かつて異分子的なニュアンスがあった「オタク」は、一般に浸透して広く使われる言葉になりました。アニメやマンガに限らず、いまや誰もが何かしらのオタク要素を持っているのかもしれません。
しかし、まだまだ歴史の浅い言葉である「オタク」。語の価値観・世界観の自由度が高いために、戸惑いや違和感を覚える場面も少なくないように思います。
今回、アニメ好きが高じてTV番組でコスプレを披露し話題を集めたアナウンサーの宇垣美里さん、アメコミをはじめとするオタク文化に詳しい荻上チキさんにインタビュー。
サブカルチャーに対する理解と今後の展望について語っていただきました。
TBSラジオでパーソナリティーを務め、趣味を話題にトークを繰り広げることも多いおふたり。
めまぐるしく変化し続ける現代社会で、私たちは「好き」をどのように表現していけばいいのでしょう。そのヒントを見出す、おふたりの初対談をお楽しみください。
[取材・構成=奥村ひとみ]
今のオタクは「ガチヲタ」と「ゆるヲタ」を選択できる
――まずはおふたりの、現在の趣味につながる原体験を教えていただけますか?
宇垣
私は幼少期に『美少女戦士セーラームーン』を見て育った世代です。今でも大好きな作品で、セーラームーンをモチーフにしたアイテムはつい買ってしまいます(笑)
宇垣
けれど親はけっこう厳しかったので、『おジャ魔女どれみ』や『アリスSOS』はいいけど、『こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)』や『クレヨンしんちゃん』は禁止されていました。
ラジオでも愛をたっぷり語った『コードギアス』は大学生のときに観てハマり、そこからまたアニメの世界に浸かっていった感じです。
荻上さんはどうです?
荻上
僕自身はそこまでオタクだと思っていないのですが、振り返ればサブカルチャーが身近にある環境でしたね。
90年代はネット環境がないわけで、テレビの役割が大きかった。夕方のテレビでは、『ルパン三世』や『シティーハンター』、『キャッツ・アイ』といった今も語り継がれる名作が何気なく見れる環境でした。『魔神英雄伝ワタル』『魔動王グランゾート』『NG騎士ラムネ&40』といったロボットアニメも好きでした。
荻上
1995年に放送され大ブームを巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』もリアルタイムで見ていましたね。ちょうど僕が中学3年生のときだったので、まさに主人公・碇シンジと同じ年頃でした。
小学生の時、『青いブリンク』の後にやっていた『不思議の海のナディア』を楽しんでいたので、同じ監督であるということに喜びを覚えました。
一方、本も好きで、電撃文庫や角川スニーカー文庫の小説なんかも読んでました。
宇垣
はいはい! 私も読んでました。
荻上
『天空戦記シュラト』や『爆れつハンター』、『ゴクドーくん漫遊記』に『フォーチュンクエスト』とか。「ライトノベル」と呼ばれるようになる前でしたけど、活字にハマる第一歩めになってましたね。
TVで放送されているアニメを受動的に見るだけではなく、アニメショップに通ってノベライズ作品やグッズも買ったりしていました。そういう意味では、オタクとまでは言わないけれど、アニメが好きな文化系ではあったかなと思います。
自分に合った「オタクのスタイル」を選択できるようになった
――「オタクとまでは言わない」とおっしゃるように、「オタク」と聞いて思い浮かべる典型的なイメージがいくつかあります。リュックサックにポスターを刺して、頭にバンダナを巻いて、といったような……。
荻上
ちょうど秋葉原が電気街から、アニメの街に変わっていくのを実感したのが僕の世代だと思います。徐々にアニメ文化がオタクカルチャーの中心のようになっていきましたが、その頃のメディアでは「オタク=犯罪予備軍」みたいなイメージもあったし、TVで出てくるオタクは、ネルシャツをタックインして、ウォッシュされまくったジーンズをはいているような人物像でした。本当は、欲望は多様なんだけど、表現がチープでしたよね。
――そんな、かつては特異なイメージのあった「オタク」が、今では一般的に使われる語になりました。そもそもおふたりは、自身がオタクという認識はありますか?
