チャンピオンで「囚人リク」を連載している漫画家の瀬口忍さんは枚方出身です。
こちらのサイト(下記リンク参照)に瀬口さんのプロフィールに枚方出身と記載があります。
引用すると↓
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大阪府枚方出身、滋賀県大津市在住。
大阪芸術大学 美術学科 彫塑専攻を卒業。
漫画家の王欣太氏のもとで『蒼天航路』のアシスタントを10年間続けた後、
2004年から2009年まで、コアマガジン「劇画マッドマックス」にて
『畳の花道』連載。
2008年には講談社より自身初の単行本『にんジゃブースケ』発売。
2011年2月より、秋田書店「週刊少年チャンピオン」にて『囚人リク』を連載開始。
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週間少年チャンピオンの出版社「秋田書店」のサイトによると、現在連載中の「囚人リク」は東京に隕石が直撃し、それに伴ってできたスラム街で犯罪に巻き込まれた主人公リクがたくましく生きるというストーリー。
そして今回なんと、実際に瀬口先生にお話を伺えることになりましたので、色々と聞いてきました!
経緯としては以前ひらつーでも紹介したぼしひこくんのフィギュアを作ってくださったテツオさんが瀬口先生と昔同じ職場だったという縁があり、テツオさん同行の上で取材させていただいた形になります。
ではさっそくどうぞ↓
瀬口先生について
――枚方にいた時期はいつ頃ですか?
瀬口先生(以下:瀬):高校卒業までですね。
――生まれてから高校卒業まで枚方に?
瀬:生まれてからちょっとは寝屋川なんで(笑)
まぁでもほぼほぼ枚方です。
生まれたのは枚方の病院です(笑)
――学校はどちらの出身ですか?
瀬:高校は香里丘高校、大学は大阪芸大。小中はふせときます(笑)
――現在は滋賀県在住とのことですが、滋賀県にお住まいなのには理由があるんですか?
瀬:理由は特にないんです。
以前、京都に住んでたんですよ。京都市内なんですけど外れ気味のところでぎゅっとしててね、子供が小さかったから週末とか遊びに連れていかなあかんじゃないですか。
京都って小さい子供が遊ぶところがあんまりないから滋賀によく行ってたんですよ。
それでちょくちょく滋賀に行ってて家賃も安いし仕事もどこでもできるしっていうそれぐらいの理由ですよ。
テツオさん(以下:テ):今の時代は漫画家やからって東京に出る必要ないですもんね。
瀬:東京にも行きたいですけどね(笑)なんか楽しそうなんで。
――となると担当の方とはメールでやり取りされてるんですか?
瀬:今は電話とFAXですね。
テ:まだFAXも生きてるんですか?
瀬:生きてますよ生きてますよ。
たぶんデジタル原稿やったらメールとかでやり取りするんでしょうけど、原稿自体がアナログやから。
漫画家になるまでの道のり
――漫画家を志した理由はなんですか?
瀬:理由…なんだろう、何かな。
――小さい頃から漫画家を目指してた、とかはありますか?
瀬:自由帳に絵を描いたりはしましたけどね。
キン肉マンのパクリみたいなん(笑)
それをクラスの子に見せてとかそういうのはしてましたけど。
なんか絵を描くのは好きやったんで絵描きさんと同じような感じで絵を使って何かしたい、表現したいなぁっていうのはあったんです。
で、マンガみたいなのも描いてたし、なんか最初の方は社会的なものを題材にしたものを描いてて、まぁ中二病みたいな「このクソみたいな社会に」みたいな(笑)
マンガを使ってなんかそんなん表現したいなぁっていうのがあって、原稿を描いたりとかし始めたんですけど、説教臭くなっちゃって(笑)
もっともっと前で言うとほんとにオートバイが好きやったから、オートバイを題材にしたマンガをジャンプに投稿してたんですけど、だんだんやってるうちに余計なものが入りだしてからジャンプの人にこれではジャンプに載せられませんって言われてしまって(笑)
自分の描きたいものと系統が外れだしたから違う雑誌に出したりとかしてるうちに、もっともっとエンターテイメントを意識したものを描きたいなと思っていたら、いつの間にかもうそれしかなくなってたっていう。
漫画描きの友達っていなかったんですけど、友達が組んでたバンドがあったんです。
でも僕は楽器できひんし、ほな「俺こっちでやるわ、お前歌でやれや」みたいな感じで、中学高校の時とか夢膨らむじゃないですか。それを生業にするぞみたいな。
分野は違えどなんか表現するっていう友達がいたことがわりと大きかったかもしれないですね。
――となると中高の時点で漫画家になりたいっていう思いがあったんですか?
