生活が苦しい。そんな人の相談を受け、様々な制度を使いながらやり直すことをサポートする。裏切られたことは数知れない。
牧師で認定NPO法人抱撲(ほうぼく)の理事長・奥田知志さんは、昭和の終わりから現在まで、路上生活者や生活困窮者の支援を北九州を拠点に32年間続けてきた。
抱撲は今、総額1億円のクラウドファンディングに挑戦している。
仕事と住まいを同時に失う人の問題を解決するためのモデルづくりを全国の団体と連携し、目指す。新型コロナウイルスの影響で、寮などに住みながら働く非正規雇用労働者の雇い止めが膨れ上がる中で、コロナ禍以前から続く根深い問題の解決が狙いだ。
コロナをきっかけに、再び非正規雇用で働く人々の雇い止めが広がる。12年前のリーマンショックが起きた際と問題の根本は変わらない。
「僕らはずっと大きな宿題を抱えてきた」「この宿題を済まさないことには、2学期に行けないでしょう」
奥田さんは言う。私たちの社会が抱えてきた宿題とは、一体どのようなものなのか。
抱撲だけの取り組みでは意味がない
認定NPO法人抱撲(ほうぼく)の理事長・奥田知志さん
そもそも、なぜ、今、1億円という大金を集め、このプロジェクトに着手するのか。
奥田さんは「抱撲だけがお金を集めて、抱撲だけが九州を中心に良いシステムを作っても意味がないとコロナが教えてくれた」と振り返る。
新型コロナウイルスの流行は全世界に広がった。感染症は国や地域という社会における線引きや富裕層と貧困層という階層すら、ウイルスの前では意味がないという事実を淡々と突き付ける。
そんな中、「全ての人が当事者になり、助ける人 / 助けられる人の区分もなくなった」。誰かを守り、誰かを守らないということの非合理的な側面を感染症はあぶり出す。
生活困窮者がリーマンショック以来、再び増加傾向を見せる今、奥田さんは全国の相談支援の現場を支え、住まいを失う生活困窮者を支える仕組みを作るための一石を投じることを決めた。
「僕らは長年、路上生活者や生活困窮者の支援をしてきました。住まいと仕事を同時に失う人が増えている中で、抱撲の経験を活かすとしたら、それは住宅の支援と就労の支援、そして生活相談への対応です」
「30年前であれば、一度実家へ引き返して、生活を立て直すということもできたかもしれない。でも、家族なき時代になりつつある今、それも難しい。いかにNPOを中心として地域社会が家族機能を社会化することができるのか、その仕組みづくりが必要です」
「僕らはずっと大きな宿題を抱えてきた」
2008年の「年越し派遣村」
「コロナは未知のウイルスかもしれない。でも、病気以外の問題は以前から、日本社会に存在した矛盾が露呈しているだけなんです」
奥田さんは苦言を呈す。
「立ち止まり、絆創膏を貼るだけのような対策をするのではなく、解決するための取り組みをしないと、またいつか新しい感染症が発生した時に同じ問題に直面することになります。いわば、僕らはずっと大きな宿題を抱えてきた。この宿題を済まさないことには、2学期に行けないでしょう」
日本は西欧諸国などと比較して、住まいに関する公的支援が脆弱だ。
住宅政策は国土交通省の管轄だ。日本では基準や規制を国交省が策定する一方で、具体的な住宅の提供は一部の公営住宅を除き、民間が大きな役割を担ってきた。
政府は公営住宅をこれ以上増やすことはないとの方針を示し、東京都では公営住宅は石原都政以降、減少している。
これまで普及していたのは、大学を卒業し、企業に一括採用され、終身雇用の仕組みで働く中で自分の家を持つライフスタイルのモデルだ。
右肩上がり、経済成長を続ける社会であればこのモデルも機能した。だが、経済成長が停滞する今、モデルそのものの見直しが迫られている。
労働者派遣法の抜本改正実現を目指す集会で発言する「年越し派遣村」村長の湯浅誠さん
「これまで住宅政策は基本的に民間へ丸投げの状態でした。そして、今、就労が脆弱化し、そもそも住宅を確保することすら難しい人々が増えています」
2008年9月のリーマンショックの際も、非正規雇用の人々の雇い止めが相次いだ。現在、生産人口における非正規雇用者が占める割合は約40%。寮などに住み込みで働く人々も少なくない。
「この構造は景気が良い時には便利ですし、就職と同時に家も当てがわれ、一見問題ない。でも、景気が悪化した時、そうした環境で働く非正規雇用の人々が景気の安全弁のように使われ、雇い止めにあう。リーマンショックが起きた12年前もそうでした」
