世界的なパンデミックを契機により大胆に「自分軸」で動く達人たちを総力取材。今回は、東京の自宅から4時間、天然記念物の丹頂鶴が年間通じて姿を見せる北海道・弟子屈(てしかが)の地に拠点を定めた川邊りえこさんを訪ねました。
かわべりえこ◯「日本の美の本質は総体にある」をコンセプトに1995年「日本雅藝倶楽部」を設立。日本文化の感性を磨き、自己表現を高めるメンバー制の稽古場を東京、京都で主宰。日本古来の伝統や美意識、神職としての精神性をもとに自身の制作活動を続ける。
撮影=森山雅智『婦人画報』2021年10月号より
「自分軸」の暮らし|北海道・弟子屈町の1万坪の土地に2棟のコンテナハウスを建て一年の3分の1を過ごす
東京で会員制の文化サロン「日本雅藝倶楽部」を25年にわたり運営してきた川邊りえこさん。京都にも拠点があり、鎌倉や軽井沢など複数のアトリエを建てて美術家として活動を続けてきました。
ところが、このところの自然災害や未知のウイルスの発生により、より大局的に物事を考えるようになったといいます。
「これから起こり得る自然災害や日本の食料問題などを考えると、“シェルター(避難所)”的な場所の確保が必要だと直感しました。ここ弟子屈は3カ所の空港からアクセスでき、どの空港からもほぼ1時間ほどの距離。古代よりアイヌ語で“固い地盤”と呼ばれている土地が開拓され、農業と畜産業が盛んです。
国立公園内にあり自然が残されている原野であったこと、一級河川の釧路川に隣接し、敷地内に日常の飲み水が確保できる水源があったこと、そして毎日100人以上が利用しても枯渇することのない源泉かけ流しの温泉が湧き出ている土地であったこと、などが購入の決め手になりました」
“未来のシェルター”を探して日本中をリサーチした結果、縁もゆかりもない土地に魅せられたもうひとつの理由は「特別天然記念物の丹頂鶴が遊びにきていたんです。訪れるたびに子どもたちが成長するのも感動的で。20羽でも30羽でも日常的に見られるのですが、名前がつけられるほど見分けられるようにもなりました。ここには、“共生する”などといってはおこがましいくらいの自然美とパワーがあります」
映画以上にドラマがある、という北海道の自然は、川邊さんに「人生の第2ステージを始めたい」と思わせる気づきをもたらしました。
「北海道の自然には、人間が太刀打ちできない大きさを感じます。ダイナミックな自然の中にヒトが身を置いたときに湧いてくる野性の喜びはとても大きいのです。例えばここでは、空の色が瞬間に変わる、満月の夜には鳥がけたたましく鳴く、ある朝一面に黒百合が咲いていたり…一般の別荘地では得られない体験です」
歴史の土台と深く関わるアイヌ文化を研究しようという目的も生まれました。「太古、感性が研ぎ澄まされていた先住民たちも、この空、この星、この風を感じていました。これから人間がどう生きるべきか、先人の智慧を学びながら考えてゆきたいのです」
Q これからの豊かさとは?
A 価値観でつながる仲間をもつこと─川邊りえこさん(美術家)
そんな川邊さんの構想に7名の企画賛同者が現れたのは嬉しい展開。リビングダイニングや温泉などの共有スペースのほかに、各自20㎡ほどのプライベートな居室を構えることになりました。皆さん、川邊さんの文化サロンで長年学んできたメンバーです。
「私が四半世紀もの間『日本雅藝倶楽部』を続けて、日本文化を発信してきたことのご褒美のようなありがたさを感じます。
日本独特の美意識や心映えは、主客が響き合うことで初めて成立するもの。そんな価値観を共有できるメンバーがいることは、かけがえのない人生の宝であり、自分自身が心地よいと感じるコミュニティがあるかどうかは、これからの豊かさや幸せの基準になるのではないでしょうか」
防災時の避難所構想に端を発し、大人のシェアハウスともいえるコミュニティを形成することになった川邊さんの北海道での新しい生活。2020年5月の緊急事態宣言下から土地を探し始め、21年5月に母屋など現在の形が完成。今後、アイヌ文化を研究、発信する研究所なども造り、段階的に移住を進めてゆきたい、と語ります。