1月1日放送の『ごぶごぶ正月SP ~浜ちゃん元日から大暴れ』(毎日放送)に宮根誠司がゲスト出演。ダウンタウン・浜田雅功と大阪で珍道中を繰り広げた。
毎日放送の番組にも関わらず、浜田が読売テレビを訪れ、宮根の楽屋で生放送中の『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ制作・日本テレビ系)終了を待ち伏せ。
宮根が楽屋に戻って慌てふためくなか、浜田は「大阪の人たちがすごい心配している。去年、宮根が『ミヤネ屋』を辞めて、東京へ行くんじゃないかと(週刊誌で報じられた)。みんな心配している。何にも言えへんから」と言い出す。
週刊誌報道を否定する宮根に、浜田は、大阪に残ることを世間にちゃんと言うことを提案。こうして、宮根は浜田とともに各地を回って、謝罪することに。まずは読売テレビの応接スペースで大声でこう叫んだ。
「昨年秋ごろに、私、宮根誠司が大阪を離れて、仕事の拠点を東京に移すという記事が週刊誌に載り、あらぬ誤解と迷惑をおかけしました。あの記事は根も葉もないデマです。私、宮根は大阪を愛しています。今後も大阪で仕事をし、一生死ぬまで大阪のために働いていく覚悟です!」
さらに浜田は、宮根を北新地のクラブ、古巣のABC朝日放送、よく飲むお笑いコンビ・ダイアンの津田寛治ら10人ほどの芸人の前に連れていき、同じように謝罪させた。
宮根が芸人たちを集めて恒例で行っているという、1万円を直接手渡す儀式も公開された。最後に、宮根は人通りの多い、道頓堀の街頭ビジョンに登場して、改めて、大阪に残る決意を語った。
宮根の『ミヤネ屋』降板は『週刊文春』(2017年10月26日号)が報じた。記事には、4月以降、フジテレビの夕方の帯番組を担当するとまで書かれていたが、宮根が『ミヤネ屋』で「4月以降もやらさせていただきますので、よろしくお願いします」と続行を宣言した。
だが、その後、『女性自身』が、宮根の愛娘が都内の有名私立小学校に合格したため、妻子だけ大阪から都内へ引っ越すと報道。宮根だけが大阪に残る別居生活を送ることになった。
宮根は1987年に朝日放送に入社。同局の『おはよう朝日です』キャスターを務め、2004年4月からフリーに。2006年に『ミヤネ屋』をスタートさせた。
2016年に番組放送10周年を迎えたとき、会見で東京進出についてこんな意外なコメントを残している。
「タレントにその自由はない。事務所が決めるので……。僕の中では(東京に)行きたいとか、大阪にとどまりたいとか、そのあたりの主体性はない」と意外なコメントを残していた。
平日は『ミヤネ屋』、日曜は『Mr.サンデー』(フジテレビ系)と多忙な日々を送る宮根。浜田の前で誓った「一生死ぬまで大阪のために働いていく」という約束を守ることができるか。