就活は恋愛のようなもの。会えば会うほど互いの理解が深まるのがセオリーだ。だが、コロナ禍では会うことさえもままならない。いまも続く就活の緊急事態をどう捉えているのか。人気企業にとっての「意中」の学生や大学がわかった。AERA 2020年10月26日号は「採用したい大学」を特集。
【長澤まさみもCMで「これっす」 若者の“新敬語”「っす言葉」なぜ広まった?】
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自分の実力を過信していたわけではない。
「普通にしていれば、志望業界のどこかから内定がもらえると思っていました」
関西の私立大学に通う女子学生(21)が、ため息をつく。
大学に入学したときから、すでに就活は売り手市場。五輪イヤーの今年はその絶頂期ともいわれていただけに恩恵にあずかれる──そう思っていた。
しかし、事態はがらりと変わった。新型コロナウイルスが就活市場も襲った。
「コロナの影響でほとんどの説明会が中止。選考自体がなくなったわけではないけれど、内定が一気に遠のいたように感じました」(女子学生)
目指していたのは旅行業界だったが、学生に人気のエイチ・アイ・エスは採用が中止となり、夏にかけて選考を継続していた他企業も返事はない。結局、志望を変えて10月上旬に内定した保険会社へ勤めることにした。
「先輩は去年、苦労せず就活を終えていたのでこんなに長引くとは思いませんでした」(同)
■「コロナ前」採用は好調
この学生が言うように、今春に就職した2020年卒生は活動自体が「コロナ前」だったため、結果はすこぶる好調。一人で複数の内定を取る学生も、ざらにいた。
では、新型コロナのビフォー・アフターで就活戦線はどう変わったのか。
アエラでは、大学通信の協力を得て、就活生に人気の企業102社が20年春、どの大学から何人の学生を採用したのかを一覧にした。
さらに、企業がターゲットにする大学や大学群をわかりやすくするため、早稲田大から楽天へ91人、東京大からソニーへ38人といった、その企業のなかで最も採用数が多かった大学を赤色、また、採用数で5番目までの大学を青色、10人以上の採用数がある大学を黄色で示した。なお、就職者数は学生の申告を受けて大学がまとめているため、実際の入社人数と異なる場合がある。また、大学ごとの卒業者数は大きく異なるため、比較の際は注意が必要だ。
売り手市場のなかでも、大学ごとに企業との相性があることがわかる。
たとえば、一橋大学。
1学年の学生数は1千人に満たないながらも、三菱UFJ銀行に22人、三井住友銀行に17人の学生を手堅く送り込んでいる。
【なぜ大学閉鎖なのにGoToはあり? 1年生に深まる孤立と不満「後期もオンラインなら心が折れる」】
だが、調査を実施した大学通信の安田賢治常務は、こう話す。
「この102社の中で、一橋大生が最も就職しているのは楽天の29人です。他のネットや通信系に進んでいるわけでもない。創業者の三木谷浩史会長が一橋なので、その影響もあるのではないでしょうか」
赤や青色が目立つ大学は、企業からターゲットにされている大学といえる。たとえば、保険は早慶MARCH、理工系を中心にほしがる電子・電気は難関国立大など、企業や業界の傾向がひと目でわかる。一方、学生に人気の食品は採用数が著しく少ないことなども見て取れる。
■「キラキラ就活」の終焉
アフター・コロナとなる21年卒もターゲットが大きく変わることはないが、就職地図が一部、変わることが予想される。
「売り手市場は20年卒まで。学生に人気のキラキラ企業が並んだ進路実績は、おそらく最後の輝きです」
そう話すのは、青山学院大進路・就職センターの西前(さいぜん)敦子課長だ。航空業界を目指す学生が多い同大では、今年4月、日本航空と全日本空輸だけでも70人以上の学生が採用された。中には、入学時からエアラインスクールに通ったり、夏のインターンシップに参加する学生が多かったという。
2社とも青学からの就職先上位企業で、採用実績は右肩上がりだった。納得して就職していく卒業生の姿に手ごたえを感じていたが、新型コロナによる渡航制限で航空業界は赤字に転落。相次ぐ採用中止で21年卒生は土俵に立つことすらままならなかった。早くも卒業延期や、既卒での就活を意識する学生も出てきている。
だが同センターの祖父江健一部長の「読み」は、さらに重い。
「航空業界は少なくとも3年は元通りにならないと見ています。リーマン・ショックは原因がはっきりしていたので1、2年先には希望が持てました。先が読めないコロナ禍で学生にどうモチベーションを保たせるか、我々の支援も問われます」
(編集部・福井しほ)
※AERA 2020年10月26日号「人気102社の採用したい大学」特集から抜粋
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「あざっす」「無理っす」「うまいっす」などなど。「っす言葉」は全盛期。CMでもモテモテ。ややこしい人間関係も、この軽さで解決っす! AERA 2020年10月26日号は、若者に広まった理由に迫る。
【「ムラサキするよ!」BTSが生配信でファンと再会、愛の言葉届ける】
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上質感にひたりながら、コクのある「アサヒ ザ・リッチ」を飲む竹野内豊さん。思わず「好きだ」とつぶやくと、横から「私も」という女性の声がしてドキッとする。現実の世界に引き戻され、ベランダの横を向くとマンションの隣に住む長澤まさみさんの姿が目に入る。真意を測りかねていると、「これっす」と手に持つアサヒ ザ・リッチを示すのだった──。
この夏放送された「アサヒ ザ・リッチ」のCMだ。長澤さんの「これっす」に40代の男性は胸がキュンとすると言う。
「長澤さんみたいな、手の届きそうにないきれいな女性が、『これっす』と気さくに下りてきてくれた感じがたまらない」
若者言葉「マジっすか」「了解っす」など、丁寧語の「です」を短縮した「っす言葉」は体育会系やガテン系の男性から使用が始まり、1990年代に広まったとされる。いまやCMにも多く登場し、一般にも広く使われるようになった。
■独特の親近感を生む
「っす」は、使用者の間では「なんちゃって敬語」という漠然とした共通認識がある一方、ネット掲示板で「『っす』は丁寧語か?」という論争が起きるなど、その位置づけは曖昧だった。
