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検査を受けなくとも、問題なく長生きする人たちのフシギ

2018年11月12日 17:08 現代ビジネス

(文・週刊現代)

検査しても寿命は延びない


早稲田大学名誉教授で、生物学者の池田清彦氏が語る。

「私は71歳ですが、これまでにがん検診を受けたこともないし、健康診断も'04年に受けただけです。

大学からは毎年受けるように散々言われましたが、自分なりに色々と調べて、検査には意味がないと思い、受けませんでした。結果的に、元気に生きているから問題ありませんね」

医者の多くは「がんは早期発見が大切。だからもっと検査を積極的に受けましょう」と口を酸っぱくして言う。

だが、検診によりがんを見つけることが、すべての人の寿命の延長につながるとは限らない――。

「検査でがんが見つかると、医師から『治療しなければあと何年しか生きられない』と言われますが、治療しなければどのくらい寿命が持つのか、根拠のあるデータは存在しません」(池田氏)

事実、世の中には検査を受けずとも、問題なく長生きしている人がいる。

'90年代、長寿の双子姉妹として国民的人気者となった「きんさんぎんさん」は、晩年までとくに検査を受けていなかったが、100歳を過ぎても元気だった。

ギネスブックに世界最長寿人物として取り上げられた泉重千代さんも、検査とは無縁の人生だった。

そもそも戦後まもなくは、現在ほど医療技術も発達しておらず、「未然に検査を受ける」という発想すらなかった。

「本来、検査なんか受けないのが人間の自然な姿であり、検査を受けるから寿命を縮めるんです」と語るのは、元慶應大学病院放射線科の医師である近藤誠氏だ。

近藤氏といえば、「がんは放置しなさい」「日本の医者は死なないがん=『がんもどき』を手術している」といった過激な発言で、医療界から目の敵とされている人物でもある。

だがその一方で、医師や患者のなかには彼の意見について「一理ある」と認めている人もいる。実際、同氏は現在「近藤誠がん研究所」の所長として、多くの患者からセカンドオピニオンの相談を受けている。

「健康な高齢者に見つかるがんは、多少例外はありますが、ほとんどが『おとなしいがん』です。つまり自覚症状のないがんです。それを検査で無理やり見つけて、手術しているのが現在の医療です。

たとえ1cm以下のがんであっても、がん細胞は血液中に流れ出ています。そこでメスを入れれば、当然出血するので、身体中にがん細胞がばらまかれてしまう。

さらに傷を治すために増殖因子というタンパク質が体内にできます。これが組織を修復する一方で、がん細胞も育ててしまうのです。結果、がんが暴れ出し、転移して亡くなってしまう。

もちろん、医者はこのことを知っていますが、それは決して口にはしません。なぜなら治療しないと儲けが出ないから。医者が検診を勧めるのも患者を作るためです」

近藤氏の主張は、一見「極論」とも取れるが、じつはすべてがそうとも言い切れない。

それを裏付けるように、欧米では「検診でがんを掘り起こして、無意味で有害な治療をするのは、やめよう」という動きが広がっている。日本のように「職場健診」も欧米にはない。

「『早期発見が寿命を延ばすという証拠はない』というのが欧米の考え方です。アメリカではがんと呼ばれない、小さな上皮内の腫瘍も、日本ではがんと診断されます。それが日本の手術の成功率を押し上げていると言っても過言ではありません」(日の出ヶ丘病院ホスピス医の小野寺時夫氏)

見つけてしまったがために


さらに欧米では健康診断を受ける人と受けない人、どちらが長生きかを調べた結果、総死亡数は変わらなかったというデータもある(イギリス医師会雑誌『BMJ』より)。

「とくに高齢者のがんは、体調が悪くなったときの対症療法で問題ないと思います。手術や抗がん剤などで、心身をすり減らすくらいなら、見つけないほうがいいのかもしれません」(前出・池田氏)

昨今、がん検診の精度は良くなっているとはいえ、1mm以下のがんはまだまだ発見しにくいのが現状だ。

「現在のがん検査は、10年以上前からできていた極小ながん細胞が、やっと検査で発見できるレベルまで成長したものを『早期』と言っているにすぎません。

だから『術後、転移していた』ということが起きるのです。検査では命を脅かす進行がんかどうかは、わからない」(前出・小野寺氏)

現在、先進国ではがんによる死亡者数が減少しているのに対して、日本だけが増加している。これは日本人の平均寿命が延びた証拠とも考えられる。

が、一方でひと昔前なら老衰や心不全で亡くなっていたのが、何歳になっても検査が推奨されるため、人生の晩年でがんが発見され、「がん」が死因として増加しているとも考えられる。

検診でがんを見つけたために、残りの人生を治療に費やし、手術や抗がん剤で最期は身も心も憔悴して亡くなっていく。これが本当に幸せだと言えるだろうか――。

「高齢者は仮に検査で小さながんを見つけても、そもそも余命との兼ね合いがあり、手術や抗がん剤治療の副作用を考えれば、治療の必要がないケースもある。検査自体無用な場合も多い」(秋津医院院長の秋津壽男氏)

それでも「うちはがん家系だから」と神経質になり、こまめにがん検査をしている人は少なくない。だが、前出の近藤氏は「がんの遺伝性は医学的には証明されていない」と言う。

「がんの原因は遺伝が5%、生活習慣や環境が30%、あとは原因不明。つまり60%以上が運や偶然なんです。

がんで身内が多く亡くなっている人は、不安から普通の人よりもがん検診を受けていて、その結果、放置して問題ないがんを見つけられ、『がん家系』にされているとも言えます」

もちろん、すべての検査や手術に意味がないわけではない。だが「病は気から」と言うように、過度な検査によるストレスや不安から、本当に病気になってしまうこともある。

高齢者になれば、「医者嫌い」「検査嫌い」の人のほうが、じつは長生きする――。これもまたひとつの事実、かもしれない。

「週刊現代」2018年10月13日・20日合併号より

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子供をスマホゲー依存から守るために、親に伝えたい3つのアドバイス

2018年11月12日 17:05 現代ビジネス

(文・鈴木 優)

「ゲーム依存症」、あるいは「ゲーム障害」とは、日常生活が破綻するほど、持続的、反復的にゲームにのめり込んでしまうことを指す。今年6月18日、WHO(世界保健機構)は、この「ゲーム依存症」を精神疾患として正式に認定した。

今世紀に入ってから、人間の生活を劇的に便利にしたスマホ——その中に潜んでいた悪魔に一人息子を虜にされてしまったライターが、あまりにこの疾患にたいして無防備な日本社会に警鐘を鳴らすため、現在進行形で続く「ゲーム依存症」との戦いをレポートする。

昨年、大学合格と同時にどっぷりスマホゲームにはまってしまった息子。散々な成績で1年を終え、今年はとうとう、後期からは大学を休学することになってしまった。彼ら家族のゲーム依存症との戦いは、試行錯誤を重ねながらいまだ続いている。出口の見えない戦いのなかで、彼らはどんな教訓を得たのだろうか。

親だけでも専門医にかかったほうがいい


大学1年の前期をスマホゲーム漬けで過ごした息子の成績は散々なものだった。ろくに授業に出ず、レポートの提出や試験勉強もほとんどしなかったのだから当たり前だ。

夏休み中に学生は試験の結果をウェブで確認できるシステムになっていた。それを見てさすがにマズイと思ったらしい。息子は依存症の専門病院へ行くと言った。

実は、その前から私は、専門医のところに通い始めていた。

スマホゲームへの課金をめぐって殴られたときの息子の様子を見て、「ひどく異常なことが起きている」と感じたのが動機だった。しかし、依存症の患者には、「否認」といって依存を否定する傾向がある。いきなり医者へ行こうと言っても拒絶される場合がほとんどだ。そのため、まずは心配になった家族が受診するケースが多い。息子も前期の間は水を向けてみても「なんで?」と返すだけだった。

家族が先に受診すると、まずは患者本人を病院に連れてくることがいちばんの目標になる。患者が子どもなら、ごほうびで釣ったり、半ば無理矢理だったり、「家族の会」でもさまざまな体験談が話題になる。入学と同時にスマホゲームにはまった息子の場合は、成績という目に見える問題がはじめて露呈したことが大きかったのだろう。
 
しかし、結論から言うと、息子の治療はうまくいっているとは言い難い。息子が受診したのは数回だけで、いまは本人は通わず、私だけが通院している。その一方で、息子は朝起きてから夜寝るまで片時もスマホを手放さずスマホゲームをやり続けている。

夏休みに医者に足を運んでからも、息子はずっとスマホゲーム漬けだった。後期もうまくいくはずはなく、息子は途中で軽いうつになった。依存症の2次障害でうつになるのは珍しくないらしい。そのときは息子が依存症の医師にかかるのを嫌がったので、別の病院でうつと診断され、薬も飲み始めた。

ほどなくしてなんとか持ち直し、2年から心機一転、大学を仕切り直す決意をしたものの、やはりダメだった。結局、2年の前期に休学の手続きをし、いまは仕事につくことを視野に動き始めたところだ。
 
問題が起きてもゲームを止められないのは、まさしく依存症の典型的な症状だが、息子としては、これまでゲームをやり続けてきたのは、大学が合わなかったせいだと思っているフシがある。

大学入学からの経緯を眺めてみると、確かにそういう一面もないとは言えない。受験勉強をがんばり、夢と希望を胸に抱いて大学に入ってみたものの、そこは自分が思っていたような場所ではなかったという違和感はずっとあったようだ。

息子の外での様子はわからないから、大学に通うために息子がどれだけがんばったのかは私にはわからない。スマホが原因で大学がうまくいかなかったのか、あるいは、大学がうまくいかなかったからスマホにのめり込んだのか。いずれにしろ、挫折を受け入れたことは悪くない傾向だと思っている。

大学を出るだけが進路ではないと、息子には受験の前から言ってきた。この機会にあらためて自分を見つめ直し、ゲーム以上にやる気になれる道を見つけてくれればいいと願うばかりだ。

そんな事情もあって、息子はほとんど医師にかからずいまに至っている。それでも、親だけが医師にかかることが無駄だとは思っていない。もしも私が通院していなかったら、状況はもっとずっと悪くなっていたと断言できる。きっと、子どもとろくに話ができず、家族の雰囲気は最悪になり、かといって誰も助けてくれず、どこにも出口の見えない辛い日々を耐え忍ぶだけだったのではないだろうか。

実際のところ、「家族の会」に通い始めたばかりの親御さんには、離婚を含めて、実質的に家庭が崩壊しているなど、苦しくて仕方がなくなって、医者の下を訪れる人が少なくない。そういう親御さんとって、「家族の会」は救いの場にもなる。苦しいのは自分たちだけではないとわかるからだ。

私がいまこんなふうに息子の話を書いていられるのも、通院して自分たちの状況を冷静に見られるようになったおかげである。

「ほめる」「無視する」の合わせ技


そこで今回は、私が病院で教わったなかで、効果的と感じた子どもたちへの対応を3つほど紹介してみたい。

子どもに依存症の恐れがあるのなら、すぐにでも専門医にかかったほうがいいし、基本的には医師の指導の下で治療を行うべきだ。それでも、依存症になりそうなお子さんをもつ親御さんにとって、多少は参考になる部分があるかもしれない。特に子どもとの会話が少なくなってきた場合には有効だと思う。

1つめは、「ほめる/無視する」という対応だ。

「そんなにゲームばかりやっていたら留年するよ。ちゃんと勉強しなさい」
「明日は学校なんだからもうゲームをやめて寝なさい。何を考えているの?」
「いつもゲームをやっているんだから、ご飯のときぐらいスマホをやめて」

などなど、子どもがスマホゲームばかりしていれば、小言を言ったり、叱ったり、ときには脅したりするのは親としてはごく自然な振る舞いだろう。ゲームが原因で実際に問題が起きているのなら、文句のひとつもいいたくなるものだ。親としての責任感もあるかもしれない。

子どもと一緒になって決めたルールを破ったなら、厳しく言うのは当然だ。しかし、相手の価値観を一方的に否定するような言動は、依存症の患者は聞き入れがたいという。繰り返せば反発し、話ができなくなってしまう恐れもある。

