建築は社会生活における重要な基盤だ。新型コロナの流行で一変した私たちの暮らしは、働き方や住まいへの考え方を見つめ直す機会にもなった。国立競技場の設計を手掛けた建築家の隈研吾氏は、そのコロナ禍を「都市計画への警告」と説く。AERA 2020年10月26日号から、隈氏の単独インタビューを紹介する。(聞き手/ジャーナリスト・清野由美)
【「まさか、家をなくすとは…」コロナで住宅ローン払えずに競売通告 年末にさらに増える見込みも】
* * *
──本来なら今年、東京は「東京2020」のお祭り騒ぎの中にいたはずですが、そうではなくなりました。国立競技場の設計に携わったひとりとして、落胆しませんでしたか。
僕はもともと建築を100年単位で考えているので、それほど深刻にとらえていません。五輪が来年に延期になったとしても、100年のうちの1年の話です。その間にいろいろなイベントが催されるでしょう。そういった機会を通して、みなさんが国立競技場の空間を感じてくれればいいと思っています。
──隈さんは、コロナ禍をどうとらえていますか。
ある意味、都市・東京にとって助け舟だったのではないでしょうか。建築史をさかのぼると、14世紀のペストの流行は、都市を大きく変える節目でした。それまでの中世のごちゃごちゃした街並みが非衛生的だったということで、ここから整然とした街への志向が生まれたんです。
そのエスカレートした果てが、20世紀アメリカの摩天楼。さらにその果てが21世紀の東京です。日本全体が人口減少、高齢化、空き家問題に苦しむ一方で、一極集中が進み、超高層タワーが林立しました。東京はあきらかにバランスがおかしくて、これ以上いったら破綻する瀬戸際にあった。コロナ禍は都市の惰性に対する警告だったと思います。
■超高層ヒエラルキー
──超高層をバンバン建てても、東京は世界のイノベーションの潮流には乗り遅れました。
最新のテクノロジーとともに、人の働き方も価値観も激しく変化しているのに、人を大きなハコに閉じ込めることが効率的だ、という古い考えから抜け出せなかったからです。
満員電車というハコ、オフィスというハコ、郊外の家というハコに人が押し込まれ、同じ時間に移動をし、競争を強いられる。僕はそれを批判的に「オオバコモデル」と呼びますが、今やオオバコモデルは効率的でも何でもなく、むしろ非効率なストレスの根源になっています。
テレワークが劇的に進んだように、現代のテクノロジーは、好きな時に好きな場所で仕事をし、眠り、移動をする自由を、すでに我々に与えています。
──隈さん自身も東京で超高層タワーの設計に携わっていますが、矛盾はありませんか。
僕にとってはオオバコモデルの罠に、あらためて覚醒するいいチャンスでしたね。東京は明治維新の時に、それまで独自の生態系を築いていた江戸のまちを捨てて「近代化」に走った。自然環境や歴史など、都市の与条件は欧米とは違うのに無理やり合わせたものだから、発展は奇形的でした。
戦後はオオバコに入ることがエリートであり、そのハコは高ければ高いほどエラい、という超高層ヒエラルキーみたいな意識に、国民が洗脳されました。それで日本人が幸福になったかといえば、あやしい。何よりも、僕自身がそういうプロジェクトに関わったことで、気づくことができたんです。
──テレワークの浸透により、都心の一等地にあるビルですら、テナントのオフィス離れが進行中で、隈さんの言う超高層ヒエラルキーが崩れてきています。
毎日ハコに通っていれば、給料がもらえて、それで郊外に自分のハコを買って生涯安泰……なんてことを信じている人は、もう誰もいないでしょう。つまり、オオバコモデルは戦後の、しかも昭和に限定したフィクションだったんですよ。
コロナ以前の僕は、週1回の頻度で海外出張に出ることが日常でした。欧米、中東、アジアと世界中をぐるぐる回っていましたが、それは自分が現実に住んでいる東京の問題を、先送りにしたかったからでもあった。
でも、自粛でどこにも移動できなくなって、いよいよ自分で落とし前をつけないといけないな、という段階になった。今、自分の中で、「日本とは何か、何が日本なのか」という問いを、繰り返し考えています。
【GoTo「東京解禁」 都民が地方住民の「冷たい視線」を懸念…「SNS投稿は控える」声も】
■不自然さが噴出する
──その答えは、どんなものでしょうか。
今回、コロナ禍の前線で仕事をしてくれた医療関係者、スーパーの店員さん、トラックのドライバー、ごみの収集をしてくださる人、おいしい食べ物を提供した飲食店の人たち。他者に安心と楽しみを与える人たちの、仕事のクオリティーの高さを、あらためてすごいと思いました。
戦後の日本は、他に類を見ない高品質の自動車と家電製品を作り出して、世界からリスペクトされました。モノだけでなく、高品質な暮らしの細部と、それを支える社会の仕組みを生み出す力が、日本の原点じゃないかと、希望を込めて考えています。
──逆に今後の都市や社会にとって不要なものは何でしょうか。
コロナ禍では、夜の街の人々が真っ先に切り落とされましたが、本当にそれでよかったのか疑問です。それよりも、超高層タワーの方がよほど不要不急だよ、と僕は思えてしまうんですよね。
──コロナ禍で経済はあきらかに疲弊し、社会格差はますます拡大して、社会は閉塞感に包まれています。経済の活力を支えていくハードウェア、つまり建築物は、やはり必要では?
必要な部分も、もちろんあります。ただ、東京は何をあきらめ、何を切り落としていくか、真剣に考えなければならないフェーズに来ています。
戦後の日本の経済発展のエンジンは、雇用も含めて、建設産業と自動車産業でした。たとえば建設産業では、業務と居住を完全に切り分けて、都市とその周縁を分断した。端的にいうと、その方が儲かったからです。建築基準法のような法律も、オフィスはオフィス、住居は住居と、機能を完全に切り離して、両者の融合を阻んできた。今になって、その不自然さが噴出しています。実際、感染者が増えた時に、都市は受け入れのキャパ不足にヒヤヒヤし通しだし、家ではテレワークをしたくとも、そのスペースがない。
これからは建物の用途を決めつけずに、オフィスを住まいにしたり、あるいは感染症が流行した時には病床にしたりと、その時々のコンテクストや事情によって、機能を柔軟に変えていく都市が生き残っていくと思います。東京にはもう十分ハードがあるので、ソフトを変えていかないとダメです。
■木造の街並みを温存
──国立競技場、高輪ゲートウェイ駅といった大建築に携わる一方で、近年の隈さんはシェアハウスの大家さんになったり、木の内外装のトレーラーを設計して期間限定の屋台ビストロを経営してみたりと、「小さい建築」に取り組んでいます。
建築家として矛盾を抱える中で、何かを発信するんだったら、自分でリスクを負わないと誰にも届かないな、と思っているから。
昭和の時代に、丹下健三さんが発表した「東京計画1960」というものがありました。東京湾を埋め立てて、今でいうスマートシティーのような海上都市を作るという、拡大の時代の極致のような絵でした。
僕は、この経済縮小の時代に「東京計画2020」を描こう、と。大きな建築は不要で、路地や横丁のある木造低層の街並みを温存して、そこに人が自由に生きるための最先端のテクノロジーを埋め込めばいい。新しくスマートシティーを造成する必要なんて、ないんです。
※AERA 2020年10月26日号