これまで多くの公務に真面目に律義に取り組んできた眞子さま。その歩みを振り返ると、眞子さまの人柄や紀子さまの思いが見えてきた。AERA 2021年11月1日号から。
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眞子さまの一番有名な映像は1993年8月の軽井沢、「犬との遭遇」だと思う。もうすぐ2歳になる眞子さまは、紀子さまに抱かれていた。そこにやってきた散歩中のゴールデンレトリバーが、手を伸ばす眞子さまにジャンプした。「こわいー」としがみつく眞子さまに、紀子さまは「お友達になりたいのね」と言った。可愛い眞子さまと若く賢い母の紀子さま。この映像は、何度も放送された。
「あれが紀子さまの教育の本質です」。そう語るのは志賀律子さん。学生時代、「東南アジア青年の船」で紀子さまと一緒になって以来の友人だ。物事は捉え方ひとつで違う面が見えてくると考える紀子さまだから、ごく自然に「怖い」を「お友達」に切り替えた。「天然」で、誰にも優しく接する紀子さまなのに、眞子さまとボツ交渉だとか、職員にきつく当たるなどと書かれている。そういう報道は匿名の「関係者」が語っていてモヤモヤする。娘を遠くに送りだす紀子さまの心が、少しでも軽くなってほしい、と志賀さん。
紀子さまは18年、秋篠宮さまの誕生日に当たっての会見に同席、眞子さまのことを「母親として」と断り、語った。結婚が延期され、体調が悪くなる中、それでもブラジル国内14カ所を訪問した眞子さまのことを「本当によく頑張っているな」と褒めた。
「待っていてくれる人がいると、紀子さまはいつも言っています。そして、そういう姿を背中で子どもたちに見せてきました」と志賀さんは言う。
■勤め帰りの「普通」の姿
秋篠宮さまと眞子さまは10月5日、パラグアイ政府から勲章「国家功労勲章特別大十字型章」を贈られた。秋篠宮さまは06年、日本人のパラグアイ移住70周年にあたって同国を訪問。眞子さまは16年、80周年にあたって訪問、18年の歌会始(お題は「語」)で眞子さまは、「パラグアイにて出会ひし日系のひとびとの語りし思ひ心に残る」と詠んだ。
眞子さまにとって初の海外公式訪問は15年、エルサルバドル、ホンジュラス。16年がパラグアイで、18年がブラジルだった。遠い中南米だが、眞子さまは行く先々和服に着替え、お言葉を述べた。16年の歌会始(お題は「人」)で詠んだ「広がりし苔の緑のやはらかく人々のこめし思ひ伝はる」は、石川県小松市「苔の里」で歌碑になっている。15年の訪問での思い出を詠んだもので、内親王の歌碑は珍しいという。
などなど、眞子さまはエピソードも真面目で優等生なものが並ぶ。だから19年7月、女性週刊誌のグラビアで眞子さまの写真を見た時は、しみじみとした感情に見舞われた。
「勤め帰り」の眞子さまだった。非常勤の特任研究員として勤める東京大学総合研究博物館を出て、迎えの車に乗ろうとする眞子さまは、薄いピンクのニットに明るい紺色の花柄のスカートを着て、メガネをかけていた。この写真で、公務の時の眞子さまはコンタクトレンズをしているのだと想像した。次に「コンタクトレンズ時々メガネ」は、「視力の良くない女子あるある」だと思った。そして、「眞子さまにも“普通”があるのだな」としみじみとしたのだ。
26日の記者会見の行方を前出の志賀さんは案じている。紀子さまもきっと心配だろうと想像している。何とか乗り越え、穏やかな日々が眞子さま、そして紀子さまに来ることを願っている。(コラムニスト・矢部万紀子)
【佳子さま バッシングに反論、プライバシーも線引き 次男家の次女が前例を超えていく】
※AERA 2021年11月1日号の特集「眞子さま結婚 批判の深層」より抜粋
※敬称は取材時のものです
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