リーマンショックが起きた3ヶ月後には「年越し派遣村」が設営された。この時、非正規雇用者の中には仕事を失うと、住まいも同時に失う人々がいるという構造的な課題が明らかとなった。
「住み込みの寮は会社の福利厚生の一環で、借地借家法に守られた賃貸借契約を結んで入居するわけではない。そのため、通常であれば守られる居住権も守られず、雇い止めにあえば追い出されてしまう」
東京都ではコロナ禍で、こうした住居喪失者に対しビジネスホテルが提供された。しかし、ビジネスホテルから新たな住まいへの移行はスムーズにはいっておらず、再びネットカフェや路上へと戻る人々も確認されている。
「たとえ仕事を失ったとしても、住宅は失わない仕組みを作りたい。そのパイロット事業を作って、見せる。それが今回のプロジェクトの肝です」
住まいを確保、だけでは意味がない
「この取り組みは日本人の価値観すら問い直す」と奥田さんは言う。
「私が牧師になった1980年代終わり頃、リゲインという飲み物が流行っていました。宣伝文句は『24時間戦えますか』。当時、労働が全てという価値観はとても大きなものでした。『働かざる者、食うべからず』と当たり前のように言われてきた。でも、そんなの嘘ですよ。困窮者支援をしてきたからわかる。働いたから食べるではなく、食べた人が働けるんです」
「食べるということの方が先。それは絶対の権利だと思っています。人間である限り、生きるために食べるということは大前提でしょう。住まいも同じです。住み込みの仕事では仕事が先、住宅はおまけのように付いてくる。でも違うでしょう。安心して住むことのできる場所があるから、働ける。もし失敗したとしても戻ってこられる場所があるから、次の会社を探すことができる。僕は、住まいが大事、命が大事だという当たり前の順番へ戻したいんです」
では、雨風をしのぐことのできる最低限の住居だけがあればいいのか。そうではない、「相談できる人の存在が重要だ」と奥田さんは強調する。
浮き彫りとなるのは孤立の問題だ。主要20カ国の孤立率を調べたOECDの調査では、日本の孤立率は15.3%、アメリカの約5倍、イギリスの約3倍の値となっている。
「孤立というのはひとりぼっちであるということではない。孤立というのは、たくさん人がいるのに、誰も僕のことを知らないということなんです。抱撲は30年間、ハウスレスとホームレスは違うと言い続けてきました。ハウスレスは家がない、仕事がない、健康保険がない、お金がないといった経済的問題です。でも、ホームレスは経済的問題だけでなく孤立の問題を抱えた状態だと考えています」
「僕らもね、たくさんの人のアパート入居をサポートしてきました。全体で見れば自立率は9割を超えて、そのうち57%が就労した上で自立してる。仕事も決まった、家に入った、もうね、隔世の感ですよ。『おじさん、よかったねえ』と声をかけてきた。でもね、ある日気づいたんです。部屋の中で一人、ポツンと座っている姿は路上で段ボールを敷いて座っている姿と変わらなかった」
路上生活者の支援をする中で、「畳の上で死にたい」という声を何度も耳にした。30年以上、そうした人々を支え、住まいを確保するサポートを続けている。アパート入居後、住まいを手にした生活困窮者の悩みには共通点があった。
それは、「俺の最期は誰が看取ってくれるのか」という声だった。
「誰でも入れるアパートを全国に100戸から150戸用意します。どうぞ自由に使ってください、ではダメなんです。住宅を用意するだけでは意味がない。誰が彼らを支えるのかということをセットにして、考えなくてはいけません」
孤立がなくなれば入居拒否もなくなる
孤立の問題は住まいを失った生活困窮者がアパートに入居する際にもハードルとなる。
日本には現在、約840万以上の空き家が存在していると言われている。深刻化する空き家問題。しかし、他方で住まいを見つけることに苦労する人もいる。
経済力への懸念から入居を拒否されるケースがあることも事実だが、入居を希望する人が高齢な場合、死亡した際の死後事務の問題を危惧し、拒否されるケースも少なくない。
もしも入居者が死亡した場合、家族や血縁者にその後の対応をお願いするケースが一般的だ。しかし、身寄りがない場合、生活保護受給者以外はその問題は大家にふりかかる。
人間関係の希薄化が進む中で、こうした傾向はより顕著になりつつある。
孤立の問題に取り組むため、抱撲は北九州市で互助会を立ち上げた。会員は300名超。毎月500円の会費を徴収し、誕生日会やバス旅行、サロンを開催している。
