バラエティタレント・勝俣州和さんは、アイドルグループ『CHA-CHA』からデビューしました。そのグループから一緒にデビューする予定だった人物が意外なんです! その人物はなんと草なぎ剛さん。
『笑っていいとも!』(フジテレビ系、2014年2月14日放送)で明かされたのですが、1988年、萩本欽一さん司会の番組『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)がスタートするまでの2カ月間、草なぎさんは勝俣さんとともに萩本さんからレッスンを受けていました。
草なぎさんはその番組にレギュラー出演して『CHA-CHA』としてデビューすることが決まっており、デビュー曲のデモテープまで渡されていました。
しかし、デビュー直前になって、突然、萩本さんが草なぎさんを呼び出し、「剛ちゃんはSMAPの方が合ってるかな」と言ってきたというのです。
なぜ萩本さんは草なぎさんを『CHA-CHA』としてデビューさせなかったのか、僕は萩本さんに聞いてみました。
レッスンのとき、萩本さんが「好きな色はなに?」と聞くと、草なぎさんは「青い空」と答えたそうです。普通の人は「青」と答えるのに、それを「青い空」と答えた草なぎさんにスター性を感じたとおっしゃっていました。そこで萩本さんは「お笑いをやって汚さない方がいい」と思い、ジャニーさんのもとに戻したそうです。
実は木村拓哉さんも、草なぎさんと同じレッスンを受けていました。「好きな食べ物はなに?」と萩本さんから聞かれた木村さんは、「お母さんが作ったおいなりさん」と答えたそうです。すると萩本さんから「今日から君は、おいなりくん」と言われ、それ以降、レッスン場で木村さんは『おいなりくん』と呼ばれるようになったんだとか。
しかし、木村さんは自分が『おいなりくん』と呼ばれる意味がわからず、レッスンに行かなくなったそうです。この話は、2009年12月13日に放送された『さんまSMAP美女と野獣のXmas SMAP都市伝説』で明かされました。
こちらの話についても、僕は萩本さんに当時のことを聞いてみました。
萩本さんは、木村さんにも草なぎさん同様、質問の受け答えにスター性を感じたそうです。まず好きな食べ物にアイドルらしくない「おいなりさん」をあげたこと。さらに「おいなりさん」の前に「お母さんが作った」をつけたことで、「この子はスーパースターだ」と思ったそうです。
スーパースターになる可能性がある木村さんは「ここにはいない方がいい」と萩本さんは思い、あえて木村さんが嫌がるように『おいなりくん』と呼んだとおっしゃっていました。
木村拓哉さんと草なぎ剛さんと勝俣州和さんの3人が、同じグループでデビューする可能性があったとは意外な話ですね。
●取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑いジャーナリスト
外部リンク