そこへ「『っす言葉』は若者の繊細な人間関係を支える、新敬語」と評価する専門家が登場した。今年3月『新敬語「マジヤバイっす」社会言語学の視点から』を出版し話題を呼んでいる、関東学院大学教授の中村桃子さんだ。中村さんは大学の男子運動部の先輩と後輩のグループの会話を調査。すると「っす」の使用には一定のルールがあることがわかった。(1)後輩が先輩と話すときに使う。(2)先輩が後輩に使う逆パターンや、同期同士の使用はない。そこで中村さんは「っす言葉」を「新敬語」と定義した。
2015年に放送されたauの三太郎のCM「鬼、登場」篇では、菅田将暉さん演じる鬼が「っす言葉」を連発。“チョー軽い鬼”が話題を呼んだ。なぜ「っす言葉」を使ったのか。三太郎のCMを手がけるクリエイティブディレクターの篠原誠さん(48)に聞いてみた。
「鬼は三太郎とは違うキャラクターにしたい。それも既成概念にとらわれないイメージにしたいと考え、『人懐っこい後輩キャラ』に設定しました。その場合、敬語よりも『○○っす』のほうが合うと思い、連発することになりました。『っす言葉』はなれなれしく相手を少しなめているように聞こえがちですが、“独特の親近感”を生みます」
■「心の距離」を調整
このCMで興味深いのは、敬語とタメ口のせめぎ合いだ。三太郎は緊張しながら鬼退治に向かった。ところが登場したのは、以前、桃太郎(松田翔太さん)が退治した鬼だった。桃太郎が「鬼ちゃん!?」と声をかけると、鬼は屈託なく「あ、桃ちゃん、久しぶりっす~!」と返答。金太郎(濱田岳さん)と浦島太郎(桐谷健太さん)は面食らう。
金太郎は当初「友だちですか?」と敬語で話すが、鬼に「ケンカの後はもう友だちっすよね~」と畳みかけられ、さらに手にしていたまさかりを「わっ、これ格好いいっすね~」とほめられると「本当に?」と一気にタメ口に転じる。
敬語で話すかタメ口にするかには、話し手の「心の距離」が投影される。敬語ばかりではよそよそしくなるが、タメ口だと踏み込みすぎる。その距離感をうまくとれるかが、人間関係の要のひとつだ。中村さんは言う。
「日本語には“親しみをこめた丁寧語”がないんです。『っす言葉』はその空白を埋めるようにして広まったと考えられます。タメ口と敬語の間をつなぐ貴重な役割を果たしているのです」
「っす言葉」には前述のCMの鬼に「軽さ」を加えるなど、丁寧語の機能だけにとどまらない魅力がある。それがクリエーターたちを引きつけ、CMでの多用にもつながっているようだ。「っす言葉」は男性が主に使ってきたが、2000年代に入ると好感度の高い女性が登場するCMでも使われるようになる。
■女言葉の衰退が影響
綾瀬はるかさんが出演した、12年放送のアクエリアスのビタミンガードのCMでは「っす言葉」がアクセントになっている。綾瀬さんは女友だちと陶芸教室、ゴルフ練習、砂風呂を楽しみ、シーンごとに「今日も充実っす」と言う。言葉を手書きした花まるスタンプも表示された。CMのコピーを手がけた、電通の小川愛世(あきよ)さん(36)は言う。
「このころリア充という言葉が広く使われ始めて、週末にボルダリングをするなど、女性たちは日々を充実させることに夢中になっていました。加えて、商品もしっかりしたレモン味で、飲んだあとに充実感があることから『充実』がキーワードになりました」
しかし「充実」の言葉だけではキャッチコピーとしてやや硬い。複数の候補を出して、選ばれたのが「充実っす」だった。
「普段、『〇〇っす』と言いそうにない、柔らかな雰囲気の綾瀬さんが、明るく元気に『充実っす!』と言ったときに生まれるギャップが新鮮で、チャーミングになると考えました。『っす言葉』を使うことで、『充実です!』『充実だね!』にない爽快感や勢いが加わり、素がポロッと出たようなニュアンスもつきました」(小川さん)
男女ともに使われる「っす言葉」。でも、中村さんは、男性と女性とでは使い方は違うと指摘する。男性が丁寧さが必要な場面なのかどうかで「っす」の使用を判断するのに対し、女性は自分をどう打ち出したいかで決めるという。
「女性の『っす』の使用には、『だわ』『かしら』などの女言葉が死語になったことも影響しています。綾瀬さんのような同性に好まれる女性のCMで『っす言葉』を使い、男性や女性の枠にとらわれない“新しい女性らしさ”を打ち出している点が興味深いです」(中村さん)
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■文末の便利なスタンプ
キーワードは「仲間意識」。そう語るのは、冒頭の「アサヒ ザ・リッチ」のCMを手がけた博報堂のクリエイティブディレクター・臼井健太朗さん(45)だ。「っす言葉」には男女や先輩後輩の垣根を越える効果がある。
「商品はコクのある上質な味わいながら、手ごろな価格で買える新ジャンル。ですから、長澤さんを男性が憧れるような旧来型のタイプではなく、新ジャンル好きの仲間として描きたいと思いました」
竹野内さんと長澤さんでは、年齢的に先輩と後輩の関係になる。臼井さんが思い浮かべたのは手ごろな居酒屋で仲間で飲んでいるときの先輩と後輩の会話だ。「これ、うまいっすね」「だろ?」。先輩が「俺、○○食っていい?」と言うと後輩が「ダメっす」と返したり。やがて「どっちが先輩だ?」みたいになったり。「っす」を介して垣根がはずれ、楽しさと親密さが増していく。
「男女の垣根なく交わされている、こうした会話の感じを出したくて、長澤さんのセリフを『これっす』にしました。『これです』にしてしまうと、そこで会話が終わってしまうとも思いました」(臼井さん)
文末に余韻とゆるさ、カジュアルさを加える「っす」は、便利な「言葉のスタンプ」なのだ。LINEやメールのスタンプ、絵文字と同様の働きをする。しかしSNSのスタンプなどと同じく、TPOをわきまえることも重要なようだ。「新入社員に用事を頼んだら『いいっすよ』と言われた」「40代にもなって『○○っす』を連発する職場の男性、どうなの」など否定的な声も聞こえる。便利な分、取り扱いには注意が必要っす。(編集部・石田かおる)
※AERA 2020年10月26日号
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経済評論家として大人気の勝間和代さん。最近は経済のみならず、ストレスフリーで自由な人生を目指すための簡単なコツを100個も収録した『圧倒的に自由で快適な未来が手に入る! 勝間式ネオ・ライフハック100』がベストセラーになっている。
