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「生きる」──ステージ4のがんと闘う格闘家・高須将大

2020年11月19日 11:00 (C)ゴング格闘技

 腹に大きな手術痕を持つ27歳のファイターは、リングコールに高々と右手を挙げた。

 鋼のような筋肉は、治療に必要なカテーテル(管)がなかなか通らず、医師を苦笑させたという。

 試合開始のゴングが鳴る。

 リングに立つ青年に向け、会場のあちこちから声が飛ぶ。家族、野球部の仲間たち、道場の先輩後輩、そして担当医。

 その誰もが念じる。がんばれ、がんばれ、ショータ、がんばれ。

 彼が戦うのは、目の前の敵だけではなかった。

 高須将大はかつて、「余命3カ月の男」だった。

 それでも彼は、リングから降りなかった。生きることを諦めなかった。

スパーリング中に蹴られた腹部の痛みは、がんだった


 高須将大が総合格闘技を始めたのは今から7年前。それまで格闘技経験はなく、「野球漬けだった」という高校時代は茨城県の名門・霞ヶ浦高校野球部に所属していた。

 部員100人弱という層の厚さもあり、レギュラー入りは出来なかったものの、外野手を務めた高須は、引退して社会人になって「何か身体を動かしたい」と思い、就職先の寮の近くにあった格闘技道場のストライプル茨城に通い始める。

田園のなかにある小さなジムの門を高須は潜った

 20歳から始めた格闘技。

 野球で培ったフィジカルと筋トレの経験もあり、通用するだろうと考えていた初スパーリングの内容は、よく覚えていない。覚えているのはレスリングの練習で「もうめちゃくちゃにされて……何をやってもダメだった」ということだけだ。

 ジムの井上和浩代表は、当時の高須を「正直あんまり器用ではないので、寝技も打撃も時間かけて覚える感じ。プロになるなんて、まったく思っていなかった」という。

 高須がめちゃくちゃにされるのも当然、井上はトップアマチュア時代に、後にPRIDEで活躍することになる五味隆典と対戦し、腕十字固めで一本勝ちをマークしている強豪グラップラーだ。

「代表が認めてくれるまでは、技量を伴う総合格闘技(MMA)の試合には出させてもらえなくて、3年くらい打撃無しの柔術の試合に出ていました」という高須に、井上からMMAの試合のゴーサインが出たのが2016年11月。

 格闘技団体ZSTの育成大会である「SWAT!」に参戦も、時間切れドローのほろ苦いデビュー戦だった。

 2戦目はKO勝利。24歳になっていた高須は、プロ初勝利後にすぐに次戦を望んだが、疲労が抜けず、スパーリング中に蹴られた腹部の痛みも2日ほど引かなかった。「アバラが折れたのかなと思ったんです」と、“そのとき”のことを振り返る。

 病院での検査の結果、肝臓がんが発覚。その時すでに肝臓に10センチ大の腫瘍があった。

肺に転移、『ステージ4』の宣告


「自分ががんということを最初は受け入れられなくて……『肝臓がん』とネットで検索したら、5年生存率とか予後何年とかいっぱい書いてあって……調べられなくなりました、怖くて。そのまま緊急入院して1週間後には手術、目覚めたらあちこちメチャクチャ痛くて熱も毎日40度くらいあって、すごくしんどかったです」

 術後、引きこもり気味になり、練習からも遠ざかった高須に、1本のLINEが届く。「スパーリングパートナーが必要だ。道場で待ってる」──井上からだった。

 ストライプル茨城に戻ると、ジムの仲間は手術前と変わらず練習に誘ってきた。相手を制する格闘技は、相手がいなければ練習が出来ない。対人練習で、パンチや蹴りを交換し、一本を極め合う。その間は、自分が病人であることを忘れることが出来た。

 最初に手術したのが、2017年7月。退院して1カ月後には復帰に向けて練習を再開していた。「その時はもう腫瘍も取ったし治ったものだと思っていた」というが、術後2、3カ月で再発。がんは肺に転移しており、診断は『ステージ4』。複数の部位にがんが存在している深刻な状態だった。

