グーグルには人種や性別、障がいの有無、あるいは文化的な背景などが異なる人々が製品を手にしたときに、誰もが快適に感じるユーザー体験(UX)を実現するためのプロジェクトに携わるエキスパート集団がいる。アニー・ジーン=バプティステ氏が率いるプロダクトインクルージョンチームだ。
すべての人が使いやすいPixelを実現するために不可欠な「プロダクトインクルージョン」
“インクルージョン”とは物事の多様性を受け入れること。これをいわゆる“ものづくり”に当てはめるのならば、そのプロセスを包括的な視点で見ながら「みんなが使いやすいもの」を作ることを意味する。グーグルはいま全社員がインクルージョンの意識を共有しつつ、プロダクトやサービスを開発するための仕組みを整えようとしている。
今回はバプティステ氏へのオンラインインタビューにより、同社のプロダクトインクルージョンへの取り組みがGoogle PixelシリーズのスマートフォンやGoogleアシスタントのどこに活きているのかなど、詳しく聞くことができた。
最初にグーグルが考えるプロダクトインクルージョンとはどのようなものかを知るために、同社が製作したこちらのビデオを見てもらいたい。
舞台は和やかな雰囲気が漂うホームパーティ。ふたりの男性が仲良さげに肩を組んでポートレートのフレームに収まろうとしている。片方の男性は褐色の肌、もう片方の男性の肌は白い。女性の友人がスマホのカメラを構えてシャッターを切ろうとすると、どうやら片方の男性が実際よりも暗めに写ってしまうようだ。男性は「おかしいね。良いセンサーを積んでいる僕のカメラで撮ってみたら?」と自分のスマホを友人に手渡すのだが……。
この動画はGoogle Pixel 4シリーズのスマホが、プロダクトインクルージョンの視点を採り入れて、初めて搭載した自動画質調整機能を紹介するものでもある。動画に登場するグーグルのエンジニアは、肌色の違うあらゆるユーザーが納得できるポートレートが撮れるように、カメラの近接センサーのチューニングを丁寧に追い込んできたエピソードを振り返っている。
最近では特殊な美肌効果を加えた“SNS映え”するポートレートが撮れることを売り文句に掲げるスマホが増えている。だが、もしもプロダクトインクルージョンの視点がそこに欠けていると、そのスマホのカメラはユーザーの肌色に対して、色合いや質感を一律に加工してしまうだろう。ややもすればユーザーにとってホワイトウォッシュといえるような、期待外れの結果をもたらすことになる。
グーグルではあらゆる「人と人の違い」を意識しながらプロダクトインクルージョンに関わるノウハウを蓄積してきた。その視点は人種に性別、年齢に限らず、例えば人が持つ能力や受けてきた教育、文化的な背景、生活に使う言語、宗教的信条や社会経済的地位、あるいは性的指向に技術知識、そして左利き・右利きの“違い”も含めて考え得るすべての多様性にまで広く向けられている。チームリーダーのバプティステ氏は10年前にグーグルに入社し、グローバルビジネス部門に配属された後、ダイバーシティ&インクルージョンチームを経て現職に就いた。
プロダクトインクルージョンチームには専任として携わるメンバーのほか、約2000人の社員が「インクルージョンチャンピオン」として、各自の担当業務の傍らでプロダクトインクルージョンの取り組みに参加している。
グーグルには社員が勤務時間のうち約20%を通常業務以外のことに費やしてもよいという「20%ルール」と呼ばれるユニークなシステムがある。バプティステ氏は「20%ルールを活かして世界中から多くのGoogler(グーグルの仲間)たちがチームに参加しています」と笑顔を浮かべる。プロダクトインクルージョンの質を高めるためには多様な視点を持つ仲間の協力が欠かせない。
プロダクトインクルージョンチームのヘッドクオーターは米カリフォルニア州のグーグル本社にあるが、先述のインクルージョンチャンピオンは世界各地域のグーグルの現地法人のスタッフだ。日本を含むAPAC(アジア太平洋地域)のインクルージョンチャンピオンは全メンバーの約1/4を占めるそうだ。
Googleアシスタントもプロダクトインクルージョンの視点から鍛え上げられている
プロダクトインクルージョンチームの声はPixelシリーズのアプリや機能に次々と反映されてきた。
