cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_d368b6aa388b_天海祐希、好きな男性のタイプを聞かれ「もうわからない…」 d368b6aa388b d368b6aa388b 天海祐希、好きな男性のタイプを聞かれ「もうわからない…」 oa-flash 0

天海祐希、好きな男性のタイプを聞かれ「もうわからない…」

2019年10月14日 11:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

天海祐希が、10月11日放送の『オールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)で素顔を語った。

竜星涼をゲストに恋愛観の話をすると、天海は好きな男性のタイプを「タイプがもうわからない! 迷走中じゃなくて、そこを追求することはやめている。もう次のレベルに行っている感じ」とコメント。

失恋の経験を聞かれると、「ありますけど、はるか彼方の遠い昔です……」と回想。「付き合う数が少ない。だんだん面倒くさくなってくる。『何で私はこの人のためにこんなことやってるんだろう? 私のやりたいことはそっちじゃないじゃん』って」と本音を語っていた。

天海は現在、吉永小百合と共演の映画『最高の人生の見つけ方』が公開中。同映画は、余命宣告を受けた2人が「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行していくストーリー。

同作にちなみ、「今後やりたいこと」は「いまの自分の人生が夢みたいで、これ以上欲張っちゃいけないと思ったりする」と明かしていた。だが、しばらく思案し、「思いついたのは、いま大変な思いやご苦労をされている方がいらっしゃるかもしれませんが、どこかの誰かの背中を押せるような人間でいたい」と女優としての使命感を語っていた。

天海は、2018年2月12日放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)では、「理想の男性のタイプ」に「上野の西郷さん(西郷隆盛の銅像)」をあげた。

東京・上野出身の天海は、幼い頃から西郷像に慣れ親しんでいたが、鹿児島で西郷像を見ると「絶対に上野の西郷さんの方がハンサムだ」と思うという。

だが、この放送の際もやはり「タイプがない」と明かし、友達として仲よくするのはいいが、「そこから個人の時間に入ってきてほしくない」とぶっちゃけた。

それを聞いたくりぃむしちゅー有田哲平が「だから(タイプが)銅像。(銅像は)家に来ないですからね」とボケると、天海は「そうですね」と大笑いしていた。

天海は11月24日放送のスペシャルドラマ『磯野家の人々~20年後のサザエさん~』(フジテレビ系)で主人公サザエさんを演じる。52歳とは思えない美貌で、多彩な役柄に挑んでいる。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_4851aefe52ec_菜々緒、7年間「励みにしてきた」男の子と再会して感涙 4851aefe52ec 4851aefe52ec 菜々緒、7年間「励みにしてきた」男の子と再会して感涙 oa-flash 0

菜々緒、7年間「励みにしてきた」男の子と再会して感涙

2019年10月13日 20:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

菜々緒が、10月10日放送の『櫻井・有吉 THE夜会』(TBS系)でファンの少年との再会に涙した。

7年前、地元・埼玉の1日警察署長イベントに参加すると、客席に「ななおちゃん ありがとう!」と書いたボードを掲げた男の子がいた。当時は、まだ菜々緒はテレビにもあまり出ておらず、「なぜ、あんな小さい子が……」と疑問を抱いていた。

当時、菜々緒の母もそのイベントを見に来ており、偶然その男児を見つけ、ボードを持った写真を撮らせてもらったという。

菜々緒は「その写真をずっと携帯(の画像フォルダ)に入れて励みにしている」と語った。

そこで番組が、男の子を捜索すると、イベントを取り上げた新聞に男の子のことも掲載されており、無事に発見。

スタジオに10歳になった彼とその母親が登場すると、菜々緒は「すごいうれしい!」と感激。ボードに「ありがとう」と書いたのは母親の発案で「地元に来てくれてありがとう」という意味だったという。

男の子は「7年間、僕のことを覚えていてくれてありがとうございます」とそのボードをモチーフとしたキーホルダーをプレゼント。

すると菜々緒は「いや、もうヤバイ、泣きそう……」と涙を見せて、少年と握手を交わしていた。

菜々緒はドラマのクランクアップで涙することが多い。

ウェブ「モデルプレス」によると、ドラマ『サイレーン 刑事×彼女×完全悪女』(フジテレビ系)では徹底的に悪女を演じたが、撮影を終えると、目に涙を浮かべて、「こうやって泣いてもたぶんウソ泣きだって言われると思うんですが……皆さんが毎日笑顔で迎えてくれて、本当に楽しい現場でした」とコメント。