この互助会最大の特徴が「互助会葬」だ。互助会のメンバーが亡くなった際には、地域のメンバーで見送る取り組みを続けている。
葬儀まで引き受ける互助会の存在が浸透し、その地域では大家が入居拒否をすることはなくなったという。
「孤独や孤立の問題を解決するには、『あなたのことを心配してます』と言ってくれる人、『あなたのことが必要なんだ』と言ってくれる人が必要です。助けてと言える関係と、助けてと言われる関係が並列する。家族のような関係を地域の中で作れないか、そんな試みをしているんです」
奥田さんはクラウドファンディングにより資金調達をすることで、この仕組みを全国へ拡大することを目指す。
関係団体には課題解決の専門的な支援だけでなく、互助会のように地域の人々とつながることによる支援を求める。
「今回、全国に展開するのは単に支援者が入居者を支えるだけでなく、NPOが大家から不動産を一括で借り上げ、転貸するサブリースのモデルです。不動産を借り上げ、貸主をNPOにした上で、入居者のケアはNPOが行う。不動産の大家にとっても安心できる形で住まいを確保したいと考えています」
抱撲は、オーナーの理解を得て、北九州市のある不動産の71室を1部屋2万円で借り上げ、生活困窮者のための住まいとして提供している。
部屋の賃料は月々2万9000円。その地域における生活保護の住宅扶助基準の金額だ。1部屋あたり月々9000円が抱撲の収入となる。
このモデルによって生まれる利益は、この物件だけで年間800万円ほど。これにより、抱撲はスタッフを雇用し、この仕組みをより持続的に運営することが可能となっている。
「NPOが借り上げ、住まいを必要としている人々に貸し出すことで、大家さんも安心、入居者は総合支援を受けることができて安心、NPOは持続的に活動することが可能となります」
この取り組みを全国に広げながら、同時並行で費用対効果の調査が始まる。
空き家が埋まること、そこに人が定住し消費することによる経済効果や恒常的な伴走型支援が定着することによる社会保障費の抑制がどの程度見込まれるのかを検証する。
「そもそも、国がこうした事業をやるべきだとは思います。でも、誰もやったことのないことを国にやれと言ったところで、そんなの無理でしょう。やる前からエビデンスを求められてしまう。なら、エビデンスはこちらで検証しますから、結果が出たときは国も動いてください、と」
「1億円を集めたところで、用意できるのは10都市で合計100室から150室あまり。この先、失業者も増える可能性もある中で微々たるものです。『どれほど実効性があるのか?』と聞かれます。非常に小さなものですよ。でもね、モデル事業として進めますから、その成果を見て、国として何をやるのかを考えて欲しいんです」
感染リスクはある。それでも、炊き出しは絶対やめない
新型コロナウイルスの流行により、人々はソーシャルディスタンスを保つことを求め、人と人との接触がリスクとなった。
その影響は支援団体の活動にも、大きな影を落とした。
全国各地の支援団体の中には、感染防止対策が徹底できないことなどを理由に、炊き出しを一時中止した団体もある。生活困窮者がこれまで以上に苦しんでいる中での、まさに苦渋の決断だ。
「僕らの支援、伴走型支援っていうのは、まさに『濃厚接触』ですよ。正直、濃厚接触をやめて、3密を避けて、なんて言われてしまったら、どうしたらいいかわからないですよね…」
NPOの理事長として、「感染のリスクを冒してでも、支援すべき」とは言えない。しかし、やるべきことは今も変わらないという。
「なぜ、炊き出しをするのか。なぜ、食料を提供するのか」。30年前、活動を始めた当初からスタッフたちと自問自答を繰り返してきた。見出した結論は、食事は関係構築のツールだというものだ。
もしも、危機に瀕したとき、いざとなれば、あそこに助けを求められる。路上で暮らす人や生活に苦しむ人たちにとって、そんな「信頼できる誰か」になるために炊き出しを続けてきた。
「だから、炊き出しは絶対やめません」
屋外にテントを設置し、そのテントに幕を引くことで飛沫感染の対策を行う。道路にはガムテープで線を引き、列をなす人が密集しないよう最大限配慮して、食事を提供している。
いつもなら、食事を配って、一緒に食べる。だが、今はそれも難しい。お弁当を配り、すぐに解散していく。
それでも、どうにか関係性をつなぐため、試行錯誤する。今ではボランティアや支援者に呼びかけ手紙を集め、弁当の上に挟み、手渡している。
