1998年10月19日の日本シリーズ第2戦(横浜)。西武打線を3安打無失点に封じた斎藤隆は、「これが復活の年とは思えない」と驚きを隠さなかった。当時28歳、シリーズ史上9人目となる初登板初完封の偉業だった。
右肘を手術して長期離脱し、4月29日の広島戦(横浜)で583日ぶりの白星を挙げた再起のシーズン。優勝マジックを「1」として迎えた10月8日の阪神戦(甲子園)も先発起用に応え、38年ぶりのリーグ制覇に花を添えた。
先発を告げられたのは当日の朝。ホテルの部屋のドアの前には監督の権藤博がいた。「後半戦は軸になって投げてくれたから、おまえで行く」。感極まりながらウオーミングアップし、猛虎打線を相手に7回3失点と粘投。この年、野村弘樹と並んで13勝を挙げ、カムバック賞に選出された。
2006年には米大リーグのドジャースに移籍。「オールド・ルーキー」と呼ばれ、メジャー5球団を渡り歩いた。45歳で引退するまで日米通算112勝96敗139セーブ。今季はヤクルトの投手コーチに就任し、後進の指導に当たる。権藤の教えで自身の座右の銘にもする「KILL OR BE KILLED(やるか、やられるか)」の精神を、きっと若い投手陣に伝えているはずだ。
=敬称略
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