最近よく聞く、両者の合意のもとに婚外交渉を認める開かれた結婚「オープン・マリッジ」。端的に言えば、公的に浮気を認め合う夫婦……。不倫によるバッシングが厳しい日本において、驚きの夫婦観かもしれないけど欧米では割と浸透した考えかた。では実際「第三者」が介入することで、結婚生活は豊かになるのか? 世界で広まりつつるある新しい夫婦の関係性を社会学者で作家の鈴木涼美さんと考察。
不倫はほかの言葉に置き換えたら?
日本には、売春防止法という列記とした法律があります。女性が個人の自由で売春をしたところで特に罰則規定はないけれども、売春という行為は建前上、法的に認められていない。だから沢山の売春、もしくはそれに準ずる行為を指す、言い換えの言葉が生まれました。援交、ワリキリ、サポ、裏っぴき、パパ活、ソープ……。
近年の男女関係を見たときに、そういう、言葉の言い換えって意外と大事なのかもしれない、と思うことがあります。たとえば既婚者による浮気を指す不倫。当然、不貞行為は法的に認められていない。夫や妻の浮気が原因で離婚する場合に、圧倒的に不倫当事者は不利になるし、継続的な不貞行為があれば、民事訴訟を起こして慰謝料を取ることもできるものです。
ただ、現代の男女関係は、結婚・夫婦関係と、その外部にある不貞行為というような枠組みで語り切れるのか、と問われると、疑問に思うこともしばしばあります。
例えば既婚男性が、妻の大まかな合意の上で、妻以外の女性と関係を持ち、子を設ける。戦前の日本ではごく当たり前だったことですが、今現在それは建前上はタブー。でも正直、妻も「愛人」側もその事実に合意していて、両者ともしっかりした生活と身分の保証がなされている場合に、それを否定する言葉を私たちは持ちません。その関係を倫理が不在の状態、不倫関係と呼んでいると、なんだかしっくりきません。
認められていない男女の関係を私たちはどう捉えるべき
男女関係に限らず、今信じている価値観が絶対的なものだと考えるのはとても危険なことです。時代によって善悪というのは変わるし、今当然とされていることが後には考えられない反社会的行為と見なされる日が来ないと言い切る根拠などありません。結婚や純愛と、不倫やアバンチュールというものが現在のような扱われ方をするのも、特定の時代の特定の価値観を信じるが故に起こることだと知っていることは、とても価値のある知識と言えます。
では実際に、愛人や不倫や売春など、この世で認められていない男女のあり方をどう捉えるべきなのでしょうか。不倫はいけないという世の中の圧倒的な正義はある。ただ、不倫や不貞行為のレッテルを押される側にはそちらなりの、正義や倫理が存在する。それを完全に否定する自信がある者はいない。その過渡期のジレンマを棚上げするために、言葉の言い換えというのは結構便利なこともあるのです。
一夫多妻のとある医者Hさんのお話
一つ例示してみることにします。私の友人の医者の男性のことです。彼には10年近くの付き合いとなる、仲の良い妻がいます。彼女は彼にとって、一緒に診療所を運営している同志であり、1人の子供を育てている運命共同体でもあり、今現在は恋い焦がれる気持ちがなくてもかつて熱烈に愛した相手でもあります。産科のクリニックを営む彼にとって、助産師であり、クリニックの共同経営者とも言える妻は、掛け替えのない存在で、当然恋愛感情というもの自体は薄れた今でも、別れる気など全くありません。助産師としての仕事や子育てに奔走する妻は、子供は1人が限界、と当初から宣言していて、宣言通りに1人の子供を設けた後は、子作りをする気はさらさらないようです。
さて彼には、実際の戸籍上の家族の他に、3人の恋人がいます。1人とはすでに2歳になる子供がいます。もう1人は妊娠中、後の1人は仕事が忙しく、当面子供を作る気はないけれど、彼の趣味である海外旅行を共にする、こちらも大切な恋人です。父親からクリニックを引き継いでいる彼には十分な収入があり、各恋人と自分の戸籍上の妻、そしてもうすぐ3人になるそれぞれの子供たちの生活費は全面的に負担しています。妻とは病院で共に働いていて、平日の夜は妊娠中の恋人を気遣って彼女の家に帰り、土日は子供のいる恋人のところで過ごすことが多く、旅行中はもうひとりの恋人と過ごします。