ウェブ「ザ・テレビジョン」では、主演ドラマ『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』(日本テレビ系)がクランクアップし、共演した木村佳乃から「うちの“座長”(菜々緒)はまじめで本当にしっかり者で。これからが楽しみな女優さんですし、こんな素晴らしい才能に出会えてうれしかったです」とエールをもらい、感謝していた。

菜々緒は、放送中のドラマ『4分間のマリーゴールド』(TBS系)では悪女から一転して、切ないラブストーリーのヒロインを演じる。前髪も作って、新たな魅力を見せている彼女の泣きの演技に期待したい。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_4a93ba97138b_オダギリジョー、樹木希林さんと共演して「半分ぐらい白髪に」 4a93ba97138b 4a93ba97138b オダギリジョー、樹木希林さんと共演して「半分ぐらい白髪に」 oa-flash 0

オダギリジョー、樹木希林さんと共演して「半分ぐらい白髪に」

2019年10月13日 11:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

オダギリジョーが、10月10日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で母との関係を語った。

岡山県に生まれたオダギリは、幼い頃に両親が離婚し、母子家庭で育ったため、「父は顔も見たことないに近い」という。

母が仕事している間、映画館に預けられており、「『ドラえもん』は喜んで見てましたけど、洋画の字幕映画のときは映画館の中を走り回っていた」と振り返った。

だが、映画を見ている間にのめり込み、映画監督を夢見るように。進路を決める際に、国立大学に受かっていたが、「入学金を払いに門の前まで行ったけど、母親に『このお金を留学に使わせてくれ』って家に引き返しました」と告白。

母も「やりたいことをやった方がいい」と応援してくれ、アメリカのカリフォルニア州立大学に留学。だが、「drama」と書かれたコースを選ぶと、目指している監督ではなく、俳優のコースだったという。

英語が完璧にわかっているわけではなかったオダギリは、アートの課題で、ほかの生徒と全然違う作品を作ってしまった。だが、先生はそれを絶賛してくれて、「アメリカのアートの懐の深さを感じて、『アートは自由であるべき、決められたものは何もない』という感覚を持てた」と大きな学びとなったという。

その後、帰国して、俳優として大成。今年は、ついに映画『ある船頭の話』で長編映画監督デビューを果たした。同作はヴェネツィア国際映画祭でも上映され、母も喜んでくれたという。

オダギリがもう一人、母のように慕ったのが、2007年に主演した映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で、母親役を演じた樹木希林さん。樹木さんは、あまり人に何かを教えることなどしないが、「あの作品を見たほうがいい」など多くのアドバイスをくれたという。

同作の撮影では樹木さんと監督が母親像について揉め、オダギリが仲介役を担った。「2人の愚痴を聞いて、あのとき一気に白髪が増えましたね。半分ぐらい白髪になったと思います。希林さんと監督のせいですね」と明かす。だが、オダギリは「息子のようにかわいがっていただいた」と樹木さんに感謝。現在も髪は黒く染めているという。

現在、ドラマ『時効警察はじめました』(同局系)に主演しているオダギリ。2007年放送の『帰ってきた時効警察』の8話では自ら脚本・演出を担当したが、今シリーズでも実現するのか期待したい。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_1911f7943d23_滝クリに議員の妻たちが忠告「私なら夫に育休は取らせない」 1911f7943d23 1911f7943d23 滝クリに議員の妻たちが忠告「私なら夫に育休は取らせない」 oa-flash 0

滝クリに議員の妻たちが忠告「私なら夫に育休は取らせない」

2019年10月13日 06:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

写真:今井恵子さん

官邸内でおこなわれた異例の結婚会見。そして、物議を醸した夫・小泉進次郎環境大臣(38)の「育休発言」。はたして、滝川クリステル(42)は、フリーアナウンサー業と大臣の妻を両立できるのか――。議員の妻の実情を聞くべく、衆議院議員の夫人たちを訪ねた。

