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『傘がない』を英訳するとどうなる?ロバート キャンベル氏が翻訳して気付いた 井上陽水の深〜い詞世界

2019年5月17日 12:04 BLOGOS

『傘がない』『少年時代』などの作品で知られる、独特な詞世界と唯一無二の歌声を持つシンガーソングライター・井上陽水。日本人なら誰もが聞いたことのある同氏の作品を英訳した『井上陽水英訳詞集』が講談社より発売された。

ひと筋縄ではいきそうにない数々の歌詞を翻訳したのは、さまざまな書籍やメディア出演で知られる日本文学研究者のロバート キャンベル氏。今回、「翻訳」という作業の奥深さ、そして井上陽水の詞世界について、テレビでもお馴染みのにこやかな表情で語ってくれた。

—— 井上陽水さんの歌は以前からお好きだったんでしょうか

陽水さんの曲は、21歳の頃、はじめて東京に留学したときに聴きました。その当時はYMOのようなニューウェイヴやテクノなど、踊れるような曲が好きだったんですが、陽水さんはすごく声が面白くて、楽曲も洗練されていていいなと思ったんですよ。

そのあと、27歳の時に九州大学で研究生となったときに、陽水さんがすごくヒットを飛ばしていて。福岡には11年ほどいたんですが、陽水さんが福岡出身ということもあり、周りの人もよく聴いていた。それで私もよく聴くようになりました。

—— 翻訳に至った経緯について教えてください

今回の翻訳詞集には50曲分の歌詞が収録されていますが、これは私が病気をして、入院していた頃にまとめて翻訳したものです。入院してから退院の日まで50日あったので、誰に頼まれたわけでもないのですが、1日1曲ずつ翻訳していこうと思って始めたんです。

最初は「生きるか死ぬか」という重い状態だったこともあって、そのときの私の精神状態と共振するような曲、たとえば『青い闇の警告』のような暗いものが多かったんですけれど、徐々に回復していって、最後には『アジアの純真』や『東へ西へ』といった明るい曲にも取りかかることができました。

「一見すごく訳しやすそうなものが、訳し始めると難しかったりする」

—— 井上陽水さんの歌詞はかなり独特だと思うのですが、理解しづらかったり、翻訳しづらかったりということはありましたか

歌は、声や曲調も含めて理解するので、なんとなく言っていることは通じていると思うんです。意味が取れず、何を歌っているかわからないと意識する人は少ないのではないでしょうか。

ただ、陽水さんの多くの歌詞にははっきりとしたストーリーや起承転結があるわけではない。同時代でいうと、中島みゆきさんや松任谷由実さんの曲は絵に描けるようなストーリーがあるのですが、陽水さんの曲はそうではないんです。ただ、フルカラーなのか、セピアなのかといった色調は決められている。それでなんとなく歌の内容はわかるのではないかと思います。

訳をするにあたっても、陽水さんの日本語はとても正しく、壊れていない。でも、一見すごく訳しやすそうなものが、訳し始めると難しかったりする。意味としては間違っていないけれど、ムードを伝えようとするとちょっとした綻びみたいなものが出てくるんですね。そしてそれは陽水さんと直接話す機会に気付いたりする。

訳って面白くて、草稿を作って数日後に見返すと、正確さとは別に「英語として詞になっていない」と思うことがあるんです。今回も、原稿を見る度に原稿が修正の赤字で真っ赤になってしまって・・・(笑)。編集者の方は大変だったと思います。

—— 英訳しやすかった曲はありますか

やはり、はっきりとしたストーリーがあるものですね。『ゼンマイじかけのカブト虫』は、繰り返されるフレーズがなくて、時間軸も、内容も、独立した出来事が1番から4番まで歌われています。日本語としてもシンプルなので、英語にしても取りこぼしが少なかった。「カブトムシ 壊れた 一緒にたのしく遊んでいたのに」。これを訳すのはそれほど難しくはありませんよね。

ただ、最後の「君の目が こわれた」という一行は少し変わった言い回しです。目は「壊れる」ものではありません。だとしたら、そこには何か裏の意味があるのかもしれない。しかしながら、訳自体は「but your eyes just broke」とすることが可能です。

『ビルの最上階』も、描いている世界はシュールで、理解するには時間がかかるのですが、英語に置き換えづらいということはなかった。このような、陽水さんの曲の中でも、叙情的というよりも叙事的なものは、訳しやすかったです。

翻訳という作業は、元の言語をどのくらいの深度で理解して、意味、感情など、元の詩や文章を読んで感じることを再現するかが課題になってきます。加えて今回は歌詞の翻訳なので、リズムや速度、音の調子なども制御する必要がありました。

『傘がない』の英訳に思わぬダメ出し

—— 反対に、難しかったものはありますか

『傘がない』は陽水さんの代表曲のひとつでもありますが、翻訳するにあたって難しかった歌詞です。この歌詞は、「都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた」「テレビでは我が国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」といったように、時事に沿って書かれているように見えます。これは私もすごく好きな歌で、70年代の若者達が分別くさく語っている大人たちに背を向けて雨の中彼女に会いに行く、というシンプルな内容だと思っていたんです。

それで当初、タイトルを「I've got no umbrella」としました。この訳は日本語を英語にする時よくやるように、一人称をつけています。日本語は話者同士の関係性や文脈に依存するところが大きく、数や人称や時制を補わないと英語として固まらないことが多いからです。しかし、これを陽水さんに見せたところ、ダメ出しをされてしまって。

—— 一見、間違っていないようにも思いますが

そのダメ出しはまさに付け加えた「I」へのものだったんです。つまり、「『俺の傘』ではないんです、その理由を考えて下さい」と言われてしまった。でも歌詞には「君の町に行かなくちゃ」とあるし、おそらく男の主人公がいるはずだと当時の私は思っていて。なぜ陽水さんはそんなにこれを否定するのか悩んだんです。それで陽水さんに答えを聞くと、「傘というのは、生きているうちにある色んなことから自分たちを守ってくれるものだから、誰かのものであってはならないんです」とおっしゃった。それで、「No Umbrella」にしてくださいと。これは今回の50曲のなかで井上陽水さんが唯一、英訳した部分ですね(笑)。

