江戸時代の時刻は、昼と夜を二分割しそれぞれを6時間ごとに分け、一日を十二分割したものに“干支”をあてはめた「十二時辰(じゅうにじしん)」をご紹介しました。
→太陽と月が生活基準。江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる【その1】
今回は浮世絵を通して江戸の生活を見てみましょう。
干支の時刻をもとに描かれた浮世絵
辰の刻
この浮世絵のタイトルに「辰の刻」とあります。今で言うおよそ7時から9時までの時間の光景を描いています。『今世斗計十二時』シリーズは、江戸庶民の一日をえがいています。“五渡亭国貞”とは歌川国貞のことです。
絵の内容としては、朝方に蚊帳から起き出してきた女性は女房であり、悠長に煙草を吸っています。右上のコマの中にいる男性は夫で、かいがいしく朝ご飯の支度をしているところです。
江戸時代は女性の人口が男性の人口よりも大分少なく、こうした“かかあ天下”の光景も少なくはなかったようです。羨ましいですね。(私だけ?)
この時代、男性が仕事に出かける時間は早かったなので、「辰の刻」でも今で言うおそらく午前7時ころだと思われます。しかし職人などは夜明けとともに仕事にでかけていたという説もあるので、もしかしたら仕事にあぶれた旦那さんだったのかもしれません。
午の刻
これは喜多川歌麿の作品でタイトルは「午の刻」となっています。今でいう午前11時から午後1時のお昼どきの時間帯です。右上に江戸時代の時計が描かれておりここにも「午の刻」と記されています。
この『青楼十二時(続)』というシリーズは、遊郭にいる遊女たちの1日の生活を描いた作品です。遊郭のお昼どき、湯上がりで今から身だしなみを整えようという遊女のもとに、仲間の遊女が何か手紙を見せています。そのそばでは禿が髷の具合を整えています。
未の刻
この浮世絵のタイトルには「未の刻」とあります。今でいうおよそ“午後1時から3時”の女性の姿を描いたものです。一番最初に目がいくのは“朝顔の花の傘”ではありませんか?実はこれは日傘なんです。本当にこんな日傘があったのならなんと素敵なことでしょう。襟元の空き具合からしても季節は夏でしょう。
この娘さんは三味線を担いでいます。つまり、三味線の稽古に行く途中もしくは帰りの姿です。頭にはいくつもの簪を差していてとてもお洒落が好きなようです。履物を見ると、いわゆる“ぽっくり下駄”を履いています。この下駄はいわゆる“禿”や“芸奴”さん、もしくは年少の少女が履くものです。
絵の右上に描かれている、子供たちの絵を見てみると。
子供たちがお弁当のような包みを持って、何やら背中に背負っています。江戸時代、子供たちは寺子屋に通っていましたので、寺子屋への行き帰りの姿でしょう。一緒の寺子屋に通う友達なのでしょうね。
この絵の中に「八つ時」と描かれていますが、未の刻=「八つ時」だったのです。これはまた後ほどご説明します。
とにかく江戸時代の子供たちは、割と勉学やお稽古ごとに忙しかったのです。そのため江戸時代の識字率は世界でもトップクラスであったのです。もしかしたら江戸の子供たちも案外時間に追われていたのかもしれませんね。
酉の刻
この浮世絵のタイトルは「酉の刻」です。つまり現在で言うところのおよそ“午後17時から午後19時頃”となります。遊郭で働く女性は日が落ちて暗くなってきたので、店の提灯に日を灯し店前に吊るそうとしています。花魁も支度が整い、これから仕事が始まるという完全な臨戦態勢となっています。後は客を待つばかりです。
このように遊郭の生活のふとした一部を切り取って作品にするということに、喜多川歌麿の観察眼を感じます。
丑の刻
上掲の「丑の時参り」という作品は、いわゆる“丑の刻参り”を描いています。「丑の刻」ということは現在の“およそ午前1時から3時”までということになります。若い女性が深夜の真っ暗な闇の中で、一般的には恋愛関係の嫉妬がもとで藁人形に釘を打ち憎い相手を呪い殺そうという怖い場景を描いているのです。
本来、丑の刻参りは本当に闇の中で行うので、女性は火を灯したロウソクを鉄輪に突き刺して頭に被り、白衣で行うものです。
しかし鈴木春信が描く「丑の時参り」はあくまでも楚々として、憎悪の欠片も見ることは出来ないのです。ただこれが憎悪や嫉妬を超えた表情だとしたら、それはそれで恐ろしい作品とも言えるのです。
その3「江戸の時刻の数での数え方」に続きます。