「毎日が選挙だと感じています。世襲政治家とは違い、主人の名前がブランドになっているわけではないので、当選後も選挙区を歩きまわりました。

スタッフと手分けして戸別訪問したり、ポスターの掲示をお願いしたり。田植えの最中に突撃して、追い返されたこともあります(笑)」

こう語るのは、無所属の今井雅人衆議院議員(57・岐阜4区)の妻・恵子さんだ。選挙区の岐阜4区は広く、車で効率的にまわらないと、1日でまわりきることができない。

彼女が「今井家」に嫁いだのは9年前。岐阜放送のアナウンサーだったころ、初出馬した夫の衆院選を取材したことがきっかけで交際に発展。1年後に結婚した。

「2度めの選挙の年に長女が、3度めの選挙の年に次女が生まれました。このころがいちばん大変でしたね。事務所にベビーベッドを置いて、支援者からの電話、来訪者への応対に追われる毎日でした」

地元の有力者や財界人に関わる冠婚葬祭には、議員の代理で妻が駆けつけなければならない場合も多い。

「地元にはお世話になっている人たちが多いため、冠婚葬祭には主人の代役で、できるだけ出席させてもらっています。主人の名刺を常に携帯し、挨拶の最後に『主人をよろしくお願いします』と伝えます」

名刺やチラシを配ったり、ポスターを貼ったりと、地味な仕事も多い。特に選挙の時期は、いつにも増して忙しいという。恵子さんは、留守がちな夫に代わって地元を守る、“昔ながら” の代議士の妻だ。

一方、小泉氏は、滝クリとの結婚会見で、「私の選挙に、妻がバリバリ出てくることはない」と、彼女が選挙区に住まず、小泉氏が暮らす東京の議員宿舎で同居することを示唆した。

「それぞれの地域によって、さまざまな事情があると思いますから一概には言えませんが……。代議士の妻としてアドバイスするなら、体力をつけておくのも仕事かもしれません。

選挙区に住まないにしても、選挙期間中は多くの人に出会い、想像以上に体力を消耗します。体調を崩すと、候補者はもちろんですが、スタッフや支援者の皆さんにも迷惑をかけてしまいますからね」

2020年1月の第1子誕生後の育休取得プランを明かした小泉氏だが、夫の手を借りずに子育てをした恵子さんは、違和感を覚えたようで……。

「どうなんでしょうね……。閣僚になられたので、育休どころではないと思います。主人にも、『代わりになる人間はいない』と思ったので、取ってほしくなかったですしね」


一方、無所属の柿沢未途衆院議員(48・東京区)の妻・幸絵さんは、夫が長年築き上げた後援会の基礎票に加え、女性層の支持獲得に奮闘している。

「政治家は、人間の一生に関わる仕事。小選挙区制の導入後は、政治活動はもちろん、議員の人柄、生き方が問われるようになってきていることを感じます」

東京都出身の幸絵さんは、専門学校を卒業後に社会人となったが、26歳で早稲田大学に進み、政治に目覚めて、松下政経塾で学んだ才媛。自身も、2005年の都議会議員選挙で初当選。3期12年の都議生活を送った。

義父は、羽田孜内閣で外務大臣を務めた故・柿沢弘治氏。幸絵さんが “名家” に嫁いだのは7年前。夫・柿沢氏が2度めの当選を果たした2005年の都議選で、同じ会派に所属したことがきっかけだった。

「未途さんが政調会長、私は副政調会長を務めました。いわゆる “職場恋愛” ですね」

入籍翌日の2012年12月4日、夫・柿沢氏の衆議院選挙の届け出をすませ、出陣式に夫婦で臨んだ。幸絵さんは、都議2期めの2012年から5年間、代議士の妻と二足の草鞋を履くことに。

「二世議員は、『地盤を引き継ぐことができるから有利だ』と思われがちですが、小選挙区制は風向き次第で、選挙結果が大きく変わるのが最近の特徴。

そのため日ごろから地元の意見を伺ったり、後援会とのつき合いも重要になってきます。柿沢は地元での会合には、時間の許す限り顔を出すようにしています。スケジュールが厳しいときは、私が代理で出席しています」

滝クリは、自身のインスタグラムで「『政治家の妻はこうあるべき』という形にとらわれず、私らしくありのままの生き方、スタイルを尊重してくれる」とのろけたが……。

「代議士の妻として、活動をしなくてもかまいませんが……。ただ、地元に密着して、議員本人が収集できない情報を得るための、人づき合いをしておくことは必要かもしれませんね」