副作用、ステップも踏めないほど痛かったけれど…


 若い身体は体力があるが、病気の進行も速い。

「最初は落ち込んでしまって、もうダメかなと思ったんですけど、井上代表や道場のみんな、友達が気にかけてくれて……毎日のようにお見舞いに来てくれて、何とか前向きな気持ちになることが出来ました」と高須は言う。

 化学療法に取り組んだ高須は抗がん剤治療でがんを潰していくが、副作用もあった。

「全身じんましんが出たり、手足症候群(抗がん剤によって手や足の皮膚の細胞が障害されることで起こる副作用)で足の裏とかが痛みました。道場でステップも踏めないくらい痛かったけど、テーピングをいっぱい巻いてスパーリングして、だましだまし練習していました」

病院の帰り道、母の涙


 当時のことをブログでこう記している。


 9月に退院してから1回目の定期健診で再発してしまい肝臓に4つくらい腫瘍が出来ていました。その時が1番辛くて親の前では泣かないようにしていたのですが、その時は泣いてしまいました。道場の人達にもどんな顔で会っていいのか分からなくなって少し引きこもってしまいました。

 落ちこんでいても意味ないし、井上さんも気にかけてくれていたので、少し経ってから道場に行きました。みんな普段通り接してくれて、格闘技やってる間は嫌なこと忘れられるのでそれから毎日のように練習してました。

 自分がアホみたいに練習してる間、家族は色んな病院を調べていてくれて医療系で働いている姉の紹介でいま通っている病院に決まりました。決まるまで都内まで色んな先生に会いに行きましたが、どの先生にも厳しいことを言われ、希望持たせてくれるようなことは言ってくれませんでした。

 母は毎回ついてきてくれたのですが、帰り道いつも自分にバレないように泣いていてそれも辛かったです。

 今の病院でもう一度検査した時には肺転移、肝臓の腫瘍も進行していて肝臓にある門脈という大きい血管に腫瘍が浸潤してしまいました。門脈に腫瘍が出来てしまうとがん細胞が血液と一緒に流れてしまうそうです。それでステージ4と言われました。


「余命5年」ではなく「余命3カ月」


「ステージ4」の「B」──主治医である順天堂大学病院の永松洋明氏は、当時をこう振り返る。

「かなり急速に悪化してましたので、状況的には治療がうまくいかなければもう数カ月という状況でした」

 すでに手術が出来るような状況ではなく、永松氏は高須に、まず肝臓の中のがんを抑えるために、肝臓に直接抗がん剤を流す『肝動注療法』を提案する。同時に、肺のがんも抑え、残っている肝臓の病巣を切除出来る状況まで持っていけたら切除して完治を目指す、という方針を伝えた。

 辛い治療の間も、高須が格闘技をあきらめることはなかった。まだ何も“試せて”いないし、何も証明していない。再びリングに上がる──その強い思いが高須を突き動かした。

「ずっとベッドの上でしたけど、絶対に復帰してやると思っていました」

 その言葉通り、高須は入退院を繰り返す間も、永松氏と相談しながら練習を再開する。

「試合では、やっぱり筋肉を断裂したり、身体にダメージを受けることもありますので、そこがちょっと心配ではありましたが、体力的にはしっかりある。まだ肝臓の働きは保たれていましたので、練習しながらでも、十分治療には耐えられるであろうと思いました」と、永松氏はファイター高須の体力を称える。

復帰戦、最初で最後の涙


 そして、ステージ4と診断されてから、11カ月後にあたる2018年8月の『ZST/SWAT! 166』で復帰戦。高須は再びリングに上がる思いを、周囲へ手紙を書くように、ブログに記している。


 大会が決まってからは道場の人みんなが僕のサポートをしてくださいました。土曜日は僕の都合でスパーしてくれたり、日曜日は僕のためにラントレメニューを組んでくれて一緒に走ってくれました。試合も野球部時代の仲間がチケットを買ってくれて凄く気合い入りました。

試合当日。やっとここまで来れたなって感じで、いままでのことを考えたら泣いてしまいそうでした。しんどい時あったけど、1度も妥協しないで練習してきたから負けるはずないと思って堂々とリングに上がれました。

 結果はぎりぎりだったけど判定勝ち。

 控え室に戻ったら込み上げてきてしまって泣いてしまいました。小さい頃からスポーツやってきたけど、勝って泣いたのは初めてで、たぶん最初で最後だと思います。応援にきてくれた人達も喜んで泣いてくれていたらしく、凄く嬉しかったです。内容はあれだけど勝ててよかった。


