司法制度改革にともない、それまでと比べて弁護士になる人が増えた一方で、この間、旧司法試験時代から数えて20年近くも司法試験に落ちつづけたという男性がいる。八神さんだ。
現在は、弁護士になる夢は「あきらめた」という八神さん。工事現場の交通誘導員のバイト、ブログ運営、単発のライターをかけもちしながら、これまでの体験や近況などをツイッターやブログ「司法試験八振の末路」でつづり、注目をあつめる。
●「八神」というハンドルネームは「八振」からきている
八神さんが、弁護士を目指して司法試験の勉強に本格的に取り組みはじめたのは、大学3年生のころ。1990年代のことだ。当初は独学だったが、大学卒業後からは、いわゆる「予備校」を利用しながら、最難関と呼ばれる試験に挑戦していた。
「社会的弱者のために人生をかけて働きたい」
2004年から法科大学院(ロースクール)制度がはじまると、あるロースクールに入った。卒業後に新司法試験を受けたが、ことごとく不合格となってしまった。
当時、ロースクール卒業後の受験回数は「3回」という制限があり、3回とも落ちた場合、「三振」などと揶揄された。「三振」した人が新司法試験を受けるためには、新たにロースクールに通う必要があった。
八神さんは二度目のロースクール生活を送ることになる。その後、受験回数が緩和されて、さらに5回の受験チャンスを得ることができたが、残念ながら、そのすべてに失敗した。
「八神」というハンドルネームは「八振」(三振+五振)からきている。
実は、記者も弁護士を目指して法学部に入った人間の一人だ(八神さんと違って、すぐにあきらめてしまったが・・・)。今回、八神さんの言葉を残しておきたいと考えて、インタビューした。(ニュース編集部・山下真史)
●「人生に絶望したことを覚えている」
――どうして司法試験を目指したのですか?
月並ですが、当初は社会的弱者のために人生をかけて働きたいという思いがありました。幼いころに観た映画やドラマで、法廷の中で戦う弁護士像に憧れを抱いたのかもしれません。
しかし、それは表面だけで、実際は社会的に認められたいとか、経済的に成功したいとか、女性にモテたいとか、そんな煩悩に支配された欲求もなかったと言えば、嘘になります。
――不合格について。
新司法試験「三振」のときは本当に辛かったです。人生で最も勉強しましたし、自分なりにも手応えはありました。
三振のときはリーマンショック(2008年)の影響が残る不景気でしたので、ハローワークに通っても「既卒・高年齢・職歴なし」では、まともな仕事がありませんでした。人生に絶望したのを今でもはっきりと覚えています。
このときにはうつ症状を発症していました。今考えても一歩間違えれば、危うい精神状態だったと思います。
五振のときは、感情が無の状態というか、やっとこれで試験から足を洗える大義名分を得たような感じがして、絶望の中にも少しだけ安心した気持ちになりました。
――後悔はないですか?
私の人生は後悔だらけです。戻れるのならば大学生時代に戻って、司法試験を受けず、新卒カードを使って会社員になりたいです。そして家庭を持ち、「住宅ローンが大変だ〜」とか同僚に冗談交じりに言えるような生活がしたかった。
高望みせずに普通の生活がしたかったです。しかし、私が選んだ人生なので仕方がないことです。ですので、ブログでも、出版予定の電子書籍でも、私は「司法試験に挑むかどうか考えること」に一番時間をかけてほしいことを訴えています。
私のような末路を見て、仮に同じようになったとしても耐えられる自信がある人にだけ司法試験にチャレンジしてほしいと思っています。大切な人生の時間です。二度と戻って来ませんから。