小泉議員の育休発言については、手厳しい意見。

「議員は会社員ではなく、24時間態勢で対応する仕事。困っている人を前に、育休を理由にすることは私にはできない。

議員は夢を与える仕事でもありますし、進次郎さんには多くの人が期待しているので、育休によってアクセスできなくなるのは残念だと思います」

滝クリに代議士の妻としての自覚はあるのか。その覚悟が問われる。

(週刊FLASH 2019年10月15日号)

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滝クリに議員の妻たちが忠告「私なら夫に育休は取らせない」

2019年10月13日 06:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]


官邸内でおこなわれた異例の結婚会見。そして、物議を醸した夫・小泉進次郎環境大臣(38)の「育休発言」。はたして、滝川クリステル(42)は、フリーアナウンサー業と大臣の妻を両立できるのか――。議員の妻の実情を聞くべく、衆議院議員の夫人たちを訪ねた。

「毎日が選挙だと感じています。世襲政治家とは違い、主人の名前がブランドになっているわけではないので、当選後も選挙区を歩きまわりました。

スタッフと手分けして戸別訪問したり、ポスターの掲示をお願いしたり。田植えの最中に突撃して、追い返されたこともあります(笑)」

こう語るのは、無所属の今井雅人衆議院議員(57・岐阜4区)の妻・恵子さんだ。選挙区の岐阜4区は広く、車で効率的にまわらないと、1日でまわりきることができない。

彼女が「今井家」に嫁いだのは9年前。岐阜放送のアナウンサーだったころ、初出馬した夫の衆院選を取材したことがきっかけで交際に発展。1年後に結婚した。

「2度めの選挙の年に長女が、3度めの選挙の年に次女が生まれました。このころがいちばん大変でしたね。事務所にベビーベッドを置いて、支援者からの電話、来訪者への応対に追われる毎日でした」

地元の有力者や財界人に関わる冠婚葬祭には、議員の代理で妻が駆けつけなければならない場合も多い。

「地元にはお世話になっている人たちが多いため、冠婚葬祭には主人の代役で、できるだけ出席させてもらっています。主人の名刺を常に携帯し、挨拶の最後に『主人をよろしくお願いします』と伝えます」

名刺やチラシを配ったり、ポスターを貼ったりと、地味な仕事も多い。特に選挙の時期は、いつにも増して忙しいという。恵子さんは、留守がちな夫に代わって地元を守る、“昔ながら” の代議士の妻だ。

一方、小泉氏は、滝クリとの結婚会見で、「私の選挙に、妻がバリバリ出てくることはない」と、彼女が選挙区に住まず、小泉氏が暮らす東京の議員宿舎で同居することを示唆した。

「それぞれの地域によって、さまざまな事情があると思いますから一概には言えませんが……。代議士の妻としてアドバイスするなら、体力をつけておくのも仕事かもしれません。

選挙区に住まないにしても、選挙期間中は多くの人に出会い、想像以上に体力を消耗します。体調を崩すと、候補者はもちろんですが、スタッフや支援者の皆さんにも迷惑をかけてしまいますからね」

2020年1月の第1子誕生後の育休取得プランを明かした小泉氏だが、夫の手を借りずに子育てをした恵子さんは、違和感を覚えたようで……。

「どうなんでしょうね……。閣僚になられたので、育休どころではないと思います。主人にも、『代わりになる人間はいない』と思ったので、取ってほしくなかったですしね」


一方、無所属の柿沢未途衆院議員(48・東京区)の妻・幸絵さんは、夫が長年築き上げた後援会の基礎票に加え、女性層の支持獲得に奮闘している。

「政治家は、人間の一生に関わる仕事。小選挙区制の導入後は、政治活動はもちろん、議員の人柄、生き方が問われるようになってきていることを感じます」

東京都出身の幸絵さんは、専門学校を卒業後に社会人となったが、26歳で早稲田大学に進み、政治に目覚めて、松下政経塾で学んだ才媛。自身も、2005年の都議会議員選挙で初当選。3期12年の都議生活を送った。

義父は、羽田孜内閣で外務大臣を務めた故・柿沢弘治氏。幸絵さんが “名家” に嫁いだのは7年前。夫・柿沢氏が2度めの当選を果たした2005年の都議選で、同じ会派に所属したことがきっかけだった。

