総理の座に興味はない。そう言い続けて裏方に徹してきた菅義偉氏が総裁選に出馬表明。実務能力には定評があるが、一国のリーダーとしての資質は──。AERA 2020年9月14日号では、菅氏の人となりや政治家としての資質に迫った。
【フォトギャラリー】西日本豪雨の最中に「飲み会」も…カメラがとらえた安倍政権の「おごり」の数々
* * *
安倍晋三政権を縁の下の力持ちとして支え続けた菅義偉官房長官(71)が、首相の辞任に伴って総裁選に出馬表明。早々と多くの派閥がなびき、まず当選は間違いないとみられる。
秋田県の田舎、いちご農家の出身。高校卒業後上京して、働きながら法政大学の夜間部を卒業した。就職した会社で「世の中を動かしているのは政治」と感じ、大学の学生課から紹介してもらって政治家の事務所へ。「菅がいないと事務所が回らない」くらい働きまくり、いろいろなところから「うちに来ないか」という話が来て、若手政治家だった小此木彦三郎衆院議員の秘書となる。この「菅がいないと回らないと言われるくらいに猛烈に働いて信頼を得る」というのは、彼の一貫した姿勢だ。
横浜市議時代、政治への根回しや黒衣などを厭わず「猛烈に働いて」、当時の高秀秀信市長の信頼を勝ち取る。高秀市長が官僚出身で政治まわりが苦手だったこともあり重宝され、2期目ながら、市議の中では頭一つ抜け出た存在になった。市役所の幹部人事は全て市長の相談に乗った。その姿は、内閣人事局を通じて官僚人事を差配する今の姿を彷彿とさせる。
1996年、国政に初当選。当初は小渕派に所属するが、98年、橋本龍太郎首相が参院選に敗北して退陣、その後の総裁選に私淑していた梶山静六氏が出馬すると、派閥を抜け梶山陣営に加わった。自分にとって筋が通ることをする、信念を貫く。それもまた彼の生き方だ。
同じ年に、旧国鉄の債務処理法案の採決を棄権した。JRに新たな負担を求めるものだったが「それは筋が通らない」という理由だった。筋を通す党人派。自民党にとって、いや日本の政治家にとって今や絶滅危惧種と言えるかもしれない。
だが、一方で彼の「国家観」や「めざす国のあり方」はよくわからない。目の前の各論や個々の政策実現には馬力を発揮するが、では何をしたいのかがいま一つ見えないのだ。本人も政策力のなさは自覚していて、だから朝昼晩と二階建て、三階建てで人と会い、食事を共にして政策課題について勉強した。重なる会食で太らないよう、オーダーは豆腐が定番だった。
菅氏らしさが良くも悪くも見て取れたのが、外国人労働力の拡大をめざした2018年の入管法などの改正だ。その年の春まで主要な政策テーマとなっていなかったのが、菅氏が強力に推進して年内に成立させてしまった。労働力が足りないという現場の悲鳴を受けた策だったが、今後日本の人口や社会をどう考えるのか、外国人とどう共生していくのかといった全体像は提示されないままだった。
だから、国家理念がクリアだった安倍晋三氏とはいいコンビネーションだった。全体像を安倍氏が示し、菅氏がひたすら実現に向けて突きすすむ。自身、官房長官や党の幹事長になりたいと若い頃から口にしていた。
安倍氏と親しくなったのは、拉致議連の活動を通じて。第1次安倍政権で失敗した安倍氏を、もう一度担ぎ出そうとしたのも菅氏が中心だ。調子の良い時には皆寄ってくる。が、挫折した時に声をかけ励ましてくれた人物は格別の存在だ。だから安倍氏は菅氏に絶対の信頼を寄せた。官房長官時代も「総理は俺に全部任せてくれるからすごく楽」とよく語っていた。
二世三世の目立つ永田町にあって、異色の存在であることは論をまたない。が、最高権力者となって裏方体質から脱皮できるか。政治家の家系でもない子どもが政治家を夢見た時に「菅総理がいたんだから、なれる」という存在になれるだろうか。(朝日新聞編集委員・秋山訓子)
※AERA 2020年9月14日号
外部リンク