肝硬変末期で「余命半年」と宣告された当時の萩原
「日に日に顔が黒くなっていって……。すでに黄疸が出ていたんです」(萩原、以下同)
「腹水が溜まれば入院して、水分制限と利尿剤で対処しました。『肝性脳症』(肝臓で分解されるはずの有害物質が脳に達し、脳機能が低下する状態)の疑いがあれば、点滴による投薬治療を受けました。ただ、これで肝硬変が治癒することはありません」
「腹水でおなかが妊婦のように膨らみ、食べ物を受けつけず体はガリガリにやせて、『地獄の餓鬼』のようでした」
「人工透析を受けているとき、口の中から大量に出血したんです。出血を吸引する処置を受けながら、『あと数日で死ぬ』と思っていました。病室に戻り、家族や相方、お世話になった方に『たぶん、もうもちません』と、お別れの電話をしました」
「移植の順番は、患者の容態で決まっています。私の場合、腎不全を併発し、『このままでは数日で亡くなる』と判断されたんです。皮肉なことに、腎不全となったことで、移植の順番が早まったんです」
「移植後、総ビリルビン値は正常となり、黄疸で黄色く濁っていた目も、元に戻りました。心配されていた拒絶反応もほぼなく、術後10日で退院して、3カ月後に帰国することができました」
「なにせ経験者ですから、このときは、あまり不安はありませんでした。妻には感謝しかありません」
「現在では、母子感染によるB型肝炎は、出産時の免疫グロブリン製剤とワクチンによる予防処置で激減しています。日本は、この点では、世界でもっとも進んだ国なのです。
(週刊FLASH 2020年6月23・30日号)