「未途さんが政調会長、私は副政調会長を務めました。いわゆる “職場恋愛” ですね」

入籍翌日の2012年12月4日、夫・柿沢氏の衆議院選挙の届け出をすませ、出陣式に夫婦で臨んだ。幸絵さんは、都議2期めの2012年から5年間、代議士の妻と二足の草鞋を履くことに。

「二世議員は、『地盤を引き継ぐことができるから有利だ』と思われがちですが、小選挙区制は風向き次第で、選挙結果が大きく変わるのが最近の特徴。

そのため日ごろから地元の意見を伺ったり、後援会とのつき合いも重要になってきます。柿沢は地元での会合には、時間の許す限り顔を出すようにしています。スケジュールが厳しいときは、私が代理で出席しています」

滝クリは、自身のインスタグラムで「『政治家の妻はこうあるべき』という形にとらわれず、私らしくありのままの生き方、スタイルを尊重してくれる」とのろけたが……。

「代議士の妻として、活動をしなくてもかまいませんが……。ただ、地元に密着して、議員本人が収集できない情報を得るための、人づき合いをしておくことは必要かもしれませんね」

小泉議員の育休発言については、手厳しい意見。

「議員は会社員ではなく、24時間態勢で対応する仕事。困っている人を前に、育休を理由にすることは私にはできない。

議員は夢を与える仕事でもありますし、進次郎さんには多くの人が期待しているので、育休によってアクセスできなくなるのは残念だと思います」

滝クリに代議士の妻としての自覚はあるのか。その覚悟が問われる。

(週刊FLASH 2019年10月15日号)

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_7bd2a0530a92_IKKO、美を追求したきっかけは先輩の言葉「すべてが汚い」 7bd2a0530a92 7bd2a0530a92 IKKO、美を追求したきっかけは先輩の言葉「すべてが汚い」 oa-flash 0

IKKO、美を追求したきっかけは先輩の言葉「すべてが汚い」

2019年10月12日 11:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

IKKOが、10月9日放送の『怒られ履歴書』(フジテレビ系)で、知人から怒られ成長できた秘話を語った。

美容師の修行中、IKKOは先輩に「お前のすべてが汚い! 場末か」と怒られたという。当時の自分は何十人もシャンプーをして、制服は汚れ、靴は壊れかけで、「自分を冷静に見られてなかった」と回想。そこから、自ら美を追求するようになったという。

その後、ヘアメイクとして雑誌の世界に進出し、女性編集者にアプローチ。業界では「ブック」と呼ばれる作品集を提出するのが慣例だが、IKKOのブックはノートに写真を貼り付けただけの粗末なものだった。

そこで編集者から「ボロボロのノートで何の工夫もない。自己プロデュースが大事!」と怒られたという。その言葉で反省して、丹念にブックを作ると、半年後にその雑誌に起用してもらえた。

また、ファッションイベントのヘアメイクをした際は、師匠に飛び蹴りされて怒られた。師匠は本番直前、とがったブラシを使っていたIKKOに「モデルの顔に傷ついたらどうするんだ」と怒鳴りつけ、さらに「部屋の真ん中で作業するな! 場所取りから勝負は始まっている」と、隅っこで作業することを指導。そこから、IKKOはあらゆることに気配りを忘れないようになり、大物女優のメイクも任されるようになった。

IKKOは19歳で福岡から横浜に出てきて、叱られてばかりだった時期の思い出を『週刊朝日』2018年8月3日号で告白している。

元町の美容室に住み込みで働くが、「仕事が満足にできず、毎日叱られっぱなしで……まずはシャンプーの指名でトップになれるよう頑張りました」と地道に頑張っていた。

そんなある日、当時中華街で人気だった店の名物ママが、初めて指名してくれた。それが縁で店に食べに行き、「初めて食べた北京ダックは衝撃的」と感激。中華カステラ・マーライコーは「私にとっては修業時代に食べた心に染みる“涙の味”」と振り返っていた。

中華街のママがおもてなしの心で客に接する姿勢は、「私の中で一生の糧となっています」と語っていた。

IKKOは謙虚な心で、さまざまな人からの指導を教訓として受け止め、カリスマ美容家となったのだ。

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cat_1_issue_oa-flash oa-flash_0_8909b67f6b2c_元代表と振り返る「ラグビーW杯」なぜ日本は強くなったのか 8909b67f6b2c 8909b67f6b2c 元代表と振り返る「ラグビーW杯」なぜ日本は強くなったのか oa-flash 0