ストレスがたくさんあるなかで、好きなことを止めろと言われたらイヤな気持ちになるのは想像に難くない。特に、わかっちゃいるけどやめられないスマホゲーム依存症の患者では、なおさらその気持ちが強いようだ。それでも親としてはついつい言ってしまう。かくいう私もそうだった。

その結果、息子は私と話をするのを極力避けるようになっていた。一方、私は私で息子が無視を続け、また、時おり豹変したように始まる口論や暴力的な態度に疲れ始めていた。

依存症の患者がいる家庭はこうした状況に陥りやすく、長引くと出口が見えにくくなってしまう。その袋小路を避け、少しでもいい方向へと変えてゆくためには、まず話しができる環境をつくる必要がある。なぜなら、依存症の治療は対話を通じて行うのが基本だからだ。薬や手術では依存症はどうにもならない。この「ほめる/無視する」はそのための対応である。

人が依存症になるカギは「報酬」にあるという。報酬といってもお金ではなく、「楽しい」や「うれしい」など、自分にとって望ましい結果が得られることすべてだ。スマホゲーム依存になりやすいのは、その楽しさが本当に手近なところで簡単に得られるせいだが、逆に、ゲームから離れる方向の報酬を増やすのが、「ほめる/無視する」の目的だ。

具体的には、スマホゲームする時間を減らせたときはもちろん、ゲームに関係がないとしても、ささいなことでもほめること。

運動不足でメタボの息子なら、散歩に出たらほめ、食事を節制できたらほめ、病院に行けたらほめる。逆に食が細い子どもなら、しっかり食事ができたらほめるのでもいいという。朝起きてきただけでほめてもいいかもしれない。

高校生や大学生の子どもをその程度でほめるのはどうかと思われるかもしれないが、依存症の患者は本当に報酬が足りていないのだろう。小言や叱る言葉をぐっとこらえて、ほめる機会を増やしてみると、確かに息子と衝突する機会は少しずつながら確実に減っていった。

一方、無視するほうは、ゲーム依存が進むような望ましくないような行動をとったら、注意したり叱ったりするのではなくスルーするというやり方だ。普通に考えれば、そういうときは何かしら言ったほうがよさそうなものだけれど、小言をはじめ、叱られたり口論したりするのは、患者の報酬(「張り合い」といってもいいのかもしれない)になっている可能性があるという。

依存症の患者にとっていちばんつらいのは無視されること。つまり、報酬の対極にあるのが無視なのだ。これはすぐにはわからなかったが、実行してみたところ、かなり効果があると感じている。

たとえば、まだ大学に通っていたときに、月の途中でスマホのデータ通信量を使い切って、「通信量がなくなったから追加するまで今月は外出しない」と息子が言うことがあった。当然、そんな要求には応じたことはないから、ひと悶着あるのがいつものパターンだった。だが、このときに冷淡に「無視する」を試してみたところ、息子は何も言わずに学校へ行っていた。その後もデータ通信量について無視し続けたところ、息子は何も言わないようになっていた。

2つめは、親もゲームをやってみるというもの。

病院で聞いたアドバイスのなかで、いちばん効果があったのがこれだった。子どもが依存するほど好きになる対象についてよく知ることは、スマホの使い方やお金のルールを決めるときに役立つし、何より息子とのコミュニケーションで効果はとても大きかった。

ただし注意点として、ゲームを否定するのではなく、普通に楽しむつもりで始めること。そして、わからないことや教えてほしいことがあれば、子どもに聞いてみるとけっこう喜んで話をするかもしれないという。

私はほとんどゲームをやったことがなかったから、自分がスマホゲームを始めることなど想像したこともなかった。でも、病気の原因であるゲームについて知ることは確かに必要なことかもしれない。そう考えて、ゲームをやろうと決めたのはいいが、はたと困ってしまった。息子はいったいどんなゲームをしているのだろうか。私には何もわからなかった。そこで息子に聞いてみた。

「そんなに楽しいものなら、私もスマホでゲームをしてみようと思うんだけれど、なんていうゲームをしているの?」
 
そう息子に聞いてみると、いつもとは打ってかわって、すぐに言葉が返ってきた。

「メインでやっているのは○○と××と△△の3つだよ。あとは余った時間にいくつかやっているものがある。けど、それはやったりやらなかったり。何、ゲームするの?」
「やってみようかなと思って。3つのなかでいちばん楽しいのはどれ?」
「○○は育成が楽しくて、××はいろんなキャラが魅力的で、△△は……」

それまでは何を言ってもほとんど無視していた息子が、流れるようにしゃべり始めた。

「余った時間」などというものがあるものかと少しカチンときたものの、小言はひとまず飲み込んで、息子にすすめられるままに私も始めてみた。

すると、ゲームをはじめ、「ガチャ」の仕組みもわかったし、ゲーム以外のことについても息子と話をする機会が増え始めた。息子にしてみれば、ゲームをやりすぎることが問題だとわかっていても、ゲームについて何も知らない人間にダメと言われ続けることに、頭ごなしに否定される感覚があったようだ。

また、息子がずっとゲームだけをしているわけではなく、ゲームについての動画やツイッターなどを見ていることもこのときに初めて知った。ゲームをやってみたら効果的だったという親御さんは「家族の会」にもとても多い。

なってからでは遅い、予防が重要!


3つめは、子どもにスマホのルールを守らせるために、親も約束を守ってみせることだ。

たとえば、子どもがスマホを使うのを10時までとするなら、親も10時にやめる。息子がスマホの時間を減らすことに同意しない我が家では無理な話なのだが、「家族の会」では効果があるという意見が多い。これは何もスマホだけに限らない。ある家庭では、中学生の子どもがスマホゲームの時間を制限するのに合わせて、父親が禁煙をがんばるという約束をして効果があったそうだ。

以上は専門医で教わったスマホ依存症の子どもたちへの対応例だけれど、これまで何度も書いてきたように、最も重要なのは子どもたちが依存症にならないようにすることである。

息子が依存症になったのは高校を卒業してからで、現在はもう20歳の立派な大人である。大学を辞めようと、どんな道に進もうと、すべて自分で責任を取るべき年齢だ。それでも、親としてなんとか防げなかったのかという想いがないと言えばウソになる。「家族の会」に通う小・中・高校生の親御さんたちの話を聞けば、子どもたちをスマホゲーム依存症にしてはいけないと痛感する。

これまで何度も書いてきたように、依存症は誰でもなる可能性がある病気だ。そして、一度なってしまったら完治はしない。だから予防がとても重要だ。

子どものスマホゲーム依存症を防ぐには、最初にスマホを与えるときから使い方や使用時間についてきちんと約束を決めて、子どもがスマホで何をしているかに常に注意を払い、問題が起きそうな兆しが少しでもあれば、すぐに子どもと話し合うことが親の務めではないだろうか。

さらに歴史上、依存症になるリスクをこれほど高めるものが、子どもたちの身近にある時代はかつてなかったはずだ。

たとえば、アルコールやギャンブルなど、依存症になるリスクの高いものから、私たちは子どもたちをずっと守ってきた。だから、第4回にも書いたように、特に射幸心を刺激する行き過ぎたガチャについては、何らかの規制があってしかるべきだと私は思っている。その証拠に、世界はすでにその方向に動き始めている。ガチャビジネスが先行している日本で野放しなのは、私には異常な状況に思えてならない。

そもそも依存症になりやすい傾向や、勉強や友だち関係で挫折するなど、子どもの側にも問題があると思う人もいるのかもしれない。それでも、依存症になるリスクが高いとわかっているものを子どもたちの目の前に放置していい理由はない。

落ちこぼれの末路はスマホゲーム依存症。日本がそんな国であっていいわけがない。

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70歳すぎての全身麻酔には、こんな注意が必要です

2018年11月12日 17:02 現代ビジネス

(文・週刊現代)

麻酔=仮死状態


〈私は麻酔の必要性と、それに伴う危険性などについて十分な説明を受け、理解致しましたので、その実施に同意します〉

手術の前に患者は必ず、こういった同意書を書かされる。生命を左右する重大な決断。にもかかわらず、患者やその家族の多くは、麻酔の本当の怖さを知らない。あまりに無頓着であるとも言える。

手術は成功したが、患者は目を覚まさない――。実際にそういったケースがあると語るのは、フリーの麻酔科医・筒井冨美氏だ。

「日本麻酔科学会の調査によれば、全身麻酔中の総死亡率は0.05~0.07%とされています。しかし、私の経験上、70歳以上になればその確率はもっと上がります。

90代の女性がかかとの骨を骨折し、全身麻酔による手術が行われました。手術自体は順調に終わりましたが、手術室から出たとたん呼吸が停止。肺の血管に血栓(血の塊)が詰まって、肺塞栓を起こしたのです。

これは麻酔の合併症の代表的なものです。その後、呼吸は戻ったものの、意識は戻らず約2ヵ月後に亡くなりました」

過去には麻酔が原因で訴訟騒ぎも起きている。兵庫県の県立淡路医療センターで、全身麻酔による膝の手術を受けた30代男性が死亡。

術後、問いかけへの応答や自発呼吸を確認し、一般病室に移ったが、約1時間後に呼吸停止の状態で発見され、20日後、低酸素脳症で亡くなった。

遺族は「手術後の監視が不十分だった」として神戸地裁に提訴。県は遺族に3500万円を支払い和解した('14年)。県は事故後、全県立病院で行う麻酔について、モニターなどによる一定時間の監視を義務づけている。

そもそも、麻酔をかけられたとき、身体ではどんなことが起こっているのか。一般的に麻酔=眠っている状態だと思っている人もいるが、それは違う。全身麻酔の場合、自力呼吸ができなくなるので、人工呼吸器が必須となる。

麻酔は、手術という「外傷」によって身体にもたらされる苦痛を和らげる反面、痛みを感じる意識はもちろん、呼吸や反射的な動きを司る中枢神経(脳)の機能をはじめ、血液を送り出す心臓のポンプ作用、ホルモンの分泌など、生きていくために必要な身体のほとんどの機能が抑制される。

つまり麻酔とは、身体の機能を低下させ仮死状態にする「劇薬」であり、「死と隣り合わせの医療行為」なのだ。

基本的には、手術の前に麻酔科医が患者を診察し、麻酔の危険性や方法を説明し、各患者に適した麻酔薬の量などを判断する。だが、患者側は手術の不安で頭がいっぱいのため、麻酔に対しては十分理解しないまま同意書にサインしている人が多い。

持病によってさらにリスク


しかし、手術と同じく麻酔も「侵襲的」(身体を傷つける)医療行為であることを事前に理解しているかどうかは、治療に大きく関わってくる。

「麻酔による最も多い死亡原因は、元々あった疾患が麻酔により悪化すること。そのため高齢者はより注意が必要です。たとえば、麻酔を使うと血圧が上下するので、狭心症や喘息など心臓関係の持病があると死亡率は一気に上昇します。

ほかにも脳梗塞や腎臓病、肝機能の低下、糖尿病などの持病がある人は、麻酔により悪化するリスクが高くなります」(前出・筒井氏)

思わぬ既往症が、麻酔と関係することもある。

「『淋病』を経験したことを黙っていた60代の患者さんがいました。全身麻酔の場合、尿が出なくなるため尿道からカテーテル(管)を入れることがあります。

ところが、この患者さんは、淋病によって尿道が狭くなっていたのです。急遽、膀胱に穴を開ける手術をすることになり、患者さんに余計な傷を負わせてしまいました」(大学病院の麻酔科医)

70歳を過ぎた高齢者になれば、若い人に比べ麻酔から目覚めにくくなる。

「全身麻酔の場合、呼吸を止めて人工呼吸器で呼吸をさせるため喉に管を入れることになります。加えて術中は血圧が上下するので心臓にも負担がかかる。そのため心肺機能が衰えている高齢者は、麻酔から覚醒するまでの危険性が増します。

元から呼吸状態が良くなくて、痰が絡みやすい方は、術後肺炎を起こしやすいので、事前の検査が重要です」(辻仲病院柏の葉・外科部長の指山浩志氏)

