子どものころ、「遊び」でやったことがある人も、いるのではないでしょうか?「ピンポン野球」が、いま広がりを見せています。
愛知県のとある公民館。集まった学生たちに声をかけてみると…。
「君たちは何部?」(記者)
「卓球部です」(学生)
テーブルには、卓球のラケットと、なぜか野球のバットのようなものが。
卓球部員たちのあとをついて行くと、行われていたのは「ピンポン野球」でした。“ピンポン球を握り、投げる”という、本格的なスポーツだといいます。
「プロ野球選手やメジャー級の選手みたいな変化球を投げられる、それが魅力」
「いろんな年代の人と関われる、新しい競技」(卓球部部員)
2014年に設立された、「ピンポン野球連盟」。そんなピンポン野球のルールは…
ルール1:1チーム4人制で試合はスリーアウト交代の7回まで。
ルール2:打ったピンポン球の飛んだ距離で何塁打かが決まる。
いまや全国に19チームが結成されている「ピンポン野球」のルールを考えたのが、三重県に住んでいた平田小次郎さん(62)。
「(当時は)ピンポン野球をどうするか自分で決めていましたね。いろいろひとつずつ」(ピンポン野球のルールを開発 平田小次郎さん)
中学時代、平田少年は野球部で補欠。しかし、ピンポン遊びではヒーローでした。
“大人になってもあの楽しさが忘れられない”平田さんが50代を迎えたとき、強い思いで訪ねたのは、とある学校の体育館。
「風があるとできないんです。ぜひやらせてください」(50代になった平田さん)
しかし、何度も断られ続けました。
「屋内でバットを振ると危ないし体育館に傷が付いてしまうので」(当時対応した教師)
そこで平田さんが考えたのが、安全なピンポン野球のルール。危険と指摘されたバットはプラスチック製に変更し、さらにスポンジを巻き付けて安全なスポーツを目指したのです。
そうして、体育館の利用許可がついに下りました。
その後平田さんはピンポン野球を一緒に楽しもうと、参加者を募集。そこで現れたのが、三重大学の4年生だった柴田賢志さんでした。
柴田さんはすぐにピンポン球を自在に操つようになり、平田さんを翻弄。
「彼はおとなしそうだけど、度胸があってスター選手になりました」(ピンポン野球のルールを開発 平田さん)
野球経験はなく卓球部出身の柴田さんでしたが、ピンポン野球界ではいまや“魔球の使い手”と呼ばれています。
そこで早速、ピンポン野球の魅力ともいわれる“魔球”を柴田さんに見せてもらいました。
まずは“フォーク”。バッターの手前で急に落ちることが特徴のフォーム。
つぎは“ライジングシュート”。浮き上がって曲がることが特徴の魔球です。
「すべて独学でやっています」(柴田さん)
そして「ピンポン野球」最大の魅力が。
“誰もがホームランを打てるということ”。バットが軽く腕力がない子どもたちでも、ミートさえすればホームランが打てるといいます。
先日行われた公開練習には、大阪や神奈川などから30人近くが集まり、にぎわいました。
少しずつ広がりを見せる、ピンポン野球。柴田さんは、こんな夢を語っていました。
「オリンピックの正式種目になって、ちゃんとしたスポーツとして認知されるようにしたい」(柴田さん)
外部リンク