私はそれを最初に見たとき「うーん」と思ったんです。普段、陽水さんの歌をそらんじているのに、翻訳することでそれまで思ってもみなかった意味に気付くものなんだと。そうすると、降っている「雨」も何か別の意味を持っているのではないかと思い始めてしまって。陽水さんもそこまでは教えてくれないと思いますし、曲は聴いた人が自由に解釈すればいいので、正解があるわけではないんですけどね。

そして、『傘がない』の最後の「それはいいことだろ」。実は、この部分は20代の頃から疑問に思っていたフレーズなんです。ここまで、冷たい雨に降られながら、彼女の所に向かっている男性が突然振り返るように、なぜためらいを見せるんですかと。不思議ですよね。私はこれは、「それはいいことだろ?いや、そうではない」という反語だと思っていて、陽水さん一流の斜に構えたラブソングならではだと考えていた。しかし、「傘」がみんなのものなら、なんでこんなことを言う必要があるんだろうと、また考え込んでしまった。

—— ひとつの発見が、また別の謎を呼ぶという感じですね

英訳自体は、そこまで入り込まなくてもできるんです。でも、翻訳するということはどこか創作者と同期するようなところがあって、言葉の背景まですべて知りたくなる。知ることによって、英語のテンポや言葉選びも変わってきますから。

翻訳作業を通じて新たな解釈を発見することも

—— そういった背景は、ご本人ならすべて説明できるものなのでしょうか

陽水さんの詞は、1人の人間がその時代の空気をギュッと凝縮した黒曜石のようなものです。でも、時が経ってから聞いたり読んだりしても胸に刺さる。それは歌詞に普遍的で、変わらない部分があるから。しかし、歌手としての経験を積み、時代も変わり、自分の体も変わっていくと、陽水さん本人も歌い方やイメージするものが変わっていくそうなんですね。

そこに私が「ここは教えてもらわないと英語になりにくい」と聞いたりすると、新たな解釈を発見することがあるんです。

—— 言われて気付くこともあるんですね

『とまどうペリカン』という曲は、ペリカンがライオンを追いかけている状況を歌ったものです。これもそれほど英語は難しくないのですが、翻訳に満足しなかったので、ライオンとペリカンの関係性を考え直してみることにしました。

私は若い頃にこの曲を聴いていて、たてがみを揺らして強そうに前を歩くライオンが男で、後をついていくペリカンが女だと理解していたのですが、いざ翻訳してみると、だんだんと逆のように思えてきた。もしそうなら、英語の調子も少し変わってくるんじゃないかと思って、陽水さんに聞いてみたんです。そしたら、「それに一票。実はぼくも最近歌っていて、ライオンはメスじゃないかと思うようになったんだ」とおっしゃって。

ライオンはすごく強くて素敵な女性なんだけど、百獣の王として振る舞うから、その後始末をしなければならないのはペリカン。そのペリカンがうかつに近づくと爪でやられてしまう(笑)。だから最後に「私はとまどうペリカン」となる。これももちろん正解があるわけではないのですが、陽水さんの詞の世界には字面から読み取れるものだけでなく、常にいくつかの扉が開いている。だから、世代を超えて、それぞれが「自分のストーリー」のように思えるんでしょうね。

—— お話を伺っていると、翻訳するという行為そのものの奥深さを感じてきます。陽水さんの作品には『少年時代』のように、いわゆる「日本の原風景」のようなものを想起させるものもありますが、こういった曲の翻訳はいかがでしたか

実は、ある文化のなかで育った人が原風景だと感じている「夏祭り」のようなものも、本当は人それぞれ想像しているものが違うんです。翻訳の面白いところは、「日本人はこうだよね」と思っていたことが実は違った、わかっていたつもりだったことも、人と違うわかりかたをしていたということに気付かせてくれる点です。

『少年時代』の「誰のあこがれに さまよう」というフレーズも、他の日本語に書き換えようとするととても難しいものです。しかし、それを一つの固定されたイメージとして他言語に持っていけば、別の言語では他のイメージがあるということに気付けますよね。自分たち固有の文化だと思っていたものが、すっと横にすべるように、情緒の取りこぼしや変化は若干あるかも知れませんが、翻訳できるということは、まさにその証明です。

翻訳するということは、すべての見ること、聞くこと、発話すること、味わうことなどについて、どうやって自分が身につけてきたのか再確認することにもなります。そうして、自分たちの文化の「外側」だと思っていた人たちとの距離について考えることが重要なんです。

—— なるほど、異なる言語を行き来することで見えてくるものがあると

今回の本の狙いのひとつとして、陽水さんの曲の対訳を読んだ後に、もういちど日本語に戻って読んでみてほしいと思っています。日本人はほぼみなさん公教育で英語を学んでいますから、私の訳詞は読めるはずです。

『井上陽水英訳詞集』ロバート キャンベル - Amazon.co.jp

ぜひ、対訳を読んで『少年時代』の「風あざみ」という日本語に存在しない言葉を、「キャンベルはこう訳すんだ」と思って楽しんで欲しいですね。英語で読んで日本語に舞い戻ってくることによって、曲を聴いたあの時に感じていた風景が変わって見える。私もそうでしたので、ぜひ皆さんにも体験して欲しいです。

そして何より、私が翻訳作業を通じて陽水さんとやりとりをする中で感じた、彼の経た年月と、それによる彼の言葉への感覚の移り変わりを、彼の素晴らしい詞とともに、少しでも多くの人と共有できればいいなと思っています。

プロフィール
ロバート キャンベル:ニューヨーク市生まれ。近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、さまざまなメディアで活躍中。

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パソコンもスマホも“カムイ”!?『ゴールデンカムイ』アイヌ語監修者が語るアイヌ文化の面白さ