さらに麻酔によって、手術後のせん妄(幻覚)や認知症が進むという研究データもある。

「高齢者の場合は、麻酔が深く入りすぎると、術後に意識障害やせん妄などの合併症が出ることがあります。

これらを防ぐために、脊髄くも膜下麻酔、硬膜外麻酔、末梢神経ブロックなどの『区域麻酔』を併用して全身麻酔の薬の量を下げ、術後回復が早くなるようにしています」(秋田大学医学部附属病院の麻酔科講師・合谷木徹氏)

そこまで慎重を期していながらも、なぜ麻酔の事故が起こるのか――。

その要因として考えられるのが、麻酔科医の「不足」だ。

日本麻酔科学会は、麻酔科医が不足している理由について「長時間労働や不規則な勤務体系」を挙げている。

麻酔科は、外科医が手術をするとなればいつ何時であってもスケジュールを合わさなければならない。それでいて慎重な麻酔薬の投与が求められるため、非常にストレスも強い。

勤務環境の改善により麻酔科医も以前よりは増えてきているというが、十分とは言えない状況で、しかも地域格差もある。

さらに、近年は医療技術の発達により手術数が増えており、一人当たりの麻酔科医の負担はどんどん重くなっている。

大病院ならまだしも、クリニックなど小規模な病院は麻酔科医が常駐しておらず、外科医自らが麻酔を行い手術することもある。

'10年には、福岡の整形外科医院で担当医がモニターすら用意せず全身麻酔を行ったため、手術中の異変に気づかず患者が死亡した事件も起こっている。

「麻酔科医は手術中、血圧、心電図、酸素が全身に行き渡っているかを見るパルスオキシメーターを含めた生体モニターを常にチェックする必要があります。

非常に重要なポジションです。たとえ小さな手術であっても、麻酔科医がいない病院でやると大事故につながる可能性があります」(前出・合谷木氏)

70歳以上の人は麻酔のリスクを十分理解した上で、その手術が本当に必要なのか、考えてほしい。

「週刊現代」2018年10月27日号より

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cat_11_issue_oa-gendaibusiness oa-gendaibusiness_0_f026b05acf2d_日本で「ブラック保育所」が次々と生まれる絶望的な構造 f026b05acf2d f026b05acf2d 日本で「ブラック保育所」が次々と生まれる絶望的な構造 oa-gendaibusiness 0

日本で「ブラック保育所」が次々と生まれる絶望的な構造

2018年11月12日 16:54 現代ビジネス

(文・小林 美希)

秋の保育所見学シーズンがやってきた。

来年4月に保育所に子どもを預けるには、今年11月から年末にかけて申し込みの締め切りとなる。

子どもを預けたい保育所かどうか。保育士の労働実態に目を向けなければ、その保育所の真実の姿は分からない。保育士にどれだけきちんと人件費をかけているかで保育内容が左右されると言っても過言ではない。

ここでは、「やりがい搾取」を許してしまう、保育所の運営費用の使途制限を緩和した「委託費の弾力運用」という制度に着目。『ルポ 保育格差』などの著者でジャーナリストの小林美希氏による短期集中レポートをお届けする。

「大手で安心」から地獄へ…


「あんなに憧れていた保育士なのに……。働けなくなって今、生活保護を申請するような状況になりました」

保育所を運営する株式会社の大手に就職した斉藤理香さん(仮名)は、過酷な労働環境に耐えられず、わずか2年の間にメンタルヘルスを崩し、働くことができなくなってしまった。

新卒年目、理香さんは1歳児クラスの担任になった。約20人の園児に担任は3人。1歳児の保育士の配置基準は子ども6人に保育士1人のため、パートの補助がついた。担任のうち1人が秋口から産休に入ることが分かると、8月から「早く仕事を覚えて」と、業務を詰め込まれた。

連絡ノート、クラスだより、保育計画の作成。日々の書類業務のほか、数え上げればきりがない。まだ慣れないなかで時間もかかり、プレッシャーを感じた。

毎日夕方になると先輩の保育士が、残っている子どもの人数計算をする。シフトの勤務時間が終わっていても配置基準通りの保育士が足りないと「今日は1時間残って!」と言われるがまま残業することとなる。

保育室を出ると、いったんタイムカードを切って着替えもせずに残った仕事に取り掛かり、翌日の保育の用意をする。21時に閉園になるため、それでも仕事が終わらなければ持ち帰った。タイムカードを切ったあとの残業代はいっさい支払われない。

働く保育士にとってブラックな環境なら、同時に子どもにとってもブラック保育所となる。

業務が増えた夏、理香さんは先輩保育士から理不尽な指示を受けた。たらいで水遊びをしていた子ども5人を一人で見ろという。

子どもの一人が別のクラスの園児の方に向かって歩いていってしまうと先輩は、「(ほかの4人を置いて)あの子を追いかけて連れ戻して」と命令する。「目を離した隙に溺れたらいけないので離れられません」と理香さんは譲れなかった。

理香さんの判断は正しかったが、その後、先輩からいじめに遭うようになった。9月には吐き気や立ち眩みがおこるようになり、心療内科にいくと「適応障害」と診断された。

担任のひとりが産休に入っても代替職員は配置されなかった。保育中はパートの保育士がついたが、主な業務は担任2人でこなさなければならない。

クラス全員の連絡ノートを書き、行事の準備をする。仕事が倍になり、4時間も残業する日が増えて疲労困憊した。

土曜保育もほとんど出勤。保育中は子ども同士の噛みつき、ひっかきが起こらないように神経をすり減らす。

理香さんの1年目の給与明細を見せてもらうと、合計で約280万円。理香さんは「就職する時は大手で安心と思ったが、裏切られた。給与も高くはなく、サービス残業にも納得がいかなかった。保育士がこの状態で良い保育ができるわけがない」と怒りを隠せない様子だ。

2年目、他の系列園に異動になったが今度は園長からパワハラに遭い、適応障害が悪化して休職。わずか2年のうちに退職に追い込まれた。

その後、派遣やパートで保育士を続けてはみたものの、うつの症状は悪くなる一方。理香さんは、生活保護を受けて治療に専念するため保育の現場を去った。

わずか2年前には希望に満ち溢れていた若い保育士が一転、地獄に落ちたも同然の状況だ。

「ブラック保育所」が生まれる構造的問題


待機児童対策のため急ピッチで保育所が作られるなか、理香さんが経験した職場のような、保育士が低賃金で長時間労働という“ブラック保育所”の存在が目立っている。

その構造的な問題はどこにあるのか。筆者が問題視するのは国が認める「委託費の弾力運用」という制度だ。

認可保育所には、委託費と呼ばれる運営費用が市区町村を通して支払われている。その内訳は「人件費」「事業費」「管理費」の3つ。

「事業費」は、給食費や日々の保育に必要な材料を購入したりするためのものがメインとなり、「管理費」は職員の福利厚生費や土地建物の賃借料、業務委託費など。

国があらかじめどのくらい費用がかかるかを見積もっており、人件費が8割、事業費と管理費はそれぞれ約1割の想定となっている。

もともと、「人件費は人件費に」「事業費は事業費に」「管理費は管理費に」という使途制限がかけられていたが、それを規制緩和して相互に流用できるようになったのが前述した「委託費の弾力運用」となる。

問題なのは、弾力運用が3つの費用の相互流用だけでなく、同一法人が運営する他の保育所への流用、新規施設の開設費用への流用も認めていることだ。

賃金の低い層の若手が多いと人件費比率は低くなりがちだが、多くの大手で、人件費比率が低くなる大きな原因となるのは、新たな保育所建設のための費用に人件費分を回しているからだ。

さらに、人件費や修繕費用の積立が上限なくできるようになり、内部留保されてしまう。積立は都道府県が認めれば新規の設備整備費などにも回すことが可能で、実際のところ、保育所の新規開設費に回されてしまうことも少なくはない。

2004年度からは、社会福祉法人であれば、介護施設への流用まで可能となり、介護事業の赤字を保育の運営費で穴埋めすることもできるようになってしまった。

こうした規制緩和から、本来は8割かけられるはずの人件費が抑え込まれ、なかには3〜4割程度しか人件費比率がかけられないケースが出てきたのだ。

その結果、保育士が低賃金のまま、十分な保育職員を雇えず、人員配置基準ギリギリの状態で長時間過密労働を強いられるようになる。コストカットが優先されて、子どもにとって必要な玩具も折り紙も買ってもらえない。

そんな悲惨な状況に陥るブラック保育所が散見されることに、警鐘を鳴らさなければならない。

人件費比率も賃金実額も低い


筆者が注目しているのは、現場の保育士や保育補助者、調理員などに絞り込んだ「保育従事者の人件費比率」(以下、保育者人件費比率)だ。

園長や事務員、用務員は同族経営の場合に著しく高収入で保育士は薄給という例もあるため、全体の人件費に園長などの給与が含まれていると、全体が高く見えてしまい、実態が正しく反映されない。

しかし東京都は、園長、事務員、用務員の人件費を除いた、保育者人件費比率のデータを2015年度から集めており、大きな参考となる。

東京都23内にある700超の認可保育士について、保育者人件費比率の載った財務諸表を調べてみると、2015年度で社会福祉法人は55.4%、株式会社は42.4%と低いことが分かった。

そして、財務諸表を集計すると「人件費」「事業費」「管理費」以外に計上されている金額の合計は1年間で280億円に上ることが判明した。これは例えば、東京都世田谷区の私立認可保育所の運営費の年間予算に匹敵し、約2万人分を保育できる金額となる。

こうした状態が放置されているのは、待機児童問題にある。この数年は待機児童解消が官邸挙げての目玉政策となっているため、保育所を作ってとお願いする立場にある行政としては強く出られない。しかも、私立に任せたほうがコストは公立の2分の1程度で済む。

さらに、営利企業はニーズがあれば進出し、ニーズがなくなれば撤退してくれるため、株式会社立の保育所の存在は行政にとって都合が良いのだ。ただ、企業にとって委託費に厳しい使途制限がついては、思うように参入してもらえない。

もともと認可保育所の設置は、その公共性の高さから公立保育園のほかは社会福祉法人にしか認められていなかったが、それでは需要に追い付かないため、2000年、国は設置主体を規制緩和する通知を出して、社会福祉法人以外にも認め、営利企業である株式会社のほか、NPO法人や宗教法人、学校法人も認可保育所が作ることができるようにした。

それと同時に、いわゆる「委託費の弾力運用」を認め、使途制限を大幅に緩和したのだ。保育は運営費の8割が人件費。労働集約的な事業では、株式会社が参入するにはうまみがない。

委託費のなかで保育士の人件費は2017年で平均年収380万円と示されている。国が行う処遇改善を上乗せすると、平均年収は398万円になる。それに加えて、キャリアに応じての処遇改善も行われているため、経験3年以上ではサラリーマン平均に並ぶ年収404万円、7年以上で446万円になる計算だ。

さらに東京都は独自の処遇改善の補助金を出しているため、例えば経験7年以上であれば、年収は498万円になるはずだが、理想通りにはいかないのが現実だ。

冒頭の理香さんが就職した会社が運営する保育所の保育者人件費比率は軒並み20%〜30%台だった。人件費比率が低く、賃金実額も低く、人員体制はギリギリ。

他の大手株式会社でも「1年目の年収は200万円台だった」と複数の保育士が辞めていった。「委託費の弾力運用」が搾取の構造を許し、ブラック保育所を作り出す諸悪の根源となっているのではないか。

もはや株式会社に限らず、社会福祉法人も右へ倣えの状態で人件費比率が3~4割というケースも目立っている。理香さんをはじめ、急拡大中の大手・中堅に就職して疲弊した保育士たちが「現場は人手不足で疲れ切り、保育の質どころではない。それなのに、なぜ、次々に保育所を作るのか」と、疑問を感じているが、その悲痛な叫び声はまるで届いていない。

保育士や子どもに使うはずの委託費が、施設整備費に回されて保育の質が劣化していくのでは本末転倒だ。性善説が通用しなくなった今、委託費の弾力運用に一定の縛りをかけない限りこの状態が続いてしまうことを、見過ごすことはできない。

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20代年収800万円でも借金まみれ…闇金で私を救った「意外な人」

