(2017年ごろ、左から運転手、理学療法士、ミスター、広報担当者)
「2019年の巨人の本拠地開幕戦は、4月2日の阪神戦。ここにミスターが来場するという情報が、番記者の間を駆け巡っている」(巨人担当記者、以下同)
「3月13日に、九州、山口県、沖縄県の財界人による巨人後援会『西部燦燦会』の設立式が福岡市内のホテルであり、ミスターは祝電を送った。
「15年間、雨でも台風でも、休みなしでリハビリする姿を見てきた。こっちまで元気になる。いまは苦しいよ。姿が見えないから」
「退院してから1週間後、多摩川河川敷の旧巨人軍グラウンドで、仁王立ちする長嶋さんを私は見ました。それが、リハビリ姿を取材し始めた最初です」(吉見氏、以下同)
「ミスターのつらい姿をファンに見せたくない」という故・亜希子夫人の意向もあり、当初は都内の高級マンションの一室でリハビリをしていた。
「でも、あの仁王立ちする姿を見ていましたから、そのうち絶対に外でリハビリすると私は思っていたんです」
「徐々に歩く距離が延びていきました。50メートルほどの距離を10往復、さらに公園の下から自宅まで続く、約1キロのきつい坂道を散歩して帰るのが日課。
「土曜日はとくにハード。ほかの曜日とは別の理学療法士の男女が付き添い、麻痺の残る右脚を大きく蹴り上げて、約30メートルを一気に走る。最後に30回の素振りで仕上げ。
だが、順調に見えたリハビリに変化が見えたのは、2018年1月だ。まず、火曜日は自宅近くの散歩だけですませることが多くなり、次いで木曜日もそうなった。堅く守ってきたルーティンが崩れたのだ。
「退院後は、外出してのリハビリはしていません。その代わりに、理学療法士の男性が自宅に通うようになった。現在では長嶋さんは、サッカーボールほどの大きさの球を、麻痺している右手で投げるほどに回復しているようです。
「今季から3度めの指揮を執る原辰徳監督は、『全権監督』という条件でオファーを受けた。ただ、巨人の上層部は、なんでもかんでも原監督の思いどおりにはされたくない。
「一茂は、一度も姿を見たことがないけどね(笑)。俺がこれだけ取材を続けられたのも、長嶋さんのすごさですよ。毎日、通うのを許してくれていた。
【ミスター・ジャイアンツ「長嶋茂雄」15年闘病史】
●2004年(68歳)
・3月4日/脳梗塞で、東京女子医大に緊急入院
・3月26日/緊急の状態を脱し、リハビリのため転院
・4月12日/初台リハビリテーション病院へ転院
・5月/退院しリハビリ用のマンションに
・8月2日/アテネ五輪での、日本代表の指揮を断念。代理は中畑清。このころ、田園調布の自宅に戻る
●2005年(69歳)
・7月3日/東京ドームの巨人対広島戦で488日ぶりに公の場に
●2007年(71歳)
・9月18日/亜希子夫人が64歳で急逝
●2009年(73歳)
・4月/このころから「ミスターと一茂の不仲」が報じられる
●2013年(77歳)
・5月5日/国民栄誉賞を受賞。同時受賞の松井秀喜と、東京ドームで始球式
●2018年(82歳)
・6月8日/東京ドームで巨人対西武戦を観戦。現在のところ最後の公の場
・7月8日/「長嶋茂雄招待セガサミーカップゴルフ」を欠席。体調不良説が出る
・8月8日/「胆石のため7月から入院している」と巨人軍が発表
・11月10日/「長嶋茂雄少年野球教室」を欠席
・12月1日「回復し、一時帰宅している」と山口オーナーが明かす
・12月13日/退院。田園調布の自宅に戻る
●2019年(83歳)
・1月10日/丸佳浩が、「FA宣言直後にミスターから手紙を受け取った」と明かす
・2月9日/宮崎キャンプ中の巨人軍に、メッセージ。山口オーナーが代読
・2月20日/次女・三奈が『スポーツ報知』で、「胆石が自然に消えた」と明かす
写真提供・吉見健明氏
(週刊FLASH 2019年4月9日号)