「りえは当時からとてもかわいくて、『将来はホステスだね』なんて冗談を光子と喜んで話していたんです」
そう語り始めたのは、女優・宮沢りえ(44)の義父だった小沢典仁氏(74)だ。
りえは2017年、森田剛(38)との交際を女性誌に報じられた。年末には結婚説が芸能マスコミを飛び交い、いま最もゴールインが近いカップルといわれている。そんなりえの結婚観に影を落とす、知られざる “義父” がいる。
小沢氏はりえの母親「りえママ」こと光子さん(2014年逝去、享年65)と結婚し、幼いりえと生活をともにしていた。今回、約40年の歳月を経て、初めて実名でりえ母娘への思いを語る。
小沢氏と光子さんの出会いは1974年ごろ。オランダ人男性と結婚してりえを出産した光子さんは、離婚してモデルやダンサーの仕事をしながら銀座のクラブでも働いていた。小沢氏はピアニストとして、同じ店で演奏していた。
「光子は166センチと長身で、美人でボイン(笑)。僕はすぐに興味を持った」
約2年の交際を経て、2人は1976年1月に結婚。りえと3人で暮らし始めた。
「りえは3歳になるころだった。僕のことは『パパ』と言ってくれてたね。ただ、何かあるとすぐに泣きながら『ママ、ママ』って光子のところに行く。光子は『だから言ったでしょ。パパのところに一人で寄るんじゃないの』と。なかなか懐いてくれなかったよ」
1年後の1977年、小沢氏と光子さんの間に聡さん(仮名)が生まれる。りえにとっては初のきょうだいだった。
「弟ができてりえは喜んでいた。自分で抱っこして、かわいがっていたよ」
だが、4人家族の幸せな時間は長続きしなかった。聡さんが生まれてからわずか4カ月で結婚生活は破綻する。
「光子は生まれたばかりの聡を僕の母親に預けて、僕の友人の男と2人で遊びに行った。それがどうしても許せなかったんです。結局、光子がりえを引き取り、僕が聡を引き取って離婚することになった。一度だけやり直そうと思って、マンションを借りて一緒に住んだけれど、修復はできませんでした」
聡さんが、姉と母のことを知るのは、中学生のころだった。
「僕の母が、実の母親のことや、当時すでに人気だったりえのことを話したようです。僕は思春期の聡に、母親やりえに会いたいか聞いたことがあった。そのときは僕に気を遣って『会ってもいいよ』と控えめに答えていました」
2010年ごろに小沢氏は、聡さんとりえの再会を実現するため、池袋の芸術劇場で公演していたりえに手紙を書いた。
「一度でいいから弟に会ってやってほしい、と書いてマネージャーに渡しました。でも連絡はなかった。そして2014年、聡は温もりを実感することがないまま母親を失ったんです。りえは光子の死を知らせてはくれなかった」
小沢氏は、りえの将来を心配し、もう一度会える日を待ち望んでいる。
「僕と光子が別れたことで、りえと聡には大変な人生を送らせることになってしまった。最近、りえと森田剛さんが結婚間近という報道を見ます。りえにとっては再婚。私と結婚したとき光子も再婚でした。りえには、今度こそ幸せになってほしい。そしていつか、肉親である聡と再会してあげてほしい」
りえ本人は“義父”の思いをどう感じるのか。所属事務所に確認すると、「本件に関しコメントは一切ありません」との回答だった。
(週刊FLASH 2018年2月6日号)