ここで、アエラ増刊「AERA Money」に勝間さんが執筆した、お金に対する考え方の一部を紹介しよう。タイトルは「お金は人生をどう彩るかを自分で決める絵の具です」。
【金融機関ごとに大差。iDeCoの手数料、安いのはどこだ】
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こんにちは、勝間和代です。これから『AERA Money』で定期的に、自分を幸せにするためのお金の話をしていきたいと思います。
私たちは自分でできること以外は原則としてほとんどすべて、他の人の手を借りなければなりません。他の人の手を借りるとき、たいてい必要になるのが「お金の支払い」です。
そして私たちは人の手を借りるために必要なお金を、逆に人のお役に立つことで報酬として得て、お金を循環させています。ある意味、お金の循環というのはお互いの人生の交換であるといえるでしょう。
自分の人生を誰と一緒にどのようにつくり上げていくかという「絵」を描くとき、「どの人からお金をもらって、そのお金を誰と使うのか」ということを考えながら全体のスケッチやデザインをしていかなければなりません。
お金を稼ぐときも、不本位な稼ぎ方をしてしまうとその絵が汚れてしまいます。また、お金を使うときにも、やはり濁りのない自分の好みの色で描きたいものです。
そうやって考えると、単に「安いから」とか「みんなが持っているから」といった理由でモノやサービスを買うのは、ばからしいと思うようになります。また、ある程度は収入があったほうが好きな色で好きな絵を描けるようになります。
私たちが他の人から収入を得るときにも、しっかりと美しい色を相手に渡し、「相手の絵をよりすばらしいものにできないか」ということを考えたいものです。その人の人生に参加するわけですから。
【バブル崩壊より打撃の観光業「GoTo」東京解禁に期待 一方で地方からは憤りや恐怖も】
自然界にはお互いが共生してエコシステムを作り上げ、中長期的にいろいろな生物が繁栄できるような仕組みがたくさんあります。お金も全く同じです。私たちは酸素や食べ物の代わりにお金を交換することで、お互いをより幸せにする方法を模索しているといえるのではないでしょうか。
お金をたくさん稼ぐことについても、「自分以外の人をたくさん幸せにすることができれば、その結果としてお金がついてくる」と考えましょう。そうすれば、自分の収入を上げるためのヒントが見つかると思います。
(文・勝間和代 編集・中島晶子)
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中学受験シーズンが近づいてきた。今年は新型コロナウイルスの影響で勉強環境にも変化があり、例年以上に不安を抱いている人がいるかもしれない。『中学受験2021 時事ニュース 完全版』では、中学受験に出やすい時事ニュースを網羅した。その中で、中学受験のプロ、早川明夫・文教大学地域連携センター講師が、新型コロナ関係で入試に出やすいポイントを4つアドバイスする。
【隈研吾「東京は破綻する瀬戸際にあった」 新型コロナが与えた都市計画への“警告”】
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(1)キーワードを押さえよう!
今年最大のニュースはなんといっても「新型コロナウイルス」です。膨大な情報量で、受験に何が大事かわからないという子どもたちは、まずはキーワードを押さえてください。パンデミック、ステイホーム、クラスター、オーバーシュート、ロックダウン、テレワークなど、さまざまな用語について、きちんと意味が説明できるか確認してみてください。
(2)社会でも理科でも出題の可能性
新型コロナのテーマは社会でも理科でも出題される可能性があります。社会では世界保健機関(WHO)からアメリカが離脱するという国際的な問題や、唯一撲滅できた感染症は天然痘であることなど歴史に広げた問題、とさまざまな出題が考えられます。感染症研究に携わった歴史に名を残す科学者3人、北里柴三郎、志賀潔、野口英世はその功績も含め、必ず覚えておくことをお勧めします。理科では、ウイルスと細菌の違いや、電子顕微鏡についてもチェックしておくといいでしょう。
(3)グラフや資料の読み解き問題も
新型コロナを巡っては、国内総生産(GDP)が年率で前年比28.1%減というリーマン・ショックを上回る戦後最悪の下落幅が予想されています。日本の財政も悪化するでしょう。これらのグラフや資料を読み解く問題が出題される可能性も大いにあります。
(4)親子で対話を大切に
こんなに難しいテーマをどうやって勉強すればいいの?と思う子どもたちも多いでしょう。一番大事なことは、日ごろから新聞や雑誌などでニュースを活字で読み、親子で対話することです。だいたい理解している程度ではダメで、人に説明できるぐらいに深く理解することが大事です。
【いつでも受験可能な「オンライン模試」に注目 将来的には入試に活用される可能性も?】
※『中学受験2021 時事ニュース 完全版』より
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日本航空の破綻から10年。今度はANAが、コロナ禍で巨額赤字に陥る見通しとなった。ANA自身の行きすぎた拡大路線と歪んだ航空行政が危機を増幅させている。AERA 2020年11月2日号で掲載された記事を紹介。
【池井戸潤が「半沢直樹」新作を語る! 情報の多寡でモノの値段は変わる】
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ANAホールディングスが2021年3月期決算で5千億円超の最終赤字を計上する見通しになった。コロナ禍で国際線の9割が運休するという未曽有の逆風が招いた危機だが、一方で同社がここ10年、急拡大を目指すあまり自ら「危険空域」へと操縦桿を切り続けていたことも否定できない。
■追い続けた「日航超え」
ANAの前身は、終戦から7年後に2機のヘリコプターで創業した日本ヘリコプター輸送。今もANA(全日本空輸)の便名に使われる「NH」はその名残だ。やがて旅客機の運航に進出したが、1986年までは一部のチャーター便を除き国内線専門で、より高額の運賃が見込める国際線は長年、日本航空の独壇場だった。
