【「心が晴れる思い」と語った香取慎吾の原点「人と会って仕事することが僕を潤してくれる」】
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喜びとも悲しみとも、一言ではまとめられない衝動。草なぎの心を満たした感情は、作品に折り重ねられた「男と女」「母と子」といったレイヤーの“割り切れなさ”を表しているようだった。
草なぎ剛(以下、草なぎ):脚本を読み終えて、気持ちがこみ上げて涙が出てきたんですよ。でも、そのときの僕は、どうして自分が泣いているのかわからなかった。理由はわからなかったけれど、僕が凪沙を演じることで、僕の胸を強く揺さぶったものを映像にのせて皆さんに伝えたい。そう思いました。
■自分が投影されている
草なぎ:凪沙はいろいろなコンプレックスや葛藤を抱えていて、ずっと自分を許せないまま生きてきたんだと思います。一果と出会って、「母になりたい」という夢ができたことで、救われていく部分があった。本物の母親に近づこうともがいて、身も心もボロボロになっていくんだけれど、それでも凪沙は幸せを感じていたと思うんです。その純粋な思いに、きっと僕は胸を打たれたんだと思います。
草なぎ:確かに難しい役でしたし、ほかの俳優さんは自分と役柄の共通点を探したりして役作りをされるのかもしれません。でも、凪沙に限らず、僕はそういうアプローチはしないんです。演じることの面白さは、自分とは全く共通点のない人物を演じたり、わからないものを表現したりすることにあると思うので、むしろかけ離れていたほうが思い切って演じられます。だから、いまでも凪沙のことを全然わかっていないのかもしれません。
■フルスイングのビンタ
草なぎ:樹咲ちゃんは新人さんで演技経験がなく、内田英治監督から演技指導を受けていたんです。でも、本番が始まると、言われたことを全部自分の中で消化して、完全に一果になってぼくの前に立っているんです。存在の説得力がすごかった。樹咲ちゃんから往復ビンタを食らったような気持ちでした。「うまく演じてやろう」みたいな下心を見透かされて、「何言ってんだ!」って、頬をフルスイングで(笑)。それで僕も焦っちゃって、逆に無になれた。やっぱり演技って、その瞬間その人になることが大切で、経験や技術だけじゃないんだなって改めて思いました。
反発し合っていた凪沙と一果だが、一果のバレエへの思いが二人の心を近づけていく。草なぎも、冒頭で他の共演者と「白鳥の湖」を踊った。
草なぎ:実はそれほど難しくなかったんです。僕の中にある「女性」を引き出してもらっただけで。きっと男でも女でも、自分の中に「異性」の要素を持っているんじゃないかな。人間は皆、母親の胎内で誕生して、その過程で異なる性に分かれていくだけで、元々はひとつの生命体なわけですから。
「男のくせに」という偏見やトランスジェンダー女性に対する無理解や抑圧も、作中ではリアルに描かれている。
草なぎ:僕もそうでしたが、きっとまだまだLGBTの人たちのことを「知らない」人が多いのかなと思います。だから、無自覚に差別的な言動をしてしまうことがあるのかもしれません。そこに対する想像力というか、ほんの少しでも気遣いをみんなが持てば、もっと自由で生きやすい社会になるのになと感じます。
想像力を持つとは、他者を通じて、自分の内面を見つめることではないかと草なぎは語る。
草なぎ:僕は母親にはなれません。でも、凪沙を通じて一果と向かい合ったときに、「ああ、おれの母ちゃんは、おれのことを心の底から愛してくれていたんだな」と、強く感じたんです。自分の中にある母性が自然と目覚めて、演じることができました。母親という経験はなくて気持ちもわからない部分が多いけれど、相手と向き合ったときに、自分が今まで周りの人からもらったものがにじみ出てくるんだと思います。だから演技って、面白いですよね。
(ライター・澤田憲)
※AERA 2020年9月21日号