2019年5月17日 10:36 BLOGOS

初めてアイヌを「先住民族」としたアイヌ新法が成立し、国立アイヌ民族博物館も2020年の開館を控え、かつてないほどアイヌに対する関心が高まっている。そうした流れのひとつとして、アイヌが重要なキャラクターとして登場する人気マンガ『ゴールデンカムイ』の存在も大きい。

このような盛り上がりとタイミングを合わせるかのように、アイヌ語・アイヌ文化を専門とし『ゴールデンカムイ』にアイヌ語監修者として関わってきた千葉大学教授・中川裕氏が、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』を先日上梓した。

今回はその中川先生に取材し、アイヌ文化の魅力や基本的な考え方、『ゴールデンカムイ』に登場するシーンの裏話などをお聞きした。【取材:島村優】

「カムイ」はお土産が欲しくて人間世界に来る

——作品のタイトルにもなっている「カムイ」とは、改めてどんな概念なんでしょうか。中川先生の本の中ではカムイ=「神」ではない、と説明されています。

私たちの身の回りのあらゆるものがカムイと考えることもできます。一番重要なことは「人間以外のあらゆるものに精神があって、人間と同じように活動している」という発想がかつてのアイヌの考え方の根底にあったということです。その中でも、他のものに働きかけたり、役に立ったりするものは、魂が意志を持っているからそういったことができる、と考えます。

(デスクの上にある録音中の音声レコーダーを指差し)例えば、このレコーダーは人の声を記録するという働きをしていますね。こうした活動ができるのは、レコーダーが魂と精神を持っていて、人間の役に立とうと思って行動するから。だから、こうやって動いているという発想です。こうした全てのものをアイヌの考えでは「カムイ」と呼びます。


——「身の回りの役に立つもの」ということは、作中でもよく出てくるクマや鮭など自然のものとは限らないんですか?

そうです、自然のものとは限りません。家もカムイで、この部屋にあるものもカムイ。机も、イスも、パソコンも、動いて人間の役に立っているからカムイだと、昔のアイヌはそういう発想をするに違いないということですね。

カムイの世界では霊魂は人の形をしています、クマも火も木もみんなそう。そして、それは物でも同じです。だから、アイヌの人たちは茶碗なども使えなくなったらその魂をカムイの世界に送り返すわけです。その根底には霊魂は不滅だという考え方があるんですね。

——『ゴールデンカムイ』の中では、猟は獣が人間に肉や毛皮を与えるものと解釈されていますが、中川先生はこの関係を「ギブアンドテイク」と説明しています。この場合、獣は何を受け取っていると考えれば良いのでしょうか?

それは、お酒や米の団子、イナウ(木幣)など、いろいろあると思います。例えば、このイナウという道具は木を削って作るものです。木それ自体はカムイなんだけど、木から削られたイナウは自然界には存在しません。人間が作らない限り存在しないものなので、カムイがこれを人間世界から持ち帰ることで、向こうの世界で格が上がるというわけです。僕はこれを我々の社会での「トロフィー」と同じようなものではないかと考えているんですけど。


——トロフィーというのは、ゴルフとかで優勝した人が受け取るような…。

そう、人間世界でもらってきたこのトロフィーをたくさん持っていると、「こいつは偉いやつだ」「すごいやつだ」とカムイ仲間の間で格が上がる。何度も人間の世界に行っていれば、トロフィーを何個も持っていることになりますよね。

あと、人間がカムイにお酒を捧げると、ものすごく量が増えて向こうに届くと言われています。1滴捧げるとお椀いっぱいになって、お椀1杯だと樽1杯、樽1杯捧げると樽6杯…というように。人間世界からお酒が届いたら、カムイは仲間を呼び集めて宴会を開きます。そこで飲み食いして、最後には土産まで持たせれば、「ああこの人(カムイ)は偉い人だな」となりますよね。

——そういうものをもらう代わりに、カムイたちは人間のために何かをするんですね。

昔の「洋行帰り」じゃないけど、外国に行ってお土産をたくさん持って帰ってきて、それを配った人に対して「ああ、あの人は外国に行って偉いもんだ」っていう発想と同じだと、僕は考えています。だから、「ギブアンドテイク」っていうのは、カムイが人間の世界にそういうものをもらいに来て、その代わりに、肉とか毛皮とかを置いていくという考え方です。

作品ファンが夢中になった「チタタㇷ゚」の秘密

——アイヌには、食べ物は褒めちぎりながら食べないといけない、「まずい」や「量が少ない」など言ってはいけない、という決まりがあることも、今回の本を読んで知りました。

それは、いろんなカムイが聞いているからです。火もカムイなんです。だから、火の前で「明日はどこに狩りに行く」と話すと、これから狩りに行く相手にも伝わってしまうとされています。さっきの「カムイは客としてやってきて肉や毛皮を人間に与える」っていう話とやや矛盾するようだけど(笑)。

——食べ物の話でいうと、『ゴールデンカムイ』では「チタタㇷ゚(※)」という調理法がファンの間で人気です。

今は、お祭りの時には必ずと言っていいほど食べますね。元々は、猟とかで野外で獲物を獲って、その場で腹ごしらえする時にやるっていうのが多かったんじゃないかなと思いますけど。新鮮な獲物を使ってやるわけだから、その時しか食べられないんです。

※アイヌの言葉で「我々が刻むもの」。肉や魚を包丁などで叩いてペースト状にして食べる料理。


例えば鮭の場合、身は食べずに保存食料にします。保存食料を作りながら、残った部位をチタタㇷ゚して食べるというイメージです。エラとか鰭もあるので、めちゃくちゃ叩く必要があって、すごく時間がかかります。

適当にやると骨が残って危ないんですね。実際の出来事として、適当にチタタㇷ゚したために残った骨が肛門に刺さった話なんかがあります。食べる時には喉に引っかからなかったのかな、と思いますけど(笑)。

アイヌ料理の味付けは「脂」が基本?