「国際線参入が認められるまで、一体何回、運輸省(現国土交通省)の航空局に国際線参入のお願いにいったことか。幹部とアポを取っていたのに1時間半も待たされ、部屋から出てきたのは日航の社員。なのに我々のお願いにはけんもほろろで、ほんの10分で追い出された。あの頃の悔しさは絶対に忘れない」
筆者が航空業界を担当していた2010年代前半、ANA幹部はそう話して目をぎらりと光らせた。国際線への渇望と日航への激しい対抗心は、ANAという企業のアイデンティティーと言ってもいいほどだった。
86年に初めての国際線定期便が認められてからも、ANAはあくまでも「2番手」の存在であり続けた。
当時、国際線が発着する成田空港は滑走路が少なく、運用時間も限られていたため世界有数の過密空港だった。新参者のANAは国交省から有利な時間帯の発着枠をなかなか与えられず、日航との差はいっこうに縮まらなかった。
当時の国交省が日航重視を続けたのは、長年の実績に加え、日航と自民党政権の蜜月関係の影響も大きい。
ドラマ「半沢直樹」では、与党の幹事長の地元に「伊勢志摩空港」が建設され、大規模なリストラ計画が進む中でも同空港への路線だけは撤廃を免れるというエピソードが描かれる。ここまで極端な例は希としても、十分な需要があるかどうか定かではない空港が各地に建設され、「政治の意向」を受けた日航が羽田や伊丹とそれらの空港を結ぶ国内線を運航する、という構図が数多く生み出されてきた。
政治家は地元に路線を引っ張って有権者にアピールし、日航は収支が厳しい路線を引き受ける見返りに国際線のドル箱路線を運航する。そんな持ちつ持たれつの関係が続く航空業界で、ANAは「万年2位」に甘んじるしかないと思われていた。
【バブル崩壊より打撃の観光業「GoTo」東京解禁に期待 一方で地方からは憤りや恐怖も】
■日航救済後は優遇に舵
潮目を大きく変えたのは、10年に起きた日航の経営破綻だ。
一時は日航をそのまま倒産させる案や、国際線を全てANAに引き継がせる案も取りざたされたが、結局は当時の民主党政権が主導して、政府系ファンドの企業再生支援機構が3500億円の公的資金を日航に注入。借金は大半が棒引きされ、法人税も大幅に減免されることになった。郵政民営化など「官から民へ」の流れが進んでいた中、政府による日航救済は明らかに時代錯誤と言えた。
ただ結果的に、ANAと政府の関係は一変する。ANAの伊東信一郎社長(当時、現会長)は、多額の公的資金が注入されて財務状況が劇的に改善した日航との間で「公平な競争条件が確保されていない」と繰り返し主張。国交省もこの主張を全面的に認め、様々な面でANAを優遇するようになる。
国交省は12年、日航が新路線を含む新規事業を行うことを制限。一方、都心から近く高い利用率が見こまれる羽田空港の国際線発着枠の配分では、13年にANA11枠対日航5枠、16年にもANA4対日航2と大幅な傾斜配分を行い、「ANA優遇」の姿勢を鮮明にした。
その結果、14年5月にはついにANAが国際線の旅客輸送量で日航を逆転。国際線定期便への参入から28年目にして、悲願の「日航超え」を達成した。
各国を代表する航空会社は「ナショナルフラッグ・キャリア」と呼ばれる。その象徴とされるのが、国旗を付けて飛ぶ政府専用機の機体整備などを手がけることだ。ANAは19年、日航に代わって初めて政府専用機の機体整備を受託し、名実ともに日本のナショナルフラッグ・キャリアとなった。
■拡大路線に懸念の声も
ただ、この当時のANAの拡大路線には懸念の声もあった。「路線の急増で機材や人員を抱えれば、リーマン・ショックのような有事のときに負担がのしかかる」という指摘は今回、まさに現実になった。
15年に傘下に収めたスカイマークも赤字幅を拡大させている。ANAは当時、投資ファンドのインテグラルとともに経営破綻したスカイマークに出資し、事実上のグループ企業にした。それまでスカイマークは日航との関係が深く、羽田空港でも日航と同じ第1ターミナルを使っていた。経営陣や社員の間でも「ANAの傘下に入るなどあり得ない」(当時の役員)といった反発の声が根強かった。
買収話がささやかれ始めたころ、ANAの伊東社長(当時)は筆者にこう話していた。
「我々か日航か、スカイマークを取った方が日本の航空最大手になる。もし日航にスカイマークを取られたらもう逆転の目は無い。日航が(新規事業制限で)手を出せない今、取りにいかない手はないだろう」
世界最大の旅客機エアバスA380の導入も、結果的には深刻な重荷になった。
ANAは15年、超大型機A380を3機発注した。だが当時、A380は「大きすぎる」ことが災いし、すでに世界的に販売が低迷。背景にあったのは、ライバルであるボーイングの最新鋭機B787に代表される、中型機の燃費向上と航続距離の拡大だ。運航コストが安いだけでなく、大きな1機を飛ばすより、小さな機体を数多く飛ばした方が乗客の増減に柔軟に対応できるし、利用者が比較的少ない路線にも参入しやすい。
ANAは、このB787を世界で最初に導入した航空会社だ。誰よりも最新鋭中型機の利点を認め、裏返せば大型機のリスクを知っていたはずのANAが一体なぜA380を3機も導入したのか。「ハワイ路線強化のため」が表向きの理由だが、そこには傘下に収めたスカイマークが大きく関与している。
スカイマークは11年、日本の航空会社で初めてA380を6機発注した。だがその後の経営難から発注をキャンセルし、エアバスから巨額の違約金を求められていた。
経営破綻したスカイマークにとってエアバスは、大口債権者の一つ。スカイマーク向けに製造中だった機体とANAが導入した機体は別物とされるが、スカイマークの経営再建を担ったANAと、債権者だったエアバスの間で何らかの交渉が行われ、ANAのA380導入につながったことは想像に難くない。
いずれも急激な拡大路線のツケが、コロナ禍で噴出した形だ。
【「まさか、家をなくすとは…」コロナで住宅ローン払えずに競売通告 年末にさらに増える見込みも】
■「政権と蜜月」危機招く
政権との蜜月関係を背景に膨張を続けた日航が破綻し、代わってナショナルフラッグ・キャリアへと躍進したANAが迎えた窮地。もちろん、ANAはなお高い自己資本比率を保っている上、すでに銀行団から1兆円超の資金調達のめどを付けるなど、破綻当時の日航とは状況が大きく異なる。だがそれでも、両社が苦境に陥る道筋は合わせ鏡のように符合する。
13年の秋、ANAの経営陣は日航の破綻について筆者にこう語っていた。
