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色にこだわった動物写真集

2019年6月19日 08:30 朝日小学生新聞

 動物写真家・前川貴行さんの写真集『生き物たちの地球1』。23の生き物たちを目の前で楽しむことができ、まるで世界の旅に出かけた気分を味わえます。(清田哲)

子どもたちの心にひびく写真集を

 フリーのカメラマンとして、世界中の野生の動物たちをレンズでねらいつづけてきておよそ20年。これまでに20冊近くの写真集などの書籍を出してきましたが、子ども向けに写真集を出すのは初めてです。

 「子どもが対象だからといって力をぬかずに、デザイン、紙の質、写真の色、すみずみまでこだわりました。写真集はいつまでも手元に残る作品集です。子どもたちの心にひびく写真集ができました」と胸を張ります。

 写真集には、アフリカのマウンテンゴリラ、インドのベンガルトラ、アメリカのハクトウワシなど、23の生き物が収められています。撮影中の舞台裏のエピソードなどを合わせて、調べ学習などにも役立つ解説もそえられています。

 写真を見たり、苦労話を読んだりしていると、いっしょに前川さんと撮影現場にいる気持ちになります。「撮影を重ねていくうちに、『こんなテーマなら写真集になるかな』などと想像をふくらませていきます。集大成として写真集を出すのも、写真家としての大切な仕事です」

 撮影するときはほとんどが1人で、長時間、自然や生き物と向き合います。逆に本になるまでには多くの人たちが関わります。デザイナーや印刷会社で色を調整するプリンティングディレクターらも協力しました。

 特に力を注いだのは写真の色です。印刷工場の現場では、一ページ一ページ仕上がりの色を細かくチェック。その時間は2日間で合計26時間にも及びました。

 「例えば動物の顔の色が少しちがうだけで、写真全体のイメージも大きく変わります」と前川さん。

 表紙のオランウータンの親子写真もこだわりました。「親子の優しい間柄が伝わるように、暖かみの色が出るように調整をお願いしました。写真の魅力を引き出すのも大切な仕事です」

 写真集にはこんなメッセージもそえました。

 「この地球にはさまざまな生き物たちがすんでいて、みな僕たちの兄弟姉妹であり、ともに生きる大切な仲間です。まだまだ知らない仲間もたくさんいます。未知なる仲間たちとの出会いを楽しみに、これからも世界の旅を続けていきます」

   *        *
前川貴行 1969年、東京都生まれ。エンジニアとしてコンピューター関連の会社で働いた後、26歳のころから独学で写真を始める。97年から動物写真家の田中光常さんの助手をつとめ、2000年からフリーの動物写真家として活動を開始。08年に日本写真協会賞新人賞、13年には第1回日経ナショナルジオグラフィック写真賞グランプリを受賞。

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cat_16_issue_oa-asahikids oa-asahikids_0_8ecadb522472_白血病を克服、医師に 8ecadb522472 0

白血病を克服、医師に

2019年6月19日 08:30 朝日小学生新聞

 長野県松本市にある信州大学医学部附属病院の小児科医・盛田大介さん(37歳)は自身も中学生のときに白血病となりました。医師を志したきっかけは、入院中に出会った女の子による詩。2人のエピソードは道徳の教科書にものることになりました。(八木みどり)

亡くなった女の子の詩がきっかけ

 盛田さんは中学1年生のときに、急性リンパ性白血病という病気になりました。勉強や部活動など、それまでがんばっていたことができなくなり、「ふだんの生活がすべてうばわれてしまった」と感じたそうです。

 そんなとき、盛田さんをはげましてくれたのが、当時小学生だった宮越由貴奈さん。宮越さんも神経芽細胞腫という重い病気でつらいはずなのに、「お兄ちゃん、元気出して。そのうちよくなるよ」と、明るく声をかけてくれたそうです。

 「大人になった今、由貴奈さんがあらためてすごいと思うことはありますか」との質問に、盛田さんは「『あらためて』じゃないよ。ずーっとすごいと思っています」と答えてくれました。

 「大人になっても、自分がつらいときには相手のことを助けたり、支えたりできなくなる」と盛田さん。宮越さんがしてくれたことが、どれほどすごいことだったのかをいつも感じているそうです。