彼のことを仲の良い友人は「現代の大奥」だとか「大正華族」、「一夫多妻の石油王」なんて呼んでいますが、それらはすべて、彼のような人が認められた社会が時代や国・宗教によっては存在することがわかるニックネームになっています。彼の方はというと、自分のことを「少子化対策担当大臣」とふざけて呼んだりもします。
彼は自分の経済力や体力を考慮して、たくさん子供を作るべきだという哲学があります。一方で、専門職を誇りを持ってやっている妻の仕事や意思を心から尊重したい。その解決策として、妻以外の、時間に余裕があり経済力に余裕がない女性との間に、彼が経済的な負担をおう形で子供をつくる、という現在の関係を模索しました。私には、「倫理が不在」というには似つかわしくない状況のように思えます。
仕事を続けながら子育てをした女性Yさんの場合
もう1つだけ例を出します。私よりだいぶ歳上の女性で、「既婚者の宴」という飲み会を定期的に開催している人がいます。彼女は23歳で出産したため、子供はすでに大学生。下の息子ももうすぐ18歳です。ほとんど手のかからなくなった子供とはせいぜい年に一回温泉に家族で行くくらいなので、仕事の後の夕方から夜は彼女の自由な時間。ただ、自分はもう子供をつくる気がないため、万が一恋に落ちた相手が子供を作りたいと考えたときに、その夢を一緒においかけることができない。
そこで「既婚者の宴」を開催することを思いつきました。参加者の条件は結婚していて、子供がいて、それでもまだ遊びたい!と考えていること。女性の多くが45歳前後、男性は40歳前後が多いようです。4〜6人で遠出をしたり何かアクティビティをすることもあるけれど、多くは合コン的な側面が強く、いつもの女子メンバーに加えてニューフェイスの男性メンバーが参加し、場合によってはその日のうちにホテルに行くこともあります。メンバーの中には、合コンで本気の恋を見つけて、しばらく会に参加してこないこともあるけれど、そのうち戻ってくることが多いのだそうです。
彼女には彼女の論理があります。仕事を続けながら子育てをしていた彼女は、子供が中学にあがるまではかなり時間的に制約のある生活をしていて、気づけば1ヶ月も大好きなお酒を飲んでいない、外で食事していない、と気づくこともあったそうです。メディア関係で高収入の彼女の同僚は、独身であれば毎日のように飲み歩いているし、同僚の妻で専業主婦の人たちは昼に自由な時間を作っている。彼女には自由な時間はほとんどなかったそうです。
そんなとき、似たような職種の旦那はというと、平均しても帰る時間は深夜日付が変わってからで、土日もいないときはかなりありました。収入も似通っている彼女としては女性の負担の重さに改めて気づきはしたけれど、彼女の賢いのはここからです。彼女は、もし彼に「不公平だ」とか「もっと負担して」といったところで、思うようには実践されず、彼も自分も不満がたまる、と考えました。彼の働く業界を、実感を伴ってよく知っている彼女は、彼には彼の言い分があることも、飲み歩いたり女遊びをしたりすることで彼が得ている仕事上の利点もよく知っていたからです。
「彼は30代、私は40代に好き放題する」と彼女は宣言し、30代で彼がどんなに毎日遅くまで飲み歩いても、浮気の影がちらほらしても、一切文句を言わないことを決めました。そして晴れて子供が両方とも高校生になった歳から、徐々に助走をつけて、今では独身の友人たちがびっくりするほど、夜遊びと恋に囲まれて生活しています。
新しい関係には新しい言葉を作っていくべき
ここに登場しているのは両方とも子育てと恋を両立した人のはなしですが、それ以外にも、「子供をつくらないから籍が必要ない」と事実婚状態の人もいれば、同性同士で暮らすひともいれば、妻ひとり子ひとり愛人ひとりを愛し続けている人もいます。ポリアノミーでもオープンマリッジでもニューマリッジでもパートナーでもいいのですが、新しい関係には新しい言葉を作っていくのはなかなか賢いのかもしれません。少なくとも、「倫理不在」と「夫婦」、というだけでは括れない多様なかたちの人間関係が、この世にはあり、安易な言葉の中に押し込めることは、自分の無知を露呈することになるからです。