宇垣
うーん……私は自分を「アニメオタクです」と言うのはおこがましい気がするんです。自称できるほどオタクをできていない、と思っちゃう。
荻上
わかります。「エリート」っていう言葉ぐらい強いイメージがありますよね。
宇垣
そうそう。感覚としては、ただ好きなだけ。
荻上
僕も子どもの頃からアニメやマンガが好きですが、ずっと「ヌルヲタ」程度だと思います。
――ヌルヲタ、ですか。
荻上
2000年代に入った頃から、「2ちゃんねる」ではオタクの細分化が顕著になり、エリート的な「ガチなオタク=ガチヲタ」に対して、ゆるくサブカルチャーが好きな「ヌルヲタ」が生まれました。両者がサブカル好きなことには変わりないのですが、要は「ガチヲタ」なのか「ヌルヲタ」なのかを、自分で選択できるようになった。
そうやって細分化がどんどん進んで、今ではそれぞれが好きなスタイルのオタクができるようになった気がしています。
宇垣
私の世代では、ゆるいオタクは既に確立したスタイルになっていましたね。だから大人がアニメやマンガが好きでも、特に引け目みたいなものはなくて。
荻上
今はまだ旧来型のステレオタイプなオタク像が残っていても、今後は便宜的にカテゴライズするための言葉として捉えていったほうがいいかもしれませんね。
宇垣
そうですね。近年は「ひとつのものを深く掘り下げる人」「ひとつのことに集中できる人」を指す言葉になっていますよね。
アニメやマンガといったサブカルチャー的なものだけでなく、「園芸オタク」や「コスメオタク」といった言い方もされるようになってきて。
荻上
もはやタグ付けみたいなものですよね。人を分類するカテゴリーではなくなりつつある。たくさんある属性のひとつに、「●●オタ要素」があるというような。
“地雷を踏まない”がオタクの礼儀作法に?
――お仕事上、おふたりは趣味の話を求められる場面も多いと思います。趣味を語るときに弊害を感じるようなシーンはありますか?
宇垣
弊害とまでは感じていませんが、自分の趣味を言いたくない人はいますね。アニメのことも私のことも理解しないまま、「とりあえずオタクなんでしょ?」と雑な理解でコミュニケーションを図ろうとしてくる人に対しては、どうしたらいいのか分からなくなります。
そういう人には、もうわざわざ言わないようにしています。
荻上
「オタクはこうだ」と勝手なステレオタイプをぶつけてくる人がいますが、アプローチとしてかなり悪手ですよね。アニメだけでなく、これはどんなカルチャーにも起こり得る現象です。
僕の番組にも毎回ゲストが来てカルチャートークをしてくださりますが、相手の良さを引き出すために丁寧に話を聞くことを心がけています。
けれど同じ趣味を持つオタク同士の会話というのは、その対極にあるようなコミュニケーションで、「あの映画を見た?」「見たよ……!」とこれだけで分かり合える。これはコンテンツがコミュニケーションのコネクタの役割を果たしている。
宇垣
一方で、同じ趣味でなくても、相手が好きなものを嬉しそうにしゃべっているのを楽しく聞けることもあります。それはオタク要素を持つ者同士であれば分かるんじゃないかなと。
荻上
たしかに、その人が熱く語っている姿そのものが面白くて、そこから作品に興味を持つことも多いですよね。
僕のペンネームはマンガ『げんしけん』に登場するキャラクターの荻上千佳から取っているのですが、この作品には「オタクだから、恋をした」というキャッチコピーがついていたんです。
オタクが集まる大学サークル「げんしけん」は、荻上の加入を機に雰囲気がどんどん変わっていきます。古典アニメのセリフを引用しながら、非コミュ・非モテなコミュニケーションするグループが、ネットに長けていき、恋愛も当たり前にするようになり、就職もし、旅行なども楽しむようになる。
「オタクと恋」という、縁遠いとされてきたものの壁が作中で取っ払われたように、各個人が別々のカルチャーを持ち寄るコミュニケーションが当たり前になっていく過渡期を描いたわけです。
相手のカルチャーを楽しめるということは、見方を変えると、その人はストレスのリスクを負ってでも一緒にいたいと思える相手ではないですか?