「1人でも食べても、2人で食べても栄養価は一緒、同じ1000kcalでしょうと言われますが、何をどれだけ食べるかということよりも、誰と食べるかがもっと大事だと思うんです」
だから、奥田さんは「1人で死なせないことこそ、自立の柱だ」とつぶやく。
「自立とは何か。自立とは1人で死なないこと。自立したものは1人で死なない、1人で死なせない。誰かと一緒に生きていく。そのために、助けたり、助けられたりする関係を作る。自分たちが本当にやりたいことができない状況が続くのは、辛いことですね」
「ダメになるのも人のせい、頑張れるのも人のせい」
抱撲は「伴走型支援」を行うことを重視する。
その価値観は、たとえ問題解決ができなくとも、誰かとつながることが最も重要というものだ。
「支援をしていれば裏切られることはあります。そんなこと、いっぱいありますよ。でもね、うちには4回目のチャレンジ、5回目のチャレンジでやっとこさ、軌道に乗って生活を立て直す人もいる。問題解決だけを考えていたら成果主義的な空気に飲まれてしまうかもしれない。でも、それじゃダメなんです。問題の解決だけが成果ではないと思うんです」
支援をした結果、自立に結びつかないこともある。一度、自立したと思ったら借金を作り、再び生活困窮に陥るケースもある。
そうしたケースが生まれるたび、「そんな支援は無駄だ」という声が聞こえてくる。だが、「無駄な支援などない」と奥田さんは繰り返す。
「人を立ち上がらせるのは最終的には人なんですよ。人は何のために働くのか?お金のためですか、食べていくためですか。30年近く支援してきた僕からすれば、その問い自体が間違っていると思います。誰のために働くのか、それが答えです。頑張る動機を与えてくれるのは、人なんです」
「俺が死んだら、あの人はどう思うかなと思うから死ねない。これだけ色々やってもらって頑張らないわけにはいかんと思うから頑張れる。僕ね、よく言うんですよ。『ダメになるのも人のせい、頑張れるのも人のせい』。人間それでいい」
成果だけを見ていては見えないものがあると奥田さんは言う。
「関係構築をするまでには試し行動というものがあります。長い人では、それが10年続く。『あれだけ支援してダメだった人に、いつまで支援するの?』と言う人もいますよ。でも、『時』ちゅうものがあってね、パッと風が吹く瞬間がある。風が吹き、ちょっと揺らいだ時、誰が横にいるかが勝負です」
いつ、風が吹くのかは誰にもわからない。その風は多くの場合、外的要因だという。だからこそ、諦めることはできない。
32年支援を続ける中で、ある人は生活していた公園に行政の工事が入って追い出され、生活再建を決意した。
また、ある人は空き缶を拾って暮らしていたが、北京五輪後の価格下落、リーマンショック、失業者の若者が空き缶をトラックで集め始めたことをうけ、ついに支援につながることを決めた。
「僕は諦めが悪くて、もったいないと思ってしまう性分なんでしょうね。もう5回も行って、行くたびに帰れと言われるんだけど、6回目には何か変わるかもしれないと思ってしまう。10年も足を運んで、何にも起きないけど、もしかしたら10年と1ヶ月目には何かが変わるかもしれないって思ってしまう。この人は絶対に変わるはずだと確信を持っているわけではないんですよ」
「風が吹いて、何かが起きた時こそ、それまでの関係性が試される。失敗を重ねているように見えたとしても、通い続けることで深まる関係性もある。上手くいかなかったことが、最後の風が吹いた時に効力を発揮しよるんで、無駄なんてないんです」
「『裏切り』の積み重ねが、次の結果につながると思ってる。でも、それがいつかは、その時にならないとわからない。いつかきっと変われる。半分はまぁ、負け惜しみやけどね(笑)」
「植松くんのあの言葉は、時代の言葉だと思うんです」
昭和の終わりから、平成、令和と支援を続けてきた。奥田さんの目に、この32年の変化はどのように映るのか。
「やっぱり、僕はこの社会において孤立の問題が進行したと思っています。企業と家族をベースとした社会経済のシステムが衰退した。そして、それに自己責任論が拍車をかけた。自己責任というのは、社会の責任を問わないための方便です。悪いのは個人であるだなんて、周りが助けないことを正当化するための理屈ですよ、言い訳です」
「そうやって他人に迷惑をかけてはいけないという価値観が広がった。そんな中で、相模原事件の植松くんのような考え方が生まれてきたのだと思います。その人が苦しんでいるのは、自業自得だと。昔、路上で暮らすホームレスは自業自得と言われていました。今はそれが日本中に広がりましたね。路上の風景に社会が追いついた32年間だと感じます」