がんをオープンにした理由とは


 当初、周囲に気を遣われるのを嫌いがんを患ったことを公にしていなかった高須だが、今はあえてその経験を公表して試合に出場している。それは、「試合に出て、同じがんの人に勇気を与えられる存在になりたい」からだという。

「ちょうどその時、同じ病気で闘っていた山下弘子さん(闘病生活を描いた著書『雨上がりに咲く向日葵のように』の著者)が亡くなられたことを知りました。山下弘子さんは自分よりひどい状態にもかかわらずいつも前向きで明るくていつも勇気をもらっていました。

気を遣われたり心配されたりするのが嫌で、自分の病気をひたすら隠していたけど、俺が山下弘子さんに勇気づけられたように、俺も同じ病気の人やその家族の人を勇気づけられたらなと思い、SNSで発信していくことにしました」

2度目の開腹手術後、4勝目もがん再発


 その後も、治療は続いた。1カ月後に肺に転移していた腫瘍を切除するラジオ波の手術(電極針を刺して腫瘍を焼却、熱凝固壊死させる治療)を行った。さらに2カ月後、2度目の開腹手術で肝臓の腫瘍を取り、計3度の手術でがん細胞を全て取り除いた。「経過観察」の状態で練習を重ね、2019年8月13日、初のZST本戦(前座の次の試合)に臨んだ。

本戦での勝利、練習の成果を見せたTKO勝ちだった(C)ZST

 結果は、20秒 TKO勝ち。得意のタックルをフェイントに、相手の蹴り足を掴んで右フックでダウンを奪った。不得意だった打撃を組みと融合させての勝利だった。

 これでプロデビュー戦のドロー後、4連勝。いよいよ上位陣との対戦を視野に入れた高須だが、検査でまたもがんが見つかってしまう。肺での再発だった。

「また再発する可能性はずっと頭にあって……ただ、アマチュアの頃に目標にしていたプロ本戦にデビューして、すごくいい勝ち方が出来て、これからというときだったから、正直すごいショックでした。でも、道場の人たちや家族の支えもあって、また頑張ろうって」

 道場で井上たちも高須が戻ってくるのを待っていた。

「SNSを見ると痩せて、そうとう苦しんでいた。LINEでのやりとりでもかなりしんどそうだったので、正直これはどうなるのかなと過りながらも、帰ってくることを信じてました」

「こんながん患者、見たことないよ」


 兵庫県でラジオ波の手術を2回、その入院中に次は肝臓にも再発が見つかり、帰京しそのまま東京の病院に入院。再び肝動注療法に取り組んだ。腕から肝臓までカテーテルを入れて、抗がん剤を直接、腫瘍に注入する。

 局所麻酔で切開し、カテーテルを血管に挿入するが、筋肉が大きく、なかなかカテーテルがスムーズに入って行かない。担当医から「こんながん患者、見たことないよ」と苦笑された。

 手術を終え、ひと月に一度の定期検査を繰り返し、2020年1月に、まずは寝技のみのグラップリングマッチでリングに上がった。

 試合が決まったある日、高須の両親である明倫さん英子さん夫妻に、主治医の永松先生から連絡があった。

主治医の先生が両親に依頼したもの


 母、英子さんは言う。

「あのときに先生から連絡があったんですね。もう怒られることしか考えてなくて、退院中も本当にいろいろなことがあったので、ご迷惑ばかりをかけて申し訳ない気持ちでいっぱいで。そうしたら、物静かな先生が、電話口で『高須選手からチケットを買いたいのですが』と。とても驚きました」

 会場で永松氏と再会した英子さんは、「やっぱりそこでも私はもう頭を下げることしか出来なくて。治療では映像を見ながら、本当に細心の注意で、細かい技術でせっかく治していただいているのに、こんな無茶なことばかりして」と、我が子が治療した身体を痛めつける格闘技を続けていることを、謝罪したのだという。

