忠正さんは慶応大学文学部哲学科二年生の時に徴兵猶予が停止になり海軍へ。1943年10月21日、神宮外苑で行われた学徒出陣壮行会にも参加した。海軍で「回天」の要員になり、訓練を受けたが、肺結核の疑いをもたれ、感染が広がると困るということでメンバーから外される。その後改めて「伏龍」の要員に回され、訓練を受けたが、実戦に出る前に終戦を迎えた。
写真は『特攻――自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』(新日本出版社)
(BOOKウォッチ編集部)
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忠正さんは慶応大学文学部哲学科二年生の時に徴兵猶予が停止になり海軍へ。1943年10月21日、神宮外苑で行われた学徒出陣壮行会にも参加した。海軍で「回天」の要員になり、訓練を受けたが、肺結核の疑いをもたれ、感染が広がると困るということでメンバーから外される。その後改めて「伏龍」の要員に回され、訓練を受けたが、実戦に出る前に終戦を迎えた。
写真は『特攻――自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』(新日本出版社)
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