2018年11月9日 09:26 現代ビジネス

(文・安藤 由美)

「トイチ」――。

“10日で1割の利息”という意味からこう呼ばれることはご存知の人も多いだろう。『ナニワ金融道』や『難波金融伝ミナミの帝王』、『闇金ウシジマくん』など今まで数多く漫画にもなってきた題材でもある。利息制限法や出資法の年利を超えるため、法律違反の「闇金」だが、キャッシングで返せなくなった人が足を運び、そのまま抜け出せなくなって身体を売ったという噂話も多く聞く。しかし、実際にトイチと関わったことがある人はどれだけいるだろうか。

しかし、私は今から約20年前、「トイチ」だったであろう事務所のドアを叩いた経験がある。大手出版社数社でライターとして働き、当時20代にして年収800万近くあったにも関わらず、借金まみれだった。

もう人生は終わりと思ったが、今は借金がなく、堅実な生活を送れている。そこにはある「意外な恩人」の存在があった。そのいきさつと顛末をお話しよう。
2001年に起きた、借金地獄に陥った男による武富士弘前駅前支店への強盗放火で、5人が亡くなった痛ましい事件が記憶に残っている人も多いだろう。借金地獄に陥る借入者を増やさぬよう、1983年に施行された「貸金業の規制に関する法律」は改正が繰り返されてきた。現在は2010年に施行された「貸金業法」により、貸付額の制限などが細かく規定されている。それでもなお、借金地獄に陥る人は後を絶たない。

複数の大手出版社で多くの人気雑誌に携わってきた売れっ子ライターも、実は20年ほど前、借金地獄にはまり、「人生はもう終わりだ」と思ったという。

1カ月40~50万円の支払いと返済


今から20年ちょっと前。世の中はバブルが崩壊し、冷え込んでいたが、バブル崩壊後も出版業界は比較的景気がよかった。雑誌文化が花開いた時代でもあり、次々と新雑誌が生まれていった。当時、20代後半だった私は、女性誌を中心にライターやフリーの編集者として仕事をしていた。抱えていた媒体数は、6~7誌。年収は800万は下らなかった。

ところが、当時私は最も多い時で500万近い借金を背負っていた。同世代の女性よりも多い年収がありながらも、毎月火の車。消費者金融のA社毎月3万円、P社に3万円、T社に2万円。クレジットカードのキャッシングで借りた返済が、Mカードで約3万円、S社で4万円、O社5万円、I社で5万円……。今思い出しても恥ずかしく、冷や汗が脇の下ににじむ。とにかく、ありとあらゆるところに借金をしまくり、ショッピングなどのカード支払いも加えたら、毎月40~50万近く返済する生活になっていた。

仕事が次々なくなり、パートナーも無職に


収入があったにもかかわらず、なぜこんなにも借金がかさんでしまったのか……。それには大きく2つの理由があった。

ひとつは、景気がいいといいながらもフリーランス家業は水商売であることが影響していた。20代半ば、バブル崩壊直後に、メインでやっていた雑誌媒体がまず休刊になった。フリーランスはレギュラーで仕事を持っていても、雑誌が休刊になれば、その出版社からの収入は当然なくなってしまう。なんの保証もない。中には次の仕事を紹介してくれる媒体もあったが、そこはスタッフ数も多く、さらに私は他の出版社の仕事も受けていたため、「どうにかなるから大丈夫」と見栄を切ってしまったのだ。

ところが、蓋を開くと、他の出版社もバブル崩壊の痛手を受けて、雑誌が休刊。その当時抱えていた仕事を一気に3誌も失ってしまうことになった。とはいえ、もともと楽観的な性格だったので、「大丈夫、仕事に困ったことはないし」と最初は正直タカをくくっていた。しかし、1カ月、2カ月……と収入がなくなれば当然、貯金は減ってくる。当時20代半ば、バブルを経験し派手にお金を使うことに慣れていた私は、当然貯金額も低かった。困ったときに、と貯めておいた180万円はあっという間に激減していった。

さらに、最悪なことに当時、いっしょに暮していたパートナーがうつ病で仕事をやめてしまったのだ。広告制作会社で働いていたのだが、バブル崩壊後の仕事は日ごとに目減りしていった。ある日彼は駅でパニック障害を起こし、そこから会社に行けなくなり、無職に。もともと我が家に居候で転がり込んでおり、貯金もほとんどない状態。2週間に1度の病院以外は、午後まで寝て、好きなゲームや小説を読んで過ごす日々が始まったのだ。

病気が落ち着けば、きっと仕事をするだろう、と思っていたのだが、その後別れるまでの5年間、彼は仕事をせず、高等遊民のように好きなことだけして暮らした。

すべては自業自得だ。フリーランスという浮き沈みが激しい仕事を選びながらも、貯蓄せず、好き勝手に生きていれば当然、お金は底をつく。しかし当時、花形の雑誌で仕事をしていた私は、お金がない素振りなど見せられない。財布に万札など一枚も入っていないにもかかわらず、伊勢丹でブランドものを買い、仕事仲間と人気のレストランにいつもと同じ顔で食事に出かけた。

最初の1歩は些細なキャッシング


まずは大手銀行のクレジットカードで、現金代わりに物を買うことから始まった。さらに、手持ちの現金が底をつくと、クレジットカードのキャッシングを「3万円ぐらいなら」と使うようになった。

初めてキャッシングしたときは、大丈夫だろうか、と心配したのに、2回目、3回目からは、銀行のキャッシュカードと同じ感覚で使うようになってしまう。「借入限度額=自分の貯蓄額」という錯覚がおき、気がつくと限度額の50万まで借り入れていた。

しかし、借り入れをすれば、当然支払いはある。翌々28日に、25万円の引き落としがあるという通知を見て青くなる。当時は仕事が減ったままで、なかなか増えない。しかも、出版業界の仕事は、今仕事をしても支払いは2~3か月先、半年先ということも多い。どうしたものか……。パートナーの病院代や食事、さらにはゲームソフト代、書籍代……。結局、25万円の銀行系のクレジットカードの支払いのために、別のショッピングカードでキャッシング。そう、自転車操業の始まりだ。

自転車操業は、本当にやってはいけない。カード返済のために、別のところで借りることを始めると、1社だけでは済まず、止まらなくなってしまうのだ。結局、半年で3社から借り入れることになる。そうなると、もう止まらない。返済額を少しでも抑えようと1992年からスタートしたリボ払いにするが、その分、利息は高く、返済してもいつまでも元金は減っていかない……。

毎月20日ごろになると、電卓で返済総額を計算し、家賃や他の支払いと合わせて、どう乗り切るかを考える。あそこに返したら、その返した分をすぐにまたキャッシングして、そして別の返済にあて、また、その分すぐにキャッシングして……とその場しのぎの方法で乗り切っていた。

「無人契約機」が蟻地獄の入り口に


しかし、3社借り入れから3カ月ぐらい経ったころ、大手の銀行系のクレジットカードが使用停止になった。意味のない返済だったし、グルグルと回していた自転車操業のチェーンが切れてしまった……。もう手持ちのカードではどこも借りられない。しかも、フリーランスはクレジットカードを作るのも審査が厳しい……。潔癖症でお金にうるさい両親には絶対こんな姿は見せられない。

当時増えていた無人契約の消費者金融A社窓口に、気づいたら入っていた。消費者金融のトラブルは当時もニュースになっていて、最初の1歩は正直怖かった。しかし、無人契約機はその恐怖を鈍らせる。機械の先に人がいるにもかかわらず、目の前にいないことで、気持ちが大きくなる。しかも、初回なのに30万円も貸し付けてくれるという。

これで、クレジット系のMカードを全額返金してスッキリしよう、と思って30万満額借りた。が、結局、月末までいくら支払いがあるかわからず、Mカードの全額返金をせぬまま、日々の生活費と支払いで、あっという間に30万は消えていった。

そこから、CMなどで見かける消費者金融にはすべて借り入れに行った。もう、借金地獄にズブズブと足を突っこみ、動けない状態になっていた。ここまで来るのに1年半。半年前ぐらいからは、減っていた仕事も盛り返し、収入も元のレベルにまで戻っていたにもかかわらず、借金は返しても返しても減らない。原稿料の振り込みが遅れ、支払いの引き落としが間に合わなかったときには、池袋西口や西新宿にある消費者金融が集まる通りに行って、1件ずつ直接返金に行くことも多かった。とても仕事仲間には見せられない、裏の姿だった。


現在は、貸付限度額に関して、業者は借入希望者の年収の3分の1を超える貸し付けはできないことになっている(2010年6月施行)。しかし、当時はそのあたりが非常に曖昧だった。他に借り入れがあって火の車になっている情報が金融業者間で入っているにも関わらず、「限度額50万円まで上げられますよ」と勧誘してくる。借金があると「限度額が上がる」は天使の言葉だ。しかし、限度額を上げ満額まで借り入れすれば、利息も上昇し、返済の負担はますます大きくなるというのに、そんな単純なしくみさえ理解できなくなってしまうのだ。

スポーツ新聞の2行広告につられ


結局、消費者金融の返済も遅れがちに。その翌月、原稿料の振り込みが遅れ、にっちもさっちもいかなくなってしまった。親に泣きつこうかと頭を抱えていると、パートナーが読んでいたスポーツ新聞に、「返済にお困りの方」と書かれた文字が目に入る……。

さすがに、スポーツ新聞の2行広告を訪ねるのは危険だということはわかっていた。きっとこれは噂に聞くトイチだ。しかし、本当ににっちもさっちも行かなかった。これ以上返済を伸ばすことはできない……。どうにもならない気持ちで電話をしてみることにした。

「はい」――落ち着いた男性の声だ。

「新聞を見たんですが……」喉から心臓が飛び出しそうだ。緊張した声で告げる

「本当に困っているんだね。だったら一度来なさい。場所を言うからメモして」と男性。

場所は、新宿西口。まだ新宿にタカシマヤタイムズスクエアもなかった時代の、ラーメン店や電気店などゴミゴミしたエリアにある古めかしい雑居ビル……。さすがにビビる。風俗とかに売られちゃうのかな……。でも、20代後半だと無理かな……、ととんでもないことも考えながら、思い切ってドアを開く。

「二度と来ちゃいけない」


簡易的な事務用デスクがすぐにあり、3人掛けのソファーにスーツを着た50代ぐらいの男性がタバコを吸って座っていた。

「あぁ、そのデスクの椅子に座ってください。お茶入れますから」と言われる。

お茶が出てくるが、万が一睡眠薬など入っていたらと思うと、飲めなかった。

「いくら借金があるのか、ここに全部書いてみて。嘘ついちゃだめだよ」と男性は用紙をペンを渡した。

借り入れ状態だけでなく、住所、電話番号、保証人など個人情報を書くスペースもある。何かあったら、家に来たり、両親にも迷惑がかかるのだろうか……そう考えると手の震えが止まらない。

それを見ていたのか、男性は個人情報を書く途中で、その用紙を抜き取って言った。

「そっか、大変だったね。あんたもいろいろあったんだろう。でも、こういうところには来ちゃダメだ。二度と来ちゃいけない」とやさしく厳しい声でピシャリと言い放った。

え? これも貸し付けの作戦なのか、と身構えていると、男性は白紙の紙を取り出した。

「あんたの問題は、むやみやたらに小さく細かく借りているってことだ。細かく何社にも支払っていたら、利息を重複して取られて、その支払いで借金は減らない。とにかく借りている会社の数を減らすことだ」と図を書いて説明を始めた。

細かな返済はまとめて本数を減らせ


男性の解説はこうだった。消費者金融3社は、まとめて1本化する。3社の中で一番きちんと返済しているところに、内情を話して、まとめたいと相談をしてみろというのだ。もしも、それでダメな場合は、CMを行っていないが、大手と同じ利息で借りられる二番手の消費者金融が何社かあるから調べてみろという。そこで3社返済分をまとめて借り、3社は全額返済したほうが効率がいいと説明された。クレジットカードでのキャッシングの返済はこの時点ではかなり減っていたので、日々の生活費からやりくりして月々返済していくのがいい、と解説してくれた。