「破綻は半分以上政府のせい。政府が航空行政に余計な手心を加えたりせず、自由な競争に任せていたらこんなことにはならなかったんだ」
その言葉は今、ANAにもぴたりと当てはまる。政府が横紙破りで日航を救い、その埋め合わせとしてANAが有利になるよう競争環境をコントロールするというやり方が、コロナ禍の傷口を大きく広げている。(編集部・上栗崇)
※AERA 2020年11月2日号
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主に外猫を撮影し、猫の自然な姿をとらえた写真が人気の猫写真家・沖昌之さん。「今週の猫しゃあしゃあ」では、そんな沖さんが出会った猫たちを紹介します。今回は「クジラにのった猫。冒険の旅へ出発です!」をお届けします。
【階段を転げ落ちる猫 ハチワレさんは七転び八起き!】
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残暑が厳しい日でした。多分、このプールはひんやりするんだろうな、猫たちがここにたむろしているんです。
この子は、最初、プールの縁でくつろいでいました。クジラの絵の上に座ってほしいと願っていたら乗ってくれて。まだ夜明け前の暗い時間。シャッタースピードが稼げないので手ぶれしないように気を付けながらの撮影でしたが、童話の世界のようになって嬉しい一枚です。
【野球場でドヤ顔の黒猫 ここは俺様のテリトリーだニャ】
沖昌之/猫写真家。主に外猫を撮影し、猫の自然な姿をとらえた写真が人気。写真集に『必死すぎるネコ』『明日はきっとうまくいく』など。インスタは@okirakuoki。新刊『必死すぎるネコ~前後不覚篇~』が発売中
※AERA 2020年10月26日号
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違法建築問題で経営危機のレオパレスを、ソフトバンク系のファンドが救済する。倒産もささやかれる中でぎりぎりで踏みとどまった形だが、まだまだ予断を許さない状況であることには変わりないようだ。AERA 2020年10月19日号では、レオパレスの現状を取材した。
【金融機関ごとに大差。手数料、安いのはどこだ】
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全国的な違法建築問題をきっかけに経営難に陥っていた賃貸住宅大手のレオパレス21に、救済の手がさしのべられた。同社は9月30日、ソフトバンクグループ子会社の米投資ファンド「フォートレス・インベストメント・グループ」から総額572億円の出資と融資を受けて経営再建を目指すと発表した。
レオパレスは6月5日、2020年3月期決算で802億円の純損失を計上。その後1千人以上の人員整理を公表したほか、自社株を相次ぎ売却したり、保有するホテルや賃貸住宅を簿価の半額程度で「投げ売り」したりと現金をかき集めている様子が明らかとなり、倒産の噂がささやかれる中での支援決定だった。
9月30日に発表した4~6月期決算によると、同社は6月末時点で約118億円の債務超過に陥っていた。だがファンドからの第三者割当増資で約119億円の出資を受け入れ、300億円を借り入れるほか、子会社にもファンドの出資を受け入れるなどして、債務超過を解消できるという。まさに土俵際で踏みとどまった形だ。
■オーナーとの契約標的
レオパレスは今後、ファンド主導で経営改善を進めることになる。不動産とファンドに詳しいコンサルタントの西村明彦さんは、改革は短期決戦とみる。
「ファンドの目的は買った株式の価値を上げ、売って利益を得ること。基本は1~2年、長くても3年で結果を出します」
ファンド側がすぐにでも着手すると考えられるのが、優良物件の選別だ。優良物件とは、入居率がよく安定して家賃が入ってくる物件や、大手法人が社宅にしている物件。そうではない物件は収益性が低い不良物件と見なされることになる。
レオパレスの場合、物件は各地のオーナーが建設・保有し、レオパレスが一定額の家賃収入を保証する「サブリース」という仕組みをとっている。オーナーにとっては入居の有無にかかわらず毎月一定の金額が入ってくるため、ローンを組んで賃貸住宅を建てるケースが多い。
だが今回、ファンド側は不良物件のオーナーに対して家賃保証の大幅な減額を要求するとみられる。応じなければ家賃保証の終了に追い込むこともあり得る。西村さんは「手慣れたファンドマネジャーたちによって、家賃減額交渉は一気に進むでしょう」と語る。
レオパレスの4~6月期の営業損益は68億円の赤字。最大の理由は入居率の低さだ。物件全体の入居率は79.43%。駅から遠い、近くに企業や大学などがないなどそもそも需要が少ない物件も多い上、違法建築問題が追い打ちをかけている。一般的にサブリースで家賃保証を行う側(この場合はレオパレス)が利益を得られる損益分岐点は入居率80%とされる。経営再建へ、入居率引き上げも極めて大きな課題だ。
【キンプリ岸優太が今欲しいものは「貯金の数字」に込めた意味】
■340億円で物件改修
だが、入居率を改善させるには、レオパレス信用不振のきっかけとなった違法建築問題の解決抜きには語れない。
同社によると、明らかな不備がある賃貸住宅は全国に1万3626棟あり、改修工事が完了しているのはその7.7%にあたる1055棟にすぎないという。上記以外にも1万6457棟で小屋裏の界壁(部屋と部屋を仕切る壁)などに軽微な不備が確認されている。
これらの改修を請け負うはずの施工会社が、レオパレスの信用不安から仕事を受けたがらなかったことも進捗が遅れている理由の一つ。工事が終わらず入居者募集を保留している部屋は、7月末時点で5万室に上る。これはレオパレスが管理する約57万室の8%超にあたる。
ファンドから調達した資金のうち、340億3300万円は「界壁等の施工不備に係る補修工事費用」として使用される。これにより工事が進むことが期待されるが、内部事情に詳しい元幹部からは「補修箇所は一律でなく様々なタイプがあるため、費用は1千億円はかかるだろう」との声も聞かれ、なお予断を許さない状況だ。(ライター・吉松こころ)
※AERA 2020年10月19日号より抜粋