 盛田さんはその後、病気を克服し、高校にも合格することができました。しかしそのころ、宮越さんが亡くなったことを知り、宮越さんが書いた「命」という詩を読みました。

 詩は、命を電池にたとえ、神様から与えられた命を最後まで生きようとする気持ちを表したものでした。詩を読んだ盛田さんは「由貴奈さんが詩に書いたように、精いっぱい生きてやろうじゃないか」と思ったそうです。

エピソードが道徳の教科書に

 病気はつらいものでしたが、医師になった盛田さんはその経験も仕事に生かしています。たとえば、盛田さんがつらかったのは、勉強ができなくなってしまうことでした。そこで、空いた病室を高校生のための勉強部屋に改造。おしゃれな雰囲気にして、勉強が楽しくなるような工夫もこらしました。

 今の目標は、治らないがんの子どもを、もっと減らしていくこと。新しい治療法を作ることをめざし、研究にも取り組んでいます。

 病気になり、人生に一度は絶望した盛田さんですが、「どんなにつらいことがあっても、その先には必ず、それ以上の幸せがある」と断言します。「つらい経験があったからこそ、活躍できる未来があるから」

 宮越さんの人生と詩については、『電池が切れるまで』(角川つばさ文庫ほか)という題名で本にもなっています。宮越さんと盛田さんのお話がのった道徳の教科書は、光文書院の小学4年生向けのもの。来年度から使われ始めます。

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cat_16_issue_oa-asahikids oa-asahikids_0_76432d0dc357_熱中症対策 湿度の高さが一番影響 76432d0dc357 0

熱中症対策 湿度の高さが一番影響

 夏が近づいています。アウトドアを満喫できる季節ですが、暑さが増し、急激な天気の変化にも注意が必要です。暑さと隣り合わせの熱中症対策を紹介します。(小勝千尋)

「暑さ指数」で熱中症の危険度測る

 全国で9万5137人。昨年5~9月に熱中症で救急車で運ばれた人数です。熱中症は、気温と湿度が高い環境に体が慣れることができないときに起こります。めまいや体温の上昇、頭痛、筋肉のけいれん、吐き気、意識の異常など、さまざまな症状が出ます。

 日本気象協会は、熱中症になる人を減らし、亡くなる人をゼロにする運動「熱中症ゼロへ」プロジェクトを2013年から進めています。5月14日、埼玉県熊谷市立奈良中学校の1年生を対象に、日本気象協会の気象予報士、久保智子さんが熱中症についての授業をしました。
 
 熊谷市では昨年、国内の観測史上最高となる41・1度を記録。全国的にも暑い夏となりました。気象庁によると、今年の夏の気温は、沖縄県や奄美地方で平年並みか高いほかは、ほぼ平年並みの予想です。ただし「気温が高くないから熱中症になりにくいわけではない」といいます。

 熱中症の危険度を表す目安に「暑さ指数(WBGT)」があります。気温や湿度、地面や建物、体から出る「輻射熱」から計算します。影響の割合は、気温が1割、湿度が7割、輻射熱が2割。「今年の夏は、降水量が平年並みか多い予想です。湿度が高くなるので暑さ指数も高くなり、注意が必要です」

 この指数を測ることができるのが、黒球付熱中症計です。気温と湿度をセンサーで、輻射熱を黒い球体で計測します。数字で出る暑さ指数に基づき、「ほぼ安全」から「危険」までの5段階で、熱中症の危険性を示します。暑さ指数は環境省熱中症予防情報サイトでも確認できます。

熱中症防ぐには…日差しを避け、水分補給

 「熱や日差しから身を守り、のどが乾く前に水分をとることが大切」と久保さん。

 涼しい服を着ること、こまめに休憩して睡眠や食事をしっかりとることも予防につながるといいます。

 熱中症になったときの応急処置は、次の通りです。

①クーラーがきいた室内や風通しのいい日陰など、涼しい場所へ移す
②服を脱がし、首や脇、足の付け根などを冷やして体温を下げる
③スポーツドリンクなどで塩分や水分を補給する

