日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。横浜市の上大岡エリアで3軒のラーメン店を営む店主が愛するラーメンは、同じ横浜エリアの弘明寺で人気の真っすぐすぎる横浜家系ラーメンだった。
■横浜に彗星のごとく現れた“団塊ジュニア世代の味”
横浜市にある上大岡駅は京浜急行線のターミナル駅で、横浜の副都心の一つ。商業施設が集まり、多くの人でにぎわう街だ。このエリアで「G麺7」「啜磨専科(すすりませんか)」「川の先の上」と3軒のラーメン店を経営するのが後藤将友(まさとも)さん(48)だ。
後藤さんは、横浜の名店「浜虎」で修業を重ねた後、妻の地元である上大岡で独立を決意する。2009年にオープンした「G麺7」は、数種の小麦を合わせた自家製麺の旨さを引き立たせた醤油ラーメンが自慢だ。当時ラーメンのイメージがなかった上大岡に彗星のごとく現れ、プロも評価する人気店に成長した。
ラーメン一本で営業を続けるなかで、常連客から「つけ麺も出してほしい」という声が多く集まる。だが、つけ麺を提供するのは設備的に厳しかった。そこで、駅を挟んで反対側のエリアに見つけた空き物件をつけ麺専門店にすることに。それが11年オープンの2号店「啜磨専科」である。
「ラーメンの『G麺7』、つけ麺の『啜磨専科』をものすごく近くに作り、それぞれの役割を持たせたわけです。だからこの2軒に関しては、2軒で1軒という感覚です」(後藤さん)
その後、15年には上大岡から車で20分のところにある六ツ川に3号店「ロ麺ズ」をオープン。翌年にはららぽーと湘南平塚内に「G麺7-01」をオープンさせ、順風満帆な店舗展開を行っていった。
だが、課題も感じていた。「G麺7」には長い行列ができるようになっていたが、待ち時間があると家族連れが足を運びにくい。カウンターのみの「啜磨専科」にも家族では入りづらい。ベッドタウンである上大岡の街と付き合っていくには、家族連れが安心して食べに来られる広い店を作る必要があった。
こうして19年に「川の先の上」をオープンさせた。2階の物件ではあったが、広い客席とキッチン、製麺機を置けるスペースもあり、ここしかないと決心した。上大岡駅から歩いて「川の先」の2階にある店である。濃厚な赤味噌のスープの中に、餃子を具としてそのまま入れたユニークなラーメンは、後藤さんがかつて北海道で酔っ払ったときに食べた味噌ラーメンをヒントに作ったという。今や5つのラーメン店を経営するまでになった。
「上大岡でドミナント出店を狙ったというよりは、結果的に3店舗になってしまったんです。エリアのニーズに応え続けていたらこうなりました。『G麺7』を育ててくれた街への恩返しですね」(後藤さん)
後藤さんのお店は全店舗味が違うが、その理由は、自分が今いちばん旨いと思う一杯をメニュー化しているだけだというシンプルなもの。そのときの自分の年齢に合わせた作品を作っている感覚であり、それがその店でしか食べられないラーメンの誕生につながっている。
「自分が旨いと思う味は“団塊ジュニア世代の味”なんですよ。だから多くの人たちに受け入れてもらえているんだと思います。これから年齢を重ねていくのに合わせて、だんだんシンプルなラーメンになっていくかもしれないですけど(笑)」(後藤さん)
そんな後藤さんの愛する一杯は、同じ横浜エリアの弘明寺で人気を博するラーメン店が作る横浜家系ラーメン。各地に家系ラーメンがたくさんある中でこの店を選んだのはなぜなのか、その理由に迫ってみよう。
■年間100杯食べる強者も!横浜家系の総本山「吉村家」の直系店以上に直系の味
横浜市南区通町にある「横浜ラーメン 田上家」。横浜市営地下鉄・弘明寺駅から徒歩7分、京浜急行電鉄・弘明寺駅からは徒歩12分と駅からは少し離れた鎌倉街道沿いにある。濃厚な豚骨醤油が特徴の横浜家系ラーメンを提供していて、開店5年ながらこの地域を代表する人気店である。