「そうしたら、先生が『免疫力を上げるのにいいのかもしれないですよ』と、笑顔でお言葉をかけてくださって……」

道場の人たちが支えてくれた


 言葉に詰まった英子さんの代わりに、父・明倫さんが続ける。

「最初に病院に連れて行ったのは自分なんですけど、状況を聞かせていただいて本当にびっくりして、何も考えられなかった。何て言葉かけていいのか分からなくて、朝に病院に行って夕方になって、一言も話さないで帰ってきました。

 将大が格闘技をやるようになってから、いろいろな人たちとすごい出会いがあったと思うんです。その出会いのおかげで、病気になったときも、道場の人たちが自分たちが出来ない分も支えてくださった。今になってみると、やっぱり格闘技をやってもらって良かったなとつくづく思います」

 幼少時からあまり主張せず、前に出ることもなかった高須が、20歳を超えてから出会い、強くこだわったもの。それが他者と究極の形で交わるマーシャルアーツ・コミュニケーションともいうべき格闘技だった。

コロナ禍のなか、マンツーマンで練習


 またひと夏を越え、世界では新型コロナウイルスのパンデミックが起きていた。それは、肺を含む臓器の病を持つ高須にとって、健康体の人以上に、厳しい時期だった。それでも道場では、マンツーマンで指導する井上と高須の姿を見ることが出来た。

 2020年8月30日、高須の6戦目が決定していた。

 格闘技では、試合前に「もうひとつの試合」と呼ばれる減量が待っている。減量中にハードな練習をすると、腎機能の血液検査で「脱水してるね、ちょっと頑張りすぎかな」と永松先生から見透かされ、アドバイスをもらう。

 職場は重機会社で、高須自身もさまざまな資格を持っている。溶接、低圧電気取扱、国家資格であるつり上げ荷重が無制限の天井クレーンを運転する資格も持つ。しかし、マシンではすべての溶接が出来ず、日々「顔を真っ黒にしながら」手作業で溶接を行う。減量の最終段階で「水抜き」をしなければいけないとき、計量前に現場仕事を終えたら、多量の汗で体重が自然と落ちていたことさえある。

絶対に諦めない男


 高熱の作業を終え、黒ずんだ手や顔を洗い、道場に向かう。
「本当に仕事でヘトヘトになってしまうので、1回家に帰ってシャワーを浴びると一気に疲れが来て、いつもちょっと葛藤しちゃうんですけど“さあ行くか”って道場に向かいます。デビューしたばかりの頃は、そのまま道場に行かなかったりしたんですけど、今は一歩を踏み出すことが出来ます」

 道場では、練習仲間が待っている。井上代表は言う。

「将大は、病気になるまではそんなに詰めて集中した練習は出来ていなかった。『試合に出たい』って言ってたから、『試合に出たいんだったらもっと練習しなきゃ駄目だよ』って言ったのも覚えています。いまはハートが強い。キワの勝負で諦めないんです。毎日、スパーしていますが、たぶん彼は、記憶を飛ばされないと諦めないと思います」

「あのとき、彼が帰ってくることが出来たら……」と師匠は振り返る。

「初めて病気が再発したとき、帰ってきたら、必ず最後まで面倒を見ると決めていました。僕も歳なので、マンツーでこうやってみてやれるのは最後。こいつはもう最後まで見ようかなと。ベルト取るまではもうマンツーマンで。僕は取れなかったので。いいところで身を退いたから」

この世界の片隅で感じる幸せ


 仕事を終え道場に向かうとき、激しい息づかいだけが響くスパーリングのとき、汗を拭き、帳が落ちた田んぼの間を歩くとき……その一瞬一瞬の世界を、高須は愛おしく感じている。

「病気になってからあらためて、やっぱり格闘技が好きだなって。入院中、早く練習したいなと心から思っていました。でも何度も、もう無理なんじゃないかとも思っていた。今こうして、練習が出来ているのはすごく幸せで、奇跡なんじゃないかなと思っています。格闘技をやっている時間を大切にするようになりました」

格闘技が、命を救ってくれた


 がんに気付けたのも、格闘技のおかげだった。

「肝臓は“沈黙の臓器”と言われていて、他の人はもっと腫瘍が大きくなってから気づくことが多いらしいです。自分の場合は、あの時、スパーリングで蹴られたことで病気に気付くことが出来た。格闘技をやっていてよかったなと思いました」

