世の中には人には理解されにくいものを蒐集しているコレクターが以外に多かったりしますが、江戸時代にもコレクターは存在しました。時代的に陶器などは人気のコレクションアイテムだったでしょうか?浮世絵をコレクションしていた人もいたでしょう。
そんな江戸時代に、ひたすら石を蒐集していた奇石コレクターがいました。それが今回紹介する木内石亭(きのうちせきてい)です。後に、日本考古学の先駆者のひとりと讃えられるきっかけともなった博物書「雲根志(うんこんし)」を刊行した人物。※ 雲根とは石の異名
石、好き!石亭、11歳のころに石に目覚める
石亭は近江国の生まれの本草学者で、捨井家に生まれましたが、母の生家である木内家の養子となります。石亭自身によると石への興味は11歳ころから芽生え始めたそうで、最初の奥さんも石亭同様に石が大好きだったとのこと。
石亭は江戸でも学問を学んだことがありましたが、江戸では医師であり本草学者でもあった田村藍水(たむら らんすい)のもとに弟子入りします。そのころ田村藍水の弟子にはあの発明家・平賀源内(ひらがげんない)もいて、石亭と源内は同門で共に学んでいたこともあります。
禁錮刑に処せられるも加速する石愛。シーボルトにも影響を与える
石亭の奇石愛は覚めることはなく、石仲間と共に石展なども開催していたといいます。しかし石亭が20歳前後の時、貧吏の罪に関わり3年間の禁錮刑に処せられてしまいます。
しかし石を愛し、石に愛された男・石亭、禁錮刑に処せられたくらいで石愛が揺らぐことはありませんでした。揺らぐどころかこの3年間で石愛がさらに加速。石に没頭していったそうです。
この事件のからみもあって、木内家は新たに養子を迎えることになり、石亭は分家となります。こうなれば石亭は石を極めるという道のみ。学問にさらに励みます。
そして1773年(安永2年)、49歳のときについに石亭は博物書・雲根志を刊行するのです。雲根志は三編一六巻からなる書物で、石を鉱石、化石、外観の珍しい石、不思議な石などいくつかのカテゴリーに分けて紹介しています。
この雲根志はドイツ人医師・シーボルトも参考書として挙げており、シーボルトの著書「日本」では、石器や曲玉について石亭の研究成果が利用されています。
雲根志を刊行したあとも石亭は大病を患いながらも石の蒐集を続けますが、文化5年にその人生に幕を閉じます。当時では長寿とも言える85歳のとき。
石亭は85年の人生の中でに2000~3,000点もの石を収集したと考えられており、まさに石とともに歩んだ人生だったのでしょう。
11歳のころに石への興味に気づき、以来、自身の蒐集欲に正直に石への愛を貫き、後に日本考古学の先駆者のひとりに数えられるまでになった奇石コレクター・木内石亭。
数十年後、みなさんのコレクションが後の世界に影響を与えることになるかもしれませんね。
なお、雲根志は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能となっています。