一気に話した男性は、「こういうところに一度来ると、もっと深いところに行くことになる。だから二度と来ちゃダメだ。さぁ、帰んな」と言って、私の借入詳細や個人情報の用紙をその場でライターで燃やしてくれたのだ。

なんだかドラマを見ているようで、狐につままれたようにその事務所をあとにした。

彼は一体何者だったのか、今ではわからない。もしかしたら、トイチではなく、二番手と言われる消費者金融の回し者だったのかもしれない。とにかく彼の言われた通り、私は借り入れがあった消費者金融にまとめたい話をまずは持ちかけた。しかし、貸付額が大きなこともあり、そこではまとまらなかった。そこで、二番手の消費者金融を調べて、Sという消費者金融に相談を持ち掛けた。すると、100万まで貸し付けを行ってくれた。不足分は、生活費から補い、3社で借り入れしていた約120万円を一括返済した。

S社の利息も記憶だと28%以上あったので、まとめても返済は大変だったが、いろんなところに返済するストレスや重複する利息がない分、返済へのストレスやプレッシャーは驚くほどなくなっていった。

完全返済に6年。2行広告の男性のおかげ


その後、しばらくして無職の高等遊民のパートナーとも別れた。彼にかかっていた生活費を返済に回すこともできるようになった。うつ病だったこともあり、彼には借金があったことは最後まで秘密にしていた。仕事も安定し直したので、収入の多くを返済に回せた。

たぶんトイチだった2行広告の男性と会って6年後には、消費者金融、クレジットカードなどの返済をすべて完了することができた。返済が完了した日は、その男性に感謝しながら、一人でこっそりと祝杯をあげた。

あまりにみっともない話を披露してしまった。現在は、貸金業の限度額も厳しくなった。借入総額は、収入の3分の1まで、と決められているが、それでも抜け道はあるようで、借金に苦しんでいる人は後を絶たない。金融庁の「貸金業利用者に関する調査」(2017年調査)によると、3年以内の借入経験者で現在借入残高がある者のうち、借入残高が年収の1/3を超える人は21.1%もいるという。

当時はネットの情報もない時代、私は誰に相談したらいいのかわからなかった。現代は借金問題については気軽に相談でき、トイチの男性が私に教えてくれたように専門家が教えてくれることも多い。一人で抱え込まないことが大切なのだと思う。

現在、私はキャッシングはしていない。消費者金融のカードはすべて鋏を入れて捨てた。「ポイントが溜まりますよ」と百貨店で勧誘されても自分はカードがあると使いすぎる性格なので、作らない。他の依存症と同じだ。カードで使えるお金は、貯金と同じ感覚を持ってしまう。カードは私にとって麻薬と同じなのだ。借金があるときは、少しでも借り入れできるところがザイルのように見えるが、実は鋭いナイフで自分を傷つけてしまう。

しかし今、再び出版不況の世の中になり、仕事はますます厳しい状態だ。借金返済期間があったことで、現在の貯金額は薄い。だからこそ、新たに借りない、意地でも借りない。「こういうところには絶対来ちゃいけない」の約束だけは守り続けている。

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GPIF運用益「3カ月で5兆円の黒字」でもやっぱり気になること

2018年11月9日 09:19 現代ビジネス

(文・磯山 友幸)

株価上昇でGPIFも大幅黒字


国民の年金資産を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の第2四半期(7~9月期)の運用成績は、5兆4143億円の黒字となった。期間収益率は3.42%のプラスとなった。日本や米国など、世界的な株価上昇が保有資産の価値を押し上げたことが大きい。

GPIFは165兆円の運用資産を持つが、このうち国内株式と、外国株式にそれぞれ25%を投じ、資産の半分が株式運用になっている。7~9月期は国内株が2兆4230億円の黒字、外国株式が2兆8823億円の黒字だった。かつては日本国債での運用が圧倒的に大きかったが、安倍晋三内閣の方針もあって運用資産構成割合(ポートフォリオ)を見直し、株式に大きくシフトした。

第2次安倍内閣が発足した2012年12月末には全体の60.1%を国内債券で運用、日本株と外国株はそれぞれ12.9%だった。9月末段階で、国内債券での運用は25.26%にまで低下、過去最低の比率となっている。国内債券の運用は7~9月期の実績で、3365億円の赤字となっており、これまでのところ、株式シフトの効果が出ていると言える。ちなみに外国債券は4412億円の黒字だった。

9月末の日経平均株価は2万4120円04銭で、前の期の期末(6月末2万2270円39銭)に比べて8.3%も上昇した。米国株も史上最高値を更新するなど、株高に沸いた。

株価をつり上げているわけではないが


GPIFは「基本ポートフォリオ」として、それぞれの運用資産の割合を決めているが、日本株と外国株はそこで定めた25%に達している。国内株は上下9%、外国株は上下8%の乖離幅が認められていることから、理論的には国内株は34%まで買い進むことができるが、現実には運用資産の分母が増えない限り、新規に買い増すのは難しい情勢だ。

一時はGPIFの年金資金が日本株を市場で買い支えているとの見方があったが、もはや限界点に近づいている、とみて良さそうだ。

そんな中で10月以降、米国株の大幅な下落などを受けて、日経平均株価も軟調が続いている。10月初めには27年ぶりの高値である2万4270円62銭(10月2日終値)を付けたが、その後つるべ落としとなり、10月26日には一時、2万1000円台を割り込む場面もあった。

GPIFは長期運用を目的としており、相場の上下で大幅な売り買いをするわけではないものの、前述の通り、大幅に買い出動する余力には乏しいとみられる。

そこで注目されたのが日本銀行。金融緩和の一環として市場から国債などを買い入れて資金を供給しているが、ETF(上場投資信託)も買い入れ対象になっている。ETFは様々な企業の株式で構成されている。

これを10月に日銀は何と8700億円も買い入れたのである。もちろん単月の買い入れ額としては史上最大だ。結果的に日銀のETF買いが、相場を下支えする格好になっている。

誰が日本株を買っているかを示す投資主体別売買動向の週間データをみると、10月初めに高値を付ける過程では海外投資家が9月後半から3週連続で買い越していたが、その間、信託銀行が大きく売り越していた。

GPIFの資産を運用する投資顧問会社などが市場で売買する場合、信託銀行経由になる。このため、株価が上昇したタイミングで利益確定の売りを出した可能性もある。

その後の下落局面では、海外投資家が3週連続で売り越したのに対して、個人投資家と信託銀行が買い向かっていた。個人投資家の買い越しは4週連続で、今年1月から2月にかけて7週連続で買い越して以来の長さだ。個人投資家は景気の先行きに意外と強気だとみることもできそうだ。

公的年金が企業に物言う株主へ


年金のような長期の運用が求められる資産は、長期にわたる成長が見込める企業への投資が向いている。とくに、現状のようにゼロ金利時代となり、国債での運用が難しくなる中、海外の年金基金なども株式運用に大きなウエートを割くようになっている。そういう意味ではGPIFが債券中心から株式にシフトしたのは正しいだろう。

だが、問題は、日本企業が期待通りに成長を遂げ、株価の上昇をもたらすかどうかだ。安倍晋三首相はアベノミクスの実行と共に、「経済好循環」を掲げている。その好循環が始まる「原資」は企業に稼ぎを増やさせる事で生み出される。

大胆な金融緩和で円高が修正され、大幅に収益を改善させた企業が多い。政府はさらに法人税減税を進めたこともあり、過去最高益を更新する企業も少なくない。

ところが、一方で、その収益が「利益剰余金」として内部留保に回り、設備や人になかなか再投資されていない。

安倍内閣はコーポレートガバナンスの強化も進め、経営者への圧力を強めるために社外取締役の導入を実質的に義務付けた。本来はそうした効果で、株主資本に対する利益率(ROE)が向上し、その結果、株価が上昇するというシナリオを描いた。

確かに、ひと昔まえ比べれば、コーポレートガバナンスは改善されたようにみえるが、日本企業の収益性改革はまだまだだ。GPIFが長期にわたって株式を保有する「長期投資」を考えるならば、企業の収益性改善に向けて、株主としてもっと厳しく経営者に圧力をかける「モノ言う株主」に変わっていくことが不可欠だろう。

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100歳まで幸せに生きるために「受けない方がいいかもしれない手術」

2018年11月9日 09:16 現代ビジネス

(文・週刊現代)

腰痛は手術ではほぼ治らない


医療の進歩とともに気軽に受けられるようになった手術の数々。しかし、軽い気持ちで受けた結果、「しなければよかった」「症状が悪化した」という例は後をたたない。

せっかく手術をしたところで、それが原因で歩けなくなったり、食べられなくなったりしてしまえば、元も子もない。医療経済ジャーナリストの室井一辰氏が語る。

「'12年から、米国内科専門医認定機構(ABIM)財団が、米国の医学界を巻き込んで始めた全米キャンペーンに『チュージング・ワイズリー』というものがあります。

直訳すれば、『賢く選ぶ』。診断、治療、予防における多くの選択肢から意味のあるものを選び、無駄な医療を減らそうというものです。特徴は医師たちが自ら必要でない医療を特定していることです」

なかでも「やるべきでない手術」としてまず挙げられるのが腰痛だ。手術をした結果、むしろ、症状が悪化することもままあるのだ。

「チュージング・ワイズリーでは、腰痛への医療行為は慎重にすべきだというのが共通認識になっています。いわんや手術をやです。

実際に手術をしても痛みが治まらず、結局、歩けない、座っていても辛いということになるケースもあります。脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアの手術がその代表です」(室井氏)

そもそも腰痛は、手術をしたところであまり効果が期待できないと語るのは加茂整形外科医院院長の加茂淳氏だ。

「『神経が圧迫を受けているために痛みやしびれが生じる』という考え方自体が間違っています。現代医学では、そのような慢性の痛みは、中枢性の痛覚過敏だと言われています」

痛覚過敏はたとえるなら、火災報知器の故障のようなもの。火災報知器が過敏になってしまって、タバコに火を点けただけで火災報知器が鳴ってしまう。痛覚がそのような状態になったときに、慢性痛が起こるのだ。

「ところが、痛みがあって、整形外科に行くと、レントゲンやMRIを撮られてしまいます。

60代、70代の高齢者がMRIを撮れば、痛みがなく、健康な人でも、60~70%は脊柱管が狭くなっていますし、同程度の人がヘルニアだと言われています。それで無駄な手術を受けさせられ、症状が悪化してしまうのです」(加茂氏)

さらに恐ろしいのは予後がよくないために手術を重ねることだ。

「2回手術をやった人は全身に激しい痛みが生じる線維筋痛症の症状が出ることがあります。手術をすればするほど痛覚が過敏になり、痛みの範囲が広がっていくことがあるのです。

火事でたとえるならば、最初は一部屋だけのボヤだったのが、火が全体に広がって大火事になってしまうイメージです」(加茂氏)

膝の手術で血管が詰まる


腰痛同様に、年齢とともに増えてくるのが変形性膝関節症、いわゆる膝痛だ。しかし、この手術にも注意が必要だ。

「70代の女性が人工膝関節の置換術をした結果、椎体(背骨)骨折を起こしたケースがあります。人工関節手術によって膝の痛みがなくなり、いきなり動けるようになったため、背骨が持ちこたえられなくなり、いっきに6ヵ所も骨折してしまった。

高齢者の場合、骨粗鬆症によって骨がもろくなっているため、手術によって特定の箇所の痛みがとれたとしても、ほかの部分に無理がかかってしまい、このようなことが起こるのです」(前出・室井氏)

人工関節の耐用年数にも問題があると語るのは清泉クリニック整形外科 東京・五反田院長の鈴木誠也氏だ。

「人工関節は20~30年もつと言われています。人生100年時代と言われる現在、60歳で人工関節を入れると、100歳まで40年。

するとそこまでもたず、再手術の必要が出てくる。では80歳近くで換えればいいかといえば、今度は手術に耐えるだけの体力がないケースがほとんどなのです」

関節リウマチでもやはり「人工関節の手術はやめたほうがいい」という。

「人工膝関節を入れると、静脈血栓塞栓症(足にできた血栓がもとで肺の血管が詰まる)になるリスクが高まります。そのため、抗凝固薬を一生、飲み続けなければならず、かなりの負担になるでしょう」(前出・室井氏)