 8月大会の入場時、リング上で大きく呼吸し、周囲を見渡すと落ち着いた。セコンドに井上代表の顔があり、ソーシャルディスタンスを守った会場には練習仲間の姿も見えた。

ダウンから立ち上がっての一本勝ち。生存本能が動いた(C)ZST

「リングに上がるときは一人ですが、その過程でたくさんの人の支えや力があってリングに立てている。一見個人スポーツに見えるんですけど、チームスポーツなんじゃないかなと思います」

 人は存外、自分のために頑張れることは限られる。誰かのために戦う、その誰かが試合を重ねるたびに多くなってきた。


どの試合も「最後の試合」になるかもしれない


 2020年11月22日(日)、高須は「ZSTフェザー級王座挑戦者決定トーナメント」で、島村裕(総合格闘技宇留野道場)と対戦する。トーナメントを2試合勝ち上がれば、現在RIZINで活躍中の王者・関鉄矢への挑戦権を得ることが出来る。

対戦相手にも物語はある。練習では危険すぎて試せない必殺技・ローリングサンダーがこの試合でも島村のフィニッシュとなった。(C)ZST

 しかし、対戦相手の島村は強豪だ。吉田道場出身で国際武道大卒業の柔道ベースの猛者。必殺技ローリングサンダー=腕ひしぎ脚固めで、多くの対戦相手の腕・肩を、文字通り「破壊」してきた。

「ベルトに向かう、ここからの試合というのは、全部厳しい試合になります。でも、格闘技を通して、同じ病気の人だったり、同じように引き込んでしまった人に、勇気を与えたいという気持ちが本当にあります。

 自分の病気はまたいつ再発するか分からないし、急に悪くなることもあるので、毎試合毎試合、ラストチャンスだと思って戦っています。最後の試合になるかもしれないという思いで戦っている。余命3カ月を経験して、闘病を経て、チャンピオンになったら、勇気を与えられる人はたくさんいるんじゃないかと思っているので、このチャンスは必ずモノにしたいです」

同じような病気で頑張っている人の励みに


 その意気込みを主治医の永松氏も頼もしく感じている。

「高須くん、ステージで言ったら4Bという一番進行した状況でしたから、それでもこういうふうに完治して、元気に格闘技も出来る状況にまで持ってこれたということは、同じような病気で頑張っている人には励みになるかと思いますね」

 実は、11月の試合もチケットを手に入れたのだという。

「頑張っている姿を見に行きたいなと思ってですね。リクエスト? ベストを尽くしてくれれば──」

「生き残る」ことが、格闘技


 27歳の高須が「ステージ4」から生還出来たのは、的確な治療と強い意志の賜物だ。前戦で先にダウンを喫したのは高須だった。そこからサバイブし、チョークを極めて、ベルトへの道を繋いだ。

 勝っても負けても人生は続く。その折々に「試合」がある。周囲のさまざまな思いを背に、己のすべてをぶつけ合い、「生き残る」こと──それは格闘技の本質だ。「格闘技に打ち込むことが生きがい」という高須はファイトと闘病のなかでそれを体現している。

 高須将大がステージ4のがんを克服しながらリングに向かえるのは、もしかしたら、生死を賭けた戦いに身を置くことで、生存本能が研ぎ澄まされるからなのかもしれない。マットに崩れそうになったとき、身体中の細胞が叫んでいるようだという。「生きろ!」「生きろ!」「生きろ!」と。(取材・文=松山 郷)

高須将大(たかす しょうた)

1993年7月29日、茨城県出身。小学生から中学生時代にリトルリーグ・シニアリーグで活躍し、霞ヶ浦高校野球部に所属。卒業後、地元の重機会社で働きながら、格闘技道場・ストライプル茨城に入門。ブラジリアン柔術の大会で実績を積み、2016年11月に総合格闘技団体「ZST」でデビュー。「ステージ4」のがんと闘病しながら格闘技を続け、5勝1分の戦績を挙げる。2020年11月22日、プロ7戦目で「ZSTフェザー級王座挑戦者決定トーナメント」に抜擢され、MMA12勝6敗3分の強豪・島村裕(総合格闘技宇留野道場)と1回戦で対戦する。167cm、65.8kg(試合時)。


この記事はゴング格闘技とLINE NEWSによる特別企画です。

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