政治家の夫と結婚して20年。7回の選挙。不妊治療と出産。そして双子の子育て。まさに怒涛の日々だったという。
「立憲民主党」代表・枝野幸男氏の妻、和子さんは結婚後、政治家の家族というだけで心ない言葉をかけられ、必要以上に私生活を詮索されたこともあったと振り返る。
だからこそ、「自分の言葉で語りたい」。和子さんは『枝野家のひみつ』と題した1冊の本にまとめた。
「#枝野寝ろ」夫へのエールの裏側で…
2011年3月11日、当時の民主党政権で夫は官房長官を務めていた。
地震と津波、そして福島第一原子力発電所での事故。予断を許さない状況が続いた。10日間、自宅である議員宿舎に帰ってくることはなかったという。
テレビのむこうで青い防災服に身を包み記者会見に立ち続ける夫の姿を、見守り続けた。
双子の息子たちは当時5歳、何が起きているのか知る由もない。
「#枝野寝ろ」。エールを送るハッシュタグと共にSNSには不眠不休で対応にあたる夫を気遣う言葉が溢れていた。
だが、その裏で不確かな情報や不安ゆえか、心ない言葉を投げかけられる機会も増えていった。
震災の発生後、知り合いからはこんな電話がかかってきた。
「いま、あなたどこにいるの?」
自宅で子どもと一緒に過ごしていると伝えると、思わぬ一言が返ってきた。
「本当は違うところにいるんでしょう?」
不安で居ても立ってもいられない人たちからは、「自分たちは家族で逃げようと思っている」といった連絡が次から次へと寄せられた。
「夫は私たち家族にも、記者会見の内容と同じことを言っている。自分たちもここにいるんだから安心して」
気付けば1日に何十通も寄せられるメールに、いまは落ち着いた行動をとるように返信し続けていた。
「他の人に枝野が言っていることは間違いではないんだと裏付けしないといけなかった。それは、自分自身にとっては大きなストレスになっていましたね」
震災後、思いもよらぬデマの被害に
本では、震災後に家族に関するデマが流布されたことも明かした。枝野家には震災後、思わぬ誹謗中傷がつきまとった。
「枝野の妻と子どもはシンガポールに行っていた」
事実無根だったが、選挙区である地元・大宮を中心にデマが広まっていた。ある政治家は和子さんたちがシンガポールに逃げていたという嘘の情報を発信し続けた。
「夫は政治家で、目立つこともありますが、家族である私たちもこんな被害に遭うのかと驚きました」
知り合いからは「枝野さん、脱出していたんでしょう?」と声をかけられた。ある支援者からは自宅を訪問した際に、「もう、うちには来なくていいから」と言われてしまった。
「まさに心を折られる体験です。そんなの言ったもん勝ちじゃないですか」
大宮の事務所には、いつでも有権者に閲覧してもらえるよう息子2人のパスポートを置き、自分はパスポートを片手に選挙区を回った。
しかし、確かな証拠を見せ、否定しても、デマはそれを上回るスピードで拡散していく。その光景に、歯がゆさばかりが募った。
いまの時代、嘘やデマに踊らされ、誰かの人生が踏みにじられることが増えているのではないか。そんな不安を口にする。
「嘘をついた者勝ちになりつつある。それが不安です。噂話や明らかな嘘があたかも本当のことのように出回って、しかも被害にあった人の多くは反論できる術もない」
「どうしたらいいのか、まだ答えは出ていません。それでも、私は一度ちゃんと真実を伝えたかったんです」
せめて、本を手に取った人にだけは何が真実か知ってほしい。これが、和子さんが今回筆をとった背景にある願いだ。
20年の夫婦生活、夫がたった一度だけ声を荒げた夜
和子さん曰く、夫は常に温厚で、誰に対しても「罪を憎んで人を憎まず」という姿勢を貫いてきたという。だが、たった一度だけ声を荒げたことがある。
2017年10月、小池百合子都知事が立ち上げた「希望の党」との合流をめぐる旧民進党の分裂を受けて、枝野氏が立憲民主党を立ち上げる前夜のことだった。
和子さんが「なんだか騙されちゃったみたいで可哀想だね」と声をかけると、夫は「誰がそんなことを言っているんだ」と怒鳴った。
怒りを露わにした夫を見たのは、結婚以来これが初めてだった。
当時は、民進党の代表選で前原誠司氏に敗れたばかり。「ぜひ代表になってほしい」と思いを託してくれた熱心な支持者が亡くなった直後でもあった。
夫は「がっくりきていた」と和子さんは明かす。
民進党が希望の党と合流することが発表された9月28日の夜、夫は「考え方が違うかもしれないけど、ここに入るしかないなあ」とつぶやいていた。
だが、翌日には一転、「もしかしたら無所属になるかもしれない」と民進党から離れることを考え始めていた。
そして、「党をつくるかもしれない」と打ち明けられた。
10月2日、記者会見に詰めかけた報道陣の前で、夫は「立憲民主党」の結党を宣言した。
代表になれなかった夫に再びチャンスが巡ってくるのは数年先だろう。そんなことを思っていた矢先の出来事だった。
「だから、たくさんの方に支持されるなんて、まさか夢にも思わなかった。本当に政治って一寸先は闇なんだと実感した瞬間でした」
「まるでゴールの見えないマラソン」
この13年、常に生活の中心には子どもがいた。
夫は野党第一党のリーダーとして多忙を極め、育児の負担はどうしても和子さんに重めにのしかかった。
それでも双子の出産後、夫はしばらく夜8時までには帰宅。子どもたちをお風呂に入れたり、ミルクをあげたり、可能な限り育児に時間を注いでくれたという。
今では息子たちも中学生に。また新しいステップが見えてきた。
政権交代も、新党の結党も経験した夫だが、立憲民主党の結党直後にこんな言葉を語っている。
「国政政党の党首をやっている以上は、総理を目指しますと言わなかったら無責任だと思います」
和子さんが夫と進む道の先に何が待ち受けているのか。それは誰にもわからない。
夫との思い出を語る時、和子さんの口元は思わずほころぶ。
「一緒に走っているけど、ゴールは全然見えないねっていつも2人で話しています」
「大変だったけど、この20年面白かった。まるでゴールの見えないマラソンのようです」
いつだって政治の世界は一寸先は闇だ。それは誰よりも、和子さん自身がよく知っている。