文明開化を象徴する物のひとつに挙げられるのが蒸気機関車。モクモクと煙を吐き、猛スピードで走るその鉄の塊は明治の人々を驚かせに違いありません。
幕末に運行までしていた蒸気機関車
日本人が蒸気機関車の存在を知ったのは幕末でした。黒船を率いて日本にやって来たあのペリーは、蒸気機関車の模型を幕府の役人の前で走らせて見せて驚かせています。雄藩では模型の製作に取り組み、幕末には既にその構造や仕組みを日本人も学んでいました。
また長崎ではイギリス人貿易商トーマス・グラバーが商談目的で、慶応元年(1865)にイギリスから取り寄せた蒸気機関車を大浦海岸に走らせています。新橋~横浜間で鉄道が開通する7年前のことでした。
明治時代に入ってから登場したと思われる蒸気機関車ですが、実は幕末にはその存在を日本人に知られていて、しかも実際に運行までしていたのですね。
明治天皇も出席!打ち上げ花火まで上がった開業日
時代は移り変わり、江戸から明治へ。明治政府は交通機関の整備のため、イギリスの援助を受けながら鉄道建設に着手しました。蒸気機関車が吐く煙が健康被害を及ぼすと心配した地域住民から工事の妨害を受けながらも、2年の工期を経て無事に完成。
まずは明治5年(1872)5月に品川~横浜間で仮営業を開始。午前と午後に1往復ずつ運行していました。そして同年9月に新橋~横浜間で本営業が始まり、1日8往復で運行を開始しました。
開業初日に新橋で行われた式典には明治天皇も出席し、天皇も横浜まで乗車。鉄道の沿線では打ち上げ花火まで上がり、明治人は大いに盛り上がりました。
新橋~横浜間は53分!その速さに明治人は・・・
車両は上・中・下等の3つのランクに分かれていて、定員は上等18人、中等22人、下等30~36人と決められていました。
3つのランクで運賃は異なりましたが、下等でも運賃は高額でした。しかし、それまで約1日かけていた距離を53分にまで縮めた鉄道は、明治の人々の活動範囲を大きく広げました。
開業間もないある日の運行。横浜に到着したにもかかわらず、乗客が一向に降りてきません。不思議に思った乗務員が声をかけると乗客が言いました。
「まだ1時間も経ってないから、ここは横浜であるワケがない…!まだ途中の駅だ!」
あまりにも速いため、その現実を受け入れることができない明治の人々の様子がわかるおもしろいエピソードですね。
車内は分煙!女性専用車両とトイレも完備
開業した年には「鉄道略則」という乗車のルールが発表されました。
その中には、喫煙車両以外の車両で喫煙をしてはならないという完全分煙を定めたルール。さらに、男子は婦人のために設けた車両と部屋にみだりに入ってはならないという女性専用車両があったことを示すルールが書かれています。
しかしどちらも当初は設けられておらず、禁煙車両は明治41年(1908)。女性専用車両は明治45年(1912)になって導入されました。ちなみにトイレ付の車両は明治22年(1889)に登場しています。
それぞれ開業からしばらく経ってからの導入ではありますが、トイレが付いて、完全分煙で、女性専用車両もあったなんて、現代の電車と変りありませんね。