 
 吐いたり、意識がなかったりする場合は、無理に水分はとらせないほうがいいそうです。症状が良くならない場合は、救急車を呼ぶなどして医療機関へ。

 「7~18歳の人が熱中症になりやすいのは運動中」と久保さん。授業や部活動などの時間は注意が必要です。

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cat_16_issue_oa-asahikids oa-asahikids_0_379c686ee0ab_伝言ゲームで漢字を楽しく 379c686ee0ab 0

伝言ゲームで漢字を楽しく

2019年6月19日 08:30 朝日小学生新聞

 小学生の宿題といえば漢字ドリル。「単純な作業のくり返しで、あまり好きじゃない」という人も少なくないでしょう。

 とはいえ、漢字は国語の基本です。たとえば文章を読むときにも、書くときにも必要です。でも、めんどうくさくなる気持ちもわかります。そこで今回は、漢字を楽しく学ぶための方法をお伝えします。ずばり「漢字伝言ゲーム」です。

 習った漢字の書き方を、口頭で友だちや家族に説明するのです。ただし、その漢字の読みを直接伝えてはいけません。

 しかし、「門の中に、お日さまの日を書いてください」のようにパーツの漢字を説明するのはアリです。「もんがまえ」のように、部首の名前を教えるのもオッケーです。この場合は「間」ですね。

 「そんなのかんたん!」と、思うかもしれません。しかし、やってみると意外とむずかしいですよ。

 「森」というかんたんな漢字でも、「木を三つ書いて!」と適当な説明をしてしまうと、「木」が三つ横に並んだ新しい漢字が生まれてしまうかも!?

 人にわかりやすく説明することは、意外とむずかしいのです。その説明できちんと書けるかを考えながら、漢字ドリルに取り組んでみましょう。考えながら書き取りをすることは、正確に漢字を覚えることにもつながります。みなさんぜひやってみてください。

清水章弘(しみず・あきひろ)
東京大学教育学部、同大学院で学ぶ。勉強のやり方を教える塾「プラスティー」を東京と京都で運営。テレビ番組「教えてもらう前と後」などにも出演

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柳楽優弥さん「師の厳しい指導に救われた」

2019年6月19日 08:30 朝日中高生新聞

 今も師と仰ぐのは、厳しい指導で知られた演出家の故・蜷川幸雄さん。14歳でカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞に輝いたものの、10代後半から「演技って何なのかわからなかった時期」で、もがいた。そんな中、舞台「海辺のカフカ」の主演に抜擢された。

 俳優として現場にどのように「居る」べきか、態度やマナーから始まり、演技も基本からたたき直された。「俳優って、いろんな人から言われたことを、どうやったらできるんだろうって探りながらやっていくことが多いと思うんです」。

 蜷川さんや、映画「許されざる者」の李相日監督に厳しく指導されたことで、「これができなきゃいけない」という目標が見つかった。「怒られたり厳しくされたりするのは、逆にラッキーでした」。感謝は尽きない。

 映画「泣くな赤鬼」では、高校の先生に再会する青年を演じた。高校時代の愛称は「ゴルゴ」。当時の野球部の監督に、10年ぶりに「赤鬼先生!」と呼びかける。

 ゴルゴは赤鬼先生に「努力する才能」がないと言われ、野球部も高校も辞めてしまったが、幸せな家庭を築いている。「あの時はあんまり話せなかったけど、ちょっと成長して、話せるタイミングだから会えたのかなってこと、ありません? うれしいですよね」

 屈託なく赤鬼先生に笑いかけたゴルゴは、直後、胃がんで余命半年と告げられる。人生でやり残したことは、野球。その思いをかなえようと、赤鬼先生が奔走する。

 自身がやり残したことといえば、中学3年の修学旅行。映画の海外ロケと重なった。「修学旅行は行きたかったけど、ロケで得たものがあった。サッカー選手になりたかったけど、俳優の道に来られた。それはそれでよかった、と思います」

メッセージ

 今回は、どういうふうにがんばればいいのかわからなくて壁に当たっているキャラクターを、共感しながら演じたんですけど、作品を通して客観的に感じたのは、わからなくても自分を信じて毎日コツコツがんばることが大切なのかもしれない、ということ。学生生活、大変だと思いますけど、がんばってください!

