現代の日本では少子化が問題になっていて、一人の女性が子供を出産する平均人数(合計特殊出生率)は1.5人を下回る数字になっていますが、江戸時代では、地域差はあるようですがこの数は6〜7人ほどであったと言われています。
現代の感覚からすると女性が一度の人生で生む子供の人数が平均6〜7人というのはかなり驚きですが、もちろん当時も子供を避妊する手段は存在しました。しかし避妊技術は現代に比べればとても乏しいものでした。
コンドームに似た「茎袋」や「兜形」
現在もっともポピュラーな避妊具はコンドームを利用しての避妊ですが、江戸時代にも「茎袋(くきぶくろ 又は きょうたい)」と言われる似たような避妊具が存在しました。この茎袋はどのようなものかというと、オリジナリティある美人画で人気絵師となった渓斎英泉が春画に残しています。
確かにコンドームに似ており、男性のものに被せて使っていました。当時はゴム製ではなく、なんと動物の皮を使って作られていました。根元部分には固定させる縛り紐が通してあります。
英泉の「閨中女悦笑道具」の中には”蛮名リユルサツク”と書かれており、海外から伝わったものです。なので決して手頃に手に入るものではなく、おそらく庶民の間ではあまり使われていなかったでしょう。さらに、絵からも想像がつきますが、使い心地はあまりよいものではなかったそうです。
茎袋の他にも「兜形(かぶとがた)」と呼ばれる短いコンドームのような形のアイテム利用していたこともわかっています。この兜形は水牛の角で作られたもので、避妊具というよりも大人のおもちゃ的要素が強いものでした。
女性による避妊には避妊薬が一般的。でもその効果の程は…。
紹介した茎袋や兜形は男性側が装着する避妊器具ですが、女性側が行う避妊方法もいくつかあり、代表的なのが「詰め紙」という方法。これはいわゆるペッサリーに似たもので、湿らせた薄い和紙を女性器の奥に丸めて詰めることで精子を侵入させないようにしていました。
また、朔日丸(ついたちがん)という錠剤を服用して避妊する方法は庶民にも広まっていました。毎月1日に服用すれば妊娠しないという画期的とも言える薬ですが、もちろん期待するような効果はなかったようです。
その他にも「月水早流(げっすいはやながし)」や「自由丸」、江戸時代の戯作者として有名な式亭三馬が造った「天女丸」という避妊薬もありました。これらの避妊薬はもともと通経薬としても売られているものだったようです。
この歌川国貞の作品には「月水早流」の張り紙があります(太田記念美術館 公式Twitter参考)。このように当時は避妊薬の張り紙や看板が様々な場所に掲げられていました。
男性側が使う避妊具には決め手となるものはまったくなく、女性側においてもリスクが高くその効果があまり見込めない「詰め紙」や避妊薬による避妊が一般的だったために、望んでいない妊娠は少なくありませんでした。
先に述べた平均6〜7人という江戸時代の合計特殊出生率の高さも、避妊技術の乏しさが要因のひとつだったのでしょうね。
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