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7年8カ月という長期にわたって国政を仕切った第2次安倍政権が、2020年9月に終わった。代わって首相に就いたのは、安倍晋三氏を官房長官として支えた菅義偉氏だ。菅首相は安倍政権の継承を掲げており、さまざまな課題も引き継がれる。小中学生向けニュース月刊誌「ジュニアエラ」11月号では、安倍長期政権を振り返り、21年10月までに行われる次の衆議院議員選挙について考えた。
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明治以来、最も長い7年8カ月余り在任した安倍晋三首相(当時)が20年9月に退陣した。「1強」とも言われた政権は政治に一定の安定をもたらした一方、長期化するにつれ「政権の私物化」といった批判も招いた。
8月28日夕方、安倍氏は首相官邸での記者会見で、持病の悪化を理由に辞任することを表明した。自らの成果を問われると、雇用の場を作り出したこと、アメリカとの関係強化、TPP(環太平洋経済連携協定)など、ほかの国との貿易がさかんになるようなしくみを作ったことなどを挙げた。「選挙のたびに力強い信任を与えてくれた国民のおかげだ」と語った。
自民、公明両党の与党は2013年の参議院議員選挙(参院選)以降、衆議院議員選挙(衆院選)と参院選で勝ち続け、国会で過半数を大きく上回る議席数を維持した。その勢力を背景に、政権はさまざまなルールの作成や変更を進めた。
特に力を入れたのは経済だ。この間、企業の株価は上がって、失業率は下がり、最低賃金は引き上げられた。
ただ、野党の評価は厳しい。
立憲民主党の枝野幸男代表は、辞任会見の2日後にBSの番組で「無理をして従来のやり方で現状を維持しようとし、いろいろとひずみが出た」と話した。その一つが格差の問題だ。雇用される人の数が増えても、非正規社員は増加し続け、その割合は4割近くにまで上昇。物価の変動を考慮した「実質賃金」の伸びも限定的だった。枝野氏は「貧困が生まれ、経済の足を引っ張った」と言う。
安倍氏の辞任表明会見では、森友学園の問題などを引き合いに「政権の私物化という批判をどう考えるか」との質問も飛んだ。安倍氏は「説明ぶりについて反省すべき点もあるかもしれないが、私物化したことはない」と反論した。だが、共産党の小池晃書記局長は「誰が見たって私物化が続いた」と話す。実際、安倍政権では政治が公平・公正に行われているのか、疑問を抱かせるような問題が相次いだ。
たとえば、安倍氏の妻が名誉校長を務めていた森友学園をめぐる問題だ。
国は16年に学園側に国有地を8億円余り値引きして売却した。なぜ、値引きされたのか。国会でこの問題を追及された安倍氏は「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」と言い放った(17年)。その発言の直後から、財務省は密かに売却の経緯などを記した公文書の改ざんを始めた。文書は、事実関係をただすために国会が財務省に提出を求めたもので、18年になって改ざんがわかった。
安倍氏の友人が理事長を務める加計学園による獣医学部の新設問題をめぐっては、「総理のご意向」だとする内閣府の内部文書の存在が発覚した(17年)。首相が主催する公的行事「桜を見る会」に、安倍氏の地元事務所が後援会関係者に幅広く参加を募っていたことも明るみに出た(19年)。
いずれも根っこにあるのは、安倍氏に連なる人物が特別扱いをされたのではないかという疑念だ。野党は国会で事実関係を明らかにするよう要求。関係者の招致や資料の提出などを求めたが、与党は後ろ向きで、問題はたなざらしにされた。
安倍内閣では、歴代内閣の憲法解釈を飛び越えて集団的自衛権の行使容認を閣議決定するなど(14年)、議論を尽くさず国のあり方を変える強硬姿勢が目立った。国会でも、政府・与党は世論の賛否が割れる法案を、さまざまな疑問が解消されないまま次々と成立させた。特定秘密保護法(13年)、安全保障関連法(15年)、「共謀罪」法(17年)……。繰り返された採決の強行に、野党からは「民主主義の土台が壊されてきた」(小池氏)との批判が渦巻く。
しかし、安倍政権では、不祥事や強引な政権運営が批判を浴びて内閣支持率が下落しても、しばらくすると回復するパターンが繰り返された。「国民はすぐに忘れる」。政権幹部は、そんな言葉を口にしていた。
安倍氏の後継を決める自民党の総裁選では、森友問題などを「もう一度調べる」と再調査を訴えた石破茂元幹事長への賛同は広がらず、安倍政権の継承を訴えた菅義偉官房長官(当時)が圧勝。9月16日、首相に任命され、菅政権が誕生した。
次の衆院選は有権者が直接、今後の政治や社会のあり方への意思を示す機会となる。その結果は、新政権の行方を左右することになる。
<集団的自衛権>
仲のいい他国が攻撃されたときにそれを応援するために、戦争に加わる権利。日本には、戦争の放棄をうたった憲法9条があるが、歴代内閣は、国民の安全を守る最低限の権利として、自衛隊による「個別的自衛権」の行使は認めてきたが、「集団的自衛権」は行使できないとしてきた。安倍内閣は、2014年7月、これを行使できるようにする閣議決定をした。
<特定秘密保護法>
国の安全保障の秘密情報をもらした公務員らに厳罰を科す法律。国民の「知る権利」が脅かされると反対の声も多い中、2013年12月に成立。14年12月に施行された。
<安全保障関連法>
歴代内閣が認めてこなかった「集団的自衛権」の行使を可能にする法律。平和憲法を骨抜きにするおそれがあり、反対の声も多い中、2015年9月に成立。16年3月に施行された。
<「共謀罪」法>
犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ法律。名称は「改正組織的犯罪処罰法」。実際に犯罪を実行していなくても、「準備をしていた」と見なされる場合、処罰される。2017年6月に成立。
(朝日新聞政治部・内田晃)
※月刊ジュニアエラ 2020年11月号より
AERAの連載「午後3時のしいたけ.相談室」では、話題の占師であり作家のしいたけ.さんが読者からの相談に回答。しいたけ.さんの独特な語り口でアドバイスをお届けします。
【しいたけ.さん「夫婦・家族が持つ『守る・守られる』の機能は大切だからこそ、決断は慎重に」】
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Q:異常に源氏パイが好きです。1日に、お徳用源氏パイを半袋(14枚)食べていることも。噛んだときのサクホロ感が好物で、お徳用を見つけたら買いだめ。お菓子箱が鎌倉幕府ぐらい源氏だらけ。小腹がすいたとき、昼寝起きなど、頭に浮かぶのは源氏パイで、完全に紫式部。普通に太るので困ります。(女性/主婦/35歳/やぎ座)
