《このような誉れ高い褒章のお話を耳にした時、もしやからかわれているのではないか、と一瞬耳を疑いました》
11月2日、こう公式サイトでコメントを発表したのは内野聖陽(53)。政府が発表した秋の褒章で、芸術・文化の分野で活躍した人に贈られる「紫綬褒章」を受章したのだ。
受章を受けて内野は、《観ている方々の心をその作品の中に気持ちよく誘い、その世界で沢山遊んでいただきたい、そのために役者である自分は生々しく真実を込めて生き尽くすこと。それが僕の一番の単純な信念です》と綴っている。
各メディアによると受章理由は、「徹底した役作りと確かな演技力で、見る者を圧倒する力強い役から繊細さのある役柄まで巧みに演じ、芸能界の発展に貢献した」とされている。
■コロナ回復後も高齢の母を献身介護
今年はNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で、ヒロイン・百音(清原果耶)の父・永浦耕治を好演したことも記憶に新しい内野。’96年放送の『ふたりっ子』に出演して以来、25年ぶりにして2度目の朝ドラとなった。だが放送開始直前の5月13日には、内野に新型コロナの感染が発表され、波乱の幕開けとなった。
「幸い撮影スケジュールや放送に影響はなく、内野さんも自宅療養を経て回復しました。5月18日には自ら公式サイトで《自宅療養も解除され、日々元気に日常を取り戻しております》と、コメントを発表していました」(テレビ局関係者)
無事に新型コロナから回復し、自宅療養期間も終えた内野。そんな彼が、真っ先に向かった先は実母の元だった
内野が回復のコメントを発表した翌日夜、本誌は母親と過ごす内野の姿をキャッチ。内野が愛車の後部座席を開けると、ゆっくりと母親が降りてきたのだった。そして、杖をついている彼女の腕を内野が優しく支え、ゆっくりゆっくり自宅まで付き添っていた。
「80代のお母さんは、内野さんが住んでいる一軒家から車で2~3分のところにあるマンションで一人暮らしをしています。この数年で急に足が悪くなったそうで、介護も必要な状態になっているようです。内野さんはそんなお母さんの元へ生活必需品を運ぶなど、日頃から献身的に手伝っているのです。ですが一時はコロナ療養で外出できなくなり、お母さんの様子を見に行くことができず気を揉んでいたのではないでしょうか」(内野を知る舞台関係者)
■「父をはじめ多くの人たちを裏切ってしまった」
年老いた母親を大切にいたわる内野だが、その陰には家族に対する“負い目”があったという。
「内野さんは、横浜にある寺院の住職の長男として生まれました。幼い頃から食事の前に読経をするなど、“跡取り息子”として厳しく育てられたのです。ですが役者になるという夢をかなえるため、実家のお寺を継がないことを決意。内野さんはそのことを申し訳なく感じているといいます」(前出・舞台関係者)
役者の道を選んだ心情を、内野はメディアのインタビューで次のように語っている。
《寺を継いでほしいという父の期待に背いて役者の道に進んでしまったので、『役者としてやっていける』ということをいち早く父に証明したかったのです。そういう意味でも、朝ドラに出演できたことの意味は大きかった。父には、僕が想像する以上の絶望感を与えてしまったと思っています。自分が役者になったことで、父をはじめ多くの人たちを裏切ってしまったという気持ちは今でもあります。だからこそ、中途半端なことはできないという意識が常にありますね》(金融広報中央委員会広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.48 2019年春号)
「内野さんのお父さんが亡くなったのは’02年ごろです。その後は親戚の方がお寺を継ぎ、それに伴ってお母さんも実家を出ることになったそうです。’11年に個人事務所を設立した内野さんは、お母さんを代表取締役に据えています。内野さんには、『父の亡き後は自分が母を支える』という意思があったのでしょう。家族が反対した道で着実に大成していく様は、きっとお母さんにも感慨深いものがあるのではないでしょうか」(前出・舞台関係者)
役者としての功績が讃えられた「紫綬褒章」という栄誉は、一人息子のそばで静かに暮らす母への恩返しとなっただろう。