瀬:それはちょっとずつ固まっていく形ですね。曖昧なんです(笑)
――ジャンプに投稿されてたのはどのぐらいの時期ですか?
瀬:高校生ぐらいから原稿みたいなのを描き出したから高校3年間はジャンプに出してましたね。
中学の時はまだ自由帳に鉛筆で描いてたり。
――大学を卒業して瀬口先生とテツオさんは同じ会社に就職されたんですよね?
瀬:そうですね。テツオさんの方がちょっと早かったですけどね。
――ちなみに何をする会社なんですか?
瀬:基本人体模型屋さん(笑)
人体模型屋さんなんですけどテツオさんがいたところはまた違う部署、会社自体には3つ部署があったんですけど。
僕は看護師さんが注射の練習をする腕だけの模型とかお風呂の練習をするための赤ちゃんの人形とかシミュレーション用のものを作る仕事をしてました。
――そこから漫画家になった?
瀬:その会社を辞める時が一番はっきり漫画家になろうって決めた時期でした。
大学もそんな感じでマンガずっと描いてたんですけど、へそ曲がりなとこもあるからマンガマンガしてるのいややなと思って。
大学も行かせてもらえるしマンガなんか家でも描けるし、まぁでも絵を描くか彫刻とか立体物もやってみたいなっていうのはありました。
大学ではそういうのを専攻して、部活的なものも高校まではラグビーしてたんで大学入ったら軽音みたいなのに入りたいなと思ったんですけど、なんかやっぱりラグビーを続けてしまって。
大学も漫画を賞に出しながら描いてたんでそれもちょっとずつ固めて、でも会社勤めもして…みたいな(流れ)っていうのもあったんですよ。
会社からすると社会見学みたいに来られても困るんでしょうけど。
1年10ヶ月ほどしか会社には行ってないんですよ。
――会社を辞めたあとは思いっきり漫画家への道を?
瀬:そうですね、会社辞めてそれこそ東京へ行こうと思ってたんですよ。
会社辞めたんがその年の12月やったんですけど、10月ぐらいには会社に辞めますって話をしてて、そのあと(僕が)アシスタントとして働くことになる王欣太さんが「蒼天航路」っていうマンガを始めるからちょっと手伝ってっていうことになりました。
でたまたまタイミングが合ったんで「ほな僕デビューするまで手伝わせてください!」って言って結局蒼天航路が終わるまでずーーっと京都でアシスタントさせてもらって。
――その流れからどうチャンピオンで連載するに至ったんですか?
瀬:高校3年生の時にジャンプに出したやつが「ジャンプに合わないと思うよ」って言われて返してもらって、もったいないからいろんなところにまた投稿しようと思ったんです。
そこで講談社の賞にはいれたんで講談社とつながりができたんです。
その時はそれこそチャンピオンにも出して電話までもらったんですけど、この漫画はうち用に描いてもらったんですかっていう確認っぽくて、バカ正直にいや違うんですって言うてしもて、ほなもうその後電話がかかってこなくて、なんやねんチャンピオンと思てた(笑)
それからずっと講談社でお世話になったんですけど、その間も読み切りまでいかへんかったり担当さんが人事異動とかでやむなく変わったりとかであんまり相性合わんようになったりとかなったんで、スピリッツとか小学館の方に出したり、絵本の方とか寄り道しながらやってて。
チャンピオンはそれもたまたまなんですよね。
蒼天航路で巻末におまけマンガを載せてもらったんですよ、スタッフが描きましたみたいな感じで。
それを囚人リクの初代の担当さんなんですけど、その人が見てくれたんですよ。
けどその人はまだ秋田書店には入ってなくて、コアマガジンっていう雑誌でマンガ雑誌を立ち上げるから漫画家さんを探してて、いねえなーとか言うてなんとなく蒼天航路を読んでたら「あ、これ連絡先書いてるやん」って(笑)
そのページには当時のドコモのガラケーのメールアドレスや電話番号も書いてたんちがうかな。
今では考えられない(笑)27巻の巻末なんですけど(笑)
それをコアマガジン時代の担当さんが見てくれて、そこでお付き合いするようになって、月1回雑誌で連載させてもらってたんですよ、ちょっとの間。
それからその人が秋田書店に転職して、そこでもまた漫画家さんを探さなあかんってなって、コアマガジン時代からの付き合いがあるってことで、ちょっとやりましょうよって僕に声かけてもらいました。
そこでやっと僕もチャンピオンで描くようになったんです。
そんなウロウロしてるからもう40いくつになってしまいましたね。
テ:でももう連載も長いですよね。33巻(取材時点は33巻でしたが現在の最新刊は34巻)ですもんね、何年の連載なんですか囚人リク?
