リアーナの「サヴェージ X フェンティ」、キム・カーダシアンの「スキムス」といった話題のブランドのキャンペーンモデルや、アメリカの男性向けメディア『プレイボーイ』のプレイメイト(専属モデル)に起用されるなど、キャリア3年目にしてグローバルな舞台で活躍する日本人モデルのMiki Hamanoさん。
現在ロサンゼルスを拠点とし、「日本のメディアから取材を受けるのは初めてで、緊張しています」と話す彼女に、海外で人気モデルになるまでのプロセスや、現地での生活について伺いました。
Miki Hamano(ミキ ハマノ)
1991年、北海道・札幌市生まれ。2018年にモデルデビューして以降、多くの人気ブランドのキャンペーンに登場。2020年にはザ・ウィークエンドの「Blinding Lights」のミュージックビデオに出演した他、『プレイボーイ』のプレイメイトに抜擢されるなど、注目の日本人モデルとして活躍の場を広げている。
まずは、渡米しようと思ったきっかけを教えてください。
北海道・札幌市で生まれ育って、18歳でアメリカに渡りました。それまで一度も海外に行ったことはなかったのですが、将来英語を使った仕事に就きたくて、まずは現地の大学入学を目標に、思い切って留学を決めたんです。
その頃はまったく英語が話せなかったので、最初の1~2年は語学学校に通い、それからカリフォルニア州のパームスプリングスという街にある短期大学に入学しました。英語での会話や、電話対応を不自由なくできるようになったと感じることができたのは、4〜5年くらい経ったときかな。
最初は大変だったけど、英語を使って働くという目標があったので、諦めずに勉強しましたね。
どのような経緯で、モデルを始めることになったのですか?
モデルの仕事に興味を持ち始めたのは、短大生活を送っていた時です。もともとアートに興味があったので、短大でもそういった授業を色々受けていたのですが、ある時クラスの子に「写真のモデルをやってくれない?」と頼まれて。撮影してくれた写真を見て「私ってこんなふうに見えるんだ!」って、モデルをすることの楽しさに初めて気づいたんです。
短大を卒業した後、今度はサンフランシスコの大学に編入して、そこでカメラマンやメイクアップアーティストなど、たくさんのクリエイティブな人たちに出会うことができ、被写体としてのクオリティも格段に上がりました。
卒業後はロサンゼルスに引っ越して、事務のインターンとして1年間働くことになりました。その後、またお仕事を探している時に、モデルエージェンシーの人が声を掛けてくれて、今のロサンゼルスの事務所に所属することができました。
初めてプロとして受けたモデルのお仕事は?
プロとしてデビューしたのが2018年の初め頃。今から約3年前、私が27歳の時です。初めてのお仕事はTinderのCMでした。時々ダイレクトにいただくお話もありますけど、大抵はどのお仕事にもオーディションがあります。実際のところ、お仕事のチャンスはたくさんあるように感じますね。というのも、アジア人や日本人モデルの需要はすごくあるのに、特に私が拠点とするロサンゼルスには、日本人のモデルの方がほとんどいない状況なんです。
近年はアメリカの業界も意識が変わってきて、いろんな人種のモデルを起用しようという流れがあるようです。社会の変化と共に、需要も変わってきているんでしょうね。私自身、日本人、アジア人だからこそ今たくさんのお仕事をいただけているので、「日本人で良かった!」と、自分のアイデンティティを心から誇りに思っています。
仕事をする上で、もっとも大切にしていることは何ですか?
リスペクトの気持ちです! 私は日本人だからか、時間を厳守するなど基本的なルールをしっかり守るようにしているのですが、そういう当たり前のことを大事にしていこうというのが、信念でもあります。あと、撮影がハードな時でも、疲れを外に出さず、場の空気を悪くしないように心がけていますね。周りの人たちの助けがあって今の私があるので、常に感謝の心を忘れないようにしています。
もちろん体調や、体型管理にも気を使っています。運動をしっかりして、なるべくオーガニック食材を使った食事をきちんと摂ること。最近は、お肉を食べる量も徐々に減らしていますね。普段は減量のようなことはしないのですが、ランジェリーなどの仕事がある時は、撮影の2週間前から体型を絞るために調整を行なったりします。今は新型コロナウイルスの影響でジムが閉まっているので、自宅でヨガやストレッチをすることが多いですね。