——作中でも様々な場面で描かれていますが、ずいぶんといろいろな肉を食べるんですね。

獲ったものは食べるんです。食べないのに獲るっていうのは問題なので、獲ったら全て食べなきゃいけない。捨てるのはまずいですから。

——獲物の種類が豊富なだけでなく、食べられる部位は全て食べるそうですね。

基本的には全部食べます。肛門とか、そういう部位は食べられませんけど。食べ方としては、寒くても暑くても鍋で食べるのが基本です。焼くのは、脂が垂れてしまって無駄になる食べ方だからです。鍋に入れて煮込めば、脂も全て鍋の中に入ってるから、無駄にならないし、アイヌが大量に食べる山菜類も一緒に煮込むことができます。

ある意味で、煮るっていう選択肢しか有効に食材を活用する方法としてはないと思うんですよ。

——登場人物が脳みそをとても贅沢なものとして食べています。

脳みそはとてもおいしいですよ、クマとか。塩と行者にんにく、ノビルなんかを刻んで混ぜたら大変おいしい。これは高級料理ですよ。フランスでもトルコでも、どこの国でも脳みそ料理ってのは高級でしょう。アイヌのように火を通さないで食べる文化がどれくらいあるかはわかりませんけど。

——当時の味付けは主にどんなものだったんでしょうか。

塩は使っていましたが、東北や関東の人が使う塩の使い方ではないので、やっぱり薄味です。どちらかというと、脂で味付けするんです。肉や野菜を煮て浮いてきた脂をすくって取っておいて、別の料理に混ぜたりかけたりして食べるんです。味付けは脂の中に溶け込んでる塩味ということになるから、現代の私たちの感覚からすると、すごく薄く感じるかもしれませんね。

ただし、それは昔の世代の話で、今のアイヌは子どもの頃から味噌味、しょうゆ味で育っています。今の世代でアイヌ料理が薄味という感覚を持っている人はいないんじゃないかな。

現代でも見習う部分の多いアイヌの生き方

——アイヌ文化の観点から『ゴールデンカムイ』を読むと、どのような魅力がありますか?

これほど詳しくアイヌの習慣や文化を、緻密な絵で描いて表現したマンガはないんじゃないかと思います。文様ひとつとっても、丁寧に調べて描くのはもちろんだけど、作者の野田さんのすごいところは、毎回全部描き込むことです。

これまで静止した写真や絵だったものが、マンガの中で生きて動いている状態で表現されているのは、アイヌ文化を今までと違う形で伝える大きなポイントなんじゃないかなと思います。博物館に飾られている状態ではなく、弓が実際に使われていたり、銛が打たれていたりする。いろんなものが道具として使われる様が、彼の緻密で正確な筆致で描かれているのはすごいと思いますね。


——最後に、改めて中川先生が考えるアイヌ文化とはどんなものでしょうか。

僕は、「自然との共存」という言葉が嫌いなんです。それだと、木を切ってはいけない、動物を殺してはいけない、といった話になりがちです。でも、それでは生きていけていけませんよね。

一方、アイヌは木を切るし、山菜は希少なものでも取って食べるし、当然動物も殺す。ただし、それが自分たちの生活に危険が及ぶような事態を招かないように、コントロールしながらやっていく、という思想を持っているわけです。外からの制御を受けなくても、自分たちが過剰採取をしない、といったことや、取ったものは全て利用する、といったことが生活の中に組み込まれている。それは一種の宗教と言ってもいいのかもしれないけど、意識せずとも一定の考え方で制御している。そういうライフスタイルなんですね。

——ライフスタイルに、自然に負荷をかけすぎないことが組み込まれているんですね。

自然との共存というだけではなく、現代の都市で生きていてもそういう考えの下で生活することは可能です。道具類も精神を持って、自分の役に立ってくれているわけだから、あらゆるものに対して感謝を持つ。そういう思想ですから。

——それでは、ご専門であるアイヌ語を多くの方に伝えていく上で、今後必要になっていくのはどのようなことですか?

アイヌの言葉は、書かれたものも録音されたものも、古い資料が他の民族と比べ物にならないくらい多く残されています。それをどう活用していくかということが重要です。たくさんの資料があるので、まず自分たちが伝えるべきものを求めて、自ら吸収していくことが必要です。そしてそれは、僕のような人間を介してではなく、直接、自分で触れたほうがいいと思います。僕がやっているのは、みんなに関心を持たせるということのお手伝いになればいいな程度のことだと思っています。

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「世襲批判は受けるしかない」中曽根康隆議員が語る、政治家として働くということ

2019年5月17日 09:07 BLOGOS

祖父が首相、父が外務大臣――。

家族が政治家だったとき、その働きかたは子どもたちの目にどのように映るのだろうか?

祖父に首相中曽根康弘氏を、そして父に現役で参議院議員を務める弘文氏をもつ中曽根康隆氏(37)。2017年に衆議院選挙に立候補し、初当選した。

民間企業で5年間勤めたのち、政界に飛び込んだ康隆氏に、政治家の孫・子どもとして、また、当事者として、政治家という仕事について語ってもらった。【石川奈津美】


「どれだけ頑張っても僕の努力が評価されることはない」と感じた幼少期

――生まれた時から「政治家」という仕事が非常に身近なものとしてあったのではないかと思います。幼少期の記憶で印象に残っていることはありますか?

