原因不明で死亡した、奈良公園の鹿を解剖してみると、胃の中から大量のプラスチックごみが…。
奈良で今、「観光」と「ごみ」をめぐって起きている問題です。
観光客がポイ捨てしていくプラごみなどを鹿が食べ、それが胃の中にたまって死亡するケースが相次いでいるのです。
この問題に対し「何かできないか」と、奈良県内の中小企業3社が協力して、誤って食べてしまっても鹿が死ぬことのない紙袋「鹿紙(しかがみ)」が誕生しました。
(左から)鹿紙を作った、中村さん、小川さん、松川さん
鹿紙は、牛乳パックの再生パルプと、鹿せんべいの材料である米ぬかで作られた紙袋です。
奈良の化粧品会社「ならイズム」の松川英朗さんが2019年春、ニュースで鹿とプラごみの問題を知り「人が捨てたごみによって鹿が死んでいる。地元企業として何かできることは」と考えたといいます。
そこで、以前からつながりがあった印刷紙器製造「ナカムラ」の中村孝士さんと、デザイン・印刷「文洋堂」の小川清さんに声をかけ、プロジェクトが始動。半年以上かけて、鹿紙を開発しました。
土産店などの商店の他、書類を大人数に配ることが多い大規模な会議や博物館などへの導入も期待されています。
鹿紙
なくならない「ポイ捨て」。それならば…苦渋の決断
そもそも、鹿はなぜプラごみを食べてしまうのか。背景には、奈良公園で問題となっているポイ捨ての問題と、禁止されている食べ物の餌付け行動があります。
一般財団法人「奈良の鹿愛護会」によると、奈良公園では鹿せんべい以外の食べ物を鹿に与えることは禁止されていますが、観光客が人間が食べるパンやお菓子などを餌付けている現実があります。
そうすると鹿はその匂いを覚え、お菓子などのプラ製包装やごみが入ったレジ袋などを食べ物だと勘違いして食べてしまうのです。
また、ポイ捨てされたプラごみでなくても、観光客が買い物後に手に持って歩いているレジ袋も、食べ物だと思った鹿が取っていってしまうこともあります。
鹿が誤って食べたプラごみは、消化したり便として出したりすることもできず、縄のようになって胃の中に残るのです。
奈良の鹿愛護会が、解剖した鹿の胃の中から発見したプラごみ
行政や、ごみ問題に取り組む民間の団体などは、ポスターなどで「ごみは持ち帰って」「ポイ捨てしないで」と呼びかけています。
しかし、いっこうにポイ捨てはなくならず、原因不明で死亡した鹿の胃の中からは、大量のプラスチックごみが発見されます。
ポイ捨てがなくならないならせめて、「鹿が誤って食べてしまっているレジ袋自体をできるだけ使わないようにし、代わりに害の少ない紙袋を…」。そのような思いで、鹿紙が開発されました。
奈良公園の鹿
「鹿に異物を食べさせないで」袋に書かれた呼びかけ
この紙袋は「万が一、鹿が誤って食べても害がないように」と工夫して作られていますが、もちろん人々がごみをポイ捨てせず、鹿がごみを食べないことが一番です。
袋には「鹿に紙や人間のお菓子等の異物を食べさせないでください!」との注意書きが、日本語、英語、中国語で書かれています。
紙袋の下に書かれた注意書き
小川さんは、「万が一、誤って鹿が口にしてしまっても、プラスチックのようには害がない、やさしい紙です。しかし、袋も異物ですので『絶対に与えないで』と伝えたい」と話します。
鹿紙は、日本食品分析センターで「人が食べても健康への影響はない」と判断されています。
鹿紙は、これまでに奈良中央信用金庫が3千枚購入した他、東大寺や奈良市観光協会、田村薬品などが100枚ずつなど購入しています。
奈良公園の鹿
「レジ袋は便利。でも…」便利の裏側、考えて
小川さんは、鹿紙を使う意味について、こう語ります。
「レジ袋の方が水にも強く、安くて軽い。便利なんです。けど人間が『便利だ』と使って来た結果で、鹿の胃の中にプラスチックがたまり死亡してしまうようなことが起きてしまっています」
「紙袋はレジ袋に比べたら不便かもしれない。しかし、その『便利さ』の裏側で起こっていることを考えてほしい。鹿紙によって、そのようなことを考えるきっかけになればと思います」
デザイン・印刷「文洋堂」の小川清さん
鹿紙をきっかけに小川さんが地元の学校に講演に行くなど、子どもたちの環境教育の一環にも使われ始めています。
授業では、子どもたちが地元・奈良の観光と環境問題について考える「きっかけ」にもなります。
紙袋のデザインには、鹿の後ろ姿。これは、プラごみ問題に怯えることなく「安心して座ってる鹿」で、「鹿の後ろ姿を通して、人が環境問題を見ている様子」が表現されています。
鹿のお尻の白い毛の部分がハートマークに見えることから、ハートマークもデザインされました。
鹿のお尻にはハートマークが。紙袋にもデザインされた。
環境に配慮した観光地・奈良へ
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、半年以上、海外からの観光客は来ていない状況です。
しかし、新型コロナの収束後に外国人観光客も戻ってくる時を見据え、観光と環境のバランスについて中村さんは、こう語ります。
「奈良公園は市民と動物が共存共栄している珍しい場所。鹿に会うために、海外からも観光客の方が多く訪問されます。しかし鹿がプラごみを食べて死んでいると知ったら、観光客はどう感じるでしょうか」
「環境問題への意識が高い海外諸国からの観光客は、環境対策が遅れている現状を見たら『もう来たくない』と思うかもしれない。一方で、きちんと動物や自然に配慮した観光、環境対策をしていたら『また来たい』と思ってもらえると思います」
中村さんは、地元の企業もそれぞれの専門分野を生かして連携し、環境にやさしい観光を支えていく大切さを強調しました。
価格、形…改善重ね、広く使われる道を模索
現在、販売されている鹿紙はマチがない、薄い書類などを入れるA4サイズの袋。
冊子などを入れたり、重さにも耐えられるように、今後はマチがあるA4サイズや、土産店用に小さな紙袋も開発中です。
現時点での価格は1枚130円と割高になっているため、企業広告を入れるなどして低価格化を進め、広く使ってもらえるように道を模索しています。
発起人の松川さんは「鹿や奈良の観光を守るためのアクション。ぜひ、賛同して頂ける地元の企業などに、使ってもらえたら」と話します。