「収録前の相葉さんは、いまにも泣きだしそうなほど憔悴していて、共演者すら声を掛けられなかったそうです。心の底から志村さんを慕っていただけに、相葉さんの心痛は計り知れないものがあります」(日本テレビ関係者)
日本中に衝撃を与えた志村けんさん(享年70)の訃報。志村さんとともに『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)で司会を務める嵐の相葉雅紀(37)も悲しみに打ちひしがれていた。4月4日に、同番組は志村さんを追悼する特別編を放送。番組史上最高となる27.3%の視聴率を記録した。番組冒頭、相葉は悔しさをにじませながらこう語った。
《志村さんが亡くなったことは信じられませんし、受け止めることができません。嫌です、悲しすぎます。志村さんの優しい笑顔が頭から離れません》
2人の出会いは番組がスタートした'04年にさかのぼる。嵐としてデビュー後、同番組が初の単独でのバラエティ番組レギュラーとなった相葉。しかし、相葉は早々に“事件”を起こしていた。
「番組が始まってすぐ、志村さんの計らいで出演者やスタッフとの食事会が開かれました。緊張していたこともあって、お酒が回った相葉さんが志村さんの膝を枕にして寝てしまったんです。しかし、志村さんは『男に膝を貸すのは初めてだよ』と笑って許したそうです。スタッフが起こそうとすると、『嵐もやって疲れてるんだからいいよ』と優しく気遣っていたといいます」(前出・日本テレビ関係者)
思わぬハプニングもあり、2人の距離はどんどん縮まっていった。
「志村さんは人として裏表のない相葉さんをとてもかわいがり、収録が終わると毎回のように食事に誘っていました。相葉さんも志村さんの舞台があると、自分でチケットを購入して必ず観劇していたそうです。また志村さんは『将来的には相葉がMCをできるようにしてあげたい』とスタッフに語っていたそうです。当初はパネラーだった相葉さんが途中で司会に昇格したのも、志村さんの後押しがあったからだと聞いています」(前出・日本テレビ関係者)
公私にわたって志村さんとの絆を強めていくいっぽうで、相葉はスランプを抱えていた。
「番組スタート時の嵐は、今のような国民的アイドルではありませんでした。ほかのメンバーは個々で舞台やドラマに出演していましたが、それに比べて当時の相葉さんは仕事量が少なかった。相葉さん自身もそのことに悩んでいたそうです」(テレビの制作関係者)
そんな相葉の葛藤を察していたのが志村さんだった。
「あるとき、相葉さんが志村さんに『嵐としての立ち位置がわからない……』とこぼしたことがありました。すると、志村さんは『いつどんな風が吹くかわからないから、その準備だけしておけば大丈夫だから』と優しくアドバイスを送ったそうです。それ以来、相葉さんの仕事への向き合い方が変わったといいます。積極的に過酷な猛獣とのロケなどに挑戦し、めきめきと実力を伸ばしていきました。生涯にわたって独身を貫いた志村さんですが、相葉さんのことはまるで息子のように温かく見守っていたようです」(前出・日本テレビ関係者)
4日の特別編で、相葉は涙ながらにこう語っていた。
《グループの中で僕だけお芝居の仕事をもらえなかったときに、志村さんが僕に「焦るんじゃないよ。相葉くんには『志村どうぶつ園』があるでしょ。ドラマは3カ月で終わるけど、『志村どうぶつ園』はずっと続くからね。俺がずっと続かせるからね」って。すごく救われたことがありました》
その後、次々と冠番組や主演ドラマの仕事を獲得していく相葉だが、そこには“志村流仕事術”があったようだ。
「ドリフターズ時代は先輩のいかりや長介さんをいじることの多かった志村さんですが、『志村どうぶつ園』では相葉さんにあえて振り回されることで、視聴者を笑わせていました。志村さんの姿に感銘を受けた相葉さんも別のバラエティ番組などで積極的に後輩からいじられるようにしていったそうです。そうした相葉さんの垣根のなさは共演者やスタッフからも『本当に仕事がやりやすい』と評判だといいます」(前出・テレビの制作関係者)
「女性自身」2020年4月28日号 掲載