宇垣
そうですね。むしろ私は、「そうじゃない人とは、関わる必要ってあるの?」とすら思ってしまう。それは個人を否定しているわけではなくて、人間同士だからこそ、合わない対象やタイミングがあるのは当たり前なんですよ。
荻上
その通りです。
今Netflixで見られる『ストレンジャー・シングス』というドラマがあって、80年代のアメリカのNerd(ナード)、いわゆるオタクたちのストーリーなんですね。
この作中で、オタクたちはそれぞれにカルチャーを楽しんできたけれど、同じようなオタク、つまり仲間がいたと知ったとき、会話が溢れ出てくるんです。
それまで一人で、もしかしたら孤独を感じながらコンテンツを摂取してきたのかもしれません。黙々と蓄積してきた視聴体験が、ようやく強いコネクタとして機能した瞬間だったんです。
それは、そとから見たら不気味で一方的なコミュニケーションに見えるけれど、当人たちは作品で通じ合う。作品に居場所を見出した人たちの共振が根底にはあると分かるから、ちょっとしたサインやオマージュに、余計に視聴者はグッときてしまうんですよね。
――現代はSNSの台頭もあり、コンテンツを共有するのは容易になりましたよね。もちろんアプローチの仕方はきちんと考えるべきですが、少なくとも選択肢には溢れています。
荻上
そうですね。なので、もしコンテンツを語る相手の少なさに生きづらさを感じていても、そこを苦に感じる必要はないと思っています。
いずれ仲間に出会える可能性は切り拓けるんです。
けれども、開放的なコミュニケーションが苦手な、いわゆる「ウェーイ」できないタイプの人は自分も含めてたくさんいるし、SNSひとつとっても特長は様々です。
息苦しく感じる理由が何かによって、共有の方法を選択したいですよね。
――そういった自分が好きなコンテンツを他者と共有するときに、気をつけるべきことはありますか?
荻上
コンテンツの共有を楽しむときに気をつけたいのが、相手のコンテンツ、つまり「相手の生きづらさ」に無理解になってしまうこと。
自分に好きなコンテンツがあるように、相手にも好きなコンテンツがあって、同時に踏んでほしくない地雷もあるんです。
踏まれるのは嫌だから自分も踏まないようにするという、相手を尊重する“踏まないセンサー”みたいなものは持っておきたいですね。
コスプレすることで価値観の壁が壊れた
――宇垣さんはお仕事を介して初めてコスプレをされたんですよね。やってみてどんな発見がありましたか?
宇垣
そもそもコスプレという嗜好は、私のこれまでの人生になかったんです。偏見があったとかではなく、単純にその発想がなかった。
荻上
楽しみ方のレパートリーが違ったと。
宇垣
でもやってみたら楽しかったし、やる人の気持ちも分かりました。「こうやって愛情を表現する人が、私の知らなかったところにたくさんいたんだ!」と気づきました。
荻上
やってみると想定外の理解が得られることってありますよね。そこには固定概念や価値観の壁が壊れる体験があります。
僕も最近コスプレをはじめたんです。「スパイダーマン・ノワール」というアメコミヒーローの衣装をつくったんですけど、すごく学びが多かったです。
荻上
着こなし、動きやすさ、着たら匂うということ……誰にも言えない状況でスーツを洗濯して、自分で干しているスパイダーマンの気持ちが実感できました(笑)。
コスプレがキャラクターを理解するためのツールになるというのは、僕にとって新しい発見でしたね。
大人になってから出会えた「解釈する楽しみ」や「理解できる喜び」
――「その発想はなかった」という気付きは、人としての成熟度にも絡んできそうですが、子どもの頃と比べて、コンテンツの見方に変化はありますか?
