ハリウッド映画に出演し有名になった子役には、ドリュー・バリモアやナタリー・ポートマン、ダコタ・ファニングなどがいますが、天才子役の元祖と言えるのが、1930年代に活躍したシャーリー・テンプル。
世界恐慌によって苦しむアメリカを明るくし、人々の心の支えとなったシャーリーは、7歳で「アカデミー特別賞」の受賞とハリウッド殿堂入りした偉業の持ち主。また、40代からはシャーリー・テンプル・ブラック大使として外交活動も行った名士なのだとか。
そこで今回は、シャーリー・テンプルの可愛い子役時代を中心に、70代までに至るまでの写真と共にプレイバック♡
初めてのお仕事
シャーリーが子役として初めてのスクリーンに登場したのが、1931年から1933年に上映された短編映画シリーズ『Baby Burlesks(原題)』。当時の映画界の風刺として作られた同シリーズは、6歳未満の子どもたちが、映画界で働く“大人たち”を演じた作品なのだそう。
当時3歳であったシャーリーが、同シリーズの一つの作品である『Kid in Hollywood(原題)』に出演している際の写真がこちら。
「フォックス・フィルム社」と契約
現在もハリウッドを代表する映画スタジオである「20世紀フォックス社」の前身「フォックス・フィルム社」と契約。その後、同社の看板女優に。
後に出版された彼女の自叙伝によると、世界恐慌中に倒産に追いやられそうになった「フォックス・フィルム社」を救う存在となったのだそう…!
両親の前では、まだまだ甘えん坊な6歳の女の子だとわかる一枚♡
カラー映画の主演に
アメリカを代表する児童文学の一つ『小公女』。シャーリーが主演で『テンプルちゃんの小公女』として、1939年に当時としては画期的なカラー映画が制作されました。
17歳で結婚!
1945年、シャーリーが17歳になった年にジョン・エイガー軍曹と結婚! 無垢な少女からたくましい女性と成長したシャーリーの結婚に対して、アメリカ中が祝福モードだったのだとか。
30歳になっても笑顔は健在!
シャーリーがホストを務め、1958年から3年間続いた子ども向け番組『シャーリー・テンプルのストーリーブック(Shirley Temple's Storybook)』の宣伝用の写真がこちら。
子役時代に全米を魅了したキュートでハツラツとした笑顔と、3児の母としての強さも垣間見える表情が魅力的な30歳に!
外交官として活躍
実はハリウッドでのキャリアよりも、外交官としてのキャリアの方が長いシャーリー。
当時の米大統領であるリチャード・ニクソンから、国連大会にアメリカの代表として任命されたシャーリー。1969年には環境問題や難民問題を中心に演説を行ったのだそう。その後、国連大使として精力的に外交関係の公務を行いました。
78歳になっても変わらない笑顔!
2006年の「第12回全米映画俳優組合賞」に出席したシャーリー。えくぼが可愛い笑顔で、会場を瞬く間にパッと明るくしました。
20世紀のお茶の間に花を咲かせ、70歳を越えるまで世界の人々のために現役で働き続けたシャーリー・テンプルは、これからも語り継がれるべき女性の一人であること間違いなし!
※この翻訳は抄訳です。