腕が上がらなくなる五十肩(肩関節周囲炎)は辛い。だが、いくら痛いからといって、医者が勧めるままに手術するのは危ない。

「五十肩はそもそもの原因がわかっていない病気です。骨を削る手術をするのですが、根本的な治療にはなりません。肩だけでなく、首やその周りの筋肉など様々な要因が複雑に絡み合って痛みが出ているので、一部だけ手術をしても効果が薄い。

特に60歳以上の方は、わざわざ体に負担のかかる手術より、ストレッチや入浴をして患部を温めるなど、保存療法のほうが良いでしょう」(室井氏)

目が見えなくなってしまえば、もちろん歩くことはおろか、外出も難しくなってくる。眼のレンズにあたる水晶体が白く濁り、ものが多重に見えたり、ぼやけて見えたりする白内障。

70歳以上の90%が罹患していると言われており、手術による治療はいまや一般的なものになっている。しかし、メスを入れる以上、そこには危険が伴う。

「研修病院での初心者の手術には特に注意が必要です。リスクとしてもっとも考えられるのが、水晶体を取り除き、人工レンズを入れるときに、レンズを支える水晶体の後ろの膜が破れ、眼球の中の硝子体が流れ出してしまうこと。

最悪、失明することもありえます。上級者なら比較的安全な手術ですが、施設によっては、万が一のリスクは認識しておいたほうがいいでしょう」(深作眼科院長・深作秀春氏)

さらに白内障の手術はより重い病気の原因となることもある。

「白内障手術を受けた眼の加齢黄斑変性の発症率は1.7~3.8倍に増加することがわかっています。

白内障手術時の顕微鏡による光障害、白内障を除去したことによる青色光障害などが原因として考えられます。対策としては、光対策をした眼内レンズや外出時のサングラスが有効です」(深作氏)

加齢黄斑変性とは、眼の網膜にある黄斑(明るいところでの視力や色の識別を行う細胞が集まっている部分)に異常が現れる病気で、視野の中心部分が暗くなる、あるいは中心が歪んで見えるのが特徴だ。

欧米では成人の失明原因の1位になっている病気で、日本ではこれまで診断ができず、あまり認識されていなかったが、近年診断患者数が急増しており、失明原因の4位になっている。

またこの加齢黄斑変性のPDT(光線光療法)手術は完治が期待できないわりにリスクが伴う。

「強い出力のレーザー光線で病変だけを凝固し破壊するはずが、正常細胞も障害されることが多く、著しい視力低下につながり、世界的にも行われなくなりつつあります」(深作氏)

さらに白内障より手術の難易度が高いのが緑内障手術だ。

「緑内障は、眼球の眼圧が高まり視神経を圧迫することで視野障害が起こると考えられています。薬で正常眼圧となっても視野障害が進行すれば、早急に手術が必要です。

ただし手術は非常に繊細なので、数万例以上の経験のある上級眼科外科医に依頼すべきです」(深作氏)

扁桃腺切除で味覚障害に


手術をしてもその後、充実した生活を送れなければ、受ける意味がない。特に食の楽しみを奪われることは大変な苦痛を伴う。物を食べるときに顎が痛くなったり、口が開かなくなったりする症状が出る顎関節症は、手術が必要なのか。

「手術で顎関節症が治ったというエビデンスはありません。体全体のバランスが崩れている場合が多く、手術で噛み合わせを治したとしても、完治は難しい。

それだったら、痛みが出ない程度に顎の体操をしたりして、うまく付き合っていくほうがいいでしょう」(前出・室井氏)

都内に住む高田道子さん(71歳・仮名)は扁桃腺肥大の手術により味覚に障害が残った。

「2年前、年に4回くらい39℃超えの熱が出て、喉の痛みが尋常ではありませんでした。その後も微熱が1ヵ月以上続きました。病院へ行くと扁桃腺が腫れているとのことでした。

一番大きな口蓋扁桃を取れば、扁桃全体も腫れにくくなるという医師の勧めもあって、年齢的にはちょっと遅いですが、この機会にと思い、手術を受けました」

しかし、高田さんは術後に食事をすると味覚がおかしくなっていることに気づいた。

「甘いものが苦く感じられるのです。医者には数週間で治ると言われていましたが、治らずに現在に至っています。ケーキを食べてもまるで美味しくない。こんなことなら手術を受けなければよかったと今でも後悔しています」

なぜこのようなことになってしまったのか。

「扁桃腺切除の手術は、口を広げないと手術ができないため、機械で口を開けるのですが、そのときに舌を強い力で圧迫するため、味覚障害が起こることがあるのです」(神鋼記念病院耳鼻咽喉科科長・浦長瀬昌宏氏)

日本人の40%が持っていると言われるアレルギー性鼻炎も、手術を勧められたからといって安易に受けると、より症状が悪化する場合がある。

レーザーで鼻の粘膜を削り取り、空気の通り道を広げるのだが、逆に通り道が大きくなりすぎて、息がしづらくなることもある。ストローと同じで広がりすぎると、息を吸うことに、より力が必要になるのだ。

不整脈のためペースメーカーを入れるなど、一見簡単な手術にも注意が必要だ。

「ペースメーカーは胸の筋肉の裏に装着するので、炎症を起こしたり、感染症を起こしたりするリスクも考えられます。脈拍低下による失神やふらつきなどの症状がなければ装着する必要はありません」(前出・室井氏)

いくら手軽に見える手術でも、それによって歩けなくなったり、見えなくなったり、食べられなくなったりすることは十分にありうるのだ。手術を受ける際には「この手術は本当に必要なのか?」と一度立ち止まってしっかり考えてほしい。

「週刊現代」2018年11月3日号より

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「左翼的に感じられるもの」を責める、その風潮はいつ生まれたのか

2018年11月9日 09:12 現代ビジネス

(文・堀井 憲一郎)

「左翼的に感じられる」ものをなんとなく責める


シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリストについての批難をインターネットで見かける。

文句を言っているポイントはいろいろである。つまりわかりやすい瑕疵があって、そこを責めてるわけではない。「なんとなくこの人の雰囲気が嫌いだ」という気分で責めているようにおもう。

それは「左翼的に感じられる」部分に集中しているようだ。

日本政府と対立し(現地を取材する戦場ジャーナリストであるかぎりは対立せざるをえないようだが)、そしてその態度に誇りをもっているような振る舞いが、それがインターネットで嫌われているように見える。

ポイントは政府に対立する行動に「誇りを持っている」というところだとおもう。
「左翼的行動をしていて、それについて語るときに偉そうである」ということもできる。その部分に対して、生理的に拒否しているのだ。
 
2010年代は、地道な反政府活動をする人たちと、それをとにかく批判する人たちがみごとに分かれていった時代でもあった。持ち歩けるインターネット情報「スマホ」の普及によって、いろんな人が軽い議論に加われるようになり、極端化していった。

2010年代のそういう対立のもとには、2009年からの民主党政権の成立があったようにおもう。

民主党政権は左翼政権などではなかったが、でも「反自民」ではあった(反自民でしかなかったのだが)。「反自民」を単純化すれば、「反権力」となる。左翼思想が好きな人たちも吸い寄せられる看板である。

自民党の支持者ながらいちど「お灸を据える」つもりの人から、なんとなくそのときの空気がいやになっていた人たち、そして市民活動好きの反権力の人までが混じって、民主党政権が生まれていた。

あの、2009年の奇妙な情熱と、そのあとの落胆ぶりが、「左翼活動を自慢げにやっている人たちへの強い拒否反応」のおおもとにあるような気がする。

2009年夏の盛り上がりが、その後の奇妙な対立のもとになっているのではないだろうか。

政権交代を生んだ「空気」


2009年の政権交代が起こる直前、日本社会はとても奇妙な雰囲気になっていた。

前年2008年に福田康夫政権から、麻生太郎政権へと代わり、自民党の人気はどんどんと落ちていった。

背景としていえば、小泉純一郎政権が進めてきた政策のツケがまわってきた、というところだったのだろう。自分のことは自分でやれ、力なきものは去れ、という方向で進められていった改革は、かけ声勇ましく、そのぶん社会の空気が変わり、小泉が退いてからのち、なんだか息苦しくなっていった。

いったい何をやっているんだろう、とおもっているころに、「リーマンショック」に襲われ、社会がぐらぐらしているように感じだした。

麻生太郎は、その政治的な資質や才能とはべつに、「ふつうに喋っているだけで、ちょっといらっとさせる」という部分が目立つ政治家である。明治大正のころの貴族院議員だったらそれでもよかったのだが、21世紀の総理大臣としてはなかなか厳しい。

“よくわからないが何だか窮屈な感じがする”という世相では、不平不満をぶつけるには格好の標的となってしまった。みるみる人気を落としていく。漢字の読み間違いをしきりに指摘され、それで信頼を失っていったような感がある。大衆社会とはそういうものなのだろう。漢字の読み間違いからの政権交代のようであった(もちろんそんなわけはない)。

異様な熱気に支配された夏


2009年夏は、総選挙が行われることになって、奇妙な盛り上がりを見せ始めた。(8月30日が投票日)。

解散前から、次の選挙では野党の民主党が勝って、政権交代が起こりそうである、と予想されていた。自民党政権の不人気のなせるわざである。とりたてて決定的な失策があったわけではない。ただ、小泉純一郎のあとは、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と、一年ごとに総理が入れ替わり、それにはうんざりしていた。

だからこんどはべつに政権交代でいいんじゃないか、というくらいの軽い気持ちと大きな飛躍があったようにおもう。私にはとても違和感があった。

いろんなことが気分で決まるのはしかたがないが、政権交代さえも気分で決まるのか、とそこは衝撃的だった。

政権交代なんかやっても無駄が多いのではないか、というのが、その当時のわたしの疑念であった。同じことを考えていた人もいたとおもうのだが、あまり聞いた覚えがない。それほど政権交代への期待は高く、みんなで一心となって、その日を待ち構えている気配で満ち満ちていた。

みんなは楽しそうだったが、その流れに乗れないと、違和感しか感じられない。おれは日本人ではないのか、とおもわせるような空気だった。何か言っても誰にも聞いてもらえないような状況になっていって、ちょっと怖かった。

もともと自民党員だった人たちが中心にいる政党にあまり期待できなくないか、と聞いたとしても、「まあ、とにかく一回、民主党にやらせてみようじゃないか」という返事しか返ってこない。

「とにかく一回、やらせてみよう」というのが2009年夏の日本人の合い言葉になっていた。

なんか変だとおもったけど、変だとおもってるほうが圧倒的少数なので、客観的にみれば変なのはこっちだったのだろう。

空気が上向きだった。無意味な明るさに満ちていた。まったく自分がそういう気分になれず、でもまわりがひたすら明るいと、ぞわっと怖くなってくる。

昭和16年の日本の風景を連想してしまった。

いや、あとからそんなことを言って申し訳ないのだけれど、でも2009年当時、ほんとにそういう連想をしていたのだ。ああ、日本全体がこういう空気になっているときには、何を言ってもどんなことをしても、ほんとに絶対に流れが変わることはないのだ、と痛感した。ただただ、強い無力しか感じられない。

明るく上向きな空気が、つまり政権交代すれば、何かが変わってそれは良い未来につながっているのだ、という空気が、明るいぶん逆にとても怖かった。

みんなでこっちだ、と浮かれて動いてるのは、行く先が見えているようでいて、いきあたりばったりである。でも全員でこっちがいい、と決められて動き出したら、その中で別の方向に行きたいとおもっても絶対に無理なのである。満員電車でおりようとおもっても逆に押されておりられないようなもので、その無力感が半端ではない。行きたくない方向でも全体が動くのだから、抜けられない。身体的に怖い。

あの2009年の夏の、その、底冷えするような一人だけの怖さは忘れないようにしているが、あまりその怖さを共有してくれる人がいない。

マスコミも浮き足立っていた


あらためて2009年の夏の新聞を見てみた。

なんだか白い夏、というような空気がよみがえってくる。酒井法子が行方不明になり、ウサインボルトが100メートルを9秒56で走った夏でもあった。大原麗子と金大中が死んでいた。