私が生まれた年、1982年に祖父が総理大臣になりました。祖父が総理大臣を務めたのは私が0〜5歳までのことだったので記憶はそこまでないのですが、ただ、物心ついた時には、家の前に常時、警察官がいましたね。

「どこの家でもみんなお巡りさんがいるのかな…」というのは冗談ですが、何でうちの前にはお巡りさんが立っているんだろう。何かがおかしいなと感じたことを覚えています。

「総理の孫」と自分を意識するようになったのは、小学校2年生ぐらいになってからです。小学校に入って教科書に祖父が出てきたり、周りから「中曽根さんのお孫さん」とどこへ行っても祖父基準で自分のことを紹介されるようになりました。


小学校受験にしても「受かるでしょ、中曽根の孫だから」。抽選で何度も落ちてやっと当選したコンサートのチケットでも「中曽根の孫だしコネで取れちゃうでしょ」と。

何をやっても当たり前として受け止められましたし、「どれだけ頑張っても私の努力が評価されることはない」とイジケていた時期もありました(笑)。

――政治家の場合、家族がトラブルを起こすとメディアで取り上げられるなど、周囲の目も厳しくなります。

中学にも入れば多少やんちゃしたくなる年頃です。同級生たちが楽しそうにしているのを見てうらやましく思ったこともありますが、スポーツにひたすら明け暮れ「いい子」にしていました。

高校に入り17歳のとき、父が文部大臣になりましたが、自分の父親が教育行政のトップに立っている時に、その息子が酒を飲んだ、タバコを吸っていたとして、そのことがもしメディアに出たとしたら父の政治家生命も終わる…と自然に自覚していました。

私本人が見られているというよりも、私の印象や評判が祖父や父に直接影響を及ぼすということは、ずっと感じてきました。結果、誰に言われるでもなく自分を律していました。


突然「あいさつしてきて」と、300人の前にポーンと出された選挙応援

――政治家の仕事でもっともタフなことのひとつは数年に1回仕事を失うという「選挙」です。いつごろから手伝うようになったのでしょうか?

公職選挙法で、家族であっても当時は20歳以上でないと活動できないので、初めて手伝ったのは大学3年生のとき、6年に一度改選を迎える父の選挙でした。

大学の授業を6限で終えると、そこから東京駅に直行。そのまま群馬に向かいました。

集会場に着くと、「長男としてあいさつをしてきて」と言われ、地元の皆様の前にポーンと出されたのを覚えています。

大学では部活で体育会に所属していて学ランを着ていたのですが、会場の皆さんからすれば、いきなり制服を着た男の子が壇上に上がってきたので、「この高校生誰?」と、ポカーンとした空気になっていました。

スピーチの準備も何もしていないので、皆さんに「父は本当に皆さんのことを、群馬のこと、国のことを考えてます。どうぞ父をお願いします」とお願いをして。

そこから選挙中には、学校が終わると群馬に行って手伝ったり挨拶回りをしたりという生活が始まりました。

――それはご自身で決めて行かれていたのでしょうか?

いえ、勝手に組み込まれていました。行きたい・行きたくないという選択肢は私には一切ありませんでした(笑)。

やはり、本人の代わりに秘書が行くのと、家族が行くのとでは相手の受け止めが違っているんですね。まずは本人。次に奥さん、そして子ども。だからこんな私でも行って喜んで下さる方がいるならという思いで必死に駆け回っていました。

こういった経験から選挙では家族も大きな「戦力」になることを子どもながらに実感しました。


「政治家になるつもりは一切なかった」

――大学院卒業後は、外資系の証券会社に就職。どのような理由があったのでしょうか?

はじめはまったく政治家の道は考えていませんでした。

特に私は金融に対する苦手意識が強かったので、20代のうちに克服したいと思いあえて金融機関への就職を決めました。

また、大学院は米国ニューヨークに留学したのですが、大学の近くにはウォールストリートもありそこで働く人たちとの交流もあったため、自然な流れでアメリカ資本の証券会社に願書を出し、面接をすることになりました。

証券会社では、債券営業本部で発展途上国の債券の売買していました。目の前に6個ぐらいのスクリーンを並べ、ブラジルとニューヨークを電話でつなぎながら仕事をして…と資本主義の最先端の環境で働かせてもらっていました。

ただ、元々苦手意識を克服しようと思って入ったので、「これこそ自分の仕事だ!」と思ったことはなく、勉強や知識欲のためということで仕事をしていました。

――その中で、政治家になるという思いへどのように変化していったのでしょうか?

必死で働き仕事にも慣れた3年目にもなった頃。働きながらも、父の地元活動の手伝いで週末は群馬に通っていました。

群馬では、支援者の方たちのご自宅を一軒一軒ごあいさつに回っていたのですが、突然の訪問にもかかわらず、「これ食べていきなよ」とそのご家庭のたくあんや、おにぎりをいただき、息子の私に本当に良くして頂きました。

月〜金曜日は丸の内で資本主義のど真ん中にいて、週末は自然豊かな群馬県を自分の足で一軒一軒訪ね、インターホンを押す両極端の生活を1週間の中で繰り返すうちに、ふと、「都心と地方で環境は全く違うけれど、どちらが幸せなんだろうか」と考えることもあり、都心は確かに便利でモノに溢れていますが、群馬での生活も、とてもクオリティタイム(幸せな時間)だと感じました。

さらに、回れば回るほど、祖父や父がどれだけ地元群馬の皆様にお世話になってきたかということを日々感じるようになりました。

群馬の皆さんのおかげで今の私があるなと感じ、その方々のお孫さん世代に私が恩返しすることができたら、そしてそれは自分だからこそできることなのではという感情、格好良く言えば使命感が芽生えました。

また、私は政治というものが国民生活に密接に関係していて、極めて責任が重いものであるということを、祖父と父を身近に見て肌で感じていました。しかし、今、あまりにも多くの人にとって政治が「他人ごと」になってしまっている。

もっと政治を国民にとって身近なものとしたいという思いもあり、政治の道を志すことに決めました。

「政治はそんなに甘いものじゃない」父は政治家になるのを反対

――政治家になることを決めた時、ご家族の反応はどのようなものでしたか?

父に秘書にして欲しいと伝えると「だめだ」と却下。「政治はそんなに甘いもんじゃない」と言われました。

自分としては気持ちも固まってるし、とにかく秘書になって勉強したいんだということを説明しようとして、「父上へ」と手紙も書きましたが、だめだの一点張りで平行線をたどり、2年が経っていきました。

許してもらえない日々が続く中、最後は「もう、らちが明かない」と思い、退路を断つことに決め、ある日突然、会社を先に辞めることにしました。

会社に辞意を伝えたその日の夜、父に「今日、会社に辞めると言ってきたので、とにかく名刺を用意してくれ」と伝えると、父も私の覚悟を理解してくれ、なんとか秘書となりました。


――その時お父さんは何ておっしゃっていましたか?