1990年3月26日生まれ、東京都出身。出演映画に「誰も知らない」「すべては海になる」「許されざる者」「銀魂」「銀魂2 掟は破るためにこそある」など。「泣くな赤鬼」は公開中。
(文・岩本尚子、写真・近藤理恵)

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1年間留学 帰国後の学年は?

2019年6月19日 08:30 朝日中高生新聞

8割が単位認定利用 在籍校に確認を

「1年間留学しても、元の学年に戻れますか?」

 これは留学を考えている高校生からよく寄せられる質問です。学校が生活の中心である中高生の皆さんにとって、留学後の自分に帰る場所があるかどうかは、実は費用や語学力よりも気になるポイントかもしれませんね。

 答えは、イエスであり、ノーでもあります。

 日本の教育制度では、留学体験を単位として認定し、元の学年に戻すかどうかは、皆さんが通っている日本の高校が判断しているのです。

 文部科学省のデータによると、約82%の生徒が、単位認定を受けて元の学年に戻っています(「高校生の留学生交流・国際交流等に関する調査研究等」から)。認定にあたっては、学校が留学中にリポートを課すなど条件を設けている場合があります。

 一方で、下の学年に入ることを必須としている学校もありますので、高校生の方は在学校、中学生の方は進学希望の高校の方針を確認してみてください。

 学校によっては、生徒が希望を出せるケースもあります。その場合はどちらを選択すべきか、それぞれのメリットを考えてみましょう。

 元の学年に戻るメリットは、なんといっても友達と一緒に卒業できること。特に中高一貫校に通っていたり、先輩後輩の上下関係が強い部活に入っていたりする生徒は、この点を重視する傾向があります。授業料が3年分で済むという経済的利点もあります。

 休学して1年下の学年に入るメリットは、日本の授業をもれなく受けられ、じっくり進路を考えられることでしょう。また、元の学年と1年下の学年の両方に友達のコミュニティーができたことが思わぬ収穫だったという声も聞かれます。

 いずれにしても日本の高校生活をいったん手放すことになる長期留学ですが、ある先輩は「ものすごく自分を育てる時間で、必ず取り返すことができる1年」だと語ってくれました。逃すものではなく、得られるものにぜひ目を向けてみてください。
(AFS日本協会広報・藤澤紀子)

※学校教育法は「校長は、留学することを許可された生徒について、外国の高等学校における履修を高等学校における履修とみなし、36単位を超えない範囲で単位の修得を認定することができる」と定めています。

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情報を集めて早めの防災行動を

空からのたより

 6月から7月にかけては、全国的に雨の季節です。梅雨の後半になると梅雨前線の活動が活発になって、西日本を中心に大雨になることがあります。特に九州や中国、四国地方はこれまでに何度も大雨による災害に見まわれてきました。

 梅雨のない北海道でも、近年は梅雨前線の影響を受けることが増えてきたので、油断はできません。

 突然ですが、防災に関するクイズです。大雨によって災害が起こるおそれがある時、気象庁は「大雨注意報」や「大雨警報」などの防災気象情報を発表します。どれくらい危険かによって注意報、警報と順番に出されるのですが、現在では警報よりもさらに上のレベルの情報があります。それは何でしょうか? 

 ヒントは、警報の特別版のような名前で、2013年から運用が始まりました。
 
 答えは「特別警報」です。去年の「平成30年7月豪雨」の時に、テレビや新聞で見たことがあるのではないでしょうか。「警報」の発表基準をはるかにこえる状況が予想されたり、実際に発生することが増えたりする中で、最大級の警戒を呼びかけるためにできました。

 「大雨特別警報」の場合は、数十年に一度の、これまでに経験したことがないような大雨のおそれがある時に発表されます。出された地域は、重大な災害がすでに発生しているか、とても危険な状況にあるので、ただちに避難情報に従って適切な行動を取らなければなりません。

 しかし、特別警報を確認してから避難の準備を始めるのでは、手おくれになる可能性があります。大雨は時間とともに危険度が増していくので、特別警報の前に出される注意報や警報の段階で、どれだけ事前に準備できるか、避難などの行動に移せるかが大切です。

 大雨注意報が発表されたら、最新の気象情報に注意して、ハザードマップ(災害予測地図)で避難場所やルートを確認しましょう。気象庁のウェブサイトで見られる「危険度分布」は、どこで土砂災害や浸水害などの危険度が高まっているかを地図上で確認できるので便利です。

