3月30日、衝撃的なニュースが国民に走る。志村けんが逝去した――。まさか。日本を代表するコメディアンとの別れは、あまりに唐突だった。
『志村流 当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対に成功する』(志村けん/三笠書房)は、志村さんが52歳のときに筆を執った一冊。当時の志村さんが考える、人生や仕事に対する哲学を本音でつづっている。その一部をご紹介したい。
志村けんは3人いる
私たちにとって志村けんとは、テレビ越しに見る「変なおじさん」だった。見るからに面白そうな格好で登場し、絶妙なセリフと仕草で爆笑をかっさらう。お笑いという舞台の上で自由自在にギャグを連発する姿に、誰もが「志村けん」というコメディアンを心に刻んだ。
しかしそれはあくまでテレビ越しの志村けん。お笑い芸人として躍動する「キャラクター」にすぎない。ということは、それを支える「本物の志村けん」が存在する。
志村さんは本書で「志村けんは3人いる」とつづる。まずは誰もが知る「変なおじさん」「バカ殿」「ひとみばあさん」の志村けん。誰でも一瞬でイメージできる「ブランド」ともいうべき存在だ。
もう一人が、17歳の高校卒業直前にドリフターズの付き人から出発した「芸人」の志村けん。多忙なタレントであり、テレビやCMなどの仕事を獲得する営業をこなし、コントをはじめとする番組制作にも関わる。
そして最後の一人が、1950年2月20日に生まれた「本名・志村康徳」の志村けん。この「本物の志村けん」こそ、2人の志村を引っ張る最も重要な存在だ。
本書は、キャラクターとしての志村けんではなく、それを支える「本物の志村けん」がつづる生き方の書である。
志村流の仕事の哲学
志村さんは仕事をする上で「約束の時間より前に現場に入る」ことを徹底していたそうだ。「大物は遅く来る」暗黙の了解が流れる芸能界において、誰が相手でも約束の時間を必ず守った。また挨拶や人付き合いのマナーを重んじ、番組を作るときは準備に一番力を注いだ。
お笑いは常識を知らないと「本当のツボ」が分からない。常識をひっくり返してこそ「お笑い」だから、常識や仕事の基本を徹底して守ったというのだ。
本書には、テレビで見る「ちゃらんぽらんな志村けん」はどこにもいない。どこまでも基本に忠実で、実直に仕事に取り組む職人のような姿が見えてくる。
事実、志村さんが最も信頼を置いた放送作家は、本書のインタビューで「本当の職人。お笑い、特にコントという部分において鍛錬に鍛錬を重ねてきた人だと思うんです」と答えている。
志村流の人生の哲学
志村さんはお金の使い方も徹底していた。物に対する執着がなかったので、自分を着飾る衣服や車にこだわらず、常に自然体で生きることを心がけていたそうだ。
プライベートな持ち物に関心を寄せない一方、仕事に関するものには惜しみなくお金を使った。仕事に使えそうなビデオやDVDは、どれだけお金がかかってもすべてそろえた。番組にインサートできそうな音楽は、好みに関係なく購入し、時間を見つけては聴いていた。
そして驚くべきは、信頼できる放送作家をお金で囲っていたこと。放送作家はTV局の番組の台本を書いて生活している。「座付き作家」として“優先的に”特定の芸人の仕事に関わることがあっても、たった一人の芸人の“専属”として仕事することは皆無。
その点、志村さんは「金の面倒はすべて見る。だからオレの仕事だけをやってくれ」とお願いしたくらい、御用達の放送作家を一人そばに置いた。コント作りにおいて設定や構成はキモであり、芸人と放送作家の“阿吽の呼吸”がないと爆笑を生み出す台本は作れない。
志村けんのコントは誰もが爆笑を期待しているからこそ、阿吽の呼吸を生み出す放送作家に、どれだけお金がかかっても絶対にそばにいてほしいわけだ。
もちろんお金の使い方は人それぞれ。だから志村さんが本当に伝えたいのは、「ここ一番という大切なポイントで、絶対に出し惜しみせずお金を使うべきだ」ということ。
自分がいちばん大事にしていること、それは人間関係だったり、情報だったり、学問だったりするだろう。その自分にとって絶対に必要なんだっていうものに、ためらうことなく大切なお金を使って欲しいんだ。そして、車だのバッグだのといった、いわゆるモノじゃないところにお金を使ったとき、本物の精神的満足が得られるんじゃないのかな。
どれだけ辛いことがあっても乗り越えられた理由
本書を読むほど、テレビでは想像つかないストイックな志村さんの姿が浮かび上がる。おそらくそれを貫いた理由は、「本物の志村けん」がいい加減な生き方をすると、仕事を担う2人の志村もいい加減な存在になってしまうからではないか。
お茶の間に爆笑を届け続けた「変なおじさん」は、筋の通った仕事論と人生論に裏打ちされた「お笑い職人」が支えていたのである。
志村さんのように、私たちも様々な場所で様々な顔を持つ。けれども根っこは一緒だ。「本物の自分」が日常生活で見せる「あらゆる自分」を支えている。きっと本物の自分が揺らいだ生き方をすると、ほかの自分も揺らいだ存在になって、人生が少しずつ歪んでいくんだろう。
本書の冒頭で、志村さんはこうつづる。
吐きそうなくらいつらかったことや悲しかったこと、悔しかったこともたくさんあった。でも、最後は自分しかいない、最後の頼りは自分だけ、という信念みたいなものがあったからこそ、何とか頑張ってこられたのかもしれない。
お笑い界の第一線で最後まで活躍を続けた志村さんは、「みんなの志村けん」であり続ける生き方を知っていた。だからずっと国民から愛されたし、これからも愛され続けると思う。
やはり志村さんとの別れは、あまりに急だった。こんな日本だからこそ、せめてもう一度だけ「だいじょうぶだぁ」が聞きたかった。
本書以外にも志村さんは、『変なおじさん 完全版』(新潮社)や『志村流 遊び術』(マガジンハウス)など、様々な本を執筆している。もはや志村さんのコント姿を見ることはできない。しかし最後まで貫いた「志村流」の生き方は、本を通して触れることができる。心に寂しさを覚えたときは、ぜひ手に取ってほしい。
文=いのうえゆきひろ