瀬:そうなんですよ、6年を超えて今は7年目。2011年の2月か1月ぐらいからスタートしたと思います。
囚人リクについてと枚方の話
――囚人リクには怖い人達がたくさん出てきますが、中高時代はそんな感じやったんですか?
瀬:そういう友達はいてたんですけど僕全然そんなんじゃない(笑)
どっちにもまんべんなく「あーあいつ絵の好きな奴やな」みたいなポジション。
テ:キャラクターの性格を描き分ける時って結構いろんな人観察しとかんと想像で描けへんやろなと思う。
瀬:僕ね、観察力めっちゃないんですよ(笑)せやからね困ってるんですよ(笑)
――囚人リクのどこかに枚方要素が入ってたりしないかなと期待してるんですが、なにかありますか(笑)
瀬:あるとしたら最初の方ですよね。僕は香里団地に住んでたんで団地を描く時はやっぱ昭和30年代のあの時代にガーッと建ってきた団地の密集したあの景色を思い浮かべますね。
そこは間違いなくあると思いますね。
テ:団地のイメージはちょっとだけ枚方?(笑)
瀬:団地のイメージは枚方(笑)
――聞いてみるもんですね(笑)あと枚方でよく行ってたお店とか場所はありますか?
瀬:ひらかたパークです(笑)
ひらかたパークは大学の時にアルバイトしてたんですよ。
今ひらパーって言ってるじゃないですか。
あの仕掛けが入ってテコ入れする前ってほんまにやばくて、菊人形とかは毎年伝統みたいな形でやってましたけど、僕がやってたのは菊人形の大きいホール体育館みたいなのの通路の足場を整えてとか、菊人形を置くセットを作る会社のアルバイト。
だから大工さんみたいな仕事やったんでわりと人目につかない仕事でした。
全然人がおらんかったからバイトの昼休みとかひらかたパーク内でバイクの練習とかしてました(笑)
当時はそれぐらいガラガラでやばかったです。
――枚方市民って近すぎて意外とひらパー行かへんみたいな話もありますよね(笑)
瀬:わりと僕はひらパーが近かったから。
枚方ってどっちつかずみたいなところがあって、京都では全然ないし、かと言ってめっちゃ大阪っていうのでもないし。
遊びに行くときも京都か大阪どっちかに出たりとか、枚方から出ることがわりと多かったですけど、お金もない、エンジン付きの乗り物もないってなると自転車で行ける距離だと、近くのピーコックとかトップセンターとか、あと淀川まで出たりとか。
出て何をしてたかって言うと覚えてないですけど。
よーあの距離自転車で行ってたな。
――枚方に対する印象はさっきのどっちつかずみたいなところですか?