驚いていたというか、呆れていましたね。

確かに、政治家に実際になってみると、もちろん自分で選んだ道であり毎日充実していますが、民間企業で働いていたときと比べても、想像を超えるくらい重責を担っていることを日々痛感します。

さらに、私の場合はその仕事の大変さに加え、「中曽根」という名前を背負い、この世界に入ることになる。そのつらさを一番知ってるのが父です。

金融という分野で、一社会人としてやっていけていたので、父にとっては「それでいいのでは」という思いもあったのかもしれないし、親心として息子には同じ思いをさせたくなかったのかもしれません。

だからこそ簡単にいいよとは言わなかったのだと思います。


はじめは1人も友達がいなかった群馬

――秘書として働いてみて、民間と比べた仕事のつらさは具体的にどんなことがありましたか?

私にとってはつらかったのは群馬での仲間づくりですね。父の秘書になり1年が経った頃、東京・永田町の議員会館の秘書から地元の秘書になり群馬に移り住むことにしました。

生まれ育ちが東京なので、群馬の友人はひとりもいません。なので、自分の仲間を作るべく、まずご縁会って出会った人に「今度、一緒に飲んでください」とお願いするんですね。30歳を超えて「友達になってください」とお願いするのは、正直恥ずかしかったです(笑)。

だけれど、同じ小学校や中学校といった同級生もいませんので、そうやって自分の世代の仲間を作っていく以外ありませんでした。今考えると、本当に肝臓を使っていました(笑)。

――政治家の場合、飲み友達からさらに「支援者」になってもらいたいという思いもあるのでは。

そうですね、私の場合、可能であれば自分を応援してもらいたいという気持ちがあるので、私という人間を2時間の中で判断してもらうという、いわば食事面接みたいなものでした。

様々なイメージを持たれていましたが、等身大の30歳の若者である姿を見てもらうことで「こいつ全然、おれらと一緒で普通じゃん」と、まず自分のイメージを良い意味で壊すことから始まります。その後、熱い想いを伝え応援してもらえるかどうかを考えてもらうといった感じです。

「今度、俺の仲間とまた飲もうよ」と言ってもらえると、本当に感無量なのですが、もちろんそんなに甘くはありません。「お前のこと知らないし、そもそもこの会は何なの?」といきなり目の前で言われることも日常茶飯事でした。

でもそういった出会いをひとつずつ積み重ねていったからこそ、今の仲間たちとのつながりができていきました。よそ者だった私を受け入れてくれた仲間達には心から感謝していますし、これからを共に歩んでいく大切な同志です。

「世襲批判は、受けるしかない」

――同世代の政治家というと、党内の小泉進次郎議員と比べられる機会も多いかと思います。

進次郎さんは同い年で、同じアメリカの大学院出身です。地元の特に年配の方たちからは「同い年だし小泉進次郎に似てるね」と言われることもあります(笑)。


ライバル意識はあるのかとよく聞かれるのですが、まったくありません。進次郎さんはもう4期生で、私はまだ1期生です。また、私と比べても進次郎さんは知名度も発信力も抜群にありますし、食事を一緒にさせていただくこともあるのですが、いつも勉強をさせてもらっています。

――おふたりとも政治家一家。世襲制に対する批判もあると思いますが、どのように受け止めていらっしゃいますか?

世襲批判は、受けるしかないと思っています。地盤・看板・カバンといわれる世襲で批判される3つのバンを少なからず享受してる部分はあるし、下駄をはかせてもらってるということも事実です。

ごもっともなところも本当にあるから、その批判は受ける。その上で、自分自身が政治家として成長し、仕事で結果を出す事でしか、自分自身を認めてもらうことはできないと思っています。

進次郎さんもご本人がどのように感じているかどうかはわかりませんが、今や、誰も「小泉純一郎の息子」とは言わず、小泉進次郎といいますよね。むしろいまは「小泉進次郎のお父さんは総理大臣だった」とか、俳優の小泉孝太郎さんが「進次郎さんの兄」だと言われる機会も多いのではないでしょうか。

こうした「逆転」の変化は、よほど本人が政治家として認められないと起こりません。本当にすごいことだと思っています。

元号も変わり「令和」の時代が始まりました。政治家としてどのような社会にしていきたいですか?

30代は、令和時代の日本をまさに中心となって引っ張っていく世代です。元号が変わるこのタイミングに、私が37歳という年齢で国会議員のバッジをつけさせてもらえているというのは、極めて責任が重いことだと感じています。

まずやるべきは「当たり前」を今一度見直すこと。昭和・平成で当たり前だった制度や仕組みはこれからの令和の時代では通用しない事が多い。急速に進む少子高齢化を踏まえて、今から30年、40年と持続可能な社会の仕組みづくりをしていく事が急務です。

また、これからの時代を担う若い世代に対して、政治を身近に感じてもらうということに当事者として取り組んでいくことが重要だと感じています。

若い世代はfacebookやtwitter、instagramなどを日常的に使いこなすデジタルネイティブ世代です。私もツールのひとつとして使っていますが、これからどんどんテクノロジーが進化しても、いつの時代も変わらず、政治家自身が有権者に出向き直接会って話をすることで、初めて政治というものを具体的にイメージできるようになると思っています。

一般的に国会議員は「金帰火来」(金曜の夜に地元に戻り火曜に東京に来る)と言われていますが、だからこそ私は国会会期中もほぼ毎日、群馬に帰り地元の人たちに会うようにしています。


「トイレにいるとき」ぐらいが休息だといっても過言ではないくらい、休日もなく、プライベートもない仕事ですが、議員の仕事は国民の皆様の大切な主権をお預かりして、立法府において代弁者として国民の声を届けることです。そのため、これからも、ひとりでも多くの人たちに向き合い、その声を政策に反映していきたいと思います。