 大切な命を守るためにさまざまな情報を活用し、早め早めの防災行動を取るように心がけましょう。

参田佳織(さんだ・かおり)日本気象協会気象予報士 香川県出身。2004年から7年間、ラジオやテレビで気象解説を担当。現在は、新聞のコラムなどを執筆している。

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cat_16_issue_oa-asahikids oa-asahikids_0_1af13f5035da_テストの後は見直し 正答導けない原因を究明せよ 1af13f5035da 0

テストの後は見直し 正答導けない原因を究明せよ

 学校の定期テストは授業で教わった内容がどの程度、身についているかを確認する機会。テストが終わったら必ず見直し、弱点の克服や入試対策にも結びつけます。朝日中高生新聞の特派員はどのように取り組んでいるのでしょうか。3人に聞きました。1学期の中間テストをふり返り、期末テストに向けた勉強を進めるときの参考にしてください。(山田泉)

返却後に2段階の復習

Sさん(広島・高校2年)
 定期テストは「自分の苦手をあぶり出すツール」ととらえ、「準備も大切だけれど、受けたあとの行動がより重要」と考えます。

 テストを受けたあと、帰宅すると問題をチェックします。教科書や問題集などを見ながら、まちがえたところを確認。ミスの理由を明らかにします。

 返却後、さらに2段階の復習をおこないます。返却された当日は「まちがえた問題」と「正解したけれども、正答を導くための理由があやふやな問題」を解き直し。週末にはすべての問題をもう一度、解きます。この方法をとり入れたのは、ホームルームで「時間の経過と記憶の変化」について話を聞いたのがきっかけ。返却された日だけの復習では定着しにくいと考え、実践することにしました。

 定期テストは、勉強に対するモチベーション(やる気)を高める「材料」にもなります。結果が出ると紙に評価を書き、その横に次のテストでの目標点などを記入。机の横の壁に貼り、常に目標が目に入るようにしています。

 定期テストを大切にすることで、大学入試の「合格」に近づけるとも考えています。たとえば定期テストでミスした古文の問題。復習したうえで模擬試験を受けると、定期テストと同じような問題が出て正解に。「継続は力という言葉を信じてがんばっていきたい」

勉強法さがすヒントに

Nさん(東京・高校1年)
 凡ミスがなければ何点になるかを確認する――。まちがいが凡ミスによるものなのか、根本的に理解していないことに起因するものなのかを把握するのが目的です。「理解が十分ではないから」と判断した問題の場合、正答を導けるように教科書や資料集、ワークなどを見て解き直します。

 定期テストの問題や解答はすべて保存。テストごとに科目(教科)別の点数などもまとめ、次の定期テストの目標点を設定したり、どの科目を重点的に勉強するかを決めたりするときに利用します。

 高校に入学してはじめての定期テストを受けたあと、勉強法を変更する必要があると痛感。「ものの定義やしくみを理解しているかなど思考力も問われ、普段から考える力を高め、あらゆる出題形式に対応できるように勉強しないと」。

 勉強法をさぐるうえでヒントになりそうなのが定期テストのふり返りだといいます。「しっかり取り組んでいけば、どう改善すべきかがわかり、次につなげていける」

同じまちがいはしない

Iさん(東京・高校2年)
 テストが返却されると、高3に進級したときにも力を入れる可能性がありそうな数学や英語、国語(現代文、古典)、社会(世界史)を中心にまちがえた問題をチェック。時間にかぎりがあるので、解けた問題については理解していると見なして割愛します。
 この4科目は問題用紙と解答用紙をセットにして解き直し用のノートに貼りつけています。数学と英語の場合、似たような問題を解くことが多く、解き直しをしていると「あのときのテストの問題と同じだ」と思い出すことがあるそうです。

 ミスした問題について「まちがい方」に気を配るのが解き直しでのポイントの一つ。計算ミスなのか、解法が理解できていないのかなどによって、具体的な対策の方向が大きくかわるからです。

 「解き直しは、次に同じまちがいをしないための取り組みの場。解き直すことによって、次の定期テストの傾向もわかりやすくなるので、点数も上がるはず」と考えます。

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cat_16_issue_oa-asahikids oa-asahikids_0_f4f852c32844_どん底をたくましく生き抜く f4f852c32844 0

