右足を高く上げ、その勢いのまま腰をひねる。テークバックは小さく、球の出どころが見にくい独特なフォームから、最速144キロの直球で強気に押していく。
サウスポーの池谷蒼大は「投げやすいピッチングを追求するなかで、自分で工夫した。だから、まだまだ未完成だと思う」と屈託なく笑う。このフォームに行き着いて、まだ1年余り。21歳には将来性があふれている。
ベイスターズの代打の切り札として活躍した後藤武敏(現楽天コーチ)と同じ浜松市出身。プロを初めて意識したのは小学5年生の頃という。地元の浜松球場で観戦したオープン戦の華やかさや緊張感あふれる光景に感動し、「G・G・佐藤がホームランを打ったのかな、確か。自分もあの舞台に立ってみたい」。
中学時代は全国大会に届かず、高いレベルでのプレーを求めて春夏通算42度の甲子園出場を誇る静岡高に進学した。
ハイライトは3年春の選抜大会だ。
2年秋からエース番号をもらった左腕は2回戦で優勝した大阪桐蔭と激突。初回に6点を失ったものの、直後の攻撃で同点に。二回以降は真っすぐ主体に切り替え、七回までゼロを並べた。
終盤に味方のミスが絡んで逆転を許したが、「自分のふがいなさを知ったし、仲間にも助けられた。記録も記憶にも残った」。この一戦で実力不足を痛感し、地元の名門ヤマハで力を蓄えることにした。
故障を乗り越え、2年目には都市対抗と日本選手権に出場。それでも、「上のレベルで通用するために、もっと質の高いボールを投げていかないといけない」と満足はしなかった。
憧れの今永昇太を参考に、自分の感性を大事にしながら投球フォームの改造に着手。高校時代は直球、スライダーで勝負した本格派が真っすぐをさらに磨き、カーブ、チェンジアップも操っていた。圧倒的な実績は残せなかったが、担当の中川大志スカウトは「球速以上に打者の打ちづらさが増した。若いので先発、中継ぎどちらの可能性も秘めている」と言う。
座右の銘は、静岡高時代に栗林俊輔監督が教えてくれた「不動心」。「人の意見に流されず、自分らしさを出していきたい」。長所というストレートにこだわり、1年目からの活躍を期している。
いけや・そうた 投手。浜松市出身。静岡高─ヤマハ。小学2年で野球を始め、6年時に中日ジュニアでプレーした。静岡高3年春に選抜大会出場。社会人時代は都市対抗大会や日本選手権で登板した。直球140キロ台を誇る速球派。175センチ、80キロ。左投げ左打ち。背番号53。21歳。
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