『あちらにいる鬼』刊行に際して、瀬戸内さんは荒野さんと対談。そもそも不倫関係だと思っていなかったことや、光晴と妻・郁子が亡くなったあとに瀬戸内さんが買ったお墓のそばに二人が眠っていることなど赤裸々に明かした。
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瀬戸内寂聴(以下、寂聴) この作品を書く前、もっと質問してくれて良かったのよ。
井上荒野(以下、荒野) 『あちらにいる鬼』はフィクションとして書こうと思ったので、全部伺ってしまうよりは想像する場面があったほうが書きやすかったんです。
寂聴 そうでしょうね。荒野ちゃんはもう私と仲良くなっていたから。そもそも私は井上さんとの関係を不倫なんて思ってないの。井上さんだって思ってなかった。今でも悪いとは思ってない。たまたま奥さんがいたというだけ。好きになったらそんなこと関係ない。雷が落ちてくるようなものだからね。逃げるわけにはいきませんよ。
荒野 本当にそうだと思います。不倫がダメだからとか奥さんがいるからやめておこうというのは愛に条件をつけることだから、そっちのほうが不純な気がする。もちろん大変だからやらないほうがいいんだけど、好きになっちゃったら仕方がないし、文学としては書き甲斐があります。大変なことをわざわざやってしまう心の動きがおもしろいから書くわけで。
寂聴 世界文学の名作はすべて不倫ですよ。だけど、「早く奥さんと別れて一緒になって」なんていうのはみっともないわね。世間的な幸福なんてものは初めから捨てないとね。
荒野 最近は芸能人の不倫などがすぐネットで叩かれますが、怒ったり裁いたりしていい人がいるとしたら当事者だけだと思うんですよね。世間が怒る権利はない。母は当事者だったけれど怒らなかった。怒ったら終わりになる。母は結局、父と一緒にいることを選んだんだと思います。どうしようもない男だったけど、それ以上に好きな部分があったんじゃないかって書きながら思ったんです。
寂聴 それはそうね。
荒野 母は父と一緒のお墓に一緒に入りたかった。お墓のことはどうでもいい感じの人だったのに。そもそも寂聴さんが住職を務めていらした天台寺(岩手県二戸市)に墓地を買い、父のお骨を納めたのも世間的に見れば変わっていますよね。自分にもう先がないとわかったとき、そこに自分の骨も入れることを娘たちに約束させました。
寂聴 私が自分のために買っておいた墓地のそばにお二人で眠っていらっしゃるのよね。
荒野 私には、母が父を愛するあまり何もかも我慢していたというより、「自分が選んだことだから、夫をずっと好きでいよう」と決めたような気がするんです。だから『あちらにいる鬼』は、自分で決めた人たちの話なんです。
寂聴 そうね。
荒野 そもそも母は、寂聴さんのことはもちろん、ほかの女の人がいるってことを私たちの前で愚痴を言ったり怒ったりしたことは一度もない。父が何かでいい気になっていたりすると怒りましたけどね。
■文学的師だった光晴
寂聴 思い返すと私はとても文学的に得をしたと思いますよ。以前は井上さんが書くような小説を読まなかったの。読んでみたらおもしろかったし、彼の文学に対する真摯さは一度も疑ったことがない。だから、井上さんは力量があるのにこの程度しか認められないということが不満でしたね。井上さんは文壇で非常に寂しかったの。文壇の中では早稲田派とか三田派とかいろいろあって、彼らはバーに飲みに行っても集まる。学校に行ってない井上さんにはそれがなかった。みんなに仲良くしてもらいたかったんじゃなかったのかしら。孤独だったのね。だから私なんかに寄ってきた。
荒野 父はいつもワーワー言ってるから場の中心にいたのだと思っていましたが、違ったんですね。確かに父にはものすごく学歴コンプレックスがありました。アンチ学歴派で偏差値教育を嫌っていたのに、私のテストの点数や偏差値を気にしていましたね。相反するものがあった。自分のコンプレックスが全部裏返って現れている。女の人のことだってそうかも。
寂聴 「俺が女を落とそうと思ったら全部引っかかる」って。
荒野 女遊びにも承認欲求があったのかもしれない。寂聴さんから文壇では孤立していたと伺ってわかる気がしました。そういえば以前、「寂聴さんがつきあった男たちの中で、父はどんな男でした?」とお尋ねしたら、「つまんない男だったわよッ」とおっしゃいましたよね(笑)。
寂聴 私、そんなこと言った? ははは。いや、つまんなくなかったわよ。少なくとも小説を書く上では先生の一人だった。
荒野 『比叡』など父とのことをお書きになった作品でも設定は変えていらっしゃいますね。父の死後はお書きにならなかったですが。
寂聴 もうお母さんと仲良くなっていたからね。井上さんは「俺とあんたがこういう関係じゃなければ、うちの嫁さんと一番いい親友になれたのになあ」と何度も言っていた。実際にお会いしたら、確かに井上さんよりずっと良かった。わかり合える人だったし。
荒野 最終的には仲良くしていただきましたよね。いちばんびっくりしたのは死ぬ前に母がハガキを寂聴さんに書いたということ。私にも黙っていたから。
寂聴 ハガキは時々いただきましたよ。私が書いた小説を読んでくれて、「今度のあの小説はとても良かった」って。自分ではよく書けたと思っていたのに誰も褒めてくれなかったから、すごく嬉しかった。本質的に文学的な才能があったんですよ。だから井上さんの書いたものも全面的に信用してなかったと思う。
荒野 小説についてはフェアな人でした。私の小説もおもしろいときはほめてくれるけど、ダメだと「さらっと読んじゃったわ」ってむかつくことをいう。父は絶対けなさなかったのに。
寂聴 井上さんはあなたが小さい頃から作家になると決めていたの。そうじゃなかったら「荒野」なんて名前を誰がつける?
荒野 ある種の妄信ですよね。
寂聴 今回の作品もよく書いたと思いますよ。売れるといいね。テレビから話が来たら面倒でも出なさいよ。テレビに出たら売れる。新聞や雑誌なんかに出たって誰も読まないからね。
荒野 はい(笑)。
(構成/ライター・千葉望)
【【追悼】瀬戸内寂聴さん 「子どもを捨てて後悔してきた」 生前明かしていた「過剰な欲」と捨てる哲学】
※AERA 2019年2月18日号を抜粋、再掲