新聞では、あらたな時代、いい時代がくると信じているような紙面が続く。

これまで日本は一党政治だったのだが、これで、アメリカやイギリスような二大政党政治が始められるのだ、ということでマスコミはとても嬉しそうだ。

「2009年体制の幕開け」「政権交代を常態に」という文言が躍っている。いまみても、新聞の見出しが躍ってるように見える。

「2009年体制」というのは「1955年体制」に代わる新しい体制が、この夏から始まるのだ、という意気込みで名付けられたのだろう。

その歴史的瞬間を報道する、という意気込みが強く、また、その政権交代は、われわれマスコミが主導してもたらしているのだ、という自負が見てとれる。みごとに胡散臭い。

マニフェストについても、ずいぶん期待を込めて語られている。

公約を掲げ、それを実現する。

そういう政党、政治家を評価しよう、それを基準に投票をしよう。

言ってることは正しい。間違っていない。そのぶん、頭の中で考えられた正しいこと、という匂いが消えない。

事前に作業を計画し、それを実行していく、というのは政治ではなく経営の思想ではないかと私などはおもうのだが、あまりそういうことは気にされない。

いい世界を作ろうという理想的意志が強く先行している。現実がそれについてこないと、現実のほうが遅れていると判断しているようだった。なんだか懐かしい思想のような気がした。

1970年の再来


自民党でないなら、何でもいい、というのは、ほとんど感情でしかない。

何だかいけすかない権力者が倒れるのを見てみたいという、観客の心理である。その気持ちはわかるが、その感情が満たされるのは、倒れるときだけである。野のあったものが権力を握ると、やがて権力者がましい振る舞いを見せるしかない。そこで権力者ぶらないほうが多くの人を困らせてしまう。

観客は、新権力者にほんのしばらくだけ併走して、やがてすぐに、その「権力者ぶり」がいやになって、ふたたび批難することになる。それがおもしろいからやってると言われればそれまでだが、多くのことを巻き込みすぎる。

理想的な政治体制が日本でも展開できそうなのがうれしい「理想好きの人たち」と、悪代官がやっつけられるのを見たいという単純な「破壊衝動」を持っている人たちと、それに巻き込まれた多くの人たちによって、政権交代が実現していった。

この夏、これは1970年ころ、ほぼ挫折していった学生運動の理念が、ふたたび世を覆っているのではないか、というおもいにとらわれた。

1968年に盛り上がり、1972年ごろから沈静化していったあの思念が、ふたたび人々に取り憑いてしまったのではないか、そういうふうに私には見えた。

1968年に20歳だった青年は、1948年に生まれ、2009年には61歳になっていた。いまどきの61歳は老人ではない。まだまだ若い(つもりでいる)。

その人たちの奇妙な思念が、国民全体に行き渡ったのではないか、とちょっとおもった。

深く考えず、とりあえず何かが変わったら闘争勝利である、という感覚は21歳の青年が持っているぶんにはかまわないが、61歳の大人が持っていてもらっても(それが多数になってしまうと)困る。

2009年からの民主党政権の困った感じは、この「理想に満ちているが、運営力が劣る学生運動気分」ととても似ているとおもっていた。

1970年の思念による不思議な国家経営に見えた。そんなことは、私はあまりやらないほうがいいとおもっている。

そのあと2010年代は、いくつかの運動や、さまざまな選挙で、「1970年の思念」が噴出しているかのように見える。

そのひとつの動きが「左翼的な行動をする者たちへの留保のない批判」である。

しかも信念を持ってやっている人たちがやり玉にあがる。つまり自信を持って行動している人、誇りを持ってる人を本能的に嫌うのだ。「えらそうだから」というのが大きな理由だとおもう。反権力なのに偉そうなのは、徹底的に忌避されだした。

我が身をなげうって戦場を取材する、というのは、たしかに1970年ごろは若者の憧れのひとつであった。その思念を抱き、そのまま2010年代を生きる人たちは、その雰囲気だけで叩かれてしまう。1970年と2009年の熱狂を、直感的に嫌がる人たちが可視化されるようになったからだろう。

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きゃりーぱみゅぱみゅ育てた社長の「自分の“いい”を突き詰める」美学

2018年11月9日 09:08 現代ビジネス

(文・大竹 慎太郎,中川 悠介)

新卒で入ったサイバーエージェントで、半年ものあいだ営業成績が圧倒的ビリだったところから一転……、新人賞や全社MVPを獲得し、起業したベンチャー企業を半年で70人に、3年で180人規模にまで育てたトライフォートCEO大竹慎太郎氏の著書『起業3年目までの教科書』の発売を記念して、大竹氏のかねてからの友人である(*) 中川悠介氏(アソビシステム株式会社/代表取締役)との起業家対談をお届けします。
(*) 大竹氏と中川氏は共に、同年代のエンタメやIT経営者の集まりである「麒麟児会」のメンバーである。 

(取材・文:編集集団WawW! Publishing乙丸益伸)

昔の原宿GAP前で一日中友だちとダベっていた


大竹:今日は、原宿系という“カルチャー”を現実に生み出してしまったという稀有な経験をしているあーみー君(中川悠介氏のこと)に、「どういう決断を下し続ければ、文化を生み出すところまでいけるのか?」という話についてうかがっていきたいと思います。

中川:はい、よろしくお願いします!

大竹:あーみー君の話で言えば、もう学生の頃からすでに原宿を起点に動いていたというのが面白いなと思ったんだけど、その当時から原宿を拠点に活動していたのはなんでだったの?

中川:最初は高校の同級生に美容学校や服飾系の学校にいった友だちが多くて、自然と原宿に足が向いていたという感じでした。それで、高校・大学時代にずっと、以前GAPがあった場所に座って、1日中ただ入れ替わり立ち替わり通りすがる友だちと、延々下らないことをダベってたっていうのが僕の原宿の原点ですね。

大竹:へー、遊びの拠点がそもそも原宿だったんだ。昔のGAP前って言うと神宮前交差点のことだよね?

中川:そうですね。交差点に座ってずっと友だちたちとしゃべっていると、気づけば、原宿を歩いている人全員が友だちじゃないかと思うぐらいの状態になっていました(笑)

最初に仲間と集まれる場所を作った


大竹:歩いてる奴、全員友だち(笑)そんな中でじゃあ、なにゆえ色々なイベントを開くようになっていったの?

中川:そもそも僕は一人でいることが嫌いで、みんなと常にワイワイやっていたいほうだったんですね。それで、この仲間たちと何か一緒にやりたいなって思うようになっていきました。そこで何がやれるかなって考えていくと、美容系の学校や服飾系の学校に通っていた仲間が多かったので、必然的にヘアショーやファッションショーを開いていったという流れですね。

大竹:そこから、あーみー君の仕事の中で最初に大きくなった「美容師ナイト」につながっていくんだ?

中川:美容師ナイトっていうのは、月曜の深夜に美容師さんたちがお客さんとしても演者としても中心としてやっていたクラブイベントですね。

大竹:それはどういう経緯ではじまっていったの?

中川:これも結局、「美容師の友だちたちと集まれる場所があると面白いよね」っていう想いが先にありました。それを実現させるには何ができるかを考えた結果、火曜が休みの美容師さんたちが出てこれる月曜の夜に開く「美容師ナイト」が生まれていったという流れですね。

大竹:なるほどなー。みんなとワイワイ楽しむための場所を持ちたいっていう発想から、そういうイベントが生まれて、最終的に1000人もの人を集客できるまでになっていったと。

中川:そうこうしているうちに、イベントでモデルさんとも多く知り合うようになっていって。そういう子たちのマネジメントと、色々なイベントをやる会社にしようと2007年に起ち上げたのがアソビシステム(中川氏の会社)です。

中田ヤスタカ、きゃりーぱみゅぱみゅとの出会い


大竹:アソビシステムを作る前に中田ヤスタカさんと出会っていると思うんだけど、中田さんとはどこで出会ったの?

中川:当時のそういうイベントの中で中田君がDJもやっているCAPSULE(*1)の曲がよく流れていたんですよね。それでたまたまクラブで遊んでいた時に偶然中田君に出会ったのが最初です。でもはじめはそれが中田君だとは知らなくて、美容師さんかなって思いながら話していました(笑)
(*1)CAPSULEとは、音楽プロデューサーの中田ヤスタカと、ボーカルのこしじまとしこによる音楽ユニットのこと

大竹:美容師さんだと思ってたら中田ヤスタカだったって、それはまたすごい話だ(笑)

中川:それで「えー、君があの中田君なの!?」みたいになって、すぐに意気投合して。プライベートでもよく遊ぶようになっていって、その後、美容師ナイトも一緒にやっていったという感じでしたね。

大竹:なるほどなー。中田さんに会いに行ったっていう感じではなくて、偶然出会って、二人の感性があったからくっついたっていう感じなんだ。そうすると
きゃりーぱみゅぱみゅさんとはどうやって出会ったの?

中川:2010年にやってた「原宿スタイルコレクション」というファッションイベントに、高校3年生だったきゃりーが出演していて出会ったのが最初ですね。

大竹:はじめはどういう印象だった?

中川:見た目は当時からほぼあんな感じだったのに(笑)、すごく真面目な子だなっていうのと、後は自分の芯をすごく持っているなっていうのを感じましたね。嫌なことはちゃんと嫌だって言えて、いいものはいいって言える。そしてちゃんと挨拶もできるみたいな。

大竹:ほほー。

中川:当時はいち読者モデルのような存在にすぎなかったんですけど、話を聞いてみると、PerfumeやCAPSULEがすごく好きだと言っていて。その年でAKB48じゃなくそこに注目しているんだっていう驚きもありました。

大竹:へー、元々中田さんの世界観が好きだったんだ!

中川:それでファッションも独特ですごくいいし、素の顔もかわいいし、これはなんか人気が出るんじゃないかって思っていましたね。

大竹:なるほどなー。見た目もすでに出来上がっていたし、楽曲の好みもすでに現在の形に近いものだったっていうことだ。

中川:それで「DJやってみない?」って声をかけて、中田くんが主催している「TAKENOKO!!!」(*2)っていうイベントに出たのがきっかけで、きゃりーがうちに所属することになったという流れですね。
(*2)「TAKENOKO!!!」とは、昼の14時にはじまって19時に終わる未成年の人も入れるお酒もタバコも出さないクラブイベントのこと。

大竹:えっ、最初はDJだったんだ!

中川:きゃりーも「えー、できますかね?」って感じだったのですが、僕らが「できるよ、できる!」って押していった感じでした(笑)

きゃりーぱみゅぱみゅはアイドルではない?


大竹:それで中田さんときゃりーさんをくっつけたのはどういう意図からだったの?

中川:元々きゃりーは中田くんにやってもらうと決めていました。それで中田君とは前々から「原宿のアイコンっていないよね」っていう話をしていたんですが、きゃりーは原宿のアイドルではなく、アイコンになりえると思ったんです。

大竹:ほうほう、アイドルではなくアイコン?

中川:アイドルっていうのは、元々その子の中にあったアイデンティティとか個性をそのまま伸ばしていくというよりも、応援されて成長していったり、その過程を見せていくことで、作り込んでいくようなものだと思っているんですけど。

大竹:はいはいはい。アイドルとはある種、計算して作り込んでいくものだと。

中川:一方、アイコンっていうのは、元々「アイコンというのはこういうものだ」っていう基準も何もない中で、最初にそのタレントさんの個性やオリジナリティがあるものです。
そこを起点として、例えばきゃりーの場合で言えば、中田ヤスタカとか増田セバスチャンとかPV監督とか、色んなスタイリスト、スタッフ達と一緒に、きゃりーのオリジナリティとか個性を引っ張り合って作りだしていくという感覚なんです。

大竹:プロデューサーが頭ごなしに色々な方針を決めてその方向に向かってゴリ押しでやっていくというものではなくて、タレントさんの個性が先にあって、それを皆が一緒に作り出して、引っ張りながら広めていくものがアイコン?