元代表と振り返る「ラグビーW杯」なぜ日本は強くなったのか

2019年10月12日 06:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

写真:「ブルームフォンテーンの悪夢」の一戦(アフロ)

「80分間攻められっぱなしで、相手の背中ばかりを追いかけていた。3年前に世界選抜にも選ばれ、同じニュージーランド相手にトライも挙げ、自信を持って臨んだ大会。それだけに、情けなかったというか」

いまも語り継がれる、ラグビーW杯の第3回大会の「ブルームフォンテーンの悪夢」を体験した吉田義人さん(50)は、世界選抜に日本人として唯一、3度選出されている。

「実力差もありましたが、当時、世界はプロ化へと動いていた。プロ化を推進していたNZと、それを否定していた日本との違いが、如実に現われた試合でもありました」

いかんともしがたい実力差。個を伸ばすという意味でも、吉田さんは海外でプロになることも模索した。だが当時、日本ラグビー界は、徹底した「アマチュア主義」。一度でもプロになれば、代表のジャージに袖を通すことは許されなかった。

第1回W杯に出場した、大八木淳史さん(58)が語る。

「僕らの時代は、『サラリーマンという本業があってのラグビー』という考え。20歳で代表になって、30歳で代表から退いたのは、神戸製鋼の社長から『やめてくれ』と言われたから。そこから7年現役を続けたのは、会社のためにという思いから。当時は、『代表より強い』といわれていました(笑)」

日本は、W杯に第1回から連続出場していたものの、強豪国に歯が立たない時代が続いた。それが、前回大会から劇的に変わったわけだが、「その根底にはプロ化がある」と前出の2人は語る。

「以前は、選手もスタッフもアマ。それが今では、ほとんどがプロ。栄養士もつきますが、僕らの時代は、栄養面は自分で勉強していた。環境面が激変したことが、強くなった要因でしょう」(吉田さん)

「いまは1年の半分は代表合宿に行ける。もうひとつは、外国出身選手が増えて、海外のいい部分が融合した結果でしょう」(大八木さん)

代表を取材しつづける、井田新輔カメラマンも同意する。

「2012年に、エディー・ジョーンズがヘッドコーチに就任。質、量ともに優れた練習をして、優秀なスタッフをスカウトして、戦う集団を作り上げた。前回大会で自信を得たこと、今回は自国開催ということで、チーム成熟のためにこれまでにないマンパワーと時間をかけて臨んでいるのが、いまの代表です」

サッカーがそうであったように、強化にプロ化は欠かせない。「ジャイアントキリング」に驚く時代は、もう過去となったのだ。以下ではW杯の日本の戦績を振り返る。

※○は日本勝利、●は敗戦

【第1回大会(1987年)】
○日本 18-21 アメリカ
○日本 7-60 イングランド
○日本 23-42 オーストラリア

招待国として参加した日本の初戦の相手は米国。強豪国ではない相手に、初勝利が期待された。しかし、ペナルティキックを5回も外すなど、勝てる試合を落としてしまった。

【第2回大会(1991年)】
●日本 9-47 スコットランド
●日本 16-32 アイルランド
○日本 52-8 ジンバブエ

スコットランド、アイルランドに連敗していたため、この時点で決勝トーナメント進出は消滅。だが、気持ちを切らすことなく臨んだ一戦では、本大会最多の9トライでW杯初勝利を挙げた。

【第3回大会(1995年)】
●日本 10-57 ウェールズ
●日本 28-50 アイルランド
●日本 17-145 ニュージーランド

日本は先発11人を入れ替えたニュージーランドに最多失点、最多得点差、トライ数など、W杯ワースト記録を6個も献上し、大惨敗を喫する。いまも語り継がれる「ブルームフォンテーンの悪夢」だ。


【第4回大会(1999年)】
●日本 9-43 サモア
●日本 15-64 ウェールズ
●日本 12-33 アルゼンチン

平尾誠二監督のもと、前回大会ではニュージーランド代表だったジョセフを加えた日本代表。欧州の強豪相手に、大畑大介のビッグプレーのトライで追撃するものの、最後は突き放された。

