10月、都内で開催されたFWD富士生命主催の「乳がん月間 アピアランスサポート オンライントークセッション」に、元SKE48でタレントの矢方美紀が出席し、がん治療中のアピアランス(見た目)の悩みと解決方法、サポートの重要性について語った。セッション終了後、自身も乳がんを経験した矢方に話を聞いた。
矢方が病気に気づいたのは、2017年の年末、25歳のときだった。
2009年にSKE48のオーディションに合格し、チームSのリーダーを務めながら7年間在籍。卒業後、ラジオやイベントの仕事を続けるかたわら、子供の頃からの夢だった声優になるべく、勉強する毎日を送っていた。
「当時、小林麻央さんが亡くなられたことをニュースで見たんです。若年性の乳がんという言葉を初めて聞いたし、20代にもがんのリスクがあることを知り、ちょっと確認してみようかなと思って。
セルフチェックをすると、左胸にしこりを感じました。痛みもなかったのではじめはスルーしていたんですが、なんとなく心の奥底にひっかかって。周りの人に相談したら、『それは病院に行った方がいい』と言われたのを機に、思い切って検査に行ったんです」
病院では、医師から「改めて詳しく検査を受けてください」と言われ、再検査の結果、乳がんを告げられた。「興味本位で試してみたセルフチェックから、まさか本当にがんが見つかるなんて思わなくて。衝撃でした」と矢方は振り返る。
当初、医師から伝えられたステージは1a。この時点では、左乳房の部分的な切除がすすめられていた。しかし、精密検査でステージ2bまで進んでいたことが発覚。手術も「全摘手術」への変更を余儀なくされた。
「部分的切除だと、がん細胞が残ってしまい、再発につながることもあるそうです。転移した場所によっては完治が難しいと言われ、すごく怖かった。
同じタイミングで、乳房の再建手術があることも初めて知りました。知れば知るほど怖くなっちゃったんですけどね(笑)。病院でもらったパンフレットに、全摘手術の方法とか再建手術についてとか、詳しく書いてあるんですよ。
かわいいポップなイラストで説明されているんですけど、乳房部分をざっくり切り取っていて、『やってることは全然ポップじゃないぞ!』と心の中でツッコんで……。人類ってこんなことしてきたんだなあって。
何度考えても、自分がやるのは怖いし、イヤでした。決断するまで、たくさん泣いてしまいました。
でも、『時間がないな』と思ったんです。がんって、どんどん症状が進んじゃうイメージがあって。今はそんなにすぐ進まないって理解はしてますけど、当時は先生に説明されても不安で不安でしょうがなかった。
『それなら早く手術して、治療した方がいい』って思いました。全摘手術の話をされた1週間後には、先生に『あ、もう切りまーす!』って返事をしましたね」
4時間に及ぶ手術を経て、左乳房の全摘出と、リンパ節切除をおこなった。無事に終了したことを、翌日、自身のブログでも報告している。
《いまは少し傷が痛みながらも食べたり飲んだりできるようになりました
でも、寝ても起きても痛いから少し辛い
あと傷が見えるのですが非常に、、、辛い。
でも仕方ないから我慢。。
手術をしてくれた先生に感謝です
明日は今日よりも楽になると信じて☆ はやく仕事したいぜよ!》(2018年4月3日付、本人ブログより)
「入院中は、いろいろなアニメを見て過ごしました。特にパワーをもらったのが、『キルラキル』っていうバトル系の作品で。熱いドラマが詰まっていて、敵も味方もどんなにボロボロになっても立ち向かっていく姿がかっこよくて、私も頑張らなきゃって思えたんです。病院ではどうしても落ち込みがちでしたけど、ギャグの部分でクスッと笑えたのもありがたかったです。
あとは、『宇宙よりも遠い場所』っていう作品も。行方不明になった母親を探すため、南極を目指す女子高生たちのお話なんです。周りから何度も『高校生が南極に行けるわけない、あきらめろ』って言われても、困難に向かっていく主人公たちの姿に、ボロボロ泣いてしまいました」
手術から10日後には退院し、翌週にはラジオの収録にかけつけた。矢方は、治療と自身の仕事を両立させている。厳しい治療が続くなか、仕事を休むという選択肢はなかったのだろうか。
「本当は退院した日に仕事に復帰しようと思ったんですけど、事務所から『それはさすがにやめよう』と言われ(笑)、1週間後に仕事を再開しました。
