◇日ロ交渉長期化目論むロシア
1月22日の安倍晋三首相とプーチン・ロシア大統領の25回目の首脳会談は、決着を急ぐ日本と交渉を長期化させたいロシアの温度差が目立った。日本側は1956年の日ソ共同宣言を基礎とする「2島」の線まで譲歩したが、ロシアは次々に要求を高めている構図だ。首相官邸が目指す6月末のプーチン訪日時の大筋合意は難しいだろう。プーチン大統領の指導力低下が譲歩を困難にしているとの見方もロシアで出ており、交渉は今後も茨の道となりそうだ。(拓殖大学海外事情研究所教授 名越健郎)
◇首相は6年前と同じフレーズ、進展ゼロ?
会談終了後の共同記者発表で、安倍首相は「戦後70年以上残された課題の解決は容易ではない。しかし、私たちはやり遂げなければならない。プーチン大統領と私はその決意を確認した」と述べた。この発言は、安倍首相が2013年4月にロシアを公式訪問し、最初の首脳会談を行った後の共同会見での発言と同じフレーズだった。これでは25回会っても、実質的な進展はなかったのでは、と思えてくる。
共同記者発表では、双方の思惑の違いが目立った。安倍首相は「共同経済活動のスピーディーな履行へ協力するよう指示した」「外相と実務代表に交渉を加速化するよう指示した」などとやや焦り気味な発言が目立った。
これに対し、プーチン大統領は「相互に受け入れ可能な条件を作りだすには、長期にわたる辛抱強さを要する作業が控えている」「平和条約には環境整備が必要だ」とし、交渉は長期化するとの認識を示した。
◇「合意」ちらつかせ、もてあそぶプーチン氏
残る任期が3年を切った安倍首相が決着を急ぐのに対し、ロシアにとっては、交渉を続けること自体にメリットがあるようだ。欧米から経済制裁を受け、孤立する中で、日本はG7(主要7カ国)の貴重なパイプ役だ。交渉の過程で日本を揺さぶり、経済援助を獲得できる。日米安保体制の脆弱化も画策できるかもしれない。
「日本は領土問題が決着し、平和条約を結ぶとロシアのことは忘れ、企業の進出も止まる」(クナーゼ元外務次官)との指摘もある。領土をエサに、交渉を長期化させる戦略のようだ。
米紙ニューヨーク・タイムズ(1月23日付)は「プーチン大統領は領土紛争の早期決着を図る日本の希望を打ち砕いた」と報じた。ロシアのアジア専門家、アレクサンドル・ガブエフ氏は同紙に対し、「プーチン氏は単に、日米関係に亀裂を生じさせる目的で、合意の希望を示唆しながら、安倍氏をもてあそんできた」とコメントした。
ロシア紙コメルサント(1月23日付)のアンドレイ・コレスニコフ記者は「今回の首脳会談もまた、日本側の期待に添えなかった」とし、「どうしても理解できないのは、安倍首相がなぜ島の問題にこれほど執着し、世界の他の問題に関心を払おうとしないのかということだ。なぜ亡き父の遺言にこだわるのか」と皮肉った。安倍首相が毎回成果のないロシア巡礼を続けることが、ロシア人記者には奇異に映るようだ。
◇「不法占拠」「北方領土」は使わせない
もっとも、今回の首脳会談は、日本側が昨年11月のシンガポールでの首脳会談で、歯舞、色丹引き渡しをうたった日ソ共同宣言を基礎にした交渉に応じた後の最初の本格会談だった。日本側が「4島」から「2島」に譲歩したことで、日本側は一定の歩み寄りを期待していたようだ。
しかし、ラブロフ外相は14日の外相会談で、4島が第二次大戦の結果、ロシア領になり、ロシアが主権を持つことを認めることが交渉を始める「主要な条件」だと強調した。
ロシアによる不法占拠という主張の撤回を要求するもので、これに応じれば、日本は領土要求の根拠を失うことになる。河野太郎外相は反論したというが、ロシア側がこれを前提条件にするなら交渉は進まないだろう。ラブロフ外相は、「北方領土」という表現を公式には使わないよう要求。ミサイル防衛など日米同盟にも注文を付けた。
一方で、両外相は次回外相会談を2月にミュンヘンで開くことや、外務次官級の実務協議を頻繁に実施することで合意した。ロシアは交渉を打ち切る意思は毛頭なく、交渉を続けることに意義を見出しているかにみえる。
◇77%が「1島たりとも」反対
日本側が「2島」までベタ降りしたにもかかわらず、ロシア側が歩み寄らないのは、ロシア世論の硬化が背景にあろう。首相訪ロを前に、極東やモスクワで返還反対デモが開かれた。政権に近いテレビ局は領土問題をめぐる討論番組をしばしば放映したが、1島たりとも返すべきでないという強硬論が多かった。レバダ・センターの最新世論調査では、77%が1島たりとも引き渡しに反対と答えた。
プーチン大統領が記者発表で、「解決策は国民の支持を受けるものでなければならない」と述べたのは、ロシア社会の返還反対論に配慮したもので、これも交渉長期化につながる。
56年宣言を基礎にした交渉で合意した後、プーチン大統領は「2島の主権を自動的に引き渡すわけではない。すべては交渉の対象だ」と述べた。ラブロフ外相も、「56年の日ソ共同宣言は60年の日米安保条約を想定していなかった。日米同盟で56年宣言をめぐる状況は変わった」と語った。平和条約によっても、2島が自動的に返還されるわけではなく、ロシアの姿勢後退が目立つ。
日本が歩み寄っても、ロシアはさらに要求を高く掲げる構図で、現状では日本政府が望む「2島プラスα」は無理で、「2島マイナスα」だろう。
◇プーチン神話が終焉、森氏への約束も空手形に
ロシア側の強硬姿勢は、プーチン大統領の指導力低下が背景にあるとの見方も出ている。大統領の支持率は、昨夏の年金受給年齢引き上げや公共料金値上げで低落し、支持率は昨年春までの80%台から60%台に、信頼度は57%から33%まで低下した。
モスクワ・タイムズ紙(電子版、1月23日)は、「プーチンは大統領在位中で現在が最悪の状況にある。経済は失速し、浮揚の見込みは全くない。近年は外交の成果もほとんどない。国民の多くは政権が統制するテレビを見ず、ネットやSNSで暗い噂話を広めている」とし、プーチン大統領が領土を割譲するような時期では到底ないと分析した。一方で、同紙は「かといって交渉が行き詰まることもない。双方とも何らかのディールを必要としている」と書いた。
前出のニューヨーク・タイムズも、「日本への領土割譲は、プーチン大統領が高揚させた戦勝神話という国家イデオロギーに逆行する」と指摘した。2014年のウクライナ領クリミア併合に熱狂した国民の愛国主義は今も高揚したままで、「戦利品」である北方領土の返還を阻害している構図だ。国防総省や外務省、情報機関など実力組織も返還に反対している。
プーチン大統領は就任間もない2001年、森喜朗首相に対し、「今は無理だが、選挙で再選されれば、2期目には2島を返還できるよう全力を尽くす」と述べたという。比較的親日派の大統領は今も、2島を引き渡して平和条約を結びたい意向とみられるが、厳しい内外環境や指導力低下、そして自ら高めた愛国主義が2島返還を困難にするだろう。
〔写真〕プーチン大統領(右)と握手する安倍晋三首相=2019年1月22日、モスクワ
外部リンク