【第5回大会(2003年)】
●日本 11-32 スコットランド
●日本 29-51 フランス
●日本 13-41 フィジー
●日本 26-39 アメリカ

フィジー戦では、前半終了間際に13-16と追い上げ、第2回大会のジンバブエ戦以来の勝利を期待されたが、後半は足が止まって0-25と完敗。結果的に、中4日の強行軍が大きな敗因となった。

【第6回大会(2007年)】
●日本 3-91 オーストラリア
●日本 31-35 フィジー
●日本 18-72 ウェールズ
▲日本 12-12 カナダ

元ニュージーランド代表で、第1回大会の優勝メンバーの英雄ジョン・カーワンをヘッドコーチに迎え、試合に応じてチームの先発メンバーを大きく入れ替える「ターンオーバー制」を適用。優勝候補相手に、あえて控え選手中心で臨んだ結果、玉砕。

【第7回大会(2011年)】
●日本 21-47 フランス
●日本 7-83 ニュージーランド
●日本 18-31 トンガ
▲日本 23-23 カナダ

日本は主力を温存したことで、またも “黒衣軍団” ニュージーランド代表の猛攻にさらされることに。前半に6トライ、後半も7トライを献上して、本大会ワースト2位の得点差76で、またもや惨敗した。

【第8回大会(2015年)】
○日本 34-32 南アフリカ
●日本 10-45 スコットランド
○日本 26-5 サモア
○日本 28-18 アメリカ

この勝利に海外メディアは、「W杯史上最も衝撃的な結果」「スポーツ史上最大の番狂わせ」と報じた。そして、3勝しながらW杯を後にする日本代表に対して、「最も不幸な出来事」と称えた。

【第9回大会(2019年)】
○日本 30-10 ロシア
○日本 19-12 アイルランド
○日本 38-19 サモア

ロシア戦、直近のテストマッチでは苦戦した日本だったが、本番ではきっちりと4トライを挙げ、ボーナスポイントを獲得。松島幸太朗が日本人として初めて3トライ、ハットトリックを達成。

アイルランド戦では、世界2位(試合当時)相手に逆転で金星。後半は、終始日本のペースで進み完封。この快挙に、前回大会の南ア戦でも実況したNHKの豊原謙二郎アナが、「もう奇跡とは言わせない」と絶叫。

(週刊FLASH 2019年10月22・29日号)

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安西ひろこ「なんでも許す女」のせいで恋人が次々とダメ男に

2019年10月11日 20:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

写真:公式ブログより

10月8日放送の『男と女の幸せってなんだ?』(フジテレビ系)で、安西ひろこが過去の恋愛経験を告白した。

安西は未婚で、「40歳になったのに結婚できない」と悩んでいるという。安西は20歳のときに結婚寸前までいった男性との破局を後悔し、「なんであのとき優しくできなかったのだろう」と反省。その経験から「なんでも許す女になった」という。

だが、その結果、付き合った男性が次々とダメ男になり、買ってあげた物を全部返せと言われたり、デート中の車内でケンカして箱根山に捨てられたというエピソードを披露。

これまでの恋愛経験は5人だという安西は、婚活アプリ「東カレデート」を開始。男性とアプリ内でやり取りを始め、食事に行くことに。だが、男性が語った「僕、本当はマメなタイプじゃなくて」という言葉に一気に冷めていた。

そんな安西に、スタジオでアンミカがアドバイス。自身も「なんでも許す女」だったが、「本当に自分が悪いと思ったときにしか言っちゃダメ。自分の尊厳というものを大事にする。私もそうして40歳で出会ってるから」とエールを送っていた。

安西は10月9日のブログに「アンミカさんが憧れすぎてずっとお会いしたかったんです」と2ショットを投稿。励ましの言葉をもらったことに「本当に嬉しかった!」と感謝していた。

ギャルのカリスマとして、歌手活動も行った安西。変わらない美貌をキープしており、良縁に恵まれることを祈りたい。

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田中美佐子、ドラマロケ中にヤクザに襲撃され「飯島直子出せ」