当時、仕事を休むことは考えられませんでした。25歳でアイドルをやめたときですら、次のステップアップには遅いと思ったのに、病気でさらに後れを取ったら、皆に追いつけなくなる。いま立ち止まったら、芸能界をやめなきゃいけないっていう不安がすごく強かったんです。
親に負担をかけたくない気持ちもありました。なるべく自分で働いたお給料で生活していきたい。どうしても出費はかさんでくるので、仕事がゼロだった場合、お金の悩みが多くなっちゃうなと思って。先生にも『仕事は続けていいですよ』と言ってもらいましたし」
気持ちはどこまでも前向き。しかし、手術後の痛みにはどうしても苦しめられた。
「体はもう、常にひどい筋肉痛って感じです。胸の切った部分は痛いし、左の腕も最初は上がりませんでした。
ただ、痛みは覚悟していたほどではなくて。手術前は『術後に目を開けたら、痛みで死ぬんじゃないかなあ』とか思ってたんですよ。 でも、痛みレベルが10あるとしたら3ぐらいだったんです。目が覚めたとき、『これなら仕事ができるかも』って、ちょっとホッとしたのを覚えています」
2018年4月におこなった手術は無事に成功したが、術後の病理検査で、ステージ3aだったことが判明した。5月からは抗がん剤治療を始めたが、仕事との両立には綿密な計画が必要だったという。
「治療が2週間に1回のペースで入っていたので、治療して1週間はお休み、次の1週間はお仕事を入れる……というリズムで動いていました。
それでも、やっぱり体が言うことを聞かないんです。手足がずっとしびれていて、電気風呂に入り続けているような感じ。他人からは手足がしびれていることは見えないので、伝えづらいツラさだなぁと、孤独感を感じていました。
副作用もキツかったですね。髪の毛が抜けてしまうし、肌も黒ずむレベルでくすんじゃうんです。爪の中まで黒くなっちゃうので、濃い目のネイルを塗って隠していました」
副作用による外見の変化に、心が追いつかない日々もあった。
「髪の毛が抜けてウィッグをしていた時期もあって……。周りの友達はSNSでかわいい自撮りを投稿しているけど、私はウィッグ。どうしても、心の底からおしゃれできている感覚が持てませんでした。
でも、医療用ウィッグでもいろいろなアレンジができることを教えていただいて、一気に世界が広がりました。ウィッグをつけていようがいまいが、今までと変わらずにおしゃれを楽しめるんだって思えたんです」
こうした自身の体験をもとに、矢方は10月から、がん治療における見た目の悩みや解決方法を紹介する「#あぴサポチャンネル」をYouTubeでスタートさせている。
副作用を乗り越え、4カ月ほどの抗がん剤治療を終えた後は、放射線治療を経てホルモン治療へ。現在は、3カ月に1回ほどの通院で治療を進めている。
「治療の影響でホルモンのバランスが崩れてしまうので、体温調節はできないし、体のだるさも以前より強いです。昔だったら1日でこなせていた仕事量が、今は半分ぐらい。なかなかマックスの力で仕事できないことが悩みですね。
自分が乳がんになることも、抗がん剤治療をすることも、1ミリも想定していませんでした。でも、乳がんのツラさを知ったことは、私の人生にとってすっごく大きいと思っています。当たり前だと思っていたことが、全然当たり前じゃないって気づくきっかけになりましたから」
乳がんを受け止め、前を向けるようになったことで、再建手術に対する考え方も変化してきた。
「最初は再建手術をするつもりだったんですが、今はしない方向へ気持ちが強く傾いています。
最初は『手術しないと……』って思ってたんです。片方がないのはバランスがおかしいのかな、手術できるならやった方がお得かなって。でも、放射線治療をした後だと、再建手術の方法って選択肢が限られてしまうんです。正直考えるのがめんどうだな、とは思っていました。
同じ乳がんにかかった方のお話を聞く機会も増えてきました。再建していない人の生活や、お話されている姿を見ると、『ショック』みたいなトーンで話していない。今の自分に満足というか、『これが自分』と思っている人が多いのがすごく印象的でした。
私はいま仕事が楽しいし、キャリアに関する悩みも多い。病気で悩むより、仕事で悩んで前に進んだ方が性に合っている気もする。そんなふうにあれこれ考えて、再建しないことを決めました。多分、この気持ちは変わらないと思います」
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