どん底をたくましく生き抜く

2019年6月17日 08:30 朝日中高生新聞

文学って、おもしろい!「林芙美子」


 林芙美子は、幸うすい星の下に生まれました。母親はキク、父親は行商人の宮田麻太郎といわれますが、戸籍にはその名が記されておらず、生誕地も山口県の下関説と福岡県の門司説があり、はっきりしません。

 麻太郎の浮気が原因で、キクは6歳の芙美子をつれて行商人の沢井喜三郎といっしょに宮田家を出ていきます。これが芙美子の放浪生活の始まりでした。

 行商で生計を立てる母親を助けるため、芙美子は小学生のときから、九州の炭鉱町で、一つ1銭のあんパンを売り歩きました。家はなく、安宿暮らしで7度の転校。それでも彼女の文才を見抜いた教師の励ましもあって、広島県立尾道高等女学校(いまの県立尾道東高校)を卒業しました。各地を放浪した芙美子にとって、尾道は思い出深い「旅の古里」でした。

 海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。
(『放浪記』から)

 卒業後から『放浪記』で世に出るまで、芙美子はどん底の貧困生活の苦労を味わいました。露天商、銭湯の下足番、牛飯屋の下働き、株屋の雑用係、毛糸店の売り子、セルロイド工場の工員、出版社の封書書き、産院の手伝い人、カフェの給仕など、当時の女性の仕事のほとんどを経験しました。

 そうした境遇にありながら、プライドと文学の志を失うことはありませんでした。

 1930年に芙美子の放浪生活をつづった『放浪記』が刊行されると、一躍ベストセラーになりました。折しも、日本は「昭和恐慌」と呼ばれる大不況のまっただ中で、倒産の嵐が吹き荒れ、ちまたに失業者があふれていました。

 「金だ金だ金が必要なのだ!」

 『放浪記』は、こんな八方破れの文体で書かれていますが、貧しくとも雑草のようなたくましさで生き抜く彼女の姿に多くの読者から共感が寄せられました。

 人は苦労を重ねると、人格が玉のように磨かれる場合と、コンプレックスの裏返しで我を通す場合の両方があります。どうやら芙美子は、後者であったように思われます。

 人気作家となってからの彼女は、「成金趣味」「上流階級気取り」などと批判されましたが、それは彼女の大衆的な無邪気さのあらわれなのでしょう。

 貧乏暮らしの苦しさを体験している芙美子は、新聞社や出版社からの原稿の依頼に次々に応じたので、50年には、10本の連載小説をかかえていました。こうした過度の執筆が健康をむしばみ、彼女は心臓まひで急逝します。47歳でした。

 芙美子が色紙に好んでしたためたのは、次の言葉でした。「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」


・生没年 1903~51年
・出生地 いまの山口県下関市説と福岡県北九州市門司説がある
・本名  林フミコ
・代表作年 『放浪記』『続放浪記』(ともに30年)、『清貧の書』(33年)、『牡蠣』(35年)、『うず潮』(48年)、『浮雲』『めし』(ともに51年)など

おまけコラム

 『放浪記』が売れる前、編集者が芙美子を訪ねてきましたが、浴衣さえ売りつくした彼女は、赤い水着で応対しました。貧乏な放浪生活から流行作家になった芙美子は、競争相手の出現にとても神経をとがらせて、特に同性の作家の進出を妨害するような言動が、ひんしゅくやうらみをかうことが多かったと伝えられています。

 芙美子の葬儀委員長を務めた川端康成は、あいさつで「故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいことをしたのでありますが(中略)死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許してもらいたいと思います」と述べました。
    *    *
解説 岡山典弘 愛媛県松山市生まれ。松山大学および自治大学校卒。愛媛県庁勤務を経て、現在は松山大学非常勤講師(日本文学)、文芸評論家、三島由紀夫研究家、エッセイスト、作家。

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cat_16_issue_oa-asahikids oa-asahikids_0_8770d2a236d5_小国の悲劇の下、数々のお菓子考案 8770d2a236d5 0

