1人の女性記者が裁判を起こす。12年前、長崎市の男性幹部から取材中にふるわれた性暴力に対して、市に謝罪と損害賠償を求めるものだ。
男性は行為を認めながらも、「男女の関係であり、何が問題なのか分からない」と言い残し、自殺している。
2019年4月25日、原告訴訟代理人の中野麻美弁護士、日本新聞労働組合連合の南彰中央執行委員長らが会見を開いた。
「今から会おう、どこにいる」
長崎で12年前に起きた記者に対する性暴力事件で提訴する関係者。写真は右から南彰新聞労連中央執行委員長、中央に中野麻美弁護士、左は角田由紀子弁護士。
撮影:竹下郁子
女性記者が長崎市の平和行政を統括する原爆被爆対策部長だった男性から性暴力をふるわれたのは、2007年7月下旬。
当時、女性はある報道機関の長崎支局で記者として働いていた。男性とは8月9日に予定されていた長崎平和式典の取材についてやり取りをしていたという。ある日の夜10時過ぎ、女性記者は男性に1本の電話を入れる。
直前の参院選は全国的に与党大敗が予想され、民主党から戦後初の野党参院議長が誕生することになった場合は式典に際してインタビューの機会を設けることが可能かを聞きたかったからだ。男性の答えは、
「今から会おう、どこにいる」「来い」
女性は5回ほど誘いを断ったが、男性が指定した場所がちょうど「夜回り」で通過する場所でもあったことから、最終的に会う決断をした。
そこで性暴力の被害にあったという。
男女の関係だと言い残して、自殺
加害者の男性は否定していた矢先に、自殺に至った(写真はイメージです)。
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被害にあった直後から、女性は起き上がれず会社を休むなど体調に異変をきたし、翌8月には産婦人科を受診して検査や治療を、また精神科でPTSDの診断を受けて同月中に長崎を離れた。
女性は被害を他社の記者や長崎市職員などに相談。10月に入ると市幹部や一部マスコミに漏れ始め、報道の動きを察知した田上富久市長は10月30日に男性職員を聴取する。
男性は 「仕事で会ったのではない」
「男と女の関係であり、何が問題なのか分からない」
「彼女とそういう関係になったのは事実だがセクハラ事件ではない」 と回答。
男性は7月に女性が電話で直接抗議した際も、 「俺たちは自然発生的にそうなった」「変に避けたりはするな、そうでないと他者にバレるぞ」 などと話したという。
翌10月31日には女性が所属する報道機関も市長に抗議。 11月1日の長崎新聞紙面で「長崎市の前原爆被爆対策部長が女性記者にわいせつ行為」とする記事が掲載され、報道各社も確認作業に入った。
男性が屋外で首つり自殺しているのが発見されたのは、11月1日午前1時50分ころだ。
二次被害はなぜ始まったのか
性暴力の被害を公表し、バッシングが始まるのはなぜだろう(写真はイメージです)。
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田上市長は11月1日午後に記者会見を開いたが、上記の男性の言い分を元に市の見解を作成し、女性には謝罪しなかった。
女性への二次被害が始まったのはそれからだ。
市の秘書課長は11月2〜3日、 「部長は暴力をふるう人には見えない」「話はあなたから漏れている」「慎重に話を進めるはずだったのに、報道されてしまって、何もかも(女性の名前)さんが悪いんですよ」 と電話で女性に話したという。
以降、週刊誌による虚偽の掲載や、インターネットでは女性へのバッシングが始まった。
長崎新聞は当時の様子を「市役所内ではさまざまなうわさが飛び交っている。『自殺の原因は女性記者にある』『マスコミ報道もおかしい』という論法で流布されている」とし、共通点として「発信元は、主に市幹部」だと市政を批判するコラムを掲載している(2007年11月21日)。
日弁連の勧告を市は拒否
市の調査報告書も曖昧さを残したまま。再発防止へ本気度が見えない現状。
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11月8日、女性が所属する報道機関は市に2度目の抗議を行った。12月に返ってきた市の調査報告書には、部長の死去に伴い、全ての事実関係を明らかにすることはできないという内容が記載されていた。
こうした事態を受け、女性記者は日弁連に人権救済を申し立てた。2014年2月、日弁連は「性的行為」の事実、またそれが「市の幹部職員が記者に対して有する、情報や取材機会の提供等に関する職務上の優越的地位を濫用」したものであること、そして「申立人(女性記者)に非があるかのような事実に反する風説が内外に流布される等により、更なる精神的苦痛を強いられる二次被害」があったことを指摘し、市に謝罪と再発防止策を求める勧告を行う。
しかし、市は受け入れを拒否。
財務事務次官の事件を機に
被害にあった女性の苦しみは絶えない(写真はイメージです)。
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女性は2014年以降、市に対して日弁連の勧告を受け入れるよう求めてきたが、拒否され続けている。そこで2018年の財務省前事務次官のセクハラ問題を受け、新聞労連が設置した窓口に相談。2019年3月に弁護士と日本新聞労連委員長の南さんが田上市長を訪問し、日弁連勧告の受け入れと年度内の解決を求めた。
しかし、4月に市は「全てが明らかにされていない」、また市が女性に対してかねてより要求していた「金銭的な要求など一切の請求を行わない」ことに関する記載がないことなどを理由に、「検討できない」と回答したのだ。
2019年4月25日、女性は長崎市を相手取り、長崎地裁に提訴した。女性は日弁連の勧告や日本新聞労連の抗議・要請を受けても「なお変わらない長崎市の姿勢に絶望」したとコメント。行政トップによる謝罪、そして3500万円強の損害賠償などを求めている。
女性はこれまでに5回引越し、健康障害による休業や復帰後も十分に記者として活動できておらず、所得は大幅に下がったそうだ。今の自身を支えるのは、「記者として不正を知りつつ報道現場から去ることができない」という思いだという。
代理人弁護士の中野麻美さんは言う。
「性暴力は職務行為ではないという認識が一般的です。支配のための暴力が個人の問題に矮小化され、犯罪性が薄められていくのをこれまで何度も見てきました。今回は取材中の性暴力を公務員の職務中の不法行為として提訴する、初めてのケースです。
性暴力は相手を支配するための暴力。それが記者の仕事に対して行われれば、民主主義の根幹を揺るがします。これは憲法が保障する『報道の自由』を守る戦いでもあるんです」(中野さん)
(文・竹下郁子)