ビデオ通話アプリ「Google Duo」が搭載する「ローライトモード」はその一例だ。ユーザーが暗い場所にいても正確な肌色を再現できるように、映像の明るさとコントラストを自動調整する機能にはプロダクトインクルージョンの視点が活きている。
ファイル管理・共有アプリの「Files by Google」には安全なフォルダにファイルを隠して、PINによるアクセス制限が付けられる「Safe Folder」機能がある。バプティステ氏は、地域によっては1台のスマホを家族でシェアして使う場合があることがわかり、家族間で個人のプライバシーを守れるようにこの機能の開発を呼びかけたと振り返っている。
さらにGoogleアシスタントの会話表現については様々な地域の文化や言葉づかいを調査しながら、約2000人のインクルージョンチャンピオンとともにブラッシュアップを重ねてきた。その結果、毎日Googleアシスタントを使うユーザーが“攻撃的”と感じる表現が出現する確率を0.002パーセント以下にまで抑えた。
どうすれば異なる「個の」期待に応えるものが作れるのか
グーグルが考えるプロダクトインクルージョンとは、製品やサービスをより良いものにするために、開発段階の全ての工程にEnd-to-End(始まりから最後まで)に関わってくるものだ。それぞれのテクノロジーや製品、サービスの開発に関わるエンジニアやマーケティング担当者など、スタッフと積極的に関わりを持ちながら「プロダクトインクルージョンチームは率先して“欠けているているものが何か”を問題提起して、議論の中で答えを導いていくガイドのような存在」なのだとバプティステ氏が説く。
現在はプロダクトインクルージョンのエキスパートとして活躍するチームのメンバーも、最初から包括的な視点を身に着けていたわけではない。人と人の「違い」は人種にジェンダー、年齢や文化的背景など様々な要因によって生まれる。さらにそれらが複雑に交錯することによって「個」が形成されている。すべての個の立場をものづくりに反映することは言うまでもなくとても困難だ。
そこでグーグルではまずプロダクトの開発過程における4つポイントに狙いを定めて、それぞれにプロダクトインクルージョンのあるべき形を模索してきた。4つのポイントとはすなわち「プロダクトの設計・開発段階」「ユーザー体験をデザインする段階」、そして「ユーザーテスト」と「マーケティング」であるという。4つのポイントのうち少なくとも2つの場面でプロダクトインクルージョンの視点を養えるようになると、そこから先験的に課題に取り組む姿勢が生まれ、さらに「みんなが使いやすいもの」にたどり着く可能性が高くなる。
一人歩きを始めたプロダクトインクルージョンの概念は、グーグルの外にも広がりつつある
バプティステ氏は、「Building for Everyone with Everyone/みんなによる、みんなのためのものづくり」を実現しようとする時に、いつも「Who else/ほかにも誰かが取り残されていないか」を意識することがプロダクトインクルージョンの基本姿勢なのだと説いている。あとはチーム全体で密接なコミュニケーションを交わすことで、結果として理想とする製品やサービスの原型が表れてくるという。
グーグルではAndroidを採用する端末メーカーなど、外部のパートナーにもプロダクトインクルージョンの考え方を共有することにも力を入れて取り組み始めている。そして今後も一段と注力したいとバプティステ氏は意気込む。チームの経験値として得てきたノウハウをオープンソース化するために、グーグルはこの夏にバプティステ氏の著書として「Building For Everyone」を出版した。
本書は残念ながらまだ日本語訳が出版されていないが、バプティステ氏は自著の中でグーグルの製品に活かされているプロダクトインクルージョンのアプローチについて、あるいはファッション界、医学界、テクノロジー業界でのケーススタディと成果について詳しく述べているそうだ。原語でならば電子版もオンラインで入手できるので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。
「今後は一般の方に向けて、ショートビデオを通じてプロダクトインクルージョンのABCを伝えていきたい」とバプティステ氏は目を輝かせる。社内のYouTubeチームと一緒に、YouTubeのクリエイターに向けた啓蒙活動も始めているという。これからその成果はグーグルの製品やサービス、そして技術にどんな価値をもたらすのだろうか。とても楽しみだ。