社会に出たころの貯金はゼロながら、億単位の資産を持つまでに至った女性がいる。そんな“億女”の言葉には、大いに学ぶべきところがある――。
「お金を稼ぐことは好きですが、執着するということはまったくありません。モノにも執着がないし、もっと言えば、自分の命に対しても執着はないんです――」
作詞家の及川眠子さん(59)は、『残酷な天使のテーゼ』をはじめ、エヴァンゲリオン関連の曲を手がけ、6億円以上の印税収入を獲得したヒットメーカー。この四半世紀、年収は3,000万円を切ったことがない。まさにペン1本で“億女”になった人だ。
「『デビュー以来どのくらい稼いだの?』と問われると、『10億円以上は確実にあるけれど、20億円には届かないかもなぁ』と答えてしまうくらい大ざっぱなんです。あ、でも税理士さんには把握してもらっています(笑)」
そんな及川さん、稼ぐ額だけではなく、その使い方も豪快だ。「人生絶不調だった」という'14年には、体調を崩し、預金残高は3万2,000円になっていたという。
「いまも自宅は仕事場を兼ねているので、びっくりされそうな家賃を払っていますし、税金も払って……。入ってきたお金が手元に残ることはほぼないんです」
さかのぼると、撤退してしまったシティバンクにファンド購入を勧められて失敗、「トルコに物件を買うともうかる」とそそのかされ、家も洞窟(!)も買ったが、それも失うことに。
「失敗を繰り返してわかったことは、私には本業以外への投資は向いていないということです(笑)」
そんな及川さんの“億女”になるまでの軌跡をたどると、「音楽の世界で生きていきたい」と、地元和歌山から上京してきたのが24歳のとき。貯金はなく、友人に頼んで安アパートを探してもらったそう。
上京後はリクルート社の営業職など、じつに12回の転職を繰り返すが、その傍らで作詞を続け、1年後に「三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト」で最優秀賞を受賞、作詞家デビューをはたす。
転機となったのは'88年、Winkに提供した『愛が止まらない』が大ヒット、続いて翌年には『淋しい熱帯魚』が日本レコード大賞を受賞する。「作詞家として、ヒット曲を出す、レコ大を取る」という目標を20代にしてかなえた。
そして'95年、大ヒット曲『残酷な天使のテーゼ』を手がける。
「企画書を斜め読みしたうえで、『哲学的に』というオファーがあったので、そのように詞を書いていきました。2時間くらいで完成しました。じつは、『エヴァンゲリオン』の本編はいまだに見たことがなくて……」
成功のいっぽうで、のべ数千曲を書くなか、「これは」と手応えを感じた自信作が日の目を見ないこともあったという。
「職業作詞家ですから。苦手なジャンルも断らず引き受けました」
プライベートでは'05年に旅先のトルコで知り合った18歳年下のトルコ人男性と結婚。そこから「ジェットコースターのような日々」が始まる。結婚生活9年間で元夫に費やしたお金は、洞窟ホテルの開業を目指すなど、3億円という豪快すぎる金額。離婚時も7,000万円の借金を背負ったという。
「誰しも失敗はすると思うんです。そのとき『はい! 失敗です』って素直に失敗を認められたなら、その途端に“失敗”は“経験”に変わる。おもしろい経験をさせてもらったと考えています」
元夫のおかげで学んだことは「人のお金でビジネスをしようとしても、危機感が欠如するので成功しない」ということだという。
「よく『どうやったらお金が手に入りますか?』と質問されますが、あえていうなら、お金は貯め込むと濁るから『人にお金を使う』ということに尽きます。『お金を持ってくるのも、仕事を持ってくるのも人』ということですね」
お金の使い方で後悔はしない。失敗も糧にする“億女”の“哲学”は、示唆に富んでいる。