)
「新聞に載っていたのは間違いなく俊夫の字でした。でも覚悟を決めたときだったのか走り書きで、ようわからんような文字になっていて……」
そう語るのは、財務省近畿財務局職員・赤木俊夫さん(享年54)の実父(85)。'18年3月7日に兵庫県神戸市の自宅マンションで赤木さんが自ら命を絶ってから2年がたつ。実父が続ける。
「俊夫の三回忌法要は3月上旬にこちら(※実父が住む岡山県)でやりました。私と俊夫の嫁、そして俊夫の弟の3人だけで……。それから2週間ほどたって、嫁から電話があって、『国を訴えようと思っています』と、決意を聞かされたときは驚きましたよ」
赤木俊夫さんの妻が、国と当時の財務省理財局長だった佐川宣寿氏に損害賠償を求める訴えを起こしたのは今年3月18日。
訴状によれば、国有地売買の担当部署に所属していた赤木さんは’17年2月に上司に呼び出され、大阪府豊中市の国有地を森友学園に売却した取引の経緯を記した公文書から、学園側を優遇した記載を削除するなどの改ざんを指示されたという。赤木さんは抵抗したものの、その後も数回にわたって改ざんを強要されたのだ。
「俊夫は成績優秀でしたが、わが家の経済事情で大学に行かせてあげられませんでした。学歴をつけてやれなかったから、上役の命令に従わざるをえない立場にいたのです。父親としても無念です……」(実父)
弁護団は提訴に合わせて、赤木さんの遺言や手記を報道陣に公開した。手書きの遺言には震えるような字がつづられている。
《森友問題 佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNO、を誰れもいわない(中略)最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる 恐い》
同様に手記でも《(文書の修正などは)すべて、佐川理財局長の指示です》と、告発している。それらの文言からは、不正行為を強要され、公務員としてのプライドを砕かれてしまった無念がヒシヒシと伝わってくる。赤木さんは亡くなる1カ月ほど前に、故郷・岡山県を訪ねていたという。実父が続ける。
「('18年)2月の半ばに実家に帰ってきました。そのときは顔色もそんなに悪いとは思わず、ふつうに親子で話すことができましたが、腹の中では、もう覚悟を決めていたのかもしれません。最後に父親の顔を見にきたんだな……、振り返ってみると、そうとしか思えません。いまも俊夫の月命日の7日には墓参りに行っています。あの子の母親も、もう亡くなってお墓に入っていますからね。いつも墓にこう語りかけているんです。『母親と仲ようせいよ、いずれ俺もそっちにいくからな』って」
赤木さんの妻が遺言や手記を公開したことにより、森友問題の再調査を求める声も高まっている。だが安倍首相は「行政府の長として大きな責任を痛感している」と語りながらも、再調査はしない考えを示した。また同様に麻生太郎財務相も「再調査は、いま考えていない」と、述べている。こうした政権トップたちの言葉に対して、妻は直筆コメントを公開した。
《安倍首相は2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました。麻生大臣は墓参に来てほしいと伝えたのに国会で私の言葉をねじ曲げました。この2人は調査される側で、再調査しないと発言できる立場ではないと思います。》
また実父も、本誌のインタビューの最後にこう語った。
「世間の皆さんにもわかっていただきたいのは、息子は昔から馬鹿正直な人間だったこと、そして最後まで正義を貫きたいと思っていたことです。正義を貫こうとした揚げ句に最後はあんなふうになってしまったということを皆さんに、特に佐川さんや麻生さんには忘れないでほしい。息子の苦悩を無視しないでほしい。それが私の願いです」
「女性自身」2020年4月7日号 掲載