A:ご回答します。
生きているといいことも悪いこともありますが、まあまあ自分の幸せを保ちながら生きている、生きることがうまい人っている気がします。
そういう人たちに共通しているのが、変な言い方ですけど「小さな自傷行為」を持っていることです。
自傷行為と言ってもリストカットのように行きすぎてしまうと医療機関に行ったほうがいいんですが、そうじゃない、ちょっと体に悪いこと。例えば僕だったら、夜中にやるゲームとか。すごく気持ちいいんですよね。
気持ちいいことってだいたい体に悪いことなんです。夜中にやるゲームは目にも悪いし、次の日の仕事のためにも早く寝たほうがいいんですけど、「早く寝なきゃ。なんでこんなことしてるんだろう」と思いながらゲームをしていると、何かがすうっと浄化されていくのがわかる。
辛いものを食べるのもそうだし、登山やマラソンも本当はあまり体によくない行為だと思うんです。源氏パイの食べすぎも、僕にはその小さな自傷行為の一つに思えました。
やぎ座は特に自傷行為が多いような気がします。外で仮面を被って生きているから、家に帰ってきた瞬間にその仮面を脱ぎ捨てたいという願望を持っているんですね。外に合わせていたスイッチを家ではオフにしたい。
やぎ座のお隣の星座のみずがめ座も同じような一面があります。やぎ座は、3日に1回自分のレベルを落として寝転がりながらお菓子を食べたりしますが、みずがめ座は1カ月単位でそういう時期が来たりします。その分少し闇も深い。闇期の自分を持つことでバランスを保っているところがあるのだと思います。
だから、どうぞ鎌倉幕府として源氏に囲まれて生き続けてください。
やめたくてもやめられない体に悪いことを持っている人に何かアドバイスするとすれば、目的を逆にしてみてはどうですか?ということ。
例えば、末永く堕落するために運動をするとか。そっちを目的にしてしまえばいいんです。ピザポテトとかジャンクフードを気が向いたときにおなかいっぱい食べられるように、日頃から運動しておく。堕落のためにジムに通って体を鍛えてみると、意外と長続きしたりします。堕落すること自体は自分から取り上げなくていいと思います。
自分で自分の闇を解決するための自傷行為を知っている人は、幸せにバランスを保って生きていけます。ケーキを2個食べちゃうのも大丈夫。
○しいたけ./占師、作家。早稲田大学大学院政治学研究科修了。哲学を研究しながら、占いを学問として勉強。「VOGUE GIRL」での連載「WEEKLY! しいたけ占い」でも人気
※AERA 2020年9月7日号
【暗示にかかりやすいみずがめ座が「魔術的な世界」から解放されるには…しいたけ.さんがアドバイス】
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日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。横浜で14年もの間自家製麺を貫き続ける職人の愛するラーメンは、ロックに憧れて上京した店主が人生をかけて作った魂の一杯だった。
■自家製麺を作り続け、小麦アレルギーに
横浜市保土ヶ谷区にある「めん処 樹(たつのき)」。相鉄線の天王町駅と星川駅のちょうど間ぐらいにあり、住宅街のど真ん中ながら14年間エリアを支え続けている名店である。創業当時はまだ珍しかった「自家製麺のつけ麺」にこだわった店で、今も変わらぬ人気を保っている。
店主の大川剛さん(47)は6年間のサラリーマン生活の後、幼い頃から好きだったラーメンの世界に飛び込んだ。麺から具材まですべて手作りを貫く「ラーメン麺工房 隠國(こもりく)」で3年間修行した後、独立した。独立前から自家製麺をやることを決めていた大川さんは2階建ての物件を借りて、店舗の2階を製麺所にした。
「自分のラーメンを作るにあたって、“誰が作ったのかわからない麺”を使いたくなかったんですよね。添加物も絶対入れたくなかったですし、そうなるとやっぱり自分で作るしかないなと」(大川さん)
当時は自家製麺の店は多くなく、情報も少なかったが、毎日麺を作りながら自分のラーメンのスープに合わせて改良を重ねていった。天候や気温などによって、水分や寝かせる時間などを微調整できるところも面白いという。創業からずっと麺を作り続けてきた大川さんは、今から2年前に小麦アレルギーになってしまう。マスクをせずに小麦粉を吸い込むと、呼吸困難になってしまうため、今は妻が代わりに製麺をしている。体力が続く限り自家製麺を続けたいというこだわりようだ。
最寄駅からは少し距離はあるが、店舗の目の前にはイオン天王町店があり、その利用客も数多く訪れていた。大型ショッピングセンターから流れてくるお客さんが売り上げの大きな柱であったことは間違いない。だが、そのイオンが店舗改装のため2020年2月に閉店してしまう。店の周りは本当にただの住宅地になってしまった。
そこに追い打ちをかけるかのように、新型コロナウイルスが襲ってきた。イオン閉店+コロナのダブルパンチで「樹」の売上は地に落ちるかと思われた。しかし、それを支えたのは地元客と常連客だった。
「イオンがなくなって一度売り上げは大きく下がりましたが、じきに戻っていったんです。地元密着で席は8席のみでずっとやってきています。常連さんに支えられながらの14年間ですね」(大川さん)
賞を獲るためやグルメサイトで点数を取るために店をやっているのではない。ラーメンフリークではなく、あくまで一般の人が何度も来たくなる店。それが、大川さんの譲れないこだわりだ。食材や調理法、火の入れ方など基本をとことん突き詰めることで、また食べたくなる味ができるのだという。大川さんはこの地でいけるところまで味の追求を続けていく。
そんな大川さんの愛するラーメンは、矢沢永吉に憧れて上京した店主がロックンローラーからラーメン屋に転身して作り上げた魂の一杯だ。
■独学で独立を決意 元ロックンローラーがつむぐ醤油ラーメン
横浜市南区にある「流星軒」は、矢沢永吉一筋40年の平賀敬展(ひろのぶ)さん(58)が営む人気店だ。00年のオープンから20年間、柔軟な発想でラーメンを作り続ける平賀さんにとってラーメンは「エンタテインメント」。そのバイタリティ溢れる姿は横浜のラーメン店にも大きな影響を与えている。