2016年7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件。事件後、犯行の背景には、加害者の植松聖被告の「障害者は不幸を作ることしかできません」といった思想があったことが明らかとなった。
奥田さんは「植松くんのあの言葉は、時代の言葉だと思うんです」と語る。
「彼が意味のある命と意味のない命という分断線を引いたと言われますが、その分断線自体は彼の前から、残念ながらありましたよね。むしろ、彼自身がその分断線上にいた」
「彼自身、彼が定義する『意味のない命』の側に極めて近い位置にいた。障害者には意味がない、あるいは他人に迷惑をかけている。だから、殺せと言う。彼のその価値観からすれば、事件前、まさに彼自身が『意味のない命』の側にいたのではないでしょうか」
2018年7月、奥田さんは植松被告に面会した。その場で尋ねたのは2つの問いだ。
「君が言いたいのは、役に立たない人間は殺せということか?」
「君は事件の前、役に立つ人間だったのか?」
植松被告は「役に立たない人間は殺すということ」が自らの主張であることを認めた上で、躊躇しながら「僕はあまり役に立たない人間でした」と打ち明けたという。
「それを聞いて、やっぱりそうだったのかと。植松くんは自分はこのままでは役に立たない人間でい続ける、自分の理屈からすればそれは殺される側でしかないわけです。そんな状況を一発逆転するために、自分よりも役に立たないと彼がレッテルを貼った、『家族を不幸にしている』『社会保障費を食い潰す』障害者を殺すことで役に立つ人間である証明をしたかった。彼は、役に立つ人間になりたかったんじゃないかと思うんです」
相模原障害者施設殺傷事件以降、毎年のように「生産性」や生きていることの価値に対し疑義を呈すような言説が世の中に飛び出す。そうした言説は一種の「言ってやった感」を内包し、ネットなどで一部の人から支持を集めているようにすら見えてしまう。
「タブーに触れることを『エッジが効いている』と捉え、それ自体を楽しんでいる節はありますよね。言ってはいけないとされていることをあえて言うことで、ウケをとる。歪んだエンターテイメントのようなものが広がっていると感じます」
生活困窮者、路上生活者などを蔑視する言説も絶えることがない。
奥田さんはその背景に、「中間層の底が抜け、中間層下部と生活困窮層が重なったことの影響があるのではないか」と指摘する。
働いていても、生活が困窮している「ワーキングプア」という言葉が日本でも定着したは、2006年以降。経済成長を続けていた時代には、会社で働いていれば安定した収入を得ることができ、貯蓄をすることも可能だった。しかし、今、格差は広がる一方だ。
そんな中、生活困窮者には生活保護や様々な制度によって社会保障費が払われる一方で、同じように苦しい状況の中で何とか頑張ろうと働く人々には払われないという状況が「近親憎悪」に似た状況を招いているのではないかと奥田さんは考える。
「今の時代、中間層下部に属する人々の生活も苦しい。そうした中で、生活保護受給者などへの批判が根強く残り、支援が必要な人が支援につながることを阻んでいるのも事実です」
「生活保護をもらったら申し訳ない、と言う人がいますが、健康保険証を使って病院を使うことを申し訳ないと思う人はいないでしょう。税金を払ってきたのだから、何も躊躇する必要はない。困ったら、生活保護を貰ったらいいんです。そして、生活を立て直すことができたら、また税金を払えばいい。それだけの話です」
しかし、この状況は「チャンスでもある」。
「貧すれば鈍すると言いますが、人間って貧すれば考えるし、貧すればもがくし、貧すれば出会う。なまじ、ゆとりがあった時には考えなかったことを見つめ直す機会を得たのだと思います」
「これまで解決を先送りしてきた課題を改めて突きつけられています。必要なことは、コロナ禍の時代を見直すことではない。今、僕らが失ったと思っていたものの多くは、実はコロナ以前の時代に失われていた。夏休みを終えて、次に進むには、宿題をやらなダメですよ」
目指すのは、コロナ禍以前の社会へ「戻る」ことではない。
私たちの社会が抱えていた様々な矛盾を点検し、解消し、編み直す。
失敗し、つまづいたら再起不能な社会を変えるチャンスは、目の前にある。