浮世絵を好む人ならば「鈴木春信(すずきはるのぶ)」の名前を知らないという人はいないでしょう。
鈴木春信は浮世絵の草創期に、それまで浮世絵の世界にはなかった多色刷りによる“錦絵”という手法の開発に絵師として関わり、彫師、摺師とともに、それまでの浮世絵の質を飛躍的に向上させ、時の人として人気を博しました。
この浮世絵が大流行する背景には絵暦交換会の存在があります。江戸時代は太陰太陽暦を使用していました。つまり月の満ち欠けをもとに1ヶ月を捉えていました。
その結果一ヶ月が30日の月を大の月、一ヶ月がは29.5日の月を小の月としました。1年が13ヶ月という年もありました。しかも毎年それが変わるので暦が必要でした。
そこで当時の俳人・趣味人・知識人の間で、いかに趣向を凝らした絵暦を作るかということが競われたのです。やがてこの版木が版元に売られ、庶民の間にも浸透していきました。
鈴木春信は多くの絵暦を制作しました。今回は鈴木春信の代表作の一つである『風俗四季歌仙』という作品をご紹介します。『風俗四季歌仙』は1年の毎月を和歌と絵で表現したシリーズです。
風俗四季哥仙 立春
このタイトルは“立春”となっています。江戸時代は立春に一番近い新月の日を正月としていたので、この絵は一年の始め、元旦を描いたものでしょう。絵の上部の雲を描いたような部分に、新勅撰集の藤原俊成の和歌が書き込まれています。
天の戸の 明くるけしきも 静かにて 雲居よりこそ 春はたちけれ
(訳)天の戸が開いて、夜が明るくなっていく様子も静かなるままに、なるほど、あの空のかなたから春はやってくるのだな。
そして絵暦には、屋敷の広縁に座る年若い武士が声をかけたのか、襖をあけた若い女性に何やら指差して話しかけている姿が描かれています。
庭に咲く“橘”は寒暖に関わらず常に緑の葉が生い茂ることから「永遠」や「長寿」を意味するおめでたい花でお正月には相応しいでしょう。
しかし筆者には何か物足りない気がします。
藤原俊成の和歌のはじまりに“天の戸の”とありますが、“天の戸”には“天の岩戸”という意味があります。“天の岩戸”と言えば、天照大御神の天岩戸の神隠れを連想しませんか?
天の岩戸は天上界にあり、天岩戸の神隠れの舞台はその天上界、天照大御神は天上界の主宰神です。
つまりこの絵に描かれている女性は『天照大御神』と見立てられないでしょうか。
太陽神である天照大御神が天の岩戸に閉じこもってしまった時、世界は真っ暗闇の世界になってしまい禍々しいことが起きました。しかし八百万の神々によって天照大御神が天の岩戸から引き出された時、また世界は神々しい光に溢れたのです。
女性の振袖には、冬の柄である“雪輪”の中には梅や撫子、菖蒲やもみじなど、四季おりおりの植物が描かれています。これは振袖の柄としては特別なものではありませんが、この柄を選んだことに意味があるのではないでしょうか。これらは全て太陽の光によって生命を育くみ、また他の命あるものを生かしています。
それでは広縁に座っている年若い武士は誰でしょう?
この時代、年若い裕福な男性が振袖を着ることは珍しくはありませんでした。この振袖の柄を見ると“笠”に見えませんか?着物の“笠”模様には「隠す」という意味があります。それに伴って描かれている模様は、波のようでもあり、雲のようでもあり、霞のようでもあります。
雲や霞が隠すものと言えば“月”ではありませんか?
この若い武士は、天照大御神の弟の月読命(ツクヨミ・ツキヨミ)と見立てることができます。ツクヨミの神名が意味するものには“暦や月齢を数える”“日月を数える”という意味もあるのです。
去年はいろいろ苦労もあったけれど、月が変わってまた明るい年を迎えることを祈る人々に、天照大御神と月読命の組み合わせはピッタリです。新しい年を迎える元旦には、これ以上おめでたい絵暦は無いのではないでしょうか。
まとめ
今回私がこの「風俗四季哥仙 立春」を読み込んでみたものは、間違いもあるかもしれません。
しかし、浮世絵の草創紀に人々のなかで交わされた“絵暦交換会”は、それぞれの人が、暦を読み込んで、絵面だけではないものを発見し、楽しんだものなのではないかと思います。
次回、“風俗四季哥仙 (その2)”に続きます。