瀬:そうなんですよ。だからね若い頃はなんか嫌やったんですよ。
どっちか言うたらもっと「オイオイ」言うような大阪みたいなんがええなーっていうのがあったんですけど高校ぐらいの時は。
大学ではもう寮に入ったんで枚方から離れましたけど、淀川に行って何をしたかっていうとたぶん何にもしてなかったんですよね。
友達と自転車でビャーっと行って年頃の相談事したり、金がないから缶コーヒーだけ途中で買って座ってボーっとしてあれやなーこれやなーどないしよかー言うて。
それこそピーコックで学校帰りにお金持ってへんからくだらない遊びしたり、買えてもたこ焼きをちょっと買ってみんなで分けっこしたりとか。
中学高校はいろんな友達とくだらないことをしましたし、そういった京都か大阪かどっちかっていうようなんじゃないからこその「独特な枚方」っていうのがあるのかなと。
10代とかそんなんでしたけど、だんだん20代とかなってやっぱ故郷っていうような、枚方ってすごい大事にしたい場所やなと思います。
友達もわりと枚方に残ってたりするんですよね。やっぱ落ち着くとこなんですよね。
香里団地は建て方もゆったり敷地をとってたりしましたが、今の時代はわりとギューギューですよね。
1つの団地の中で無駄に広い芝生の部分があったりとか、桜とか季節を感じられるものが多くありました。
いまだに桜並木とかはあそこのを見たいなーっていうのはありますし、残ってますね。
やっぱり原点はあそこやなーと思います。
普通に自然がありました。
――枚方での思い出って何かありますか?
瀬:いろいろありますけどね、なにかなー。
テ:花火やってました?
瀬:僕が花火を見に行った時は楠葉でしたけど、もう二度といくかって思うぐらい混んでましたけどね(笑)花火を見に行ったのに見れなかったです。
ギューギューのまま駅から出てそのままずーっと行ってそのまま駅戻ってきて終わり、みたいな(笑)
お祭りとかそれこそピーコックの、僕らピーコック祭りとか言ってましたけどね。
お祭りは家の前のピーコックでって、それが一大イベントでした。
だから枚方ってすごい個人的な細かい思い出になっちゃいますね。
――たまに枚方に戻ってこられたりとかするんですか?
瀬:もう正月ぐらいですね。
――あ、年に1度ぐらいは戻ってきはるんですか!(笑)
瀬:年に1回2回は今も。
学生の時はまだ友達が誰かいたりしたので、前はもうちょっと戻っていました。
今は戻ってもみんな忙しいし時間が合わなかったりでなかなか。
何年か前に同窓会があったりとかそういうので聞いたら、わりとまだ枚方に残ってる人おるんやなーって。
――ちなみに枚方市駅前の近鉄百貨店跡地に枚方T-SITEというTSUTAYAの超巨大施設ができたんですがご存知ですか?
瀬:えーなんですかそれ(笑)近鉄のあの茶色いのがなくなって?
――解体されました(笑)
瀬:あの近鉄がもう全部TSUTAYAなんですか?
――はい、ガラス張りでそこだけ梅田みたいって評判の。
テ:TSUTAYAさんに行ったらだいたい瀬口さんの本が全巻置いていますよ。
――よく有名な方がT-SITE来て講演とかされてるんで先生も是非。
瀬:行きたいです。
でもあーいうのって本屋さんが呼んでくれないと(笑)
以前地元の友達が市駅のTSUTAYAの店員さんと知り合いかなんかで、頼んで置いといてもらえるようになったよーって言ってくれて、あーありがとうありがとうって。
該当のやつっぽいTweet↓
――駅前のTSUTAYAで枚方出身の作家の作品とかポップ付きで置かれてること結構多いですね。
瀬:置いてほしいなー(笑)
全巻はさすがに置けないでしょうけど。
今滋賀に住んでてTwitterでも現住所が滋賀って書いてたりするから、枚方出身っていうの隠してるわけじゃないんですけどね(笑)
なんか履歴を書くってなったら滋賀在住で滋賀で描いてますってなるから、あんまり枚方って出す機会がなかったんですけど、こうやって枚方の方から声かけてもらってうれしいです。
ONE PIECEぐらいもっと売れたら凱旋みたいなね(笑)
「あの瀬口は実は枚方出身やった!」ってなるにはどれだけ売れなあかんのかな(笑)
うちの近所はほとんど僕の漫画置いてないです。
――枚方出身の漫画家さんも最近結構いらっしゃって驚きです。
瀬:そうなんですか。ええな、枚方。
やっぱほっこりする、落ち着くんですよね。
たまにサイン会とか講演しないんですかって声は聞くんです。
そのたびに「やりたいんですけど僕からは言えないんで」って(笑)
「どっか本屋さんが手を挙げてくれたらどこでも行きますよ」って。
たぶん単行本発売のタイミングとかと思うんですよね。
秋田書店側もそんなイベントするんやったらついでに売れる時にみたいな感じもあるでしょうから。
テ:よー漫画を毎週描き込んでるなと思います。
瀬:こんな続くと思わなかったですね。
テ:結構な量ですよね、線の量というか描き込みというか。
瀬:どうなんですかね。でもまぁあっさりはしてないですよね(笑)
今時風じゃないですよね。
テ:瀬口先生のマンガって女性キャラ少ないですよね。
瀬:少ないですねー。ほとんどいないですね。
――それは何か意図があってのことですか?