2019年10月11日 16:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

田中美佐子が10月8日、『上田晋也の幻ニュース』(TBS系)で、ドラマのロケ中に起きたハプニングを明かした。

飯島直子らと出演していたドラマで、突然、ヤクザが「誰にショバ代払って(撮影)やってるんだよ!」と襲撃してきたという。

「1回ロケバスに全員で逃げたら、ロケバスの上に、(ヤクザが)全員乗っかってきた。横倒しされそうになって」

さらに「直子出せー!」と飯島を出すよう威嚇された。田中は「暴力団に直ちゃんはよく絡まれるんですよ、みんな大好きなんで」と回想。だが自分については、「私は全然人気なくて。『美佐子は(呼ばれ)ないの?』」と笑い話にしていた。

1981年にデビューした田中は、芸歴も長いことから、さまざまなハプニングやトラブルを経験している。

デビュー当時は、大女優からイジメを受けたと、2016年3月18日放送の『巷のリアルTV カミングアウト!』(フジテレビ系)で告白。先輩の売れっ子女優が、田中の顔がカメラに映らないように小道具のパンで邪魔してきたという。

また、1990年代のトレンディドラマ全盛期は、複数ドラマの掛け持ちは当たり前。睡眠時間が2~3時間という日が続き、あるドラマでは、意識もうろうのなか、スタッフに足を支えられて収録したことも。

《意識の遠くでスタッフの『このセリフを言いなさい』との声が聞こえたりしてね。足はスタッフが支えてるから、画面は私のアップを映して。あのころは『骨折して死ぬ手前の事故に遭えば1カ月ぐらい寝られる。事故に遭わないかな』なんてことばかり考えていましたよ》(日刊スポーツ2000年11月19日)

ドラマ『十年愛』(TBS系)、『OUT~妻たちの犯罪~』(フジテレビ系)など数々のドラマに主演してきた田中。キャリアが長くなると、信じられないトラブルも起こるのだ。

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島田紳助がM-1創設した理由は「漫才師がやめるきっかけ作るため」

2019年10月11日 16:00 Smart FLASH[光文社週刊誌]

10月8日放送の『アッパレやってまーす!』(MBSラジオ)で、スピードワゴンの小沢一敬が、『M-1グランプリ』が創設された理由について語った。

先日の『キングオブコント』を振り返り、小沢は「終わった後に、出場してる子たちとご飯に行くと、みんな楽しそうにしゃべってんのよ。『いいなぁ』って。俺たち、年とっちまったな」と回想。

東京ダイナマイトの松田大輔は、『M-1グランプリ』を振り返り、「僕が2004年に決勝に行ったとき、小沢さん、電話してくれて。熱かったですもんね、あのときね」と、芸人同士の絆が深まるイベントだと証言。

ニューヨークの屋敷裕政は「甲子園。青春みたいな感じのところもありますもんね。残酷な部分もめっちゃあるし。やめる人もいますしね、その結果で」と指摘した。

その話に、小沢は「立ち上げたのはそれが理由なんでしょ。漫才師って、辞めるきっかけがないじゃん。ひょっとしたらいつか売れるかも、って。だけど、やめるきっかけを作ってやるために『M-1』作ったって言ってたもんね」と語った。

松田が「(島田)紳助さんが」とフォローすると、小沢は「俺は名前を出さないようにしたけど、言ってもいいんだよね」と笑顔で話していた。

自身の「漫才への感謝」とともに、「若手漫才師がやめるきっかけ」を込めて、2001年に島田が大会委員長としてスタートした『M-1』。

10年目の第10回大会(2010年)でいったん区切りを打ち、島田は決勝後の会見で、「たくさんのスターが育ってくれた。僕のなかでは漫才に対する申し訳ないという気持ちがあったので、この大会をやりたいと(言った)。そして演じる人が納得して帰れるものを作りたいと思ってきた」と充実感をにじませた。

大会では毎回、審査員の採点方法も問われるが、島田は「点数が公表されるということは審査員のセンスも問われるし、審査員が審査されている」とシビアな現実があることを明かしていた。

その後、2015年に復活し、昨年まで14回開催され、歴代優勝者は、初代王者の中川家以降、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマン、NON STYLE、パンクブーブー、笑い飯、トレンディエンジェル、銀シャリ、とろサーモン、霜降り明星となっている。

今年も開催され、現在2回戦が行われている。昨年は番組終了後、とろサーモン・久保田かずのぶ、スーパーマラドーナ・武智が審査員の上沼恵美子を批判する動画をインスタグラムで公開して炎上する騒ぎも話題となった。15回の節目となる今大会で、どんな熱い漫才バトルが繰り広げられるのか注目だ。

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