「もう僕は引退した身ですから。記者会見の前から残っていた作曲のお仕事も、すべて終わりました。これから発表される楽曲はまだありますが、やり残した仕事、作らないといけない楽曲といったものは、もうゼロになりました。だから僕はもう“私人”。僕が入院していたことが変なふうに伝わるといけないので、今回だけは少しお答えしますが、今後はいっさいありません。これが本当に最後です……」
今年1月、『週刊文春』で“不倫”が報じられた小室哲哉(59)。1月19日の引退会見から4カ月が過ぎた、5月中旬のある日。都内の総合病院のエントランスに車が横付けされると、1人の男性が乗り込んだ。小室哲哉、その人だ。
最近は新曲も発表。残っていた仕事を順調にこなしていると思われた小室は、じつは5月上旬からこの病院で入院生活を送っていたのだ。車で立ち寄った都内のビルの前で記者が声をかけると、小室は冒頭のように断ったうえで、記者の質問に答えてくれた。
――なぜ入院されていたんでしょうか?
「突発性難聴の治療です。片方の耳の聴力が聴音検査でほとんど聞き取れないくらいに悪化して。(記者会見の前より)状態は悪くなっています。音に触れないほうがいいということで急遽、入院命令が出て、2週間ほど療養していました。ちょっと情けないんですけれど」
ひとつ安心できることに、今回は耳の治療が入院の目的。体調自体も思わしくはないが、新たな病気が見つかったわけではないという。音楽家にとって耳は何よりも大事なもの。小室の聴力が“極秘入院”するほど、悪化していたとは……。
だが、直撃に答える小室の顔色は決して悪くはなかった。1月の記者会見後、小室が取材に口を開くのはこれが初めて。ならば、どうしても聞いておきたいことがある。日本中からわき起こった“応援の声”は、小室の耳にどう届いていたのか――。
「自分もいい大人ですし、(週刊文春の記事を)“ごめんね”で済ませるわけにはいかないという思いが圧倒的に強かったので、あの機会にお話させていただいたんですけれども……。僕の話したことについても、みなさんがご自分の思い出と重ね合わせて、いいほうに判断してくれたんでしょうか。温かかったと思いますし、本当に感謝しています。ありがとうございます」
そう言うと小室は笑顔を見せた――。