1973年、妻・クラウディアさん、0歳のアンナと34歳の辰夫さん
「乗っていた高級外車は、当時のバブル紳士からもらったもの。銀座の豪遊伝説は数知れずだが、代金を払うことは、ほとんどなかった。おごってもらって当たり前。『その代わり、自分が顔を出すと喜んでくれる』という考えだった」(不動産関係者)
“不良番長” の人生を変えたのは、溺愛する娘・梅宮アンナ(47)の存在。親友だった、故・山城新伍さんはこう語っていた。
「アンナが3歳ぐらいのころ、辰ちゃんの家に同い年の男の子が遊びに来た。アンナがトイレに入ったら、その男の子も入っちゃったんですよ。子供だから。そうしたら辰ちゃんが、その子に大声を上げたの。『娘のトイレを覗きに行きやがって、許さん』って(笑)」
「今年の夏、マネージャーを通じて、『1回に4時間かかる透析は大変で慣れない』と容体を教えてくれました。外では車椅子、歩くときはカートにつかまるなど、大変な闘病生活を送っていた」(芸能記者)
「辰夫さんは、最初から羽賀のことを警戒していたにもかかわらず、彼女は父の言うことを聞かなかった。そのことをアンナさんは後悔していたんです。
「アンナさんたちが病院に到着するのを待つように亡くなったんです。最後も可愛い娘のために根性で耐えたんですよ」
(週刊FLASH 2019年12月31日号)