記者が、コロナ禍のなか7月中旬に第2子を出産した。35歳で経験した、第1子のときとは様相が異なる出産。どんな不安があったのか、AERA 2020年8月24日号で話を聞いた。
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初めて新型コロナウイルスを自分事として感じたのは2月25日。職場が近い電通で感染者が出たというニュースをネットで見たときだった。その前日には電通が入るビルでランチを食べたばかり。「外出はリスクなんだ」と身震いした。
妊娠中に感染したら飲める薬は限られるし、おなかの赤ちゃんにどんな影響があるかもわかっていない。通勤電車では換気のいいドア近くに立ち、つり革や手すりには触れなくなった。乗車中に両足を開いて、転ばないように力を入れながら、「妊婦なのにこんなに踏ん張って大丈夫なの!?」と、これまた不安になった。
当時は会社に在宅勤務の制度はなく、3月の妊婦健診で出勤の不安について相談すると、主治医は「健康状態に異常はないけど、母健連絡カードに『配慮が必要』とは書けますよ」と言ってくれた。でも会社に特別扱いを求めるようで気が進まない。そんな中、3月26日に会社から全社員の在宅勤務を認める通知が出された。上司から勧められ、翌日から在宅勤務を始めた。
4月13日。4歳の長男が通う認可保育園が臨時休園になった。在宅勤務の夫と交代で面倒を見るが、日中は仕事に集中できず、子どもが寝た夜や早朝に残った仕事をするのは身重の体には負担が大きい。悩んだ結果、産前休暇に有給休暇をつけて5月の大型連休明けから休みに入ることにした。感染が拡大する緊急事態に仕事を投げ出すのは記者としてどうなのかと散々悩んだ。感染リスクにおびえながら現場で働き続ける妊婦の実態も発信したかった。でも今は、生まれてくる赤ちゃんや家族の健康を優先しようと決めた。
その後も悩むことは多かった。妊娠中はむし歯になりやすく、歯周病は早産のリスクもあるため、区内の歯科医院で妊婦歯科検診を無料で受けられるが、コロナ禍で行っていいものかと悩んだ。保育園が再開した後は、登園自粛を続けるべきかも悩みの種だった。感染のリスクを少しでも下げるために登園を控えたが、臨月が近づくと自分の体がしんどくなって長男の遊び相手ができなくなり、週に数回保育園に通わせることにした。長男の出産のときと比べると早めに産休入りし、体は楽だったはずなのに、次々に湧き上がる答えのない問いと向き合うことが精神的にこたえた。横になっている時間も長かった。
外出自粛で体力の衰えも感じた。気づけば、ゆっくりしたペースでも10分も歩けば息が上がってしまう。前回の妊娠中は仕事帰りに2、3時間歩いて帰ることもできたのに、「これでは自然分娩なんて無理じゃないか」と、お産への恐怖が募った。
出産のもう一つの不安は、一人で臨まなければいけないことだった。4月16日の健診のときに、クリニックで立ち会い出産や入院中の家族の面会不可と書かれた貼り紙を見つけた。
前回の出産では出血が多く、産後数日間起き上がれなくなり、夫が仕事を休んで病室に泊まり込んで身の回りのことをやってくれて乗り切った。だが、今回は一人。産後も前回は沖縄に住む母親が上京し、食事の用意や家事をしてくれたが、今回は東京に来てとはお願いできない。「産後のことを考えても体への負担が少ない出産方法がいい」と思い、妊娠9カ月のときに主治医に無痛分娩にしたいと申し出た。出産費用が18万円プラスになるが、夫も「不安を少しでも取り除くことができるのなら」と賛成してくれた。
お産の日は突然決まった。妊娠10カ月目に入った健診で、医師から「準備ができているんだったら、今日産もうか」と提案された。
2日前の健診で子宮口が3センチまで開いていたことに加え、入院グッズを持っていたことも決め手だったかもしれない。陣痛が起きたときに痛みにもだえながら一人で運ぶのはつらすぎると思って、事前にクリニックに預けようと持ってきた。
在宅勤務中の夫に連絡を入れ、マスクをつけたまま分娩室に入った。背中の下あたりに硬膜外麻酔を打つ。途中お産を進めるために15分ほど麻酔を弱め、その間は痛みがあったが、それ以外は医師や助産師と談笑しながらの出産だった。5カ月間コロナの感染に神経をとがらせて過ごし、ようやく会えたわが子の顔を見て、とにかくほっとしたのを覚えている。夫も産後15分だけ面会が許された。夫はマスクを着用し、さらに雨がっぱのような服を着て入室、汗だくになりながらもうれしそうに赤ちゃんの顔を見つめていた。(構成/編集部・深澤友紀)
※AERA 2020年8月24日号より抜粋
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