平賀さんは愛知県半田市出身で、幼少期から地元のチェーン店「スガキヤ」のラーメンをよく食べていた。大晦日には祖母が作る「年越しラーメン」を食べるのが恒例。名古屋コーチンで出汁をとり、ハムとゆで卵とカマボコが乗っていたオリジナリティあふれる一杯だった。
思春期になるとロックに傾倒し、憧れたのは矢沢永吉。バンド活動に明け暮れていた。高校時代には本気でプロを目指すようになり、18歳の頃に「俺はロックンローラーになって20歳で武道館を満員にする」と宣言し、家出。その日のうちに、横浜・元町のレストラン「ポンパドール」にアルバイトとして入れてもらう。その後はバンド活動をしながら数々のアルバイトを転々とし、10年の月日が経つ。この頃には既に平賀さんは28歳になっていた。
「月に4回ライブをやり続けていましたが、芽が出ない。疲れてきてしまったんですよ。バンドをきっぱり辞めて就職しようと思ったんです」(平賀さん)
音楽関係の仕事に就いたものの、やる気のない先輩の姿に嫌気がさし、すぐに転職を決意。当時昼によく食べていた「キッチンジロー」が幹部候補生を募集しているという記事を雑誌で発見し、面接を受け、入社が決まる。
平賀さんは仕事を必死でこなし、1年で店長に上り詰めた。フランチャイズ店として独立を目指していたが、ある出来事をきっかけにその夢が絶たれてしまう。8年間勤め上げていた平賀さんは、目標を失い、途方に暮れていた。
そんなある日、ふと見たテレビ番組で大好きな矢沢永吉が「最近のお気に入り」を答えていた。矢沢はその質問にイタリアのファッションブランドの「ベルサーチ」、映画「デイライト」、そして「ラーメン」の3つを挙げていた。
「当時、自分が住んでいた横浜は、横浜家系ラーメンの店ばかりでした。でも、永ちゃんが好きだというラーメンの写真は家系じゃなかったんです。気になって横浜のラーメン店を調べてみると、3分の2が横浜家系でしたが、その中で『くじら軒』の醤油ラーメンの写真が目に飛び込んできたんです」(平賀さん)
矢沢が好きな店が「くじら軒」であるかは定かではなかったが、とにかくそのラーメンを食べてみようと、店を訪れる。開店前にも関わらず50人以上の行列。少しすると、白衣がビシッと決まった店主が出てきて頭を下げ、店がオープンした。そこで食べたラーメンは平賀さんがこれまで食べた中で一番といっていいほど美味しいラーメンだった。
「こんなに旨いラーメンが世の中にあるのかと驚きました。それと同時に『ラーメン屋になろう!』と心は決まりました」(平賀さん)
やるなら「くじら軒」に弟子入りしたい。そう思った平賀さんはすぐに店に電話をし、弟子入りを志願。弟子はとっていないと言われたが、会って話だけでも聞いてほしいと懇願し、日曜の店の休憩時間に店主・田村満儀さんのもとに訪れる。結局弟子入りすることはできなかったが、田村さんは平賀さんにこう言った。
「僕も独学でラーメン屋を始めたんだ。あなたにもできますよ」
修行して独立するか、フランチャイズ経営が当たり前だと思っていた平賀さんには、カルチャーショックな一言だった。
自己流でもいいなら自分で頑張ってみようと、本を買って家でラーメンを作り始める。友人に振る舞うとこれが好評で、「くじら軒」に麺を卸している大橋製麺の担当者にも食べてもらい、太鼓判をもらった。
自信をつけた平賀さんは00年3月に「キッチンジロー」を退職し、4月から物件探しを始めた。毎日探したものの、しっくりくる物件が出てこない。諦めかけていたある日、幼少時代に年越しラーメンを振舞ってくれていた亡き祖母が夢に出てきて、「頑張れ」と言ってくれた。その翌日、自宅の目の前にある鉄板焼き店が空き物件として売り出されたのだ。平賀さんは即決した。
こうして同年7月、「流星軒」はオープンした。店名は矢沢永吉の名曲「流星」からとった。「くじら軒」を目標にしたあっさりとした醤油ラーメンだが、牛テールを入れるなどオリジナリティも追求した。いつ行列ができてもいいように、初日から外待ち用の椅子を用意していた。
昼、夜と営業し、片付けが終わると23時。自宅でラーメンを作っているのとは全く感覚が違った。閉店後に明日のスープやチャーシューを仕込まなくてはならないのかと思うと、途方に暮れた。でもとにかくやるしかなかった。
開店2日目には「くじら軒」の店主・田村さんが食べにきてくれた。
「夢を見ているようでした。目の前で『旨い』と言って、カウンターにお祝いを置いて帰られました。しかも業界のいろんな方に店を紹介してくれていたんです。カッコいいですよね」(平賀さん)
必死に仕事をこなす日々が続いたが、オープン景気は終わり、日に日にお客さんは減っていった。8月には昼に1人しか来ない日も出てきた。でも平賀さんには自信があった。旨いラーメンを作り続けていれば人は来るはずだと。
すると秋にチャンスが訪れる。雑誌「横浜ウォーカー」が新店紹介として「流星軒」を掲載したいと取材に来たのだ。雑誌の発売日の夜に平賀さんが店に来ると、店の前には大行列ができていた。開店時に用意していた外待ち用の椅子に人が座る日が来たのだ。
「当時はラーメンブームで忙しい日々でしたね。名前ばかり有名になって味が伴っていないんじゃないかと不安な時もありました。そんな時は、その都度試行錯誤して味のブラッシュアップをしてきました。開店以来ずっと変わり続けていますよ」(平賀さん)
今年でオープンから20年。それでも常に新しいメニューにチャレンジし続ける姿は、横浜のラーメン業界全体に刺激を与えているに違いない。
「樹」の大川さんは、平賀さんの技術や発想力に目をみはる。
「平賀さんにとってのラーメン作りは音楽と同様、“発想”なんですね。作曲家が曲を作るように発想が次々生まれてくるんです。しかも技術も常に向上し続けている。凄い方だと思っています」(大川さん)
平賀さんも、開店以来厨房に立ち続ける大川さんを認めている。
「ラーメン本に載っていたことがきっかけで『樹』のラーメンを食べにいきました。その頃からラーメンもつけ麺も変わらず美味しい。チャーシューは毎日仕込んで、できたてを出すなど、美味しさを常に追求しています。本当に真面目な職人ですね」(平賀さん)
横浜エリアを長く牽引する二人。ともに流行に左右されることなく、自分の道を歩み続けたからこそ今があるのだろう。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
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