瀬:照れくさいんかもしれんね。
それこそ枚方で遊んでた時って女の子と付き合ってどうのこうのって言うよりも、バカみたいな友達とくだらないことしてたから。
ピーコックの前を買い物帰りでよちよち歩いてるおじいさんを見つけては「よし、ついていくぞ」とかって言って1人ずつ付いていって、気がつかれるまで何人列をなせるかっていう(笑)
どうでもいいようなことが楽しくてしょうがない。
だから女の子と付き合うっていうのはすごい照れくさい感じで。
そういう奴らに見せた時に平気で見せられるかっていう(笑)
そういう意味では逆流に乗って今っぽくはないでしょうね。
男同士でバカバカしいの大好きなんですよ。
テ:やっぱり昔の実体験が元になってストーリーが出来上がってるんですね。
ピーコック界隈とか(笑)
瀬:間違いなく僕のルーツですよ。そこにいた友達とか。
スラム街とか出てきますけど、スラム街とか言ったら怒られますけど(笑)
あそこで育まれたなって描けば描くほど感じることは多くはなってきてますよね。
あと季節良かったらピーコックから四中にかけての桜並木が大好きなんですよ。
――最後に枚方つーしんの読者さん、特に枚方で漫画家になりたいと思ってる人に何かメッセージをいただけますか?
瀬:枚方からでも漫画家にはなれる(笑)
東京に行かんでも仕事は全然できる(笑)
特に今デジタルとかやったらアシスタントさんでもそれぞれの在宅でやったりしてるんで、画材もネットで買えるしね。
枚方は心豊かになるものがいっぱいある町なんで。
――めっちゃ褒めてくれましたね(笑)
瀬:でも今となっては思いますよ。
特に思春期とか多感な時にメインで暮らしてたから、友達と将来どないしよーって一番話してたのも枚方住んでた時やし、ええ思い出も悲しい思い出も切ない思い出も(笑)
好きな子ができたりして、携帯とかない時代で家から電話かけるのも親がいてめんどくさいし、塾行ったついでに公衆電話から電話して「お父ちゃん出るなよ」って願ってね。
ピーコックの近くの公衆電話やったなー(笑)
そういうしょうもない小さなことでもわりといまだに感情の原点みたいになってますね。
こういうのを描いててストーリーとか構成とか伏線とかギミックであるとか、いろんなものっていうのをいっぱい詰め込んでますけど、結局登場人物が何を思って何を感じて、例えばさっきの切ない思いであるとか、うわ楽しいな、仲間ができた友達ができたとかっていうような、その時の登場人物の感情っていうのを最近そういうことを描いていかなあかんねやなっていうのがあります。
どういう感情の作られた原点っていうのはやっぱり絶対枚方の土地だろうし、そこで会った友達だろうし、ほんとによく言われてるとおり年をとるごとに生まれ育った所は身にしみますね。
――絵の勉強も必要やけど人生の勉強も大切だと?
瀬:絵の勉強なんかもうどうだっていい(笑)
毎週描いてたら勝手にそれやっていかなあかんってなると思う。
なんぼでも変わっていくし。
最近Twitterとかでもよく見ますけど、絵の練習とかって描いてあげてたりしてますけど、別にそんな練習しなくたって街出てナンパしてた方が何百倍も(笑)
ナンパしてても成功しようと失敗しようとその時に「あーどうやってあの女の子に声掛けよっか」っていうアイデアって言う方が絶対マンガ描く時おもしろい。
部屋にこもってないでみんなピーコックに行きなさい(笑)
ピーコックにはいろんなものが詰まってます(笑)
以上になります!
個人的には漫画家さんの、それも枚方出身の漫画家さんのバックグラウンドが知れてとても楽しかったですが、みなさんはいかがでしょうか。そして瀬口忍先生、お忙しい中インタビューにご協力いただきまして、誠にありがとうございました!