小国の悲劇の下、数々のお菓子考案

お姫さまお菓子物語

王さま編

スタニスラス・レクチンスキー王

 1677年、スタニスラス・レクチンスキーは、ポーランド西部ポズナニ(中世ポーランドの首都)の県知事だったラファウ・レクチンスキー伯爵と、アンナ・ヤブウォノフスカの子どもとして生まれました。

 好奇心旺盛で、才能にめぐまれたレクチンスキーは、1704年、スウェーデンの後ろ盾を得て、ポーランド王になりました。

 外国から政治に強く口出しされることが多かったポーランドでは、王さまは強国の後おしで決められていたのです。しかし、09年、後ろ盾のスウェーデンがロシアに敗れ、レクチンスキー王は追放されてしまいます。

 その後、フランスのアルザス地方に移住。25年、娘のマリーをフランス王ルイ15世と結婚させ、ブルボン王家と親戚になりました。

 33年にポーランド王のアウグスト2世が亡くなると、ルイ15世の支援で再び、ポーランド王の座をねらいますが、ロシアがこれを認めません。

 結局、レクチンスキー王は、フランスの中のロレーヌ公国をもらい、本国からは「ポーランド王」を名乗ることだけは認められたので、この争いから手をひきました。

 レクチンスキー王は、おいしいものを愛する美食家として名高く、さまざまな料理やお菓子を生み出しました。マドレーヌや、ブッシュ・ア・ラ・レーヌ(ひと口大のパイ)などを考案。

 クグロフにお酒をかけ、やわらかくして食べたところ、とてもおいしかったので、コルク栓の形をしたイースト菓子にラム酒をかけた「ババ」が生まれました。

 王は人を楽しませるのも好きで、デザートにお酒をかけて燃やす「フランベ」も考え出したといわれます。

☆ババ

 東ヨーロッパが起源のババは、小麦粉、卵、バターを使い、イースト(酵母菌)でふくらませた焼き菓子です。ラム酒風味のシロップをしみこませたババは、特にフランスで親しまれていますが、レクチンスキー王が、故国のババを原形にして作らせたものです。

 名前の由来は、「千一夜物語」がお気に入りだったレクチンスキー王が、登場人物のアリババにちなんで「ババ」と名づけたともいわれます。その後、19世紀のパリの菓子職人が、法律家で、食通だったジャン・アンテルム・ブリアサバランに敬意を表して「サバラン」と名前を変えました。

 美食王と呼ばれたレクチンスキー王は、見た目にもかわいらしく、おいしいお菓子を作らせては、愛する娘の元へとせっせと送り続けました。

〈材 料〉

(プリン型12個分)
ドライイースト……6グラム
ぬるま湯(35度)……30ミリリットル
強力粉……250グラム
グラニュー糖……15グラム
卵……4個
塩……5グラム
無塩バター……125グラム
レーズン……40グラム
型ぬり用バター……適量
※シロップ
グラニュー糖……100グラム
水……125ミリリットル
ラム酒……小さじ2

〈作り方〉

①ボウルに無塩バターを入れ、溶かして、あら熱をとっておく。

②ドライイーストとぬるま湯は合わせておく。

③レーズンは、熱湯にくぐらせ、油分を落とす。

④大きめのボウルに強力粉、グラニュー糖、②のイースト、卵、塩を入れ、しっかりこねる。

⑤全体がまとまったら、①と③を加え、さらにしっかりこねる。

⑥生地全体につやが出るまでまぜたら、食品用ラップをかけ、お風呂場などのあたたかい場所(約30度)に置き、生地が約2倍にふくれるまで発酵させる。

⑦型にバターをぬり、発酵が終わった生地を型の半分量入れる。ふたたび食品用ラップをかけて、あたたかい場所で20分ほど発酵させる。

⑧生地が型の8分目ぐらいまでふくれたら、180度に温めておいたオーブンに入れ、15~20分焼く。

⑨小なべにシロップ用のグラニュー糖と水を入れ、火にかけ、ふっとうさせる。火を止め、あら熱をとり、ラム酒を加える。

⑩焼き上がった生地を型からはずし、⑨をたっぷりかけて、しみこませる。

  * *
【監修】今田美奈子(いまだ・みなこ)洋菓子・食卓芸術家

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