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cat_16_issue_oa-blogos oa-blogos_0_615fa7aa25c5_鈴木宗男氏、丸山穂高議員の発言に「はらわたが煮えくり返る思い」 615fa7aa25c5 0

鈴木宗男氏、丸山穂高議員の発言に「はらわたが煮えくり返る思い」

2019年5月16日 17:02 共同通信社

北方領土返還の手段として「戦争」に言及した丸山穂高衆院議員は、日本維新の会から除名される事態に。この発言について、長年北方領土問題に取り組んできた鈴木宗男氏は、「国益を損ねる、何よりも元島民の気持ちを顧(かえり)みない発言」「腸(はらわた)が煮えくり返る思いだ」と自身のブログで怒りをぶつけた。

丸山氏の発言を巡り、菅官房長官は「誰が見ても不適切だ」と断じ、河野太郎外相も「このような発言、行動は決してプラスにならない」と苦言を呈したという。また、丸山議員が所属していた日本維新の会松井一郎代表は「国会議員としてあるまじき不適切な行為と発言だ。外交上の問題も非常に大きい」と除名処分にし、「議員も辞めるべきだ」と語ったことに鈴木氏は「納得した」と綴る。

さらに鈴木氏は、なぜ「戦争」という言葉が出てきたのか不思議だと続ける。「国民から選ばれた国会議員、政治家の究極の目的は世界平和である。何のために国会議員になったのか。そもそも、なる資格、資質がなかったのではないか」と丸山氏を批判した。

丸山氏は東大を出て、経済産業省出身でいわゆる「エリート官僚」であったが、鈴木氏は「勉強はしたが、肝心の頭の良さが欠けていたと言ってよい今回の出来事である」と締めくくった。

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cat_16_issue_oa-blogos oa-blogos_0_30663d776abc_「ダイナースクラブ」が富裕層に受け入れられない3つの理由 30663d776abc 0

「ダイナースクラブ」が富裕層に受け入れられない3つの理由

投資家の内藤忍氏が、2015年に三井住友トラスト・ホールディングスが、シティーバンクから買収した「ダイナースクラブ」の業績悪化の理由について考察している。

内藤氏は、「まず、間違えてはいけないのは、この手のカードを利用する富裕層はケチだということです」と前置き。「お得なものには出費を惜しみませんが、費用対効果には非常にシビアです。買収されてからのダイナースクラブは、ポイント変換率などのサービス改悪が続き、高額の年会費に見合ったメリットが期待できなくなりました」「富裕層であればあるほど、意味のない出費を嫌い、コストに見合ったサービスでなければドライに切り捨てられてしまうのです」と説明した。

また、「富裕層の嗜好は、一般人にはなかなか理解できません。残念ながら日本の銀行員の発想で経営しても、既存の顧客が真に求めているサービスを理解し提供することは難しいのです」と富裕層ならではの価値観を指摘。

さらに、ダイナースクラブは三井住友信託銀行グループが買収し、社名を「三井住友トラストクラブ」に改めたことから、「買収によってせっかくのダイナースブランドが毀損されてしまったこともマイナス要因です」と解説する。

以上のことから、内藤氏は今後のダイナースクラブについて、「まずやるべきことは富裕層ビジネスに理解がある人材を集め、規模の拡大よりもサービスの充実に力を入れることです」「また、供給者側の収益重視の発想ではなく、従前から利用する優良顧客の声を反映させる仕組みを作らなければいけません」と施策を提案している。

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ZOZOの決算に隠された「本当にヤバい数字」

2019年5月16日 16:33 BLOGOS

アパレル通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOが、創業以来初の減益となった。原因は、「ZOZOスーツ」を活用したPB商品の不発などで、株価はこの1年間で5割も下がったという。公認会計士の川口宏之氏は「あまり指摘されないが、ZOZOは自社株買いでキャッシュが乏しくなっており、今後の経営動向には注意が必要だ」と指摘する。

『週刊新潮』では、ZOZOについて「2カ月の間、回収できていない売掛金があり、不良債権化している」と報道していた。この点について、財務諸表から四半期ごとに数字を追って検証すると、現預金残高が12月末時点で82億円にまで減少し、その代わり売掛金が膨らんでいる。

また、ZOZOの売上債権回転期間(=売掛金÷1日当たり売上高)を計算すると、84日もある。つまり、商品が売れてからその代金を回収するまでの期間(回収サイト)がおよそ3カ月もかかっていることを意味する。

川口氏は、ZOZOのような小売業の場合、30日前後が平均的な売上債権回転期間だということから、「ZOZOの売掛金の中には回収見込みのない不良債権が含まれているのではないか」と分析。

一般的な分析結果では、「不良債権を抱えている兆候あり」という解釈となるが、ZOZOでは、商品の販売価格のうち手数料部分のみ(純額)が売上として計上される一方、売掛金は総額で計上されているので、その点を考慮して分析する必要があるという。

このように売上高(分母)が純額で、売掛金(分子)が総額で、基準としている数値が整合しないため、川口氏は、「単純に算出される売上債権回転期間は、ZOZOの実態を正しく反映していない」と推察した。

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乳幼児でも1人1品オーダーは必須なのか

2019年5月16日 16:31 写真AC

弁護士ドットコムの「飲食店『お子さまも、必ず注文して』 未就学児も『1人1品』ルール、問題ないの?」という記事を受けて、グルメジャーナリストの東龍氏が飲食店での未就学児の注文について見解を示している。

未就学児であっても必ず1品注文しなければならないというルールについて、弁護士は、飲食店と客の契約となるので「一定の条件をつけることは基本的には自由」であるとし、法的に問題ないとしている。

東龍氏は、弁護士の説明に同意した上で、1人1品注文するというルールに対し、「幼児は乳飲みを卒業した子供なので問題ありませんが、乳飲み子である乳児は一体何を注文し、食べたり飲んだりすればよいというのでしょうか」とし、「未就学児でも1人1品オーダー必須と定めるのではなく、幼児以上は1人1品オーダー必須と定めるべきではないでしょうか」と考えを示している。