中川:そうですね。最初に自分たちの“いい”という感性が先にあって、そこから自然発生的に生み出していくものですから、そこにはオリジナリティしかなくて。その個性をかわいいとかかっこいいとか、“いい”って共感してくれる人の数が増える過程でアイコンになっていき、それが後にカルチャーにまで発展していくというイメージですよね。

個人的な“いい“という想いが世界を変える


大竹:なるほどなー。今までのあーみー君の話を聞くに、そこに共通しているのは全部、マーケティングとか市場調査とかではなく、極めて個人の感覚的な“いい”と思う部分からすべてを始めているところという感じがするよね。

中川:その意味で言うと僕は何事も感覚的じゃないと上手くいかないと思っていますね。マーケティングとか市場調査っていうのもあまり好きじゃなくて。だってそういうもので当てられるんだったら、誰もがすべてを当てられるってことになるじゃないですか。

大竹:でも現実にはまったくそんなことにはなっていない、と。

中川:だとしたら逆に、色々考えすぎるんじゃなくて、自然に自分たちが“いい”と思ったことをやっていって、それを広めていくっていう発想のほうが重要な気がしますね。その“いい”が伝播して、共感の輪が自然と大きくなったものがカルチャーそのものですから。
結局自分たちが“いい”と思ったものを市場が受け入れてくれるかどうかは、あくまで結果にしかすぎないものです。だったら僕らにできることは「自分たちが“いい”と思うもの」を突き詰めていくしかないという考え方です。

マネジメントの本質はどこでも変わらない


中川:大竹さんも『起業3年目までの教科書』の中で「盤石な組織カルチャーを構築する方法」を書かれていますが、180人をマネジメントしていくのは大変でしょう?

大竹:その話で言うと、今日のあーみー君の話を聞いて、会社の組織を作っていくというのも、現実のカルチャーを生み出していくのも、基本的な原理というのは共通しているんだなというのをすごく感じました。
みんなが生き生きと働いてくれる会社を作っていくのに最初に大切なのは、「会社のビジョン」であって、そのビジョンって結局は、経営陣の個人的な“想い”に過ぎないもので。それはあーみー君が今まで“いい“と、まことに個人的な感性で思ったものを広めていったのとまったく同じですよね。

中川:確かにそうですね。

大竹:企業の場合は、その想いに“共感してくれる人”を雇っていくことで、強固な組織カルチャーを生み出していき、そこで生み出したカルチャーというものが、その組織を動かしていく大きな原動力になるものです。その共通点は、すごく興味深いと思いました。
それともうひとつ思ったのは、アソビシステムのスケール(拡大)の過程って、本の中で紹介したZOZOTOWNのスケールの過程にすごく似ているんですよね。

中川:ほお?

大竹:ZOZOTOWNというか、創業経営者の前澤友作さんも最初はバンドマンだったんですけど、通販事業のはじまりは、そのお客さんたちに自分たちが“いい”と思っていたレコードとかCDのコレクションを売っていくものだったんですね。その事業がたったの1ヶ月で何百万円という規模にのぼった。
そこでキャッシュフローに余力ができた時に、次の事業として「前澤さん自身が好きな服を好きな形で売りたい」と思って始めたアパレル通販事業が、ZOZOTOWNの原型なんです。

中川:前澤さんの極めて個人的な“いい“という想いが後に、時価総額1.5兆円超えを可能にしたと。

大竹:なので本の中では、世界を一変させたWindows95も、当時米マイクロソフト本社にいたある日本人技術者の「こういうOSが欲しい」っていうまことに個人的な想いから生み出されたものだったという話をしています。
その話にも共通するのですが、読者の皆さんには、何かの決断をする場面では、市場調査やマーケティングも大切だけど、それ以前に、自分の“いい”という想いを大切にして、物事の決断をはじめていっていただければと思いました。

中川:Windows95もそうやって、しかも日本人の手によって開発されたっていうのは面白い話ですね。実際きゃりーのチームにしても、自分たちが“いい”と思うものを出し合って、皆で引っ張り合って作り出している感じなので。
どの分野にしても、どの仕事をとっても、まずは自分自身が何を“いい”と思っているかを突き詰めないと、人に“いい”と思ってもらえるはずはなくて、そうしないと大きく当てていくのも望むべくもないことですもんね。

大竹:いやー、今日は僕自身にとっても大きな学びがありました。他の起業家の人の創業物語を知るのってやっぱり、異常なほど示唆に富んでいる!

中川:ありがとうございます。そう言っていただけるとありがたいです(笑)

大竹:本の中には、僕の話はもちろんのこと、僕の古巣であるサイバーエージェントの藤田晋さんをはじめ、堀江貴文さんのライブドアや、ZOZOTOWN、ユニクロ、電通、一風堂などの創業物語も詳しく書いているので、その辺の話も楽しみに読んでいただければありがたいです。

中川:他の起業家の方の創業物語って、本当に学びが大きいですよね。(スマホで『起業3年目までの教科書』のアマゾンのレビューページを開きながら)おー、レビューにも「藤田晋、堀江貴文といったIT起業家二大巨頭の著作からの引用で、自身の論説を補強しつつ、その中でもオリジナリティを展開し、先達から学び成功することの重要性について語っている」って書いてありますよ!

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早稲田大学「医学部構想」がついに動き出す! 新カリスマ学長が本気

2018年11月7日 16:01 現代ビジネス

(文・マネー現代編集部)

すでに「稲門医師会」が設立


早稲田大学の人気が高まっている。リクルートが7月に発表した高校生の「志願したい大学」ランキングで、早稲田大学が関東エリアで並み居るライバルを抑えて2年連続トップに輝いた。

特に、大学イメージでは「教育方針やカリキュラムが魅力的」と難関国立大をも凌駕して1位。ある予備校幹部は「時代に沿った改革を矢継ぎ早に打ち出し、そのフットワークの良さが高校生に好感を持たれているのでは」と分析する。

早大にとって、悪い話ではないが、大学の真の実力が問われるのは、潤沢な財政力を基盤に優秀な教員をそろえることで、志の高い学生の能力を十分引き出して伸ばす「好循環サイクル」をいかに形成できるかにかかっている。

その起爆剤となり得るプランがいま、大学関係者の間でひそかに話題になっている。11月5日に新総長に就任した田中愛治氏が掲げる「医学部新設構想」がそれだ。

私立トップクラスの総合大学の座にありながら、早大に唯一欠けていたのが医学部である。早大OBは言う。

「大学ブランドの向上と財政基盤強化のためには、のどから手が出るほど作りたい学部。まさに早大の悲願だ。医学部ができれば文字通り鬼に金棒で、医学部を持つ慶應義塾大学に引け目を持たなくて済むようになる」

実際、16年には早大出身の医師ら約130人による「稲門医師会」の設立総会が開かれ、医学部新設への機運が高まっており、田中新体制を後押しする。

6月の総長選で本命候補を倒した田中氏が医学部構想を掲げたのは、総長選で使用したマニフェスト「世界で輝くWASEDA」。その中身は研究・貢献・教育の3本柱で構成されるが、とりわけ重視したのが外部資金獲得のための体制再構築である。

医学部が生み出す「莫大な寄付金」


教育環境の整備で欠かせないのは資金力であることは論を待たない。

実はこの点こそが早稲田の最大の弱点になっており、早稲田で長年教壇に立ってきた田中氏が真っ先に課題として挙げたのも無理はない。

実際、早大への寄付金は年30~40億円にのぼり、20年前の数億円から格段に良くなっているというが、慶応大や日大より少ないのが現状だ。寄付金調達に焦りがあるものの、08年のリーマン・ショックで多くの大学が火傷を負ったハイリスク・ハイリターンの金融商品に手を出すことはしない。

そこで切り札のひとつとして注目されるのが、欧米の大学で成功例が散見される「ファンドレイジング」を積極活用する方針である。仕組みは、大学と契約したファンドレイザーが海外の篤志家らから資金を調達し、その一定割合を報酬として支給するというもの。成功すれば、報酬が学長の年収を超えるケースもありえる。

それとともに期待されるのが、「医学部設置」なのだ。

なぜなら、医学部に入学する富裕層家庭からの寄付金は文系学生のそれとはケタ違いである。

実際、ライバルの慶応大の寄付金は年85億円程度に上り、早大の倍以上。

慶応関係者は「医学生の実家は大半が医者で、特に幼稚舎から上がってくる医学生の実家は半端ない金持ちが多い。そこから拠出される資金が慶応の財政力の一翼を担っている」と打ち明ける。

寄付金調達力が高いのは、なにも慶応だけの話ではない。

寄付金が多い私立大法人上位20のうち、医科大か医学部を持つ法人は13に上り、早大がそれだけ医学部にこだわる理由もここにある。

医学部新設の切り札――その名も「吸収合併作戦」

そんな寄付金増額が見込まれる医学部だが、医師の飽和状態が続く現状では新設は極めて困難とされている。81年に琉球大学医学部が最後に開学されて以降、門戸は事実上閉ざされているのが現状である。

11年の東日本大震災に伴う東北での医師不足への危機感から、地元医師会の猛反対を受けながら16年4月、東北医科薬科大に医学部が開設され、17年4月には国家戦略特区を活用した国際医療福祉大に医学部が設置されたが、いずれも例外措置。国際医療福祉大については、地域医療ではなく海外での医療人材育成の観点から認められた。

それゆえ、早大の医学部新設構想も一筋縄にいないことは明らか。安倍政権の教育政策ブレーンでもあった早大の鎌田薫・前総長ですら成し遂げられなかった医学部新設に、「政治力が未知数の田中さんにそんな力量はあるのか」といぶかる声も少なくない。

もちろん田中氏もその辺の事情は把握しており、正面突破を図る気はさらさらないが、じつは策がないわけではない。

前述したマニフェストの最後に記された「医学部の検討」項目にはこう書かれている。

《生命医科学の研究・教育を抜本的に拡充する必要があります。新たに医学部を本学が増設することは全国医学部長病院長会議の承認が必要なため、ほぼ不可能と言われています。したがって、実行可能性を見極めつつも、単科医科大学を吸収合併する戦略に絞って考えていく必要があります》

単科医科大の吸収合併――。じつは、これこそが田中氏が抱く医学部新設構想の核心なのだ。

同志社、中央大との「取り合い」の可能性も


明治期の自由民権運動を牽引した早大創設者の大隈重信は政治家育成を重視し医学部には興味がなかったとも伝えられるが、医療ニーズを高めた国民皆保険制度導入(61年)以降、早大は医科大学に接近し、そのたびに買収計画が囁かれてきた。最も盛り上がったのは08年に東京女子医大と提携して研究教育施設を開設したときだ。

かねて噂のあった両大学の提携は、「早大医学部設置」の布石との見方もあった。その後も医療事故の発生などで「経営的に厳しくなった東京女子医大を早大が合併するのではないか?」との観測が飛び交い、国家戦略特区を活用して医学部設置に乗り出す可能性が囁かれたのも事実。

しかし、吸収合併の噂は「東京女子医大のOGからの反発もあり、うまくいっていない」(文科省関係者)。早大の悲願は、暗礁に乗り上げたままだ。

田中氏は医科大の吸収合併についてほとんど語らないため戦略の全貌は見えてこないが、業界で囁かれるのは「関東近郊や地方の医科大を狙っているのではないか」というシナリオ。その理由について予備校関係者はこう話す。

「医師不足に悩む地方自治体にとって、地元医科大の早大との合併はブランド力向上につながり、学生募集にも有利に働く可能性が高い。早大もそんな足下をみて攻めていくのではないか」

ただし、ライバルもいる。中央大や同志社大も医学部をほしがっており、「良い物件」が出てきた場合、取り合いになる可能性は十分ある。名乗りを上げるタイミングを逸すれば、総長期間に二度とチャンスに遭遇できない恐れもある。

2期8年の鎌田体制の実績を上回るには、目立つ功績が不可欠であるのは言うまでもない。ひいてはそれが田中体制の浮沈にも直結しかねない。単なる大風呂敷で終わるのか、それとも「中興の祖」として140年近い歴史に燦然と刻まれるのか。

「政界のフィクサー」と呼ばれ、戦後の政財界で暗躍した田中清玄の次男として知られる田中愛治氏だけに、秘策を練っているに違いない。

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