宇垣
幼少期は、セーラームーンが敵を倒すのをただ「カッコいい!」と思っていました。けれど今は、考察をするのがすごく楽しくて。一元的だった感想が、描写の意図や監督の思想を考えることで立体的になるのは大人な楽しみ方です。
そこから「だからこんなにうさぎちゃんが好きなんだな」と改めて気付くことがあるし、自分自身の考え方、生き方にフィードバックされる部分もあります。
荻上
何よりクリエイターたちが世界のとらえ方をどんどん変えていきますから、見る側も一緒に変わり続ける必要は出てきます。
近年のディズニーの実写化作品を見ると、原作のアニメ映画からアレンジが加えられていますよね。
実写版の『美女と野獣』では、ベルは野獣の姿のまま王子とキスをしました。ルッキズムではない「この人が好き」が強調されることで、より現代的な価値観に変更されているわけです。
僕はディズニープリンセスやMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)が好きですけど、作品に登場するキャラクターたちは、僕たちが日々なんとなく社会で感じ取っている悪しき慣習と戦ってくれている気がするんです。
それを解釈する楽しみ、理解できる喜びは、大人になって身に付いた機能だと感じます。
宇垣
ディズニープリンセスは私も大好きです。実写映画の『アラジン』のジャスミンも素晴らしかったですね。
荻上
そうですね。ただ、原作のある作品にしばしば起こるのが、原作のファンであるがゆえに表現に違和感を抱いてしまう現象です。
シビアな原作至上主義ではなくても、この感覚におぼえがある方は多いでしょう。
その時代の解釈に向き合うことは、その時代の論争的なテーマに踏み込んでいくことに通じます。その解釈の変化そのものが、常にコンフリクト(衝突)を生む。もちろん僕はそれらを踏まえた上で、解釈の変化に寛容になってほしいと僕は思います。
批判するのではなく、楽しみをどう共有するか
――最後に、今おふたりが趣味のなかで最も楽しみにしていることを教えてください。そして、それをどのように楽しんでいこうと思っていますか?
宇垣
これからも様々な作品のおかげで私の世界が広がっていくんだろうな、と思うと楽しみで仕方ないです。
日本最大級のアメコミの祭典である「東京コミコン2019」の広報部長を務めさせていくことになったのですが、そこでも今まで触れてこなかった作品を見る良い機会を得られました。新しい扉を開けるのは私にとって福音ですし、お気に入りのキャラクターが増えていくのは喜びです。
そうやって好きな作品やキャラが増えていくことで、「この作品見てるよ」とコミュニケーションツールにもなる。そうやっていろんな人と「好き」を共有していきたいですね。
荻上
僕が大好きなMCUについて、何が公開されるとか誰が演じるとか、グループLINEでよくメッセージが飛び交うんです。
単純に作品を視聴するだけではなく、作品を通じてのコミュニケーションがすごく楽しい。
ただ、そこで気をつけなければならないのが「人を呪わば穴二つ」ということ。
友だちが好きなものをディスったり、「あれ好きだという人はぬるいよね」と厳しい評価をしてしまうと、回り回って自分に帰ってくる。自身に生きづらい評価軸を与えてしまうんですね。
とくに今はSNSなどのパブリックな場所が増えているのでなおさらです。
作品やファンを批判・揶揄することは不毛なので、そうではなくその楽しみをどう共有していくかに思考をめぐらしていく。そうすることで、オタク文化がより豊かなものになっていくんじゃないかと思います。
宇垣美里さんプロフィール
2014年4月にTBSテレビに入社。
2014年9月29日から、『BLITZ POWER PUSH』(TBSラジオ)の担当を皮切りに、テレビ・ラジオの各番組への出演を始める。
「週刊プレイボーイ」でのコラム「人生はロックだ!!」の連載の縁から同誌のグラビアモデルも数回務め、「週刊ヤングジャンプ」2018年31号では表紙および巻頭グラビアを担当。話題をさらった。2018年より出演していたTBS「サンデージャポン」では“闇キャラ”や“コスプレ”が話題となり、同年に女性アナウンサー人気ランキングでは9位に入る。2019年4月16日、自身の誕生日に「週刊プレイボーイ」のコラムをまとめ、撮り下ろしの写真を満載した1stフォトエッセイ「風をたべる」を発売した。2019年4月よりフリーとなり、オスカープロモーション所属となる。
荻上チキさんプロフィール
1981年、兵庫県生まれ。評論家。ニュースサイト「シノドス」元編集長。著書に『セックスメディア30年史』『ウェブ炎上』『彼女たちの売春(ワリキリ)』『未来をつくる権利』『災害支援手帖』『いじめを生む教室』『日本の大問題』、共著に『社会運動の戸惑い』『夜の経済学』『新・犯罪論』『ブラック校則』『みらいめがね それでは息がつまるので』など多数。ラジオ番組「荻上チキ・Session-22」(TBSラジオ)パーソナリティ。