店主の田上州(しゅう)さん(45)は1975年に宮崎に生まれた。手に職をつけようと飲食の世界に飛び込み、寿司屋からスタートし、和食、イタリアンなど数々の飲食店で修行をする。経験を積む中で、田上さんが目を付けたのがラーメンだった。数々の料理を覚えなければならない和食やイタリアンに比べ、ラーメンは一つのメニューを極めれば、それでやっていける。そう思って最初に門をたたいたのは、自宅の近くの家系ラーメン店だった。
今や豚骨醤油ラーメンを代表する存在となった横浜家系ラーメンは、74年に横浜で創業した「吉村家」を総本山とする。その後40年以上にわたってラーメン一本で行列を作り続ける同店の流れをくむ店が神奈川県を中心に広がり、家系は全国的な人気を誇るラーメンの一つになった。田上さんもその虜になった一人だ。
「家系ラーメン店はたくさんありますが、『吉村家』の中毒性の高さは衝撃的でした」(田上さん)
途中、清湯系など家系ラーメン以外の店でも働いてみたが、その中で自分がやりたいのは家系ラーメンだと心を固め、8年間の修行の後、独立に踏み切る。
家系ラーメンで独立するなら横浜しかないと、弘明寺の鎌倉街道沿いに出店を決めた。土地勘はなかったが、賃料が安かったこともあり、ここしかないと思い切った。こうして2014年10月「田上家」はオープンした。
しかし、店は全く流行らなかった。場所が悪すぎたのである。住所は横浜市内ではあるが、駅から遠く、人通りも多くなく、思ったように客は集まらなかった。
「場所が悪い上に、横浜には家系ラーメンの名店がたくさんあります。横浜にこだわったのが仇となったんです。他のエリアでやっていればもっと上手くいっただろうなといまだに思います」(田上さん)
人気にあやかろうと、様々な企業が家系ラーメンを取り入れていた時代。客入りが悪く腐りそうになったときもあったが、田上さんはとにかくラーメンに情熱のすべてを注ぎ込んだ。一つのメニューを極めるという、ラーメン屋になる決心をした頃の気持ちを忘れなかったのだ。
家系ラーメンの作り方はシンプルだが、だからこそ細部へのこだわりで他店に差をつけるしかない。そう考えた田上さんは、手を抜かずいい食材を使った。チャーシュー、卵、米などの食材は国産を選び、冷凍は絶対に使わない。どんぶりは一杯ずつ直前にお湯で温め、アツアツを提供する。ラーメンは一杯700円。ライスはあきたこまちの炊き立てを一杯50円で提供している。
「メシ屋をやるからには安い値段でお腹いっぱいにしてあげたいんです。ラーメンに集中し、その代わり他のムダは全て省いています。ラーメンを食べて、帰りに喫茶店でコーヒーを飲んで1000円ぐらいが理想ですね」(田上さん)
味の向上とともに少しずつ口コミが増え、開店翌年には業界最高権威とも言われる「TRYラーメン大賞」の「TRY新人賞・とんこつ部門」3位を受賞。一気に人気店の仲間入りとなる。今や地域のお客さんはもちろん、常連客も多く、週3で通う人や、年に100杯食べる人もいるという。同じ店にこれほどまでに通うファンがいるのは、中毒性が高い家系ラーメンのなかでも多くはない。
「G麺7」の後藤さんは、田上さんのこだわりに一目置いている。
「横浜家系ラーメンの中では新しいお店ですが、ここは『吉村家』の直系店以上に直系の味ですね。真面目すぎるぐらい真面目にラーメンに向き合っています。すべてを突き詰めている感が凄いです。チャーシューの作り方は自分も参考にさせていただいています」(後藤さん)
田上さんにとっても、後藤さんは尊敬する先輩だ。
「自分と違って清湯のラーメンを作られていますが、仕込みだけでなく盛り付けまでとても綺麗。自分もラーメンをちゃんと作らないといけないなと、いつも足元を見つめ直させてくれます。天才だと思います。真面目で、背中を見せてくれる先輩です」(田上さん)
地域のラーメン店同士が切磋琢磨し、刺激し合いながらお互いのラーメンを高め合う。横浜エリアのラーメンのレベルがここ数年で一気に上がっている事実の裏には、店主同士のプラスの交流がある。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
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