(写真:樹木希林さんの葬儀に駆けつけた安藤サクラ)
「棺はいちばん安いものでいい。その代わり、孫とかみんなで(棺桶に)落書きをして見送ってほしい。あと、できたらミラーボールを会場につるしてロックをガンガンかけてみんなで踊ってほしい!」
10月23日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で自らの理想の葬儀についてそう語ったのは、安藤サクラ(34)の母・安藤和津(72)。逝く前の希望についても、
「私が行きたいって言ったら、車いすでも、そういう音楽ガンガン鳴ってるディスコみたいなとこに連れていってほしい。痛み止めは山ほど打ってほしい。食べたいものは“これ食べたら体に悪い”ってものでも、ガンガン食べさせてほしいって、いっぱいわがままを書き記しています」
すでに“遺言”として、家族にも伝えているという。安藤家の知人はこう語る。
「《死化粧の際には付けマツゲを》《高い服は棺桶に入れずにメルカリで売ること》など、彼女の希望を長女の桃子さん、次女のサクラさんに託しているそうです。親しい人たちには、『お葬式は人生最大のイベント。湿っぽいのはイヤだから、みんなで盛り上がって見送ってほしい』と話しています。
和津さんがそんな“楽しめる”最期を望むようになった背景には、40代後半から彼女の実母・昌子さんを12年間介護した実体験が影響しているんです」
昌子さんは認知症と老人性うつ病、脳腫瘍を同時に患い、攻撃的な性格に変わってしまったという。58歳で実母を看取った安藤は心から“自分らしい最期を迎えたい”と思うようになったという。
「長年の介護生活は和津さん自身も“介護うつ”になるほど壮絶なものでした。お母様が亡くなったあとも“介護後うつ”になり、3年ほど前に“うつ抜け”するまで長年悩まされ続けてきたんです。
サクラさんはそんな和津さんをずっと間近で見てきました。だからこそ、参列者も楽しめる“自分らしい最期を”と願う和津さんの気持ちが理解できるのでしょう。和津さんの終活プランに戸惑いながらも、『お母さんが望むことは、できる限り応えたい』と姉の桃子さんと相談しているそうです」(前出・安藤家の知人)
■葬式に“らしさ”求めるシニアが増えた理由
“困惑”しながらも、母の希望をかなえてあげたいと願うサクラ。しかし、実際に葬儀でミラーボールや棺桶に寄せ書きなどは実現可能なのだろうか。終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡氏はこう語る。
「個性的なお葬式は、お寺などの宗教的な場所では難しいかもしれませんが、ロックでダンスなどなら、今は葬儀会館でならできるところはかなりあります。ミラーボールはさすがに見たことはないですが、昔よりも個性的なお葬式を抵抗なく考える人が増え、葬儀社もいろいろやってくれるようになりました。準備する側は大変ですが、それでもある程度の希望はかなえられると思います」
最近では“その人らしさ”がにじみ出るお葬式を検討するシニアが増えているという。
「昔と比べて、個性的なお葬式を『不謹慎だ!』などと毛嫌いしない風潮になってきました。その人が生きてきた証しとなるようなお葬式は、『そうそう、こういう人だったよね……』と、残された側にとっても力になります。少しでもいいお葬式にして、ご家族が『最後にこれをしてあげられた』と思えることにも価値があると思います」
母・和津は昨年、雑誌のインタビューで“今は孫の顔を見ることが生きがいのひとつ”と明かしながら、笑顔でこう言い切っている。
《うつ抜けした今、やりたいことは山ほどあるのよ。(略)子育ても介護もいつかは終わるのだから、『誰々のママ』や『誰々の娘』という役割だけで終わらないで、自分を持ち続けないと。私は介護のためにいったん自分を捨ててしまったけど、今はすっかり取り戻したので、これからはわがまま一杯に好きなことをやってやろうと思います(笑)》(『からだにいいこと』’19年2月号)
“最後のわがまま”を反映した、彼女らしい終活プランだ。
「当初、サクラさんは長女出産後、女優業を続けることに消極的でした。そこへ舞い込んだ朝ドラ『まんぷく』のオファー。悩んだ彼女が和津さんに相談したら『子どもとは一日中一緒にいなくても、濃い時間を過ごせば大丈夫。あなたは一人の女性として女優を続けるべき。私も仕事で定期的に大阪に行くから』とサポートを約束され決断したそうです」(前出・安藤家の知人)
■朝ドラ出演決断を支えた義母の言葉
今年9月、資生堂の「ベネフィーク(BENEFIQUE)」の新ミューズに選ばれたサクラ。そのHP上のインタビューで彼女はこう語っている。
《子育てが始まってからが特に大きく変化したように思います。子どもを見ていると今までの自分が正される機会が多くてたくさんのことを学びますね。視点が一八〇度変わったので、過去を振り返る機会も増えました。私はその度に今までの自分を恥じてしまうことが多いのですが、それも節目を越えてきたからこそ、と思うようにしています》
自らママとなって気づいた、母・和津の確固たる信念――。
2年前、サクラの夫・柄本佑(33)の母・角替和枝さんが、原発不明がんで64歳の若さで亡くなった。『まんぷく』への出演を後押ししたのは、義母も同じだった。
「角替さんは女優の同志として、『これをやらないなら一生仕事辞めな!』と発破をかけた。それが決定打となり、彼女は朝ドラ初の“主演ママ女優”になったんです。角替さんはがん発覚後も、家族全員に『私の病気のことでスケジュールを変えることは許さない!』と役者の仕事を優先させました。
サクラさんはその“遺言”をしっかりと守り、角替さんが亡くなった際も気丈に朝ドラの撮影に臨みました。逝去から約60時間後に対面を果たしたそうです」(NHK関係者)
義母の“最後の教え”を守り通したサクラ。実母の“驚きの遺言”もできる限り尊重することだろう。
「女性自身」2020年11月17日号 掲載