その上で、「もしも、未就学児にも1人1品オーダー必須というルールを課しながら、これらの問題を解決できなければ、飲食店はどうすればよいでしょうか」という問題に対し、「子連れを禁止にするルールを設ければよい」と持論を展開。

最後に、「子連れ客にしっかり対応するのかしないのか、対応できるのかできないのかを、飲食店は自らしっかりと考えて、ルールを定めるべきであると考えています」と主張した。

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性暴力や望まぬ妊娠を防ぐ「アフターピル」 オンライン診療の議論進む

2019年5月16日 16:20 写真AC

ここ最近、厚生労働省のオンライン診療の検討会において、議論が進んでいるアフターピル(緊急避妊薬)について、元衆議院議員の中田宏氏が自身のブログで言及している。

アフターピルとは、性行為後に望まない妊娠を防ぐために服用する薬のことで、性行為後72時間以内の服用で、妊娠を高確率で防ぐことが出来るとのこと。以前は服用後の吐き気や嘔吐が多かったようだが、最近はそれらの副作用が少ない薬が出ているという。また服用タイミングは、早ければ早いほど効果が上がるようだ。

現在の日本は、少子化社会でもあるため、子供の誕生は望ましいことだが、その一方で、性暴力や望まぬ妊娠も多数ある。そんな現状に中田氏は、「子供が多く生まれてくる社会のうえで、不幸な子供を減らしたい。そのためにも望まない妊娠を防ぐ対策も必要」だと指摘する。

そんな中、医療機関で診察を受け、 処方箋・薬をもらい服用するという通常のシステムではなく、初診以外はインターネットなどで診察を受けることが可能なオンライン診療が2015年にスタートし、2018年4月からは健康保険が適用されている。この制度は、オンラインで高血圧や糖尿病の診察を受けることができるが、初診は行きつけの医療機関やかかりつけ医で診察を受けることが原則だ。また他にも、直近6ヶ月間当院に毎月受診、または直近12か月間に6回以上定期的に受診している人、かつ病状が安定していると主治医が認めている人など条件などがある。

こうした原則に対し、アフターピルに関しては初診の対面診察を受けなくても、オンラインで診察を受けて薬がもらえるよう議論が進んでいる。中田氏は、「心に傷を負い、産婦人科に行くことさへも辛い人が、さらに自分で抱え込んでしまい妊娠してしまうことを考えれば、この議論を深めるべきだと思います」とこの議論に賛同している。

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山下智久がインスタグラムを開設 ジャニーズで初、ファンからは喜びの声

2019年5月16日 16:09 BLOGOS

歌手・俳優の山下智久が16日、ジャニーズ事務所に所属するタレントとしては初となるインスタグラム公式アカウント(@tomo.y9)を開設した。

16日の初投稿では、「これからヨロシク! Im on the Gram !!! Excited to share with you ! #山下智久 #tomo」(インスタグラムを始めました。みなさんとシェアできるのを楽しみにしています!)と書き記している。

出典: Instagram

この投稿から3時間で、60000件を超える「いいね」がつけられ、フォロワーも10万人を突破している。

ファンからは「本物 !?」「奇跡!」「歴史が動いた、、、」といった驚きと喜びの声が多く上がっているほか、「他グループも開設してくれるのかと期待が高まります」といった反応も見られた。

山下は、昨年6月に中国版Twitterとも言われる「Weibo」でオフィシャルアカウントを開設。中国語圏のファンに積極的に情報発信を行っている。

すでにWeiboでもインスタグラムの開設を報告している。

I just launched my Instagram. Wanted to share with you. I’m in the studio for fun ! I’ll keep posting specialcontent just Weibo. enjoying both

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cat_16_issue_oa-blogos oa-blogos_0_795406a6d22e_山口達也に直撃 誰にも気づかれないほど激変したリハビリ姿 795406a6d22e 0

山口達也に直撃 誰にも気づかれないほど激変したリハビリ姿

2019年5月16日 15:50 NEWSポストセブン

5月上旬の午後1時、都内の気温は20℃を超え、強い日差しに体力を奪われたのか、一人の男がウオーキングの途中で路上に座り込んでいたが、この男性がTOKIOの元メンバー、山口達也であることを、道行く人は誰も気づいていなかった。

昨年4月、山口は自身が司会を務める『Rの法則』(NHK Eテレ)で知り合った女子高生2人を自宅マンションに呼び出し、強引にキスを迫ったという。女子高生が警視庁に被害届を出したことで事件が明るみに出て、山口は4月26日に謝罪会見を開き、TOKIOの他メンバー4人が緊急会見を開いた5月2日から4日後、山口はジャニーズ事務所からの退所を発表した。

当時、山口は「ある持病」の治療に専念するため都内近郊の療養施設に入院していたという。山口の病状を知る医療関係者は、「事件発覚後、山口さんはアルコール依存症の疑いがあると報じられましたが、本当の病名は『躁鬱病』でした。彼はこの治療に専念するため、メンタルクリニックに力を入れる病院に転院したんです」と話す。

現在、山口はウオーキングや、自転車などのトレーニングに励んでいるという。山口をよく知る人物は、「山口さんは退院後、頭を丸め、耳元から顎にかけてヒゲをたくわえていて見た目は“激変”しています。静かに療養するため外見を変えたのもありますが、反省の意でもあったんだと思う。外出するときの服装はいつも決まってトレーニングウエアにニット帽とスニーカー。周囲に気づかれることはほとんどないそうです」と山口の現状を明かした。

1年にわたって治療を続け体調は上向いているというが、今も心身の状態は万全とは言えないようだ。『女性セブン』が自宅へ帰る山口に、「(復帰を)後押ししたいという声もあがっています」と直撃すると、山口は一瞬、優しい笑顔になったが、すぐに申し訳なさそうな表情に変わり、小さく頭を下げた。そして、「ご心配かけています…失礼します」、そう言い